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第四部 富士川の戦い
49 勝利
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黄瀬川。
夜。
ここに陣を布いた頼朝は、郎党から、夜間にもかかわらず、面会を申し出ている者がいる、と伝えて来た。
「何者だ」
「それが……頼朝さまの弟、と名乗っておられます」
となると範頼か。
いくさに動きがあったとなれば、会いに来てもおかしくない。
ところが郎党は首を振った。
郎党は、六郎と呼ばれていた頃の範頼を知っている。
彼ではないと言う。
「では誰だ」
「それが」
兄上に令旨を持っていると告げてくれ。
そう言われたという。
「令旨」
それは、以仁王の令旨を意味するのだろう。
頼朝の叔父、源行家が、潜んでいた熊野の伝手を使って探った、源氏の者たちに渡したという、令旨。
頼朝が聞いた限りでは、その令旨を渡された者たちの中に、弟がいた。
「奥州の……義経」
*
佐藤継信が奥州武者を代表して挨拶し、秀衡からの書状を手渡して来た。
その書状により、秀衡もまた、頼朝の目の前の若武者が、頼朝の弟の義経であると証していた。
頼朝が見ると、若武者のまとう鎧のこしらえは相当良いもので、兜の鍬形も立派だ。
これを用意するには、奥州藤原の財力がないと無理だ。
「これを」
義経は懐中から絹布――令旨を取り出して、頼朝に渡した。
筆跡を見ると、頼朝の持つ令旨と同じだった。
「……わかった」
目の前に座す若武者は、どうやら弟で間違いないようだった。
しかし奥州の息がかかっていると厄介だな、と頼朝が考えていると、義経が口を開いた。
「兄上、平家は退きました」
「まことか」
義経は、水鳥の羽音で動揺した兵がいて、それを鎮めたあと、撤退したと語った。
「水鳥」
「そう。そのあと、さっと消えるように退いていって……陣も燃やしたし、相当の……」
「それだ」
頼朝は立ち上がり、義経によく知らせてくれたとその手を握った。
「こうしてはおられぬ。義経、行くぞ」
「い、行くって、どこへ」
義経は、彼にしては珍しく、余裕を失ってしまった。
それだけ頼朝の反応は、義経の振り幅を越えていた。
「決まっている」
頼朝は笑った。
猛禽の笑いだった。
「甲斐源氏だ」
*
富士川にいた甲斐源氏・武田信義も、当然、燃え落ちていく平家の陣を見ていた。
「罠かもしれない」
信義は麾下の将兵の軽挙妄動を避け、動くことはなかった。
客将の源範頼も、夜間の戦闘は危険だとして、やはり動くことはなかった。
「もし、退いているのならなおのこと。退かせればよい」
「そういうものか」
北条時政は、寝ぼけまなこをこすりながら、そう言った。
こういう時は追い首と言って、追い討ちして手柄を得るものだが、それをしないとは珍しい。
そう思ったが――時政の勘が、その方が良いと告げていた。
「……いくさのしかたが、変わりつつあるやもしれんな」
「ただ、怠けたいだけかもしれませんよ」
亀が、あきれたような表情をしていた。
「そうともいう……が、そろそろ、兄上より動きがあろう。時政どの、盤双六でもして待ちますか」
「おう、それは良いな」
甲斐源氏という群れの中のよそ者の時政と範頼、そして亀は、いつの間にやら盤双六をする仲になっていた。
そして盤双六に興じていると、武田信義から、頼朝が来たと告げられた。
*
「武田どの、これは大勝利ですぞ、大勝利」
うわあ。
頼朝の貼りついた笑顔に、範頼、時政、亀、そして初対面の義経すら、そう思った。
それをしり目に、頼朝はわざとらしく武田信義の手を取り、こう言った。
「なんと平家の奴ら、水鳥の羽音に恐れをなして、泡を喰って逃げたようですぞ」
「おお」
武田も武田で間者や物見をばら撒いて、様子を探っていた。
彼らもまた、水鳥の羽音や、火のことを報告していた。
なぜ、逃げたのか。
そのあたりを確かめようとした矢先に、頼朝のおとないである。
信義は何か微妙な違和感を感じていたが、頼朝の次なる台詞に、それも吹っ飛ぶ。
