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第一章 安芸国人一揆(あきこくじんいっき)
03 鬼吉川の姫
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「あああ、はらはらする」
「お前がはらはらしてどうする、雪」
「無骨な兄上には、分からん!」
「……おいおい、ここまでつき合わせといて、そりゃないぜ」
小倉山城・城主の間……の隣の控えの間。
そこで雪は、次兄・宮庄経友と、城主の間――長兄である吉川元経と多治比元就の対面の場をのぞき見していた。
宮庄経友は豪放磊落な猛将として知られる男であり、のぞき見なんてするぐらいなら、堂々と同席を求める類だ……が、妹の雪には弱く、「ばれたら、同席を求めようとして来たと言い訳して」と言われて、こんな忍び紛いのことをしている。
ひそひそ声の、会話がつづく。
「……大体だな、兄者のいうとおりじゃねえか、雪。吉川家は無理に国人一揆を……」
「そんなんだから兄上は猛将どまり!」
「なんだ、それは。猛将どまりって、褒めてるのか、けなしているのか」
「頭を使わないから、名将ではなく、猛将どまり!」
「お前、そりゃ酷いぞ……大体……」
「あっ、黙って! 元就どのが返事をする!」
「聞けよ、人の話……」
*
多治比元就はひとつ息をつくと、吉川元経を見た。
その目は、元経に負けないくらいの強い眼光だった。
「……元経どの」
「な、なにか」
「吉川家が国人一揆に入ることにより……安芸の国人の諸人に、尼子方へつかぬか、と働きかけができますぞ」
「何!?」
尼子の侵略からの自衛のためでなかったのか、国人一揆は。
少なくとも、発端の動機はそれだったはず。
吉川元経の戸惑う姿を見ながら、元就はにこやかに微笑んだ。
「……別に、尼子とのつながりを作ることは否定しません。というか、する方が無理。であれば、吉川家が加わることにより、そのように道をつける」
なんなんだ、こいつは。
毛利家は、大内家寄りではないのか。
それがなんだ、この尼子家への肩入れは。
……吉川元経のその胸中を見透かしたかのように、元就はのほほんと笑っている。
元就としては、別に吉川家が尼子家へ従うよう動いても、それは仕方ないと思っている。どころか、そうすれば、吉川家に注意さえしていれば、尼子家の策謀の動静を掴むことができる。
「――どっちにしろ、国人一揆をお願いする子どもの使いとして、私は期待されている。盟約の実務は毛利家宿老の志道がやるさ。であれば、適当に言ったところで、構うまい」
元就としては、そう割り切っていた。それに、駄目だとなったら、それこそ、兄であり主君である毛利興元が出張ってきて、取り消すなり、変更するなり、すれば良いのだ。
「――さあ、元経どの、返答やいかに」
気がついたら、問う答えるの立場が逆転していた。
実は、吉川元経としては、国人一揆に加わるのはやむを得ないと思っていた。元経の妻は、興元や元就の妹だ。もともと、毛利家には縁がある。それを無視してまで、国人一揆に加わらないというのは、外聞が悪いし、万一、尼子家から縁を切られた時に困る。それどころか、国人一揆側から、体のいい「共通の敵」に祭り上げられる危険もある。
「……なるほど、お説ごもっとも。では、吉川は国人一揆に加わろうではないか」
尼子家への「根回し」についても、言質を取った。どちらにしろ、国人一揆が結盟された以上、尼子経久から「依頼」が来よう。それを考えれば、毛利家の了承を得ておくのは、悪くない。
吉川元経はほくそ笑んだ。
「…………」
元就としては「だから多治比元就がいいと言っても、毛利興元はいいと言ってないんだがな」と思ったが、厳かに沈黙を守った。
*
「……やった! やったやった!」
「落ち着け、雪。見つかるぞ」
控えの間では、雪が小躍りせんばかりに、いや実際飛び跳ねて喜びを現わしていた。
宮庄経友は、その妹を押さえるのに必死だった。
ことここに至った以上、同席しようという言い訳は通じまい。そう言うには遅すぎる。
「……落ち着けも何も、聞きましたか、今の! 元就どのの、あの言い様!」
「聞いていた、聞いていた。聞いていたから、ちょっと黙れ」
宮庄経友も、吉川家の尼子家との関係について、どう扱うのか気になっていた。それが、「別に構わない」と言われるとは思わなかった。形式上、尼子との縁切りを要求とは言わないまでも、示唆されるぐらいはあるだろうと思っていた。
「……それにしても、何だってあのこじき若殿に入れ揚げるんだ?」
「……は?」
