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第三章 大坂の陣
13 賢君・坂崎直盛
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関ヶ原の戦いが終わり、直盛は石見の津和野という地に、三万石を与えられ、独立した大名となった。
これは、戦後、長門と周防の二国のみに改易されたとはいえ、まだまだ徳川の潜在敵である毛利を警戒しての処置と思われる。
しかも、直盛は、戦国時代、毛利の敵であった、宇喜多の出身。
それを、毛利領の背後である、石見に配置する。
「ひどいではないか」
毛利輝元からのその抗議を、家康は軽くかわした。
「何、左京亮、ではない、坂崎出羽守直盛どのから、宇喜多から離れることを望んでおるしのう」
直盛は――関ヶ原までは宇喜多左京亮知家と名乗っていた男は、ついに宇喜多との決別を遂げた。
というのも、宇喜多秀家は直盛のたび重なる説得にもかかわらず翻意せず、西軍として戦う道を選んだ。そして敗北するや、算を乱して逃げ出してしまう。あとに残された明石掃部は、必死で敗勢を立て直し、何とか備前岡山城まで帰ったが、その時秀家は、すでに薩摩に落ち延び、城は空っぽになっていた。
「何ということだ」
掃部は主君の情けなさに愕然とし、そのまま行方をくらましてしまう。
「こんなひどい家は、もうこりごりだ」
かねてから宇喜多という家から離れることを考えていた直盛は、ついに名を改めることにした。
それを聞いた家康は「なら、わしがそれを与えたことにしてやろう」と、気前よく出羽守の官位まで与えた。
かれとしても、毛利への押さえとして、直盛を用いたいという思惑があったため、嬉々としてそれを勧めたのだ。
「家紋までいただけるとは」
その二蓋笠の紋を見ながら、直盛は苦笑した。
それでも、何もかも新たにすることは、良いことだと思った。
「宇喜多にいた者たちは、今となっては世間から負け犬あつかい。なら、この新たな坂崎の家に来るがよい」
直盛は、共に宇喜多の旧臣である戸川達安らと協力して、取り潰された宇喜多家の者を迎えるようにした。
「掃部はいないか」
直盛はある意味、朋友である明石掃部を救うため、関ヶ原での調略や合戦に励んだ。
肝心のその掃部が直盛の津和野に来ることはなかったが、宗矩が情報収集に努めた結果、どうやら、黒田如水に匿われているらしいということがわかった。
「如水どのはキリシタンだった。しかも、母君が明石の家の者だったと聞く」
「なら安心だ」
できれば津和野に迎えたかったが、一度、如水という傑物に匿われた以上、外に出ることは望むまい。
直盛は掃部に対する気持ちを切り替えることにした。
それからの直盛は、津和野藩の治政にいそしんだ。
まず、水はけをよくするために側溝を掘ったが、それが原因でぼうふらが湧き、蚊が発生すると知って、側溝で鯉を飼うことを始めた。
次いで、楮を植え、もともとこの地――石見の特産であった石州和紙の生産に力を入れた。
また、津和野の城を作り直し、近世の城郭として生まれ変わらせた。
「津和野を、このつわぶき咲く地を、栄えさせる――これこそが、わが使命」
望んだ領主という地位を得て、直盛は精力的に藩政に取り組んだ。それは殖産興業や城の防備だけでなく、法や掟のあり方にも及んだ。
「甥の左門が人を斬った?」
直盛の甥、宇喜多左門。
かれが怨恨で人を斬り殺した。
藩主の甥であるため、宥免を期待していたらしいが、それを聞いた直盛は「甥であろうとも厳罰を以て臨む」という断言した。
これに驚いた左門は、それならばと、直盛の姉の夫である富田信高を頼って逃げた。信高が藩主である宇和島藩に、匿ってもらうことにした。
「これなら大丈夫だろう」
いくら何でも、他藩の、それも直盛と縁戚の藩主の藩に逃げ込んだならば、もう追っては来るまい。
そう思っていた左門だったが、直盛の対応に慄然とした。
