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プロローグ
01 坂崎事件
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「わたしを、ころしてください」
かれはそう懇願した。
「わたしは、罪を犯しました」
聞いてもいないのに話し出す。
問わず語りという奴だろうか。
緊張のあまり、かつての戦いで、火傷に爛れた顔を震わせ、かれはぽつりぽつりと語った。
「わたしは武功を上げました。それはあなたも知るとおり、天下に隠れなき手柄。されど、将軍はそれを認めていませんでした」
口だけは、感謝している、これに報いると言いながら。
かれはそれを口惜しそうに語った。
震えているのは、そのためだ。
「だから、やりました」
うな垂れた頭。
下を向いた口から出るその言葉は、やはり下から響き、地の底から――地獄から聞こえるように思える。
「そうです。わたしは――手柄を上げたのに認めない、褒美を寄越さない将軍に対し、それならと、みずから褒美を得ようとしました」
彼は顔を上げた。
焼けて爛れたその面は――まっすぐなその視線は、うつくしく思えた。
「……そうです。贖え、という意味で、わたしは彼女を求めました。彼女――将軍の息女を」
二蓋笠の紋様の肩衣がざわり、と揺れる。
かれ――坂崎出羽守直盛は猛っていた。
「それほどまでに、わが武功を認めず、おのが大切なものに汲々と――なら、奪ってやれと」
直盛は将軍・徳川秀忠の娘、千姫を強奪する計画を立てた。
折りしも、千姫は本多忠刻という貴公子に輿入れすることになっていた。
その輿をねらおうとしたのだ。
「――なぜ」
この時、直盛に向かい合っていた黒い裃の男が、初めて口を開いた。
「なぜ、そのような真似を。そも、千姫さまは――」
黒い肩衣に染められた、地楡に雀の紋様がゆがむ。
「そなたがあの大坂の陣の中、燃え盛る城の中から助けた相手。それをなぜ、このような真似をして――」
黒い男は震えていた。
怒りではない。
歎きである。
「……それが、わが手柄にふさわしいからです」
直盛は、立ち上がって、庭に出た。
兵の向こうには槍の穂先がきらめいている。
今――江戸二長町にある坂崎の江戸屋敷は、幕府の兵に囲まれていた。
その数、一万。
十月の江戸。
吹きすさぶ秋風の中、槍の穂先は小動もしない。
それだけの緊張感が、屋敷の兵の外に高まっていた。
一方の直盛は、さきほどまでの怒りが、まるでなかったかのように平然と庭を歩き、そこに咲き誇るつわぶきを、一輪摘んだ。
「柳生どの」
直盛は黒い男をそう呼んだ。
柳生宗矩は、何ごとかと頭をもたげた。
「せめてものわびです……このつわぶきを、千姫さまに渡してくれませんか」
直盛は津和野を領している。
その津和野という名は、つわぶきの野、というのが由来であり、津和野を愛し栄えさせた直盛にとって、つわぶきは大事な花である。
「それはつまり」
宗矩も庭に出た。
五十がらみの直盛と相対する。
鬢に白いのが混じる、古武士然とした、この友人から受け取るつわぶきは、なぜだか輝いて見えた。
「坂崎どの、貴殿は……最初から千姫さまを奪うつもりはなかった、と」
たしかに計画は立てた。
兵は集めた。
しかしそれは、あっさりと露見して。
こうして幕府の軍に屋敷を囲まれている。
そうなのだ。
宗矩はつわぶきを受け取りながら、問うた。
「ならなぜ、そのような計画を。成せぬことをして、何を為すつもりか。そしてなぜ、罪を犯した、と」
「それは――」
かれはそう懇願した。
「わたしは、罪を犯しました」
聞いてもいないのに話し出す。
問わず語りという奴だろうか。
緊張のあまり、かつての戦いで、火傷に爛れた顔を震わせ、かれはぽつりぽつりと語った。
「わたしは武功を上げました。それはあなたも知るとおり、天下に隠れなき手柄。されど、将軍はそれを認めていませんでした」
口だけは、感謝している、これに報いると言いながら。
かれはそれを口惜しそうに語った。
震えているのは、そのためだ。
「だから、やりました」
うな垂れた頭。
下を向いた口から出るその言葉は、やはり下から響き、地の底から――地獄から聞こえるように思える。
「そうです。わたしは――手柄を上げたのに認めない、褒美を寄越さない将軍に対し、それならと、みずから褒美を得ようとしました」
彼は顔を上げた。
焼けて爛れたその面は――まっすぐなその視線は、うつくしく思えた。
「……そうです。贖え、という意味で、わたしは彼女を求めました。彼女――将軍の息女を」
二蓋笠の紋様の肩衣がざわり、と揺れる。
かれ――坂崎出羽守直盛は猛っていた。
「それほどまでに、わが武功を認めず、おのが大切なものに汲々と――なら、奪ってやれと」
直盛は将軍・徳川秀忠の娘、千姫を強奪する計画を立てた。
折りしも、千姫は本多忠刻という貴公子に輿入れすることになっていた。
その輿をねらおうとしたのだ。
「――なぜ」
この時、直盛に向かい合っていた黒い裃の男が、初めて口を開いた。
「なぜ、そのような真似を。そも、千姫さまは――」
黒い肩衣に染められた、地楡に雀の紋様がゆがむ。
「そなたがあの大坂の陣の中、燃え盛る城の中から助けた相手。それをなぜ、このような真似をして――」
黒い男は震えていた。
怒りではない。
歎きである。
「……それが、わが手柄にふさわしいからです」
直盛は、立ち上がって、庭に出た。
兵の向こうには槍の穂先がきらめいている。
今――江戸二長町にある坂崎の江戸屋敷は、幕府の兵に囲まれていた。
その数、一万。
十月の江戸。
吹きすさぶ秋風の中、槍の穂先は小動もしない。
それだけの緊張感が、屋敷の兵の外に高まっていた。
一方の直盛は、さきほどまでの怒りが、まるでなかったかのように平然と庭を歩き、そこに咲き誇るつわぶきを、一輪摘んだ。
「柳生どの」
直盛は黒い男をそう呼んだ。
柳生宗矩は、何ごとかと頭をもたげた。
「せめてものわびです……このつわぶきを、千姫さまに渡してくれませんか」
直盛は津和野を領している。
その津和野という名は、つわぶきの野、というのが由来であり、津和野を愛し栄えさせた直盛にとって、つわぶきは大事な花である。
「それはつまり」
宗矩も庭に出た。
五十がらみの直盛と相対する。
鬢に白いのが混じる、古武士然とした、この友人から受け取るつわぶきは、なぜだか輝いて見えた。
「坂崎どの、貴殿は……最初から千姫さまを奪うつもりはなかった、と」
たしかに計画は立てた。
兵は集めた。
しかしそれは、あっさりと露見して。
こうして幕府の軍に屋敷を囲まれている。
そうなのだ。
宗矩はつわぶきを受け取りながら、問うた。
「ならなぜ、そのような計画を。成せぬことをして、何を為すつもりか。そしてなぜ、罪を犯した、と」
「それは――」
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