「見事。まさに見事。これぞ、われら源氏の勝利。武田どのには、これから駿河にありて……駿河を守護して欲しい」
「……うむ」
信義は勝ったと思った。
頼朝に勝ったと思った。
われら武田は、甲斐、信濃を押さえ、そして今、実力で駿河を手中にし、それを頼朝に認めさせたと思った。
なにせ武田は……。
「武田どの」
そこまで考えたところで、武田信義の思考は中断した。
頼朝が辞を低くして、鎌倉に戻るにあたって、時政と範頼、亀を同道したいと申し出たからだ。
「むろん、これから武田どのが遠江を手に入れるのに、助けは惜しまん。そうそう……遠江をものにしたら、遠江を守護してもらいたい」
実際、武田信義の弟である安田義定が遠江を攻めるにあたり、範頼が協力したという。そして遠江を征服したのちは、義定は遠江守護に任じられている。
いずれにしろ、信義はあの平家を退けたという歓喜と、頼朝に駿河、遠江支配を認めさせたという実利に、舞い上がってしまった。
そしてその隙に「ではこれにて」と頼朝と義経は退出した。
範頼らはどうしようかと顔を見合わせていたが、信義が「よいよい」と言ったので、やはり退出した。
「……兄上、なんて男だ。武田どのの勝利を、平家の自滅に――源氏の勝利に、してしまった」
「しかも、わしら人質まで返させるとは」
「今に始まったことじゃないでしょう」
こうして富士川の戦いは、平家が水鳥の羽音に驚いて潰走、と伝えられる。
頼朝は最後の局面に、黄瀬川に陣をかまえただけだが、戦いの勝者は頼朝とされる。
「そりゃあ兄上が、いろいろと手ぇ回した結果だから、しかたないよねぇ」
義経がそう言って範頼の肩に手を回した。
誰だこいつはという顔をする範頼に、「かわいい弟ですよ」と笑う。
範頼は天を仰いだ。
頼朝といい、義経といい、何で自分の兄弟はこう、あくが強いのだろう、と。
夜。
ここに陣を布いた頼朝は、郎党から、夜間にもかかわらず、面会を申し出ている者がいる、と伝えて来た。
「何者だ」
「それが……頼朝さまの弟、と名乗っておられます」
となると範頼か。
いくさに動きがあったとなれば、会いに来てもおかしくない。
ところが郎党は首を振った。
郎党は、六郎と呼ばれていた頃の範頼を知っている。
彼ではないと言う。
「では誰だ」
「それが」
兄上に令旨を持っていると告げてくれ。
そう言われたという。
「令旨」
それは、以仁王の令旨を意味するのだろう。
頼朝の叔父、源行家が、潜んでいた熊野の伝手を使って探った、源氏の者たちに渡したという、令旨。
頼朝が聞いた限りでは、その令旨を渡された者たちの中に、弟がいた。
「奥州の……義経」
*
佐藤継信が奥州武者を代表して挨拶し、秀衡からの書状を手渡して来た。
その書状により、秀衡もまた、頼朝の目の前の若武者が、頼朝の弟の義経であると証していた。
頼朝が見ると、若武者のまとう鎧のこしらえは相当良いもので、兜の鍬形も立派だ。
これを用意するには、奥州藤原の財力がないと無理だ。
「これを」
義経は懐中から絹布――令旨を取り出して、頼朝に渡した。
筆跡を見ると、頼朝の持つ令旨と同じだった。
「……わかった」
目の前に座す若武者は、どうやら弟で間違いないようだった。
しかし奥州の息がかかっていると厄介だな、と頼朝が考えていると、義経が口を開いた。
「兄上、平家は退きました」
「まことか」
義経は、水鳥の羽音で動揺した兵がいて、それを鎮めたあと、撤退したと語った。
「水鳥」
「そう。そのあと、さっと消えるように退いていって……陣も燃やしたし、相当の……」
「それだ」
頼朝は立ち上がり、義経によく知らせてくれたとその手を握った。
「こうしてはおられぬ。義経、行くぞ」
「い、行くって、どこへ」
義経は、彼にしては珍しく、余裕を失ってしまった。
それだけ頼朝の反応は、義経の振り幅を越えていた。
「決まっている」
頼朝は笑った。
猛禽の笑いだった。
「甲斐源氏だ」
*
富士川にいた甲斐源氏・武田信義も、当然、燃え落ちていく平家の陣を見ていた。
「罠かもしれない」
信義は麾下の将兵の軽挙妄動を避け、動くことはなかった。
客将の源範頼も、夜間の戦闘は危険だとして、やはり動くことはなかった。