「藩と藩の問題になった以上、江戸の家康さま、秀忠さまに訴える。ことと次第によっては、一戦も辞さない」
かくしてこの問題は幕府の取り上げるところとなり、宇和島藩は改易となり、左門は処刑された。
甥といえども重罪に対しては、厳罰で報いる。そのために、正当な手続きではあるが、幕府に訴えるというおおごとを忌避しない。また、藩の存亡を賭けてまで、突き詰めるという姿勢は、藩の家臣や民に直盛の公平、公正さについて深く印象づけた。
これは、戦後、長門と周防の二国のみに改易されたとはいえ、まだまだ徳川の潜在敵である毛利を警戒しての処置と思われる。
しかも、直盛は、戦国時代、毛利の敵であった、宇喜多の出身。
それを、毛利領の背後である、石見に配置する。
「ひどいではないか」
毛利輝元からのその抗議を、家康は軽くかわした。
「何、左京亮、ではない、坂崎出羽守直盛どのから、宇喜多から離れることを望んでおるしのう」
直盛は――関ヶ原までは宇喜多左京亮知家と名乗っていた男は、ついに宇喜多との決別を遂げた。
というのも、宇喜多秀家は直盛のたび重なる説得にもかかわらず翻意せず、西軍として戦う道を選んだ。そして敗北するや、算を乱して逃げ出してしまう。あとに残された明石掃部は、必死で敗勢を立て直し、何とか備前岡山城まで帰ったが、その時秀家は、すでに薩摩に落ち延び、城は空っぽになっていた。
「何ということだ」
掃部は主君の情けなさに愕然とし、そのまま行方をくらましてしまう。
「こんなひどい家は、もうこりごりだ」
かねてから宇喜多という家から離れることを考えていた直盛は、ついに名を改めることにした。
それを聞いた家康は「なら、わしがそれを与えたことにしてやろう」と、気前よく出羽守の官位まで与えた。
かれとしても、毛利への押さえとして、直盛を用いたいという思惑があったため、嬉々としてそれを勧めたのだ。
「家紋までいただけるとは」
その二蓋笠の紋を見ながら、直盛は苦笑した。
それでも、何もかも新たにすることは、良いことだと思った。
「宇喜多にいた者たちは、今となっては世間から負け犬あつかい。なら、この新たな坂崎の家に来るがよい」
直盛は、共に宇喜多の旧臣である戸川達安らと協力して、取り潰された宇喜多家の者を迎えるようにした。
「掃部はいないか」
直盛はある意味、朋友である明石掃部を救うため、関ヶ原での調略や合戦に励んだ。
肝心のその掃部が直盛の津和野に来ることはなかったが、宗矩が情報収集に努めた結果、どうやら、黒田如水に匿われているらしいということがわかった。
「如水どのはキリシタンだった。しかも、母君が明石の家の者だったと聞く」
「なら安心だ」
できれば津和野に迎えたかったが、一度、如水という傑物に匿われた以上、外に出ることは望むまい。
直盛は掃部に対する気持ちを切り替えることにした。
それからの直盛は、津和野藩の治政にいそしんだ。
まず、水はけをよくするために側溝を掘ったが、それが原因でぼうふらが湧き、蚊が発生すると知って、側溝で鯉を飼うことを始めた。
次いで、楮を植え、もともとこの地――石見の特産であった石州和紙の生産に力を入れた。
また、津和野の城を作り直し、近世の城郭として生まれ変わらせた。
「津和野を、このつわぶき咲く地を、栄えさせる――これこそが、わが使命」
望んだ領主という地位を得て、直盛は精力的に藩政に取り組んだ。それは殖産興業や城の防備だけでなく、法や掟のあり方にも及んだ。
「甥の左門が人を斬った?」
直盛の甥、宇喜多左門。
かれが怨恨で人を斬り殺した。
藩主の甥であるため、宥免を期待していたらしいが、それを聞いた直盛は「甥であろうとも厳罰を以て臨む」という断言した。
これに驚いた左門は、それならばと、直盛の姉の夫である富田信高を頼って逃げた。信高が藩主である宇和島藩に、匿ってもらうことにした。
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