西の桶狭間 ~毛利元就の初陣~ - rising sun -

四谷軒

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第四章  西の桶狭間 ー有田中井手の戦いー

48 死中

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 多治比元就が討たれる。

 それは、単に多治比が――毛利が、吉川が敗北するということだけではない。
 安芸国が、安芸武田家の野望により、戦乱のちまたに叩き落されるということだけではない。
 今、かろうじて、大内義興が管領代として支えている、室町幕府が、京が――また、魔境におちいるということを意味する。



「死ねい!」

「……ぐっ」

 武田元繁の振り下ろした刀を、元就は死力を振りしぼって受けとめる。
 元就の諦めの悪さに舌打ちしながらも、そのまま刀に体重をかけ、次第に次第に元就を押していく。

「…………」

「…………」

 安芸武田軍の将兵は、さすがに総帥たる元繁が組み付かんばかりに元就を押しているため、手を出せずにいる。
 この一瞬の隙に気づいたのは、やはり吉川家の雪であった。

「兄上さま!」

「……承知!」

 宮庄経友は弓を捨てた。吉川家の三百騎も弓を捨てた。
 三百騎は知っていたのだ。
 経友が弓を捨てるということを。

「かかれ!」

 宮庄経友は馬を馳せると同時に抜刀する。三百騎も抜刀する。

「……これより、鬼吉川の底力、安芸武田に馳走する!」

 宮庄経友率いる吉川家の三百騎が、又打川を渡河した武田軍に、真正面からぶつかっていった。
 吉川軍は、武田軍に対して、兵数においてはたしかに劣る。
 だが騎馬突撃に専心し、ひたすらに武田軍を突き破る。
 あたかも、ひとすじの矢のように。
 それが経友が弓を捨てた意味であり、三百騎はそれを十二分に理解し、やはり弓を捨てたのだ。

「……あとは任せたぞ、雪!」

 経友は振り返らずに雪に言った。
 雪はうなずき、経友もまた、それを見ずにうなずいた。
 鬼吉川の兄妹には、それだけで通じるのだ。



「吉川のみにな!」

 吉川家の、いわば捨て身の突撃にいち早く反応したのは、今や、事実上、残された多治比軍を率いる長井新九郎である。
 彼は抜け目なく武田軍の最もところへ向かって槍を突き出す。

「つづけ! つづけ多治比の衆! 今こそ元就どのの恩に報いる時ぞ!」

 多治比元就は緒戦から多治比の山里を守るために戦い、陣頭に立って血を流してきた。かつては「こじき若殿」と呼ばれ、侮れらていたが、その献身的な敢闘は、多治比の衆の心を打ち、元就のためならという気持ちを生んでいた。
 多治比軍は喚き声を上げ、長井新九郎と共に、武田軍に向かって、突撃し、そのまま肉弾戦に入った。

 そして相合元綱も、一瞬遅れてだが反応する。彼は反応を遅れたことを卑下せず、むしろ自らの役割を見出すことに成功した。

「安芸武田をこれ以上渡河させるな! 対岸を射よ! 全軍、矢が尽きるまで対岸を射よ! 狙いはつけずとも良い! 矢衾やぶすまだ!」

 毛利本家の軍は、対岸にて渡河をしようとする、つづく安芸武田軍へと向けて一斉に矢を放った。

「……これは、たまらん!」

 安芸武田家第三陣・粟屋繁宗は、山県重秋亡きあとの第四陣も統制しつつ、元繁直属の第五陣の残された部隊をも統御せねばならず、そこへ矢の斉射を食らってしまった。
 繁宗は無念ながらも、又打川を対岸にて、毛利・武田両軍は入り乱れるのをその目に映しつつ、立ち往生を演ずるほか無かった。



 武田元繁と多治比元就はいつしか馬から降り、互いに刀をかまえ、にらみ合っていた。
 元就は必死だ。
 だが、元繁は余裕だった。
 いかに吉川や多治比、そして毛利が決死の反撃をしようが、今ここにおいて元就を討ち取るのを止めるには至らないだろう。
 それだけの層の厚さ。それが安芸武田家の優勢の理由だ。単純な兵力だけではない。
 元繁自身が京へ率い、船岡山の激戦を共に戦った猛者もさどもだ。
 だが。

「者共ッ! 手出し無用ぞッ!」

 こいつだけはこの手でッ首、ねてくれる。
 元繁が大きく刀を振りかぶる。

「……覚悟せいッ! 多治比元就ッ!」

 武田軍の将兵に囲まれ、元繁は必殺の斬撃を振り下ろす。
 一刀両断、元就を斬って捨てる構えだ。

「……くっ」

 対するや、元就は連戦の疲れと策が破れたことによるものか、ついに片膝をついた。

「良いッ! 良いぞッ! その姿勢ッ! わが安芸武田に屈し、首を差し出しているように見ゆる、その姿勢ッ!」

 元繁が裂帛れっぱくの気合いと共に、豪速の刀を振り下ろす。

「褒めてつかわす! そしてその首もらっ……うう!?」

 突如として元就の背後から、其処そこにいた安芸武田家の将兵を文字どおり断ち切って、一人の武者が躍り出る。
 武者は、元繁の刀を、己の大刀で叩いた。
 元繁の刀とその大刀は、互いに弾かれ、宙を舞う。

「光政!」

「元就さま、はよう、早う、元繁の首を!」

 武者は、多治比元就の腹心、井上光政。
 彼もまた、元就の兄・毛利興元と共に、長井新九郎と共に、京・船岡山の激戦を駆け抜けたつわものであった。
 そして光政は、元就の命により、敢えて気配を断ち、元繁を確実に討ち取れる機会を虎視眈々と待っていたのだ。
 元就は死力を振り絞って立ち上がった。

「……武田、元繁ッ!」

 大軍を誇る安芸武田軍だが、それは「項羽」武田元繁の存在があったればこそだ。
 寡兵といえども、将である元繁を討ち取ることができれば。

「安芸武田を破ることができる!」

 元就は刀を構えた。
 だがその瞬間。
 野獣にも似た咆哮が。
 元繁の口から聞こえた咆哮が。
 元就を、光政を、周りの安芸武田の将兵の耳をつんざく。

「死ぬのは……貴様だ! 多治比ッ!」

 猛獣のような勢いで突進する元繁。
 無手ではあったが、だからこそ、元就の腕に、手甲てっこうごとかじり落さんと

 負けるかと元就が腕に力を込めようとしたとき。
 そのとき。
 遥か背後から見守る、視線に気がついた。

「…………」

 察するものがあった元就は、うわあ、と叫んで刀を取り落とした。
 元繁がその刀を拾おうとする。
 元就はその刀を蹴り飛ばし、刀はあらぬ方へ。
 そして今度は元就が。
 元繁の胴に向かって突進。
 この、と叫ぶ元繁にかまわず、元就は両のかいなに力を込める。

「……がっ! このっ! な……なんという力だ! 予は項羽ぞ! その予が……動けぬ!」

 元就の渾身のに、元繁はからだを左右に振って抵抗する。

「離せ! 離せ! 貴様……何を……まさかッ!」

 武田元繁は、その視線の先に、鋭い殺気を発している、一人の姫武者の存在に気がついた。
 距離はある。
 だが、その姫武者の構えている弓は、その程度の距離など、物ともしないであろう。
 武田元繁は知っている。
 多治比元就も知っている。
 その姫武者が、何と呼ばれているのかを。

「鬼吉川の、妙弓!」

 ――吉川雪は、静かに矢を放った。
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