こじき若殿

四谷軒

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02 旅僧

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 さすがに継母にも声をかけ、若殿は老僧――旅の僧侶らしいので、以後、旅僧と呼ぼう――をあばら家へと招じ入れた。

「かたじけない……」

 旅僧は両手を合わせて拝むような仕草をして、そしてあばら家の土間(どこも土間だが)に頽くずおれた。
 若殿は放り出した枯れ枝を急いでかき集め、土間へ運び、継母が火打ちで火をつけた。
 ぽぅ、と暖かさがあばら家に宿った。
 ふうふう、と若殿は火に風を送り、火をおこす。

「頃合いだな」

 若殿は懐中から餅を取り出して、焼いた。
 あばら家の中に、香ばしいにおいが満ちた。

御坊ごぼう」 

 何とか腹の虫を抑えながら、若殿は焼けた餅を旅僧に差し出す。
 旅僧は震える手でそれを受け取り、頬張った。
 はふ、はふ、という息づかい。
 若殿と継母はごくりと唾をのむ。

「ああ、甘露、甘露」

 旅僧は無我夢中で餅にかぶりつき、咀嚼し、そして呑み込んでいった。
 若殿と継母はさすがに虚しくなったのか、壁の方を向いていた。

「……おや、これはどうなされた?」

 すっかり生気を取り戻した旅僧は、壁を向く家主たちに問う。
 若殿と継母の間で無言のやり取りがあり、その内に若殿が根負けして、旅僧の方を向いた。

「……お加減はよろしいので?」

「おう、おう、もうええわい。感謝するでな」

 若殿はそこで名乗りと、継母の紹介をしてから、旅僧にどこから来て、どこへ行くのか聞いた。

「何――名乗るほどの者ではうてのう、ただの旅の坊主じゃ」

 旅僧は韜晦とうかいして、そうこたえた。

「――して、餅をれたのも何かの縁じゃ。拙僧にできることなら、何でもしてやろう」

 若殿と継母は思わず目を見合わせる。
 御伽噺おとぎばなしでよくある、恩返しの話。
 これはそれではないか、と。
 ……が、若殿と継母は、どちらともなくかぶりを振った。
 旅僧のあまりにもぼろぼろな墨染のころも
 これはどう見ても漂泊ひょうはくの旅僧である。
 沈黙の暗闘の結果、またしても若殿が口を開く。

「ありがたきお言葉なれど、われら特段、御坊の手をわずらわせてまで……」

「なんと。この貧乏暮らしを抜け出したいとは思わんのか?」

「それは……できるものならしたいものでござるが……」

 若殿と継母としては、旅僧が居着いては困る、という仄かな危惧があるので、これ以上話をしたくない、というのが心情であった。
 旅僧はそういった思惑に頓着せず、御仏や神様をまつるところも無い、奇態な家じゃと放言した。
 若殿はとして、旅僧に反駁する。

「そも、われら城を追われた身にて、左様な神仏を祀るという代物を持ち出す余裕など、無かった」

「なんと」

「お分かり頂けたか……ならば、申し訳ないが、この家を出てって……」

 事情を話したのだ、さすがに帰るだろうと思って、若殿は旅僧の手を取ろうとした。
 ……しかし、その手は掴まれることは無かった。

「……城を追われたとは、いかなることぞ?」

「…………」

 若殿が、苦虫をいくつも噛み潰したような表情をする。継母は「もういい」と言って、減るもんでもないし、語ってやれとつづけた。



「――ほう、左様か。家を継いだ兄上がみやこに行っておる……その折りをのう……」

 旅僧が片手を顎に当てて、若殿の話を聞き入っていた。
 若殿は、その苦衷を他人に語るのは始めてだったが、旅僧が思いの外、聞き上手で絶妙に相槌や問いをしてくるので、思っていたほど長くはかからなかった。つらくもなかった。
 継母は、思うところがあるらしかったが、口出しをすることはなく、押し黙って聞いていた。
 兎にも角にも語り終えた若殿は、少なくともこれで、旅僧が状況を把握して、なすべきこともないことを悟り、このあばら家を出ていくだろうと期待した。
 まあ、語ることですっきりしたところもあるので、今晩一晩くらいなら泊めてもいいか、と思っていたとき、旅僧は発言した。

「――たしかに、拙僧にできることは無さそうだのう」

「で、あろう……では御坊、これにて……」

「そりゃのう、若殿、この暮らしを変えることは、殿であるからして、拙僧の出る幕はないわ」

「――えっ」

 これには継母も驚いたらしく、若殿と口を揃えて驚嘆した。
 旅僧は、まあ手伝い程度の働きなら余地はありそうじゃの、とひとりごちた。

「ふむ、ま、アレじゃ、若殿は――そちらの女性にょしょうにも、今の話をしたことはあるまい?」

「それは」

 そうだ、と若殿は言い、継母も頷く。二人の実体験であり、今さら語るに及ばず、というところである。
 旅僧はふむ、と頷く。

「――で、今、拙僧に初めて語ってみて、どうじゃった?」

「どうって……」

 若殿の逡巡に、旅僧はかな善き哉と言って、それ以上の発言を求めなかった。

「今宵はもう遅い。しかもこの寒さじゃ。まずはひと晩、寝てみい。それから、考えなされ……下手な考え、休むに似たり、と申しての……じゃから、休んでしまえば、下手な考えは浮かぶまい、じゃ」

 そう言って旅僧はごろんとその場に横になった。若殿と継母が、ちょっと……と声をかける間もなく、旅僧はいびきを立てて、寝入ってしまった。

「……いかがする?」

 継母は若殿に聞いた。

「今宵だけ、ということで」

 若殿は、この寒い中に叩き出すというのも忍びないとこたえた。
 明朝、そろそろ寒さも和らいで、晴れ晴れとした天気になろう。
 そこで、出て行ってもらおう。
 そうか、と言って継母は横臥した。彼女も空腹であり、それを誤魔化すためには、寝るほかなかった。
 若殿はそんな継母が、今さら気の毒に思えて、眠った彼女に襤褸切ぼろぎれをかぶせた。

「…………」

 自分でも驚くべき心境の変化だ。どうしたのだろう。
 継母のことを、邪魔者だと思っていた自分が。

「……いや」

 空腹と眠気がきつい。
 たしかに下手の考え休むに似たりだ。
 今は寝て……そして、明朝考えよう。

 若殿はふと、戸外に何か気配があるのを感じたが、獣の類だろうと思い、しかし戸口に自らのからだを横たえ、眠りにつくのだった。
 
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