西の桶狭間 ~毛利元就の初陣~ - rising sun -

四谷軒

文字の大きさ
35 / 59
第三章  多治比元就の初陣

31 策の結末

しおりを挟む
「かかれ、かかれ!」

 多治比元就の大音声が響き、多治比軍は、ここが死に場所と、敵軍へと襲いかかる。

「押せ! 押せば勝つ!」

 一方の敵軍、安芸武田家の熊谷元直は、多勢をたのみ、突入を命じた。
 多治比軍一五〇対熊谷軍六〇〇。
 兵数の差はいかんともしがたいが、元就が平地が狭まる地点にて戦端を開いたため、動ける兵数は、互いに同じ。
 また、猛将と名高い熊谷元直であったが、対する多治比元就も、戦いながらと采配を上達させていき、指揮能力においてはほぼ互角となっていた。



「…………」

 すでに多治比の山中の杣道そまみちを進み、熊谷軍の背後に回っていた元就の腹心、井上光政は、今か今かと攻撃の指示を待っていた。
 このまま拮抗するのは良い。
 だが、じり貧である多治比軍は、いずれ崩れる。
 しかし光政は耐えていた。

「光政さま、もう……」

「いかん、待つのだ!」

 この忠実さが、井上一族でありながら、元就の腹心といわれる所以ゆえんである。

「しかし……このままでは……」

 それでも不安は拭えない。
 戦機を逃がすのではないか。
 いや。

「法蓮坊さま、ではない、長井さま、頼みましたぞ……」



 かつての法蓮坊であり、将来の斎藤道三である長井新九郎はその頃、熊谷軍の部将ふたりを相手取って、長槍を振るっていた。

「ふたりがかりなら、抑えられるとでも思うたか?」

 長井新九郎の槍が走る。
 一条。
 二条。
 閃光が見えた瞬間、その部将ふたりの首筋から血が噴き出して、と倒れた。

「そら行けっ。吉田郡山からの援軍は、間もなくぞ!」

 おお、と歓声があがり、多治比の兵は長井新九郎が入口から、熊谷軍へ襲いかかっていく。

「……とはいえ、だ」

 長井新九郎はひとりごちる。

「……そう長くはつまい」

 ふと、脾腹に手をやる。手を持ち上げて見てみると、赤く血に染まっていた。
 無傷で戦いつづけるなど、名人芸を超え、もはや神技だ。
 自分、長井新九郎はむしろ、そういう神技を持つを指揮する方が向いている。

「傷は浅いようだが……多治比の兵も……おれも……そろそろ、だな」



 多治比元就は、奥の手である井上光政のを動かす機をうかがっていた。
 毛利本家の軍を擬装した、別動隊。
 その偽りの攻撃をもって、熊谷軍を撃ち、動揺を誘い、退却へ持ち込む。
 合戦が初めてである自分が、その機を読めるかどうかは微妙だが、やるしかない。
 しかし、別動隊の登場と同時に、多治比の本軍もまた、仕掛けなければならない。
 その余力が、まだ、残っているか。
 そこを見定めないと、ただの道化と化す。

「最悪、その時は……」

 元就の目に、奮戦する多治比軍、そして長井新九郎の姿が映った。



「食い破れ! 食い破るのだ!」

 熊谷元直もまた、機をうかがっていた。
 全軍突撃を命ずれば、あるいは元就とその軍を打ち破れよう。
 しかし、今、それをやってしまうと、後がつづかない。
 多治比を占領するまではいい。
 そこへ、毛利本家の軍が満を持して襲いかかってきたら、目も当てられない。
 一番良いのは、このまま押し切って、普通に勝つことだ。
 それならば、余力を残していられる。

