柳生二蓋笠(やぎゅうにがいがさ) ~柳生宗矩と坂崎直盛、二十五年を越えた友誼(ゆうぎ)の証(あかし)~

四谷軒

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第二章 関ヶ原の戦い

09 虎口

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「罠?」
「そう、罠」
 直盛は早速に宗矩を茶室に案内して、二人きりで話した。
 宗矩も心得たもので、二人きりになるまでは、何も言わなかった。
 直盛が茶を点て始めると、即座に「戸川どのが大谷屋敷に向かっている」と言い、次に「罠」と言った。
「何の罠か」
「宇喜多秀家の罠」
 宗矩の答えは、簡にして要を得ていた。
 直盛が察していることが、わかっていたからだ。
 直盛は歎息した。
「秀家どの……何でそう簡単に重臣を始末してしまうのか」
「そうしては駄目と言う人がいないからだ」
「なるほど」
 直盛は感心した。
 宗矩の読みは正鵠を射ている。
 宇喜多秀家は独立した大名だが、その実、豊臣秀吉という天下人に、そこまで引き上げてもらった。
 だから折に触れては秀吉に教えを乞い、あるいはあとになってから秀吉に駄目だと言われ、大名として過ごしていたのだ。
 ところが、その秀吉が――駄目と言う人がいなくなった。
 これにより、今まで重要な判断を秀吉にしてもらい、あるいは評価してもらっていたことが、裏目に出るようになった。
 つまり、これまで自身で判断してなかった秀家が判断しても、誰も事前に静止してくれないし、事後に批判もしてくれないということだ。
「なるほど」
 直盛はもう一度言った。
 それに気づいた宗矩に感心したのだ。
 この男、しばらく見ぬ間に成長している、と。
 そして立ち上がった。
「では行こう」
「ああ」
 宗矩も立ち上がった。

 大谷屋敷には、まず宗矩が門をたたいた。
「頼もう、頼もう」
 宗矩の父、石舟斎は毛利輝元に兵法を指南している。
 当然ながら、関ヶ原で「西軍」となる面々にも、柳生の新陰流は、顔が利いた。
 大谷吉継自身はこの時、すでに病に冒されており、剣術を用いることはできない。できないが、兵法談義を好んでいた。
 しかし、何といっても宗矩自身は徳川家の兵法指南役である。
 出て来た大谷家の家臣と押し問答になった。
「いかに柳生どのと言えど、事前の約束、あるいは誰かの紹介なしには、入れられぬ」
「そこを何とか。以前に知りたがっていた、無刀取りの話をしても良いと、父に言われて」
 嘘も方便という言葉を頭に思い浮かべながら、宗矩は大谷家の家臣とやり取りした。
 そしてその裏で。
「もうし、もうし。こちらはパウロと申す。ぜひぜひ、大谷候にお目通りいたしたく」
 文字通り裏門から、受洗名パウロ、つまり直盛が大谷吉継への取次を頼んだ。
 こちらの方は、すぐさま吉継の扈従があらわれて、直盛を中に招じ入れた。
 実は、大谷吉継はキリシタンである。
 ゆえに、秀吉の禁教令以来、吉継はこうして同じキリシタンの信者たちを守っていた。

 直盛は扈従に案内されるままに歩き、吉継の寝室にたどり着いた。
「病により、このようなかたちで会うことを赦せ」
 吉継は臥せっていた。
 その頭巾と覆面の隙間から目には光が宿らず、見えていないことを示していた。
「で、パウロよ。急に会いに来た理由は何か」
「こちらを訪ねて来た、戸川達安をお戻し願いたい」
「戸川達安?」
 吉継は怪訝そうな口調で返した。
 それを察した扈従が、「宇喜多候が当屋敷にて落ち合う、とおっしゃっていた方です」と補足した。
 吉継は大儀そうにうなずく。
「ああ、ああ、何でも宇喜多候が、和解したいから手を貸してくれと言っていた相手か……」
 そんなことを言っていたのか。
 直盛は歯噛みする思いだった。
「宇喜多候のねらいは、和解ではござらぬ」
 直盛は、宇喜多秀家がそのようなことをする人物ではないと主張した。
 もし、和解するつもりなら、達安の義弟であり、今回の騒動の発端である直盛を仲介役とすべきであり、そうしないところに欺瞞を感じると話した。
 吉継はそれを黙って聞いており、直盛が話し終えると、扈従に「宇喜多候と戸川どのは当屋敷に来ているのか」と問うた。
「戸川どのはすでに来ており、お待ちいただいております。宇喜多候はまだ来ておりません」
「そうか」
 では戸川どのには裏門よりお帰りいただけと命じた。
「パウロよ、察するに、今、表門で押し問答をしている柳生宗矩どのは、汝の差し金だろう」
「いかにもさようでござる」
 正確には、どちらかといえば宗矩が主体となっているたくらみだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「ではそれに乗らせてもらおう。柳生どのは徳川家の兵法指南役、それが戸川どのが来た機に、というのは、いかにも面妖である。ゆえに、こっそりと帰したと言っておく。さあ急がれよ」
「かたじけない」
 直盛は、さすがに賢君として知られる人物はちがうなと感心しつつ、達安と共に裏門から屋敷を出た。
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