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七 敵中の男

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 簗田政綱は、太田又助らを送り出し、木綿藤吉と共に、近くの農民を装って沓掛城に向かった。
「何か」
 その門番の声に、今川の殿に是非会いたい、会って軍に加わりたいと申し出た。
「いや、それは」
 門番は諭すように、政綱と藤吉に、帰れと促した。
「でも」
「お屋形さまが会うはずが無い」
 その時。
「苦しゅうない。入れ」
 何と、今川義元がちょうど足を引きずり、城門まで来ていた。
「よろしいので」
「……ふむ。都合がいい。入れてやれ」
 意味ありげなことを言って、義元は奥へと誘った。
 その奥には――斯波義銀が痛飲し、酩酊している姿があった。

「斯波どの」
「うむ」
 義元が足を引きずりつつ、義銀に近寄って、酒を注ぐ。
「召されよ」
「うむ」
 返事が単調なのは、酔いが深い証である。
 義元はそんな義銀の様子にかまわず、杯に酒を注ぐ。
「時に、斯波どの」
「うむ」
「この義元、先ほどの醜態により、足を痛めた」
「そのようじゃな」
 さすがに最低限の会話はできるらしく、義銀はしゃっくりをしながらうなずいた。
「しかるに、婿の松平がの、大高の城にるから、はよよと云う」
「行けばいいではないか」
 もっとも、その足では馬に乗れまいがの、と義銀はわらった。
 他者を落とせば、己が上がる。
 そう、信じて疑わない義銀の性格が透けて見える嗤いだった。
「…………」
 空気が冷え切る。政綱は澄ましたものだったが、藤吉は歯がかちかちと鳴った。
「じゃによって」
 義元は義銀の肩を掴んだ。そのあまりの強さに、義銀は顔をしかめた。
「な、何を」
「じゃによって、斯波どの、汝の輿を予に寄越せ」
「よ、寄越せ、とは、何じゃ。予は、斯波ぞ」
うるさいわ!」
 義元がえた。
 肩を掴む手が震える。
 義銀の震えによって。
ほど汝は斯波じゃ。今川などという、吉良の分家には威張るべきだろう……だがな」
 足利家が絶えた場合、吉良家が継ぐという俗言がある。そして、吉良家が絶えれば、今川と言われている。
 このように、今川家は、吉良家の分家という扱いだ。
「……だがな、予は今川義元ぞ。ただの今川ではない。おぬしの心中で嘲っているように、庶子よ。今さら分家だの何だの……片腹痛いわッ」
 それこそが、花倉の乱で義元が国盗りを目論んだ理由である。
 そして彼にとって、本家分家だの、そして足利を頂点にする秩序など、破壊の対象に過ぎない。
「判ったか。判ったら、予の天下盗りに尽くせ。尾張はれてやる。だが、輿は寄越せ。これから、予がそれに乗って出陣するでな」
 それにより、義元は尾張における斯波の権威の上を行く存在だと、誇示したいらしい。
「拒むか? それも良い。それだけの気概があって、この義元とやろうというのなら、それも良い」
 義元は振り返る。
「見よ」
 そこに、政綱と藤吉がいた。
「かように、尾張の民も、今川にと参じておる。斯波など」
 もはや、過去のものだ。
 義元の目が、そう言っていた。
 さすがの義銀にも、それは判った。
「で、では今川どのに輿を渡して、予は、どうすれば」
「この城にて、待てばよかろう」
 義銀は肩を落とした。
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