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第二章 安芸(あき)の項羽・武田元繁、起(た)つ
20 安芸の項羽
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三入高松城、熊谷元直。
八木城、香川行景。
そして……己斐城、己斐宗瑞。
安芸の有力国人が、佐東銀山城、安芸武田家・武田元繁の招集に応じ、馳せ参じ始めていた。
安芸武田家がさんざん包囲して、なお屈服しなかった己斐宗瑞までが、安芸武田家が安芸を制していることを認め、ようやく屈服したことに、元繁は大いに機嫌を良くした。
「よう来られた……はじめようぞ、わが覇業を」
元繁は、なみいる諸将を見回す。
元からの麾下にある、伴繁清、品川信定、山県信春(有田城のあたりを支配していた国人)。
そして加わったばかりの、熊谷元直、香川行景、己斐宗瑞、粟屋繁宗。
もう一度見回してから、元繁は、熊谷元直に「猛将と名高い貴殿が参陣してくれるとは」と持ち上げ、毛利家への先陣は貴殿に任せると言った。
負けじと香川行景は、なにとぞ自分も、と元繁の前へ進み出た。
「焦るな」
すでに覇王の貫禄を身につけつつある元繁は、鷹揚に行景の肩をぽんと叩いて、自重を促す。
「……そも、わが安芸武田、征く先は、今はまだ毛利にあらず」
「と申されると?」
行景の問いに、重々しく沈黙を与えておいて、元繁は告げた。
「まずは、有田城よ。吉川家に盗られたアレを、まず取り返す」
「しかし、吉川家は、城将・小田信忠は、城を返しても良いと……」
元繁の腹心である伴繁清がそう言ったが、元繁はつまらなそうな表情をした。
「遅い」
元繁は不快であることを示した。
「第一、吉川家には女を差し出せと言ったのに、一向にその女が来ないではないか」
元繁は、単に女が欲しくて言っているわけではなく、吉川家が完全に自分に従うという姿勢が無かったことを詰っていた。
「これをまず膺懲する。懲らしめるのじゃ。安芸の国主に逆らうと、どうなるのかを知らしめる」
さらに、と言ってから、元繁は手にした扇子を、ぱちんと手のひらにたたきつけた。
「有田城を囲む。囲んでおいて……自分ではないと安堵しているであろう、毛利へ兵を向ける。いや、吉田郡山城ではない、多治比へだ」
元繁には「項羽」という二つ名があり、今、元繁は、そう呼ばれるだけの軍略の才を、その策を開陳した。
「多治比へ兵を出せば、果たして……毛利は兵を出してくるかな? いわんや、高橋の兵をおいておや」
このとき、高橋家の高橋久光が兵を率いて、毛利家本城・吉田郡山城に入ったことは、安芸武田家の諸将も聞いている。
高橋久光が出てくれば、この「毛利攻め」も容易ではないと皆、認識していたが、元繁はその懸念を振り払った。
「よいか。多治比は、あのこじき若殿の城よ。そう、あの、亡き毛利興元の弟だ。なれば、高橋久光としては、これ幸いと、放っておくだろう」
高橋久光が毛利家支配を完全なものにするには、現状、毛利家を取り仕切っている多治比元就が邪魔である。であれば、救援には駆けつけまい。
「つまり多治比は、多治比の兵でしか守れぬ。戦えぬ。なぜなら、毛利本家の吉田郡山城は、高橋久光がおさえておる……ゆえに、孤立するのだ」
そう言いつつも、高橋が出てきたところで望むところよ、と元繁はほくそ笑む。
戦っても良い。
しょせんは安芸ではなく、石見の国人。
安芸で死ぬ覚悟はないと見た。
どさくさまぎれに、毛利を盗ろうと火事場泥棒を働きに来ただけだ。
であれば、この安芸武田家が、「項羽」武田元繁が相手すれば、退けることなど、容易い。
「元繁どの、ではその多治比攻め、拙者にお任せいただけるとのことですな」
熊谷元直が立ち上がった。
元繁はうなずく。