経友としては、元就の渾名を何気なく、特に悪気もなく使っただけである。
しかしそれは、雪の癇に障った。
「何ですか、その渾名! そんな渾名を使うなんて、兄上はばかですか!」
「ばかとはなんだ、ばかとは。それも酷いもんだぞ」
「口ごたえしない! いいですか、二度と元就さまをその渾名で呼ばないと誓いなさい!」
「……何言ってんだ、お前、おかしいぞ!」
兄と妹の喧嘩が燃え上がり、控えの間から罵声が轟いてきて、長兄である吉川元経は頭を抱えた。
「あやつら……」
「ああ、では、拙者は多治比に帰ります。国人一揆結盟の日取りなどは、宿老の志道あたりから、追って書状を出しますゆえ」
元就は何事かを察したのか、即座に去ることを選んだ。吉川元経の妻女である松姫、つまり妹に会いたかったが、何やら自分の名を声高に叫んで怒鳴る声が聞こえてきて、剣呑であると悟ったのだ。
「では、御免」
「いや、元就どの。大丈夫だ、愚弟と愚妹なら、これから……」
吉川元経が、さすがに気まずいと思ったのか、元就を引き留めようとした。そのとき、控えの間から、宮庄経友と雪が乱入していきた。
「兄者、このじゃじゃ馬を何とかして下され! こやつ、おれの言うことを、まるで聞こうとしない!」
「元経兄上! この粗忽者を叱ってくだされ! よりによって、多治比どのに、言ってはならぬことを!」
「……黙らんか! 客人がお帰りであるぞ!」
吉川元経は、話がついたあとで良かった、早く帰らせよう……と、内心でほっとしながらも、弟と妹を叱りつけた。
元就は、言ってはならぬこととは、「こじき若殿」のことか、と思ったが、特に怒りを覚えず、むしろ懐かしいな、と感慨にふけった。
「大体だな! お前が多治比どのを見たいって……」
「わーわーわーわー! 経友兄上が錯乱された! 自分が対面の場をのぞこうとした癖に!」
「何言ってんだこいつ! そりゃお前だろ! 女だからって、いい加減にしないと、おれも怒るぞ!」
「ふたりとも、黙れと言うておる!」
吉川元経は「失礼」と言って、のしのしと経友と雪の方へ歩いていき、そして両の拳骨で弟妹の脳天を叩いた。
「ぐっ」
「がっ」
このあたり、長兄としての貫禄勝ちとしか言いようがない。そして元経はにこやかに、元就の方を振り向いた。
「……さ、多治比どの、お帰りあれ」
「あ、はい、でも……」
「国人一揆の件は了承したゆえ、さ、早く」
「は、はい」
元就としては、微笑ましいなと思っていたが、吉川元経のこめかみがぴくぴく震えているのを見て、城主の間を辞した。
「お前がはらはらしてどうする、雪」
「無骨な兄上には、分からん!」
「……おいおい、ここまでつき合わせといて、そりゃないぜ」
小倉山城・城主の間……の隣の控えの間。
そこで雪は、次兄・宮庄経友と、城主の間――長兄である吉川元経と多治比元就の対面の場をのぞき見していた。
宮庄経友は豪放磊落な猛将として知られる男であり、のぞき見なんてするぐらいなら、堂々と同席を求める類だ……が、妹の雪には弱く、「ばれたら、同席を求めようとして来たと言い訳して」と言われて、こんな忍び紛いのことをしている。
ひそひそ声の、会話がつづく。
「……大体だな、兄者のいうとおりじゃねえか、雪。吉川家は無理に国人一揆を……」
「そんなんだから兄上は猛将どまり!」
「なんだ、それは。猛将どまりって、褒めてるのか、けなしているのか」
「頭を使わないから、名将ではなく、猛将どまり!」
「お前、そりゃ酷いぞ……大体……」
「あっ、黙って! 元就どのが返事をする!」
「聞けよ、人の話……」
*
多治比元就はひとつ息をつくと、吉川元経を見た。
その目は、元経に負けないくらいの強い眼光だった。
「……元経どの」
「な、なにか」
「吉川家が国人一揆に入ることにより……安芸の国人の諸人に、尼子方へつかぬか、と働きかけができますぞ」
「何!?」
尼子の侵略からの自衛のためでなかったのか、国人一揆は。
少なくとも、発端の動機はそれだったはず。
吉川元経の戸惑う姿を見ながら、元就はにこやかに微笑んだ。
「……別に、尼子とのつながりを作ることは否定しません。というか、する方が無理。であれば、吉川家が加わることにより、そのように道をつける」
なんなんだ、こいつは。
毛利家は、大内家寄りではないのか。
それがなんだ、この尼子家への肩入れは。
……吉川元経のその胸中を見透かしたかのように、元就はのほほんと笑っている。
元就としては、別に吉川家が尼子家へ従うよう動いても、それは仕方ないと思っている。どころか、そうすれば、吉川家に注意さえしていれば、尼子家の策謀の動静を掴むことができる。
