柳生二蓋笠(やぎゅうにがいがさ) ~柳生宗矩と坂崎直盛、二十五年を越えた友誼(ゆうぎ)の証(あかし)~

四谷軒

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第三章 大坂の陣

19 千姫救出

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 暗い。
 松明の灯りがあるため、かえってそう思える。
 そういう、道だった。
 意外にも広く、天井は高い。
 歩くと、甲冑のかちゃかちゃという音が響く。
 かすかに風を感じる。
 やはり、この先には出口がある。
「いや、入り口か」
 片手に松明、片手に槍を持った直盛の話によると、この先は山里丸だという。
 いざという時は、そこから脱出するしかけらしい。
「しかし太閤殿下のこと。単なる抜け道ではないと思うが」
 そこで宗矩は直盛の前に出た。
 気配がする。
 ひとりではない。
 何人かの。
「誰だ」
 答えを期待しているわけではない。
 機先を制し、相手を止めるためだ。
 ところが相手は答えた。
「われこそは、木村主計かずえ
 木村重成の一族、と名乗った。木村重成は豊臣秀頼の乳兄弟であり、つまりはそれだけ、豊臣家から信頼を置かれている一族の者、といったところだろう。
 直盛がそう考えていると、宗矩が、奴は前田家の臣のはず、とつぶやいた。
「……そうか。これが、太閤殿下の『対策』か」
 直盛は思った。
 いくさの時に、うかうかとこの抜け道を使って来る者を始末する。
 それが、この木村主計の役割。
 だから、いくさの時が来たので、前田家を出て、わざわざ大坂城ここへ来た、ということか。
然様さよう
 主計は抜刀する。彼の配下の七人の侍も、刀を抜いた。
「これある時のために、鍛え抜いたわが精兵。覚悟せよ」
 加えて、七人なら、この狭い抜け道の中でも。囲める。
 それは秀吉の策か、主計の考えかは知らないが、いずれにしても、直盛にとっては脅威だ。
「任せろ」
 宗矩が前へ出た。
 佩刀・大天狗正家が鞘走る。
 そのまま抜刀。
 先頭の侍を、斬って捨てた。
 初撃を取られ、動揺する二人を斬る。
 残り四人。
 ここでけんに徹せられては不利。
 敵中突破で、主計を目指す。
 これには、残り四人も反応する。
 四人のいる空間の真ん中に踏み込んだ宗矩に、同時に斬りかかった。
「……シッ」
 宗矩は、振り向きざまにうしろの二人を斬った。
 そのままたいを伏せ、前の二人をかわす。
 空を斬る刀の下で、回転。
 右にいた侍を、突いた。
 浅い。
 だが、突いたのは右親指。
 刀は持てない。
「ばかめ」
 残ったひとりが、太刀を振りかぶった。
 大上段。
 避けられない。
 ならば。
「何ッ」
 大天狗正家を手離す。
 脇差を抜く。
 跳躍。
 太刀を避け、脇差を思い切り上へ。
「ぐっ」
 侍の喉笛から脳天に突きあげた。
 指を突かれた侍が残っていたが。
「あっ」
 いつの間にか近づいていた直盛が槍で突いて、絶命させた。

「何だと」
 主計は動揺した。
 一瞬で。
 ほぼ一瞬で、長年鍛え上げた精兵たちが死んだ。
 こんなばかなことがあろうか。
「どけ。さなくば、斬る」
 大天狗正家を拾った宗矩が、その剣先を向けた。
 主計は目をいてその剣先を見ていたが、黙ってその場を譲った。
「ほう」
 直盛がわらった。秀吉がたのみにしていた男も、こんなものか。そういう、嗤いだった。
 宗矩は訝しんでいたが、時が惜しいので、前へ進むことにした。
 少し歩くと、先が見えて来た。
 というか、煙が流れてくる。
「火を放ったのか」
 城攻めの常套手段だ。
 おかしくはないが、この抜け道には、かなり危険な展開だ。
主計め、これを読んで」
「そんなことを言っている場合か。急ぐぞ」
 宗矩は駆けた。直盛も走った。
 その視線の先に。
「千姫さま!?」
 豪壮華麗な衣装に身を包んだ、年若い女性が見える。
 脇に侍する武士がいて、それは直盛によると米村権右衛門と言い、大野治長の股肱の臣だ。
「そして大野治長といえば茶々さまの腹心。つまり、ことはそこまで及んだということか」
 大坂方――豊臣家は、もはや死命を制せられた。
 そのため、治長は最後の切り札である千姫を用い、秀頼と茶々の助命を引き出そうとしている。
 直盛はそう読んだ。
 そしてこの時のためにこそ、これまで大坂城の者たちに接近し、ことあるごとに「千姫さまがもし……」と囁いてきた。
 それが活きた。
 この抜け道のことも、茶々なら知っていようし、秀吉から直盛に話したということも聞いていよう。
「よし、あとちょっとだ」
 この時、千姫を目の前にして、直盛はほっと息をついた。
 油断した。
 宗矩は逆に、迫り来る火を警戒し、早くしなければと思った。
 焦った。
 その隙を。
「太閤殿下、太閤殿下、この木村主計、最後の務めを果たしまする!」
 背後から、叫び声。
 何ごとかと思って振り向くと、主計が。
 縄を握っており、その縄を思い切り引っ張った。
 轟音。
 上から。
「何ッ」
 天井が、がぱっと開いた。
 まるで巨鯨のようなそのからのぞくのは、やはり巨石だった。
 大坂城は、巨石の城。
 それは、外だけでなく、中も。
 そうまで思った時、直盛の耳に、宗矩の声が響いた。
「走れ、直盛!」
 同時に千姫のいるあたりの火が燃え上がり、権右衛門が下がらせようとするも、うしろからも火が。
「おのれ」
 直盛は舌打ちしながら走り出す。
 とにもかくにも、千姫を守らなければならない。
 しかし、守れるのか。
 よしんば、守れたとしても。
 あの巨石が。
「巨石」
 そこで直盛は思い出した。
 同時に、宗矩が剣を抜く気配がする。
 大天狗正家を。

