西の桶狭間 ~毛利元就の初陣~ - rising sun -

四谷軒

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第四章  西の桶狭間 ー有田中井手の戦いー

50 帰趨(きすう)

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「武田元繁、討ち取ったり!」

 井上光政が、取った元繁の首を高々と掲げた。
 何かの呪いを避けるかのように、安芸武田軍の将兵は目を背けた。

「……今ぞ! かかれ! 川を渡れ! 返り討ちだ!」

 多治比元就が吼える。
 元就自ら、無刀のまま、川を飛び越える。
 あわてて光政もつづいて飛び、そして続々と、追いついた毛利・吉川連合軍は渡河を始めた。
 まずは吉川の三〇〇騎が。
 つづいて、多治比の軍が。
 最後に、毛利本家が押し出していく。
 
 対するや、安芸武田軍は、総大将・武田元繁の首をまざまざと見せつけられ、恐慌状態におちいった。

「ばかな」

「元繁さまが」

「見ろ、あんな無残な」

 粟屋繁宗や、香川行景といった将領たちが落ち着けと怒鳴るがもう遅い。
 兵らは動揺し、そして、ここが正念場と猛り来る毛利・吉川連合軍に気圧けおされ、われ先にと逃走を開始した。

退くな、退くな!」

「返せ、返せ!」

 この時、ようやく合流を果たした伴繁清や品川信定らの必死の叫びも虚しく、もう、この流れは止められない。
 大軍である安芸武田軍は、寡兵である毛利・吉川連合軍により、総崩れとなった。



 又打川。
 夕刻。
 自軍が、今ぞ手柄をと総攻めをかけているのを見つつ、多治比元就は、今さらながらに背に刺さった矢を引き抜いて、と地に倒れた。
 ちょうど通りかかった志道広良に後を任せ、元就は空を仰ぐ。

 やった。

「母上……やりましたぞ」

 大地に寝転んだ元就は、いつの間にやら暮れなずむ空に、杉大方の顔を思い浮かべた。

 つらく、厳しい戦いだったが、やり遂げた。

 そして。

「守れた……」

「何をですか?」

 ひょい。
 まさに、そんな感じで、吉川家の姫は、元就の視界に現れ、そして見下ろしていた。

「……いつの間に」

「母上、と言っていたあたりから」

 と言う雪。
 少し、ねているようである。
 そこはまず、この戦いに尽力し、勝利に貢献した自分のことを、呟くべきだろう。
 そんな台詞が、顔に書いてあった。

「…………」

 元就は立ち上がったが、立ったままでいることはかなわず、ふらついたところを雪が支えた。

「仕方ありませんね……無理、し過ぎです。まったく」

 肩の下の雪の顔は見えず、だが声色で、それほどまで機嫌を悪くしていない様子は知れた。
 秋の空は、早い。
 あっという間に夕暮れだ。
 間もなく日没と共に、合戦も終わろう。
 少なくとも、今日は。

「……あ、星」

 徐々に藍色に染まりつつある空に、一番星が、輝いた。

「……三ツ星」

「あれが見えるのは冬だ。今も見えるが……もっと遅くならないと」

 元就が真面目くさって答えると、雪はそういうことを聞いているのではない、と首を振った。
 元就の甲冑に刻印された家紋を指で触る。

「三ツ星の君。あなたはわたくしを、どう思っているのですか?」

 武田元繁が側室にと望んだ話を聞くや否や、尼子経久の元へ、出雲・月山富田城へ向かわせた。
 その行動が、何より雄弁に元就の想いを語っている。

 だが。
 それだけではなく、言葉で聞きたいのだ。

 ある意味、そのために、雪は月山富田城を飛び出し、多治比の、そして吉川の一翼を担って戦ってきた。
 大切なものを奪われるという過酷な思い出を持つ元就に、自分はそうではなく、むしろ共に戦う者だと、やはり行動で応えたのだ。

「三ツ星と共に在りたいと……そう言わないと、答えられませんか?」

 元就は、雪から躰を離した。
 己の足で立った。
 そして、元就と雪は、向かい合う。

「私は――」

 空に星が瞬いていた。



 長井新九郎は、遠目に、元就と雪が抱き合う光景を見た。
 秋風が吹き、何を言っているのかは、よく聞こえない。
 新九郎は別段、聞くつもりはなかったので、構わなかった。

「……だが、あの様子じゃ、見ているだけでも、何をしゃべっているかは分かるな」

 新九郎は彼らしくもなく頭を掻いた。
 色恋沙汰は得意だ。
 浮き名を流したことも、数知れず。

「しかし、あんな初心うぶな姿を見せられると、かえって照れるな」

 酒が欲しいところだ、と思っていたら、いつの間にやら井上光政が近くにいて、どこかから手に入れた徳利を差し出した。

「何だお前、いたのか」

「……あるじの身を案じて」

「案じてってお前、お前ものぞい……」

「どうぞ」

 徳利を口に押し付けられた。
 皆まで言うな、ということらしい。

「……これから、どうされるのですか?」

 強引な話題転換だ。
 が、その話はしておかなくてはと思っていた新九郎である。
 徳利から口を離す。

「明日で、約束の三日目だ。もうひといくさあろうが、そろそろ美濃へ帰らせてもらう」

「……お父上と共に、美濃の国盗りですか」

「そういうことだ」

 美濃国主・土岐家は家督をめぐって兄弟の争いがつづいている。
 弟の方・土岐頼芸ときよりなりについている長井家は、新九郎の父は、「弟である」頼芸に家督を継がせ、それによって発言権を増し、美濃の僭主になろうと企んでいる。

「いい加減、京に安芸にと遊ばせてもらった恩を返さないと、ばちが当たるわ」

 罰などというものをまるで信じていない新九郎がそんなことを言うと、ある種の可笑おかしみが湧いてくる。

「……なら、今宵は、別れのうたげを設けさせてもらおう」

「……お」

 いつの間にやら雪と連れ立ってやってきた元就が、新九郎の肩を抱いた。

「おい、いいのか?」

「何がだ?」

「今宵は華燭の典じゃなくて」

「……んなッ」

 慌てたのは雪の方である。
 元就は見ていたのかと呟いた。

「おいそれと吉川から妻女をもらうということはできん……大内さまの許しを」

 まだそんなことを言っているのかと新九郎は呆れたが、他ならぬ雪がうんうんとうなずいているので、厳かに沈黙を守った。

「わたくしを娶るということは、尼子経久さまとの縁が生じるということ。それは看過できません」

 早くも奥方としても貫禄か、と光政は舌を巻いた。が、肘でつついてくる新九郎の目線に気づく。

 このふたり、照れ隠しをしている。
 さっさと退散しよう。

「……しからば、御館様、それに雪どの。拙者、長井どのとそろそろ、志道どのの助力に参りまする」

「……そうそう、志道どのに何か伝えておくことは無いか?」

 わざとらしい咳払いと共に言う新九郎に、元就は、ではそろそろ退き陣を、と言った。
 光政と新九郎は駆け出す。
 少し距離を空けてから、振り向く。
 そこには、抱きしめ合うふたりの影が見えた。

「……興元、もう呑めないお前には悪いが、今日は呑ませてもらうぞ」

「……興元さま、泉下あのよにて、あのふたりを見守り下さりませ」

 そして新九郎と光政は笑い合い、改めて走り出すのであった。
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