笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~

四谷軒

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第四部 富士川の戦い

46 鉢田の戦い

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「頃はよし」

 頼朝は畠山重忠をはじめとして、江戸重長や河越重頼らをしたがえ、武蔵は押さえた。
 そして実感した。
 となれば、そろそろ「あの地」へと向かうべきである――と。

「頼朝さま」

「なにか」

 ここで頼朝につき従って来た、千葉常胤が口を開いた。
 上総広常とならんで、頼朝の「国」の有力者であるが、今となっては、その上総広常と争って、頼朝の股肱ここうたらんとしていた。

「ここは頼朝さまの御父おんちち、義朝さまや兄君の義平さまと住んでいた、鎌倉の地に入るべきでは」

「……そうだな」

 自分が言い出す前に、こういう風に言って来るとは。
 頼朝にとって、歓迎すべき風潮だった。
 これから自分が開く「国」に、頼朝の臣として仕えることを競い合うという風潮が。

「では向かおう」

 今ならば、咲き誇っていよう、笹竜胆が。
 あの青く紫のあの花が。

「かの地は、守るにやすく、攻めるにかたい。また坂東をにらむに最適であり、かつ、海を通じて、各地とつながっている」

 わがにふさわしい地だ。
 この時点で頼朝は天下を取ることを企図していない。
 むしろ、おのれの勢力を半独立状態にして、京や福原、そして他勢力から距離を置き、守りに徹することを考えていた。
 それゆえのであり、鎌倉はまさにうってつけの土地であった。



 こうして頼朝は鎌倉に入った。
 だがその入府は一瞬に近く、彼はすぐに出陣することになった。

「平家の追討軍、か」

 すでに幾重もの策をめぐらし、鎌倉という頼朝の巣に至るまでには、かなり勢いを失っていることだろう。
 直接には、甲斐源氏の武田信義が動いている。
 そういえば、信義の元にいる北条時政が、この前、武田が出陣し、駿河を制しに向かったと伝えた。

「背後の信濃も押さえた武田。義仲は上野で足利とにらみ合っている。今なら、駿河をその手にする好機ととらえたか」

 頼朝はほくそ笑んだ。
 彼は別の伝手から、駿河目代・橘遠茂たちばなのとおもちが兵を集めていると知っていた。

「福原、京より迫る、平家の追討軍に加わるか、連なり動くつもりか」

 折りしもその平家の追討軍が、ちょうど駿河に入ったところだった。
 ところがその動きは、蒲冠者かばのかじゃ――遠江に地縁を持つ源範頼により捕捉されていた。



「今こそ駿河を攻め落としましょう」

 範頼のその提案に、武田信義は乗った。
 当年とって五十三歳の信義は、いさおしが欲しかった。
 子や孫に伝えられるべき、勲が。

「範頼どのの、言やよし」

 信義率いる武田軍は、富士山麓を南下。
 この動きに、駿河目代・橘遠茂は乗ってしまう。
 これには、駿河に入った平家追討軍は、言うほどの兵力を保っていないと聞いたからだ。
 近江や美濃、尾張において、有形無形の妨害があり、特に兵糧の提供はなく、あるいは夜間に輜重しちょう(補給部隊)が盗みに遭い、兵は次々に去って行き、四千余騎にまで落ち込んでいた。
 一方で武田軍は公称二万騎である。

「かくなれば、しかたなし」

 橘遠茂は、追討軍を待たずに、甲斐源氏を邀撃ようげき(迎え撃つこと)を決意、腹心の長田入道を引き連れ、富士山麓へと向かい、そこで武田信義と激突した。
 世に言う、鉢田の戦いである。

「進め! ここは富士ふじふもとぞ! 山国に生まれ育った甲斐の者が有利!」

 信義は敵影を認めるや、みずから抜刀して吶喊とっかんしていった。
 このあたり、さすがに新羅三郎義光以来の武門の主といえる。

「やれやれ、向かうのはいいが、兵が乱れぬようにするのはこちら任せか」

「ぶつくさ言わない。戦ってくれているし、信頼されている証でしょう」

 武田信義とその兵が突進していくのを見守りながら、範頼は亀の補佐を得ながら残りの兵を制御し、橘遠茂の逃げ道を読んで、彼を捕らえることに成功した。

「……よし。これで駿河目代は押さえた。平家の追討軍は、駿河で孤立する」

 目代がいなければ、国府の機能を十全に活用できない。
 特に、貯蔵されている兵糧や、これから納められる米を管理することが困難になる。
 兵も鉢田で失い、集めようにも目代がいなくては、それもうまくいかない。
 ……つまり平家の追討軍は、自前の兵と兵糧で、甲斐源氏と勝負せざるを得なくなった。
 そして甲斐源氏に勝利したとしても、万全の態勢を整えた、源頼朝と戦わざるを得ないのだ。



 平維盛たいらのこれもりはめまいのする思いだった。
 何とか渋る伊藤忠清をなだめすかして出陣したまでは良かった。
 心配していた兵力も、七万まで集まり、あとは駿河の目代のところで現地の兵と合流し、かつ、兵糧を補給して、準備万端となった状態で、伊豆、相模と攻め入るつもりだった。

「相模の大庭景親や伊豆の伊東祐親も、坂東の兵を糾合して参りましょう」

 とは、伊藤忠清の台詞だ。
 かつての平将門の乱においても、乱の舞台となった坂東の将兵を集めて、官軍は勝った。
 そのならおうというのだ。
 ところが――

「兵糧が失せる?」

 近江、美濃、尾張――と来たあたりで、その傾向が顕著となった。
 そもそも、尾張には頼朝の母の実家である、熱田がある。
 その熱田には、この以仁王の令旨をばら撒いた、源行家や、京から脱出した義円らが潜んでいるという。

「そいつらが兵糧を盗んでいるのだ」

 伊藤忠清は憤慨して熱田へ向かおうとしたが、維盛がまあまあと押さえた。

「たしかな証もなく、神域を侵すのは気が引ける。それより、福原へ米と兵を送るよう、お願いしよう」

 賢明な清盛なら、事態を把握して、増援補給に邁進してくれるはずだ。
 忠清も維盛がそこまで言うならと抑え、福原へ使いを送った。
 しかし、福原からは何も送られてこなかった。

は――いかがしたことぞ」

 さすがに維盛も不審に思い、忠清に調べさせたところ、どうやら美濃源氏や近江源氏が、維盛と清盛の連絡を断っているらしい。

「なんだと」

 今度は忠清も憤慨よりは深刻に感じ、対策を講じようとした。
 忠清は、みずから福原へ戻ろうとしたところに、とんでもない情報が飛び込む。

「院が?」

 なんと、後白河法皇(院)が維盛の使いを京に留め置き、福原へ行かせまいとしているらしい。
 おそらく、抜け目ない後白河法皇が、平家に打撃を与えるのはここぞと、捨て身の妨害をしているらしい。

「これは……まずい」

 維盛は本気で撤退を考え始めた。
 何しろ、鳴り物入りで平家の追討軍は発しているのだ。
 この追討軍が失敗に終われば、もう二度と平家は追討軍を起こすことはできない。
 迫り来る飢饉もある。
 だが何より、「負けたではないか」と言われれば、もう何も言えなくなる。
 だからこそ後白河法皇は――源頼朝は、こうして平家の追討軍を落とし入れようとしているのだ。
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