「さよう。多治比を熊谷どのに取っていただき、同時に、我、元繁は有田を陥とす。そして多治比と有田を根切りにするのだ……皆殺しじゃ。さすれば、吉川と毛利、いや高橋か……は恐れおののこう、安芸武田家に。しかるのちに、吉川と高橋も、おのずと安芸武田家への完全な臣従へと心を定めよう……そうなれば」
そこで元繁はいったん言葉を切った。
京にいる大内義興よ、知るがいい。
お前は、安芸武田家を甘く見ていた。
今や、安芸武田家・武田元繁は、雲を得た龍だ。
誰にも止めることはできない。
「……そうなれば、安芸は制したも同じよ。安芸国人一揆は、安芸武田家に臣従させる。安芸はもらった。そして安芸国主として、安芸武田家は、周防へ攻め入る!」
おお、と一同が感歎の声を漏らした。
周防とは、大内家の、大内義興の領国であり、いわば本丸である。
長年にわたり、安芸を支配してきた大内家を、逆に攻め入る。
それは、安芸の国人にとっては、垂涎かつ痛快な壮挙であった。
「京にこだわって、領国を軽んじた報いよ。思い知らせてやるのだ、安芸の国人を虐げてきて得た栄華を、木端微塵にしてな」
そして、それで終いではない、と武田元繁は考えている。
出雲にいて、この元繁を支配している思っている尼子経久を、あの能面のことを頭に浮かべた。
よくも、恥をかかせてくれおって。
この元繁、意のままにされるとは。
今思うと、あんな妄言が無くとも、おれは自立することができた。
おれの眠っていた本音を利用されただけだ、あの能面に。
そして今、おれは気づいた。
あの能面、自らが安芸に来られないからこそ、おれを籠絡して、意のままにしようとしたことを。
元繁はひとりごつ。
「今はまだ、言えぬ……隠すが……見ていよ……!」
元繁は、心の中で叫んだ。
周防の次は、出雲!
かの尼子経久、おれ……ではない、予を飼っていると思うておる!
気に入らぬ!
退治てくれよう……そして予は、西国の覇王として、項羽として、中国に君臨するのだ!
元繁は笑う。
その高笑いは、佐東銀山城に、いつまでも、いつまでも響くのであった。
八木城、香川行景。
そして……己斐城、己斐宗瑞。
安芸の有力国人が、佐東銀山城、安芸武田家・武田元繁の招集に応じ、馳せ参じ始めていた。
安芸武田家がさんざん包囲して、なお屈服しなかった己斐宗瑞までが、安芸武田家が安芸を制していることを認め、ようやく屈服したことに、元繁は大いに機嫌を良くした。
「よう来られた……はじめようぞ、わが覇業を」
元繁は、なみいる諸将を見回す。
元からの麾下にある、伴繁清、品川信定、山県信春(有田城のあたりを支配していた国人)。
そして加わったばかりの、熊谷元直、香川行景、己斐宗瑞、粟屋繁宗。
もう一度見回してから、元繁は、熊谷元直に「猛将と名高い貴殿が参陣してくれるとは」と持ち上げ、毛利家への先陣は貴殿に任せると言った。
負けじと香川行景は、なにとぞ自分も、と元繁の前へ進み出た。
「焦るな」
すでに覇王の貫禄を身につけつつある元繁は、鷹揚に行景の肩をぽんと叩いて、自重を促す。
「……そも、わが安芸武田、征く先は、今はまだ毛利にあらず」
「と申されると?」
行景の問いに、重々しく沈黙を与えておいて、元繁は告げた。
「まずは、有田城よ。吉川家に盗られたアレを、まず取り返す」
「しかし、吉川家は、城将・小田信忠は、城を返しても良いと……」
元繁の腹心である伴繁清がそう言ったが、元繁はつまらなそうな表情をした。
「遅い」
元繁は不快であることを示した。
「第一、吉川家には女を差し出せと言ったのに、一向にその女が来ないではないか」
元繁は、単に女が欲しくて言っているわけではなく、吉川家が完全に自分に従うという姿勢が無かったことを詰っていた。
「これをまず膺懲する。懲らしめるのじゃ。安芸の国主に逆らうと、どうなるのかを知らしめる」
さらに、と言ってから、元繁は手にした扇子を、ぱちんと手のひらにたたきつけた。