「だが……それもか」

 元直の指揮に迷いが見え始めた。
 進むか、退くか。
 将が決めかねるのなら、兵は左右される。

 一瞬の停滞。

 ……それを逃がす、多治比元就ではなかった。

!」

 元就の大音声。
 長井新九郎が、槍を振るって、兵を鼓舞する。

「かかれ! 挟み撃ちだ!」

 どよめきを上げる多治比軍。
 動揺する、熊谷軍。

「間に合っただと! まさかッ」

 熊谷元直が振り向くと、毛利家の一文字三ツ星の旗印を掲げた兵が、元直の軍の後背を猛襲しているのが見えた。

 多治比元就の声は大きい。
 まだかまだかと耳をそばだてる井上光政には、それはうるさいほどに響いてきた。

「かかれッ」

 井上光政率いる別動隊は、少数ながらも多治比軍の精鋭である。光政自身が船岡山へ従軍した時に付き従った兵を中心に選ばれている。
 一方で、熊谷軍は、この多治比での最初期の戦闘で傷ついた兵を後方に回していた。
 両者の差は、歴然としていた。

「ばかなッ。だ!」

 が、まやかしであっても構わない。
 そういう心持ちで、熊谷元直は叫んだ。
 熊谷軍の部将の山中や板垣らが、確認のために後方へ向かう。
 そこを多治比元就が追いすがろうとする。

小癪こしゃくな青二才め!」

 今度は熊谷元直の方が元就に襲いかかる。
 将を後ろに行かせないとは。
 やはり、偽計か。

「どけ!」

 く元就に、元直は肉食獣の笑みを浮かべた。

たばかったか、青二才ぃ」

 形勢逆転だ、とばかりに元直の太い腕が、元就の首に向かう。
 元就は、肩を前面に押し出して、元直を弾き飛ばそうとする。
 元直の手が、元就の足をつかむ。
 地を転がりながら、取っ組み合うふたり。

「青二才! 貴様の奸計など、知れたものよ! 貴様を斃し、多治比はもらっ……」

「……かかったな」

 元就が無表情にそう言うと、その後方にいた、ひとりの侍が駆けてくるのが見えた。
 長い槍を持った、不敵な笑みを浮かべた侍が。

「新九郎どの! 首を討て!」

「応!」

 先ほどから、槍の妙技を見せてきた侍、長井新九郎。
 謎多き男だが、熊谷元直の目から見て、ひとつだけ確かなことがあった。
 この男の槍が……相当、危ないということを。

「……いかん! このままでは!」

 取っ組み合い、揉み合う元就と元直であるが、長井新九郎であれば、正確に元直を狙って刺し貫いてくるであろう。

 瞬間。

 熊谷元直は、元就の躰を蹴飛ばすようにして跳躍して離れた。
 そして次の瞬間、部将の山中が主君の危機を察して戻り、元直の前に出て守る。

「殿! お下がりあれ! 下手な挑発に乗るのは愚策!」

「すまぬ!」

 間一髪で、熊谷元直は、長井新九郎の槍の射程距離圏外へと逃がれた。
 多治比元就がなお追いすがろうとするが、部将の山中が死力を尽くして立ちふさがった。

「あ、危なかった……」

 熊谷元直は、多治比元就から距離を取り、そして元就の策の全貌に気づき、今さらながらに冷や汗をかいた。

 熊谷軍の後背にを出現させる。
 別動隊がだと指摘されたところで、わざと「作られた隙」に乗じた熊谷元直に多治比元就自身を捕捉させる。
 熊谷元直と多治比元就がところで、長井新九郎の槍の一撃で熊谷元直の首を取り、戦を終わらせる。
 一騎打ちなどという、あやふやで、不安定なものではなく。
 に。
 勝ちにおごった瞬間に。
 その瞬間に、確実に、確実に……熊谷元直の命を奪う。
 殺す。

 ……そしてその入念かつ細心なは、むしろ熊谷元直ではなく。
 その先へ、武田元繁へとまっすぐに向かっている。
 そんな気がした。

 元直は、怖気おぞけを震う。

「恐るべき策だ……だが」

 元直の目に、熊谷軍の後方に走った板垣が駆けて戻ってくるのが見えた。
 板垣は指を負傷し戦闘不能に追い込まれたため、指揮と索敵に徹し、そのため、主君の危機ではあるが、敢えて後方の確認に向かったのだ。
 元直はその板垣の心意気やよしとしたが、その板垣の報告を待たずに、別動隊が少数であることを見破っていた。

「だが……それはつまり、! 後ろは小勢だ! 気にするな! 全軍、突撃!」
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...