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02 江東橋の戦い
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一三六〇年。
遥か昔から流れる悠久の長江を下る大艦隊がいた。
陳友諒の艦隊である。
そこへ。
「康茂才?」
陳友諒は弟の陳友仁からの報告に首を傾げた。
「ああ、そういえば胥吏だった頃にいたな、そんな奴」
陳友諒と康茂才は元に属していた。
そして今に至るが、陳友諒は康茂才が今やって来た理由を考える。
「裏切りか、それとも振りか」
*
「木の橋だと?」
陳友諒は康茂才の差し出した地図を眺めつつ、片方の眉を上げた。
陳友諒は地図を弟の陳友仁に渡し、目配せで真贋を確認させろと命じた。
康茂才は語る。
「さよう。この江東橋は木。ゆえに、ご自慢の巨艦を以て破壊が可能」
「そうだな」
康茂才はさらに言う。江東橋で待っていると。それで、水先案内を務めると。
「この策を用いれば、朱元璋など鎧袖一触。来たるべき張士誠との対決に備え、兵を損なわずに済みます」
陳友仁が戻って来た。その眼で地図が真だと告げた。
「よし」
康茂才の裏切りが嘘だとしても、地図は本物であり、江東橋が木であることには変わりない。
「江東橋へ向かう。その時、声をかける。共に応天府を攻めよう」
「委細承知。ただ、いつ頃になるか教えていただければ」
猜疑心の強い朱元璋の下から抜け出すには一苦労だという。
陳友諒は嗤った。
人材も兵数も少ないのに、そんなに疑り深いのか。
「だからこうして裏切るだ。やはり君主とは器量を大きくせねば」
こうして康茂才を信じる自分のように、と大度を示す陳友諒。だが、彼とて上司たる倪文俊を殺し、主君である徐寿輝を弑して、帝位に就いていた。
*
陳友諒は江東橋に達した。
「このまま進め」
だが、康茂才を完全に信頼したわけではなく、仮に罠だとしても、木の江東橋を破壊すれば良しと、艦隊を進める。
が。
「あ、兄者」
先鋒の艦に乗っていた弟の陳友仁が、急ぎ、陳友諒の乗る旗艦へとやって来た。
「江東橋は、木なんだよな」
「そう言っていた」
陳友仁は「見ろ」と陳友諒を舳先へと引っ張る。
「おい、おれは仮にも皇帝だぞ。いくら弟とはいえ」
「そんなこと言ってる場合じゃない、兄者! あれを見ろ!」
そこには、石の橋が架かっていた。
「石だと?」
どういうことだ、と陳友諒はこの場にいるはずの康茂才を呼んだ。
だが、返って来たのは、矢の雨である。
背後からの。
「後ろ」
陳友諒が振り向くと、朱元璋麾下の艦隊がいつの間にか陳友諒の艦隊を包囲していた。
朱元璋は、陳友諒が江東橋に気を取られている隙に、伏せていた艦隊を動かし、包囲していたのだ。
そしてまた、朱元璋は、急拵えだが江東橋を石の橋に造り替えていた。
「やりやがったな!」
陳友諒は怒号し、朱元璋の艦隊への攻撃を命じた。
陳友諒艦隊が押す。
すると朱元璋艦隊は巧みに後退して、しかし包囲は崩さずに攻撃を継続した。
「鬱陶しい……」
陳友諒が歯噛みして、旗艦を陣頭に出せと言おうとしたその時。
「兄者!」
陳友仁は江東橋の橋の上を指差していた。
そこには、一軍がずらりと並んで弓矢を構えており、その将は康茂才である。
「騙しやがったな!」
「射よ!」
吠える陳友諒目掛けて、幾百もの矢が走る。
陳友仁が強引に押し倒さなければ。
康茂才率いる弓兵の狙いが正確でなければ。
「死んでいたな。くそっ」
陳友諒もまた、この乱世を生きる群雄である。
その嗅覚が、この場は退けと告げていた。
「ずらかれ!」
死に物狂いの撤退により、かろうじて陳友諒は帰還に成功した。
しかし、朱元璋と康茂才の挟撃により、数多くの将兵が討ち取られてしまう。
そして、今度は朱元璋の方が陳友諒の版図へと侵略していった。
逆に攻められる立場となった陳友諒。
気がついたら、武昌(武漢)までの後退を余儀なくされていた。
だが、一三六三年三月。