「有田城を囲む。囲んでおいて……自分ではないと安堵しているであろう、毛利へ兵を向ける。いや、吉田郡山城ではない、多治比へだ」
元繁には「項羽」という二つ名があり、今、元繁は、そう呼ばれるだけの軍略の才を、その策を開陳した。
「多治比へ兵を出せば、果たして……毛利は兵を出してくるかな? いわんや、高橋の兵をおいておや」
このとき、高橋家の高橋久光が兵を率いて、毛利家本城・吉田郡山城に入ったことは、安芸武田家の諸将も聞いている。
高橋久光が出てくれば、この「毛利攻め」も容易ではないと皆、認識していたが、元繁はその懸念を振り払った。
「よいか。多治比は、あのこじき若殿の城よ。そう、あの、亡き毛利興元の弟だ。なれば、高橋久光としては、これ幸いと、放っておくだろう」
高橋久光が毛利家支配を完全なものにするには、現状、毛利家を取り仕切っている多治比元就が邪魔である。であれば、救援には駆けつけまい。
「つまり多治比は、多治比の兵でしか守れぬ。戦えぬ。なぜなら、毛利本家の吉田郡山城は、高橋久光がおさえておる……ゆえに、孤立するのだ」
そう言いつつも、高橋が出てきたところで望むところよ、と元繁はほくそ笑む。
戦っても良い。
しょせんは安芸ではなく、石見の国人。
安芸で死ぬ覚悟はないと見た。
どさくさまぎれに、毛利を盗ろうと火事場泥棒を働きに来ただけだ。
であれば、この安芸武田家が、「項羽」武田元繁が相手すれば、退けることなど、容易い。
「元繁どの、ではその多治比攻め、拙者にお任せいただけるとのことですな」
熊谷元直が立ち上がった。
元繁はうなずく。
「さよう。多治比を熊谷どのに取っていただき、同時に、我、元繁は有田を陥とす。そして多治比と有田を根切りにするのだ……皆殺しじゃ。さすれば、吉川と毛利、いや高橋か……は恐れおののこう、安芸武田家に。しかるのちに、吉川と高橋も、おのずと安芸武田家への完全な臣従へと心を定めよう……そうなれば」
そこで元繁はいったん言葉を切った。
京にいる大内義興よ、知るがいい。
お前は、安芸武田家を甘く見ていた。
今や、安芸武田家・武田元繁は、雲を得た龍だ。
誰にも止めることはできない。
「……そうなれば、安芸は制したも同じよ。安芸国人一揆は、安芸武田家に臣従させる。安芸はもらった。そして安芸国主として、安芸武田家は、周防へ攻め入る!」
おお、と一同が感歎の声を漏らした。
周防とは、大内家の、大内義興の領国であり、いわば本丸である。
長年にわたり、安芸を支配してきた大内家を、逆に攻め入る。
それは、安芸の国人にとっては、垂涎かつ痛快な壮挙であった。
「京にこだわって、領国を軽んじた報いよ。思い知らせてやるのだ、安芸の国人を虐げてきて得た栄華を、木端微塵にしてな」
そして、それで終いではない、と武田元繁は考えている。
出雲にいて、この元繁を支配している思っている尼子経久を、あの能面のことを頭に浮かべた。
よくも、恥をかかせてくれおって。
この元繁、意のままにされるとは。
今思うと、あんな妄言が無くとも、おれは自立することができた。
おれの眠っていた本音を利用されただけだ、あの能面に。
そして今、おれは気づいた。
あの能面、自らが安芸に来られないからこそ、おれを籠絡して、意のままにしようとしたことを。
元繁はひとりごつ。
「今はまだ、言えぬ……隠すが……見ていよ……!」
元繁は、心の中で叫んだ。
周防の次は、出雲!
かの尼子経久、おれ……ではない、予を飼っていると思うておる!
気に入らぬ!
退治てくれよう……そして予は、西国の覇王として、項羽として、中国に君臨するのだ!
元繁は笑う。
その高笑いは、佐東銀山城に、いつまでも、いつまでも響くのであった。
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