「もし、退いているのならなおのこと。退かせればよい」
「そういうものか」
北条時政は、寝ぼけまなこをこすりながら、そう言った。
こういう時は追い首と言って、追い討ちして手柄を得るものだが、それをしないとは珍しい。
そう思ったが――時政の勘が、その方が良いと告げていた。
「……いくさのしかたが、変わりつつあるやもしれんな」
「ただ、怠けたいだけかもしれませんよ」
亀が、あきれたような表情をしていた。
「そうともいう……が、そろそろ、兄上より動きがあろう。時政どの、盤双六でもして待ちますか」
「おう、それは良いな」
甲斐源氏という群れの中のよそ者の時政と範頼、そして亀は、いつの間にやら盤双六をする仲になっていた。
そして盤双六に興じていると、武田信義から、頼朝が来たと告げられた。
*
「武田どの、これは大勝利ですぞ、大勝利」
うわあ。
頼朝の貼りついた笑顔に、範頼、時政、亀、そして初対面の義経すら、そう思った。
それをしり目に、頼朝はわざとらしく武田信義の手を取り、こう言った。
「なんと平家の奴ら、水鳥の羽音に恐れをなして、泡を喰って逃げたようですぞ」
「おお」
武田も武田で間者や物見をばら撒いて、様子を探っていた。
彼らもまた、水鳥の羽音や、火のことを報告していた。
なぜ、逃げたのか。
そのあたりを確かめようとした矢先に、頼朝のおとないである。
信義は何か微妙な違和感を感じていたが、頼朝の次なる台詞に、それも吹っ飛ぶ。
「見事。まさに見事。これぞ、われら源氏の勝利。武田どのには、これから駿河にありて……駿河を守護して欲しい」
「……うむ」
信義は勝ったと思った。
頼朝に勝ったと思った。
われら武田は、甲斐、信濃を押さえ、そして今、実力で駿河を手中にし、それを頼朝に認めさせたと思った。
なにせ武田は……。
「武田どの」
そこまで考えたところで、武田信義の思考は中断した。
頼朝が辞を低くして、鎌倉に戻るにあたって、時政と範頼、亀を同道したいと申し出たからだ。
「むろん、これから武田どのが遠江を手に入れるのに、助けは惜しまん。そうそう……遠江をものにしたら、遠江を守護してもらいたい」
実際、武田信義の弟である安田義定が遠江を攻めるにあたり、範頼が協力したという。そして遠江を征服したのちは、義定は遠江守護に任じられている。
いずれにしろ、信義はあの平家を退けたという歓喜と、頼朝に駿河、遠江支配を認めさせたという実利に、舞い上がってしまった。
そしてその隙に「ではこれにて」と頼朝と義経は退出した。
範頼らはどうしようかと顔を見合わせていたが、信義が「よいよい」と言ったので、やはり退出した。
「……兄上、なんて男だ。武田どのの勝利を、平家の自滅に――源氏の勝利に、してしまった」
「しかも、わしら人質まで返させるとは」
「今に始まったことじゃないでしょう」
こうして富士川の戦いは、平家が水鳥の羽音に驚いて潰走、と伝えられる。
頼朝は最後の局面に、黄瀬川に陣をかまえただけだが、戦いの勝者は頼朝とされる。
「そりゃあ兄上が、いろいろと手ぇ回した結果だから、しかたないよねぇ」
義経がそう言って範頼の肩に手を回した。
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範頼は天を仰いだ。
頼朝といい、義経といい、何で自分の兄弟はこう、あくが強いのだろう、と。
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殆どが漢数字、独特の記号、若干のかな文字が混じった文体で構成され、抽象的な絵のみで書記されている「巻」もあります。
本巻38巻と補巻1巻の計39巻が既に発表されているが、他にも、神霊より発表を禁じられている「巻」が13巻あり、天明はこの未発表のものについて昭和36年に「或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります」と語っています。
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