笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

文字の大きさ
47 / 52
第四部 富士川の戦い

47 詰み

しおりを挟む
 平維盛たいらのこれもりが撤退を考えていると、伊藤忠清はもってのほかと断じた。

「今、退いてみなされ。それこそ源氏どもは雨後のたけのこのように、うじゃうじゃ湧いてきますぞ」

 そうなれば平家の世は乱れる。
 忠清はそれを憂えた。
 維盛もそれはわかるが、今は残された兵と平家の信望を保つことが大事ではないかといた。

「負けた方が深刻だ。兵は失い、名も失う。そして何より、追討軍など、二度と起こせまい」

 こういう時、もし清盛と連絡が取れれば、その判断を仰ぐこともできよう。
 でもそれも断たれている。
 維盛と忠清は、互いに一理あると認めているし、乳父めのととして世話をされた、した仲である。
 意見は異なるものの、深刻な対立にはならず、とにもかくにも今はまだ平家の勢力圏である駿河を目指すことで妥協した。

「駿河に行けば……駿河に行けば、兵もある。米もある」

 その一心で、維盛と忠清は駿河へと向かい、やはり三河や遠江で兵や米をぽろぽろと失いながらも、駿河には至ったのだ。
 ところが、そこで鉢田の戦いの報が届いた。

「駿河目代・橘遠茂たちばなのとおもちが負けた?」

 甲斐源氏への防衛のため出陣した遠茂が負け、それどころか生け捕りになったという。
 このため、期待していた兵力の増強はかなわず、兵糧の補給も、民への救恤きゅうじゅつのことを考えると、うかうかと官倉から徴発することはできない。
 なにしろ、そのあたりを管理している目代がいないのだ。

「……これで討たれたとあらば、誰ぞをこの場で目代に任じてもいいのだが」

 橘遠茂は死んでいない。
 それも、平家のために戦って捕らえられたので、そのような男を差し置いて新たな目代を設置したら、それこそ平家のまつりごとの信を問われる。

「これはやはり、退いた方がいいのではないか」

 遠征続行を唱えて来た伊藤忠清ですら、事態のに、撤退を考え始めた。
 何か、大いなる罠が追討軍を捕らえようとしている。
 そもそも、ほんの少し前まで石橋山で源頼朝を敗走させたというのに、今となってはその頼朝ら源氏に追い詰められている、この状況は何だ。
 そう歯噛みする忠清が、こうなればみずから福原へおもむき、清盛に直談判じかんだんぱんしてくれるかと思った時だった。

「甲斐から使いだと?」

 甲斐源氏・武田信義が、平維盛に対して使いを寄越し、挑戦状を送りつけて来たのだ。



 武田信義はその挑戦状で維盛に対し、前から会いたかったのでお会いしたい、ただし、甲斐は遠い山国なのでそちらまで行けず、浮島ヶ原で待ち合わせをしたいという趣旨の書状を送りつけて来た。
 要は、果し合いをしようということである。

「ばかにしている」

 書状の相手である維盛より、忠清の方がまず怒った。
 そして同時に冷や汗をかいた。
 源氏やつらは追討軍の苦境を知っている。
 だからこそ、このような挑戦状を送りつけてきているのだ。

「この書状を持って来た使いを斬れ」

「忠清」

 維盛がとがめるような視線をくれる。
 使いは斬らないというのが、戦場の作法である。
 それに反すると、目で言っているのだ。

「いえ。官軍なればこそ、使いは斬らないという作法は通じませぬ。斬ります」

 使いという名の諜者ちょうじゃで、追討軍の現状をつかまんとしているに相違ない。
 忠清は容赦しなかった。
 だが維盛が挑戦状をもらったという事実は消せない。
 そこで退いたとあっては、平家の武名がすたる。
 廃れば、さらに兵は集まらないであろう。
 忠清は苦虫を噛み潰したような表情をして、追討軍を浮島ヶ原のある富士川まで進めた。
 乗せられているような気もするが、いくら退くとしても、ここで退くことはできない。

「これは、なんとしたことじゃ」

 ここに来て忠清は、わかっていたものの、あえて目をつぶっていた兵数の確認をして愕然とした。
 なんと、二千を切るぐらいに減っているのだ。

「これはまずい」

 将帥としては口にしてはいけない言葉を口にする。
 それぐらい、忠清は追い詰められていた。
 だが忠清はあきらめず、福原へ連絡が取れないならと、相模の大庭景親へと早馬を飛ばす。
 駿河目代の残した兵を使ったその馬は、富士川東岸に陣する甲斐源氏のをかいくぐり、相模へと到達したが、そこで絶望的な状況に遭遇した。

「大庭が、頼朝に追われた?」

 すでに鎌倉に入った頼朝は、前述のようにすぐに平家の追討軍に対するべく出陣する。
 その出陣は、西へ。
 必然的に、大庭景親を攻め、追うかたちになった。
 景親は衆寡敵せずと判じ、手勢の千騎と共に、西に向かった。
 平家の追討軍との合流をねらったのだが、頼朝が軍の一部を割いて先発させ、足柄山を押さえていたため、「もはやこれまで」と断念して、兵を解散してしまった。

「それで大庭はどうしたのだ」

 あからさまに頼朝や武田から見逃がされたその早馬の武者は、景親がどこぞへと逃げたと告げた。
 つまり、鎌倉を本拠とする頼朝の勢力は、大庭の本領すら収め、景親は居場所がなくなってしまったのであろう。

「ええい、それなら伊豆だ。伊豆の伊東祐親はどうした」

 こちらは海路を使って書状を届けていた。
 祐親は大庭の末路を知り、ならば海だと、舟を使って追討軍との合流を目指した。
 目指したが。

「……伊豆の北条政子とやらが、その舟を捕まえただと?」

 政子は伊豆山権現にいて動静を見守っていたが、頼朝が鎌倉に入ると知るや、下山。
 すぐさま伊豆を掌握し、海上にを張っていたのである。

「やんぬるかな」

 本陣の幔幕の中、忠清が肩を落とす。
 気づくと、日は暮れていた。
 維盛はと扈従こじゅうに聞くと、日課の見回りに行ったらしい。
 払暁と、夜と。
 もっとも警戒すべき時間帯にみずから哨戒にあたる、生真面目な男が維盛であった。

「そうか」

 忠清は、維盛が戻ったら、撤退の話をするかと意を固めた。
 そしてその耳に。
 水鳥の飛び立つ音が聞こえた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

 神典日月神示 真実の物語

蔵屋
歴史・時代
 私は二人の方々の神憑りについて、今から25年前にその真実を知りました。 この方たちのお名前は 大本開祖•出口なお(でぐちなお)、 神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)です。  この日月神示(ひつきしんじ)または日尽神示(ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明(おかもとてんめい)に「国常立尊(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物のことです。  昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に8巻の神示が降りたとされています。 その神示を纏めた書類です。  私はこの日月神示(ひつきしんじ)に出会い、研究し始めてもう25年になります。  日月神示が降ろされた場所は麻賀多神社(まかたじんじゃ)です。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で岡本天明が神憑りに合い自動書記さされたのです。 殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。 本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。 日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。 そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。 なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。 縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。 日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。 この小説は真実の物語です。 「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」 どうぞ、お楽しみ下さい。 『神知りて 人の幸せ 願うのみ 神のつたへし 愛善の道』  歌人 蔵屋日唱

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...