 宗矩は、父・石舟斎のその話を、半信半疑で聞いていた。
 天狗があらわれた。
 斬ろうとした。
 斬ったところ、天狗ではなかった。
おおきな石だった」
 嘘をつけ、と思った。
 だが石が斬れていた。
 天狗云々はわからないが、どうやら巨石斬りはほんとうらしい。
「この刀をやろう」
 父は柳生家の跡目と共に、この剣をくれた。
 大天狗正家。
 刀工・正家の手になる、この業物を。

 巨石は上から落下してくる。
 宗矩は後方へ飛び退すさり、巨石が落ちた瞬間を狙った。
 地にたたきつけられて、その衝撃が巨石の中を走る、その瞬間を。
「…………」
 無言で斬った。
 光が走った。
 直盛が一瞬だけ振り向くと、石の真ん中に線が走り、そのまま左右に分かれ、両断されていくのが見えた。
「見事」
 そのまま、見ていたいぐらいに素晴らしく、うつくしい剣筋だった。
 石の切り口も、惚れ惚れするぐらい、まっすぐに。
「そんな」
 一方で主計はたじろぎ、そのまま、そんなそんなと喚きながら、どこかへ消えていった。
 一説によると前田家に戻り、中村と改姓して隠居してしまったという。もしかしたら、豊臣家を守る名誉ある一族である資格を失ったと思い、そうしたのかもしれない。
 宗矩は主計にかまわず、前へ駆ける。
「直盛!」
 権右衛門は千姫を前に押し出したが、それでも火の方が早い。
 直盛は槍も松明も投げ捨て、走った。
「千姫さま!」
 千姫は直盛を見た。
 何度か大坂城へお目見えに参じた直盛――見知った顔に、少し安堵したように見えた。
「伏せて下され!」
 火が襲う。炎が落ちる。
 寸前、直盛は千姫に覆いかぶさり、かのじょを守った。
「さ、坂崎さま」
 千姫が直盛の下からあえいだ。
 直盛は千姫を守ることに成功したものの、火炎を浴び、甲冑にかばわれていない顔面を焼かれてしまった。
「あっ……ぐおおお」
 咆哮する直盛。しかしたじろぐことなく、千姫を抱えたまま後退し、権右衛門と共に、火の届かない、宗矩の斬った巨石のあたりにまでたどりつく。
「坂崎さま、坂崎さま!」
 千姫が叫ぶ。宗矩は、腰に提げていた竹筒から水をかける。
「痛い」
 水がかかると、かえって痛かったらしい。
 だが、笑った。
 焼けただれていた顔だったが、それがわかった。
「千姫さま」
「はい」
「無事ですか」
「……はい」
 千姫は泣いていた。
 おのれの身を挺して、救ってくれた男に。
 だが男はその涙をぬぐって、こう言った。
「若い頃には――そう、貴女と同じくらい若い頃には、この顔でけっこう女を泣かせました。その報いです」
 水も滴る美男でしたので、と、ここで諧謔を口にする。
 直盛は今、一個の傾奇者かぶきものだった。
 誰よりも、かぶいていた。
「行きましょう」
 宗矩が直盛から千姫を受け取り、抱えながら立ち上がった。
 火からは離れたが、熱と煙が凄まじい。
 今すぐここから退散しないと、今度こそ危ない。
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