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八 雨中の報

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 織田信長は出陣し、ぜん照寺しょうじの砦まで来ていた。
「殿、空を」
 服部小平太が天を指す。
 空には黒雲が湧き出ていた。
 その時。
 馬からも駆け降りるように降り、そのまま走り込んで、簗田政綱と木綿藤吉は砦の中にまろび入った。
「大儀」
 信長のその甲高い声は、それだけで政綱と藤吉の胸に染み入る。
 ああ、成し遂げて良かった。
 そう思える声であった。
「こ、輿を」
 常に冷静沈着な政綱らしくもなく、声が詰まった。
 今、これを報じれば。
 雨の中、奔ってきたこの知らせを報じれば。
 輿の上が今川義元だと報じれば。
 信長は、動くのか。
 いや、信長だけでなく、周りの織田家中の者たちは。
「…………」
 知らせだけではない、もっと大きな、何か。
 その何かが、自分の口から、ぬるりと。
 出てくるような気がした。
 この世の何もかもを引っ繰り返してしまうような、何か、が。
 そんな狭間はざまの中……誰かが政綱の手を掴んだ。
「殿」
 信長は黙って頷いた。
 気づくと、藤吉も頷いている。

 そして、政綱は、告げた。
 輿の上の敵が、誰かを。

「……で、あるか」
 いつもの信長のいらえ。
「是非もなし」
 信長は立ち上がった。
 決然たるその様に、小平太ら諸将はどよめく。
「と、殿」
「な、何を」
「知れたこと」
 信長は笑った。
「予は……おれは、こういう時を待っていたのだ」
 何故だか知らないが、生まれた時から、こういう瞬間が来るのを信長は知っていて、それをずっと待っていたという。
「尾張を手中にする時かと思うておったが、どうやらちがった。そして、この今川の攻め。おれは、これもまた斯波如きを討って終わりかと思うておった」
 それが、どうだ。
 輿の上には、今川義元。
 その義元は落馬して足を引きずっている。
「しかもだ……この雨、この豪雨。その中を」
 義元は進軍している。松平元康が呼んでいるからだ。
 雨天なれば延ばすという、安い真似はしない。
 しかしそれは……まるで討ってくれといわんばかり状況だ。
 信長は兜の緒を締めた。
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