柳生二蓋笠(やぎゅうにがいがさ) ~柳生宗矩と坂崎直盛、二十五年を越えた友誼(ゆうぎ)の証(あかし)~

四谷軒

文字の大きさ
13 / 25
第三章 大坂の陣

13 賢君・坂崎直盛

しおりを挟む
 関ヶ原の戦いが終わり、直盛は石見いわみの津和野という地に、三万石を与えられ、独立した大名となった。
 これは、戦後、長門ながと周防すおうの二国のみに改易されたとはいえ、まだまだ徳川の潜在敵である毛利を警戒しての処置と思われる。
 しかも、直盛は、戦国時代、毛利の敵であった、宇喜多の出身。
 それを、毛利領の背後である、石見に配置する。
「ひどいではないか」
 毛利輝元からのその抗議を、家康は軽くかわした。
「何、左京亮、ではない、坂崎出羽守直盛さかざきでわのかみなおもりどのから、宇喜多から離れることを望んでおるしのう」
 直盛は――関ヶ原までは宇喜多左京亮知家と名乗っていた男は、ついに宇喜多との決別を遂げた。

 というのも、宇喜多秀家は直盛のたび重なる説得にもかかわらず翻意せず、西軍として戦う道を選んだ。そして敗北するや、算を乱して逃げ出してしまう。あとに残された明石掃部は、必死で敗勢を立て直し、何とか備前岡山城まで帰ったが、その時秀家は、すでに薩摩に落ち延び、城は空っぽになっていた。
「何ということだ」
 掃部は主君の情けなさに愕然とし、そのまま行方をくらましてしまう。

「こんなひどい家は、もうこりごりだ」
 かねてから宇喜多という家から離れることを考えていた直盛は、ついに名を改めることにした。
 それを聞いた家康は「なら、わしがそれを与えたことにしてやろう」と、気前よく出羽守の官位まで与えた。
 かれとしても、毛利への押さえとして、直盛を用いたいという思惑があったため、嬉々としてそれを勧めたのだ。
「家紋までいただけるとは」
 その二蓋笠の紋を見ながら、直盛は苦笑した。
 それでも、何もかも新たにすることは、良いことだと思った。
「宇喜多にいた者たちは、今となっては世間から負け犬あつかい。なら、この新たな坂崎の家に来るがよい」
 直盛は、共に宇喜多の旧臣である戸川達安らと協力して、取り潰された宇喜多家の者を迎えるようにした。
「掃部はいないか」
 直盛はある意味、朋友である明石掃部を救うため、関ヶ原での調略や合戦に励んだ。
 肝心のその掃部が直盛の津和野に来ることはなかったが、宗矩が情報収集に努めた結果、どうやら、黒田如水に匿われているらしいということがわかった。
「如水どのはキリシタンだった。しかも、母君が明石の家の者だったと聞く」
「なら安心だ」
 できれば津和野に迎えたかったが、一度、如水という傑物に匿われた以上、外に出ることは望むまい。
 直盛は掃部に対する気持ちを切り替えることにした。

 それからの直盛は、津和野藩の治政にいそしんだ。
 まず、水はけをよくするために側溝を掘ったが、それが原因でぼうふらが湧き、蚊が発生すると知って、側溝で鯉を飼うことを始めた。
 次いで、こうぞを植え、もともとこの地――石見の特産であった石州和紙の生産に力を入れた。
 また、津和野の城を作り直し、近世の城郭として生まれ変わらせた。
「津和野を、このつわぶき咲く地を、栄えさせる――これこそが、わが使命」
 望んだ領主という地位を得て、直盛は精力的に藩政に取り組んだ。それは殖産興業や城の防備だけでなく、法や掟のあり方にも及んだ。
「甥の左門が人を斬った?」
 直盛の甥、宇喜多左門。
 かれが怨恨で人を斬り殺した。
 藩主の甥であるため、宥免を期待していたらしいが、それを聞いた直盛は「甥であろうとも厳罰をもって臨む」という断言した。
 これに驚いた左門は、それならばと、直盛の姉の夫である富田信高を頼って逃げた。信高が藩主である宇和島藩に、匿ってもらうことにした。
「これなら大丈夫だろう」
 いくら何でも、他藩の、それも直盛と縁戚の藩主の藩に逃げ込んだならば、もう追っては来るまい。
 そう思っていた左門だったが、直盛の対応に慄然とした。
「藩と藩の問題になった以上、江戸の家康さま、秀忠さまに訴える。ことと次第によっては、一戦も辞さない」
 かくしてこの問題は幕府の取り上げるところとなり、宇和島藩は改易となり、左門は処刑された。
 甥といえども重罪に対しては、厳罰で報いる。そのために、正当な手続きではあるが、幕府に訴えるというおおごとを忌避しない。また、藩の存亡を賭けてまで、突き詰めるという姿勢は、藩の家臣や民に直盛の公平、公正さについて深く印象づけた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

処理中です...