「――どっちにしろ、国人一揆をお願いする子どもの使いとして、私は期待されている。盟約の実務は毛利家宿老の志道がやるさ。であれば、適当に言ったところで、構うまい」
元就としては、そう割り切っていた。それに、駄目だとなったら、それこそ、兄であり主君である毛利興元が出張ってきて、取り消すなり、変更するなり、すれば良いのだ。
「――さあ、元経どの、返答やいかに」
気がついたら、問う答えるの立場が逆転していた。
実は、吉川元経としては、国人一揆に加わるのはやむを得ないと思っていた。元経の妻は、興元や元就の妹だ。もともと、毛利家には縁がある。それを無視してまで、国人一揆に加わらないというのは、外聞が悪いし、万一、尼子家から縁を切られた時に困る。それどころか、国人一揆側から、体のいい「共通の敵」に祭り上げられる危険もある。
「……なるほど、お説ごもっとも。では、吉川は国人一揆に加わろうではないか」
尼子家への「根回し」についても、言質を取った。どちらにしろ、国人一揆が結盟された以上、尼子経久から「依頼」が来よう。それを考えれば、毛利家の了承を得ておくのは、悪くない。
吉川元経はほくそ笑んだ。
「…………」
元就としては「だから多治比元就がいいと言っても、毛利興元はいいと言ってないんだがな」と思ったが、厳かに沈黙を守った。
*
「……やった! やったやった!」
「落ち着け、雪。見つかるぞ」
控えの間では、雪が小躍りせんばかりに、いや実際飛び跳ねて喜びを現わしていた。
宮庄経友は、その妹を押さえるのに必死だった。
ことここに至った以上、同席しようという言い訳は通じまい。そう言うには遅すぎる。
「……落ち着けも何も、聞きましたか、今の! 元就どのの、あの言い様!」
「聞いていた、聞いていた。聞いていたから、ちょっと黙れ」
宮庄経友も、吉川家の尼子家との関係について、どう扱うのか気になっていた。それが、「別に構わない」と言われるとは思わなかった。形式上、尼子との縁切りを要求とは言わないまでも、示唆されるぐらいはあるだろうと思っていた。
「……それにしても、何だってあのこじき若殿に入れ揚げるんだ?」
「……は?」
経友としては、元就の渾名を何気なく、特に悪気もなく使っただけである。
しかしそれは、雪の癇に障った。
「何ですか、その渾名! そんな渾名を使うなんて、兄上はばかですか!」
「ばかとはなんだ、ばかとは。それも酷いもんだぞ」
「口ごたえしない! いいですか、二度と元就さまをその渾名で呼ばないと誓いなさい!」
「……何言ってんだ、お前、おかしいぞ!」
兄と妹の喧嘩が燃え上がり、控えの間から罵声が轟いてきて、長兄である吉川元経は頭を抱えた。
「あやつら……」
「ああ、では、拙者は多治比に帰ります。国人一揆結盟の日取りなどは、宿老の志道あたりから、追って書状を出しますゆえ」
元就は何事かを察したのか、即座に去ることを選んだ。吉川元経の妻女である松姫、つまり妹に会いたかったが、何やら自分の名を声高に叫んで怒鳴る声が聞こえてきて、剣呑であると悟ったのだ。
「では、御免」
「いや、元就どの。大丈夫だ、愚弟と愚妹なら、これから……」
吉川元経が、さすがに気まずいと思ったのか、元就を引き留めようとした。そのとき、控えの間から、宮庄経友と雪が乱入していきた。
「兄者、このじゃじゃ馬を何とかして下され! こやつ、おれの言うことを、まるで聞こうとしない!」
「元経兄上! この粗忽者を叱ってくだされ! よりによって、多治比どのに、言ってはならぬことを!」
「……黙らんか! 客人がお帰りであるぞ!」
吉川元経は、話がついたあとで良かった、早く帰らせよう……と、内心でほっとしながらも、弟と妹を叱りつけた。
元就は、言ってはならぬこととは、「こじき若殿」のことか、と思ったが、特に怒りを覚えず、むしろ懐かしいな、と感慨にふけった。
「大体だな! お前が多治比どのを見たいって……」
「わーわーわーわー! 経友兄上が錯乱された! 自分が対面の場をのぞこうとした癖に!」
「何言ってんだこいつ! そりゃお前だろ! 女だからって、いい加減にしないと、おれも怒るぞ!」
「ふたりとも、黙れと言うておる!」
吉川元経は「失礼」と言って、のしのしと経友と雪の方へ歩いていき、そして両の拳骨で弟妹の脳天を叩いた。
「ぐっ」
「がっ」
このあたり、長兄としての貫禄勝ちとしか言いようがない。そして元経はにこやかに、元就の方を振り向いた。
「……さ、多治比どの、お帰りあれ」
「あ、はい、でも……」
「国人一揆の件は了承したゆえ、さ、早く」
「は、はい」
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