陳友諒は報復を唱え、兵六十万を号する大艦隊を率い、鄱陽湖に現れた。
「南昌へ」
鄱陽湖の戦いが、今、始まる。
遥か昔から流れる悠久の長江を下る大艦隊がいた。
陳友諒の艦隊である。
そこへ。
「康茂才?」
陳友諒は弟の陳友仁からの報告に首を傾げた。
「ああ、そういえば胥吏だった頃にいたな、そんな奴」
陳友諒と康茂才は元に属していた。
そして今に至るが、陳友諒は康茂才が今やって来た理由を考える。
「裏切りか、それとも振りか」
*
「木の橋だと?」
陳友諒は康茂才の差し出した地図を眺めつつ、片方の眉を上げた。
陳友諒は地図を弟の陳友仁に渡し、目配せで真贋を確認させろと命じた。
康茂才は語る。
「さよう。この江東橋は木。ゆえに、ご自慢の巨艦を以て破壊が可能」
「そうだな」
康茂才はさらに言う。江東橋で待っていると。それで、水先案内を務めると。
「この策を用いれば、朱元璋など鎧袖一触。来たるべき張士誠との対決に備え、兵を損なわずに済みます」
陳友仁が戻って来た。その眼で地図が真だと告げた。
「よし」
康茂才の裏切りが嘘だとしても、地図は本物であり、江東橋が木であることには変わりない。
「江東橋へ向かう。その時、声をかける。共に応天府を攻めよう」
「委細承知。ただ、いつ頃になるか教えていただければ」
猜疑心の強い朱元璋の下から抜け出すには一苦労だという。
陳友諒は嗤った。
人材も兵数も少ないのに、そんなに疑り深いのか。
「だからこうして裏切るだ。やはり君主とは器量を大きくせねば」
こうして康茂才を信じる自分のように、と大度を示す陳友諒。だが、彼とて上司たる倪文俊を殺し、主君である徐寿輝を弑して、帝位に就いていた。
*
陳友諒は江東橋に達した。
「このまま進め」
だが、康茂才を完全に信頼したわけではなく、仮に罠だとしても、木の江東橋を破壊すれば良しと、艦隊を進める。
が。
「あ、兄者」
先鋒の艦に乗っていた弟の陳友仁が、急ぎ、陳友諒の乗る旗艦へとやって来た。
「江東橋は、木なんだよな」
「そう言っていた」
陳友仁は「見ろ」と陳友諒を舳先へと引っ張る。
「おい、おれは仮にも皇帝だぞ。いくら弟とはいえ」
「そんなこと言ってる場合じゃない、兄者! あれを見ろ!」
そこには、石の橋が架かっていた。
「石だと?」
どういうことだ、と陳友諒はこの場にいるはずの康茂才を呼んだ。
だが、返って来たのは、矢の雨である。
背後からの。
「後ろ」
陳友諒が振り向くと、朱元璋麾下の艦隊がいつの間にか陳友諒の艦隊を包囲していた。
朱元璋は、陳友諒が江東橋に気を取られている隙に、伏せていた艦隊を動かし、包囲していたのだ。
そしてまた、朱元璋は、急拵えだが江東橋を石の橋に造り替えていた。
「やりやがったな!」
陳友諒は怒号し、朱元璋の艦隊への攻撃を命じた。
陳友諒艦隊が押す。
すると朱元璋艦隊は巧みに後退して、しかし包囲は崩さずに攻撃を継続した。
「鬱陶しい……」
陳友諒が歯噛みして、旗艦を陣頭に出せと言おうとしたその時。
「兄者!」
陳友仁は江東橋の橋の上を指差していた。
そこには、一軍がずらりと並んで弓矢を構えており、その将は康茂才である。
「騙しやがったな!」
「射よ!」
吠える陳友諒目掛けて、幾百もの矢が走る。
陳友仁が強引に押し倒さなければ。
康茂才率いる弓兵の狙いが正確でなければ。
「死んでいたな。くそっ」
陳友諒もまた、この乱世を生きる群雄である。
その嗅覚が、この場は退けと告げていた。
「ずらかれ!」
死に物狂いの撤退により、かろうじて陳友諒は帰還に成功した。
しかし、朱元璋と康茂才の挟撃により、数多くの将兵が討ち取られてしまう。
そして、今度は朱元璋の方が陳友諒の版図へと侵略していった。
逆に攻められる立場となった陳友諒。
気がついたら、武昌(武漢)までの後退を余儀なくされていた。
だが、一三六三年三月。
陳友諒は報復を唱え、兵六十万を号する大艦隊を率い、鄱陽湖に現れた。
「南昌へ」
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