いつの日か、きみとサンタクロースと

名木雪乃

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出会い編

10 ひとりぼっちの戦い

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 リジーは食事の後、駅前でスーザンと別れ、いつもの時間よりは少し遅くアパートメントに帰って来た。

 まだ<スカラムーシュ>の灯りが一部点いていた。



(ジョンはまだ仕事してるのかな?)

 リジーが店の中を覗きながら通り過ぎようとしたとき、奥のデスクに座って作業していたらしいジョンが立ちあがったのが見えた。


「リジー!」

 ジョンがスタスタ近づいてくる。

(何か用事?)


「おかえり、リジー。今日は少し遅かったんだね」
「うん、同僚のスーザンと夕食をとってきたの」
「そうか。えーと、その、最近お母さんに連絡してる?」
「昨日電話したけど」
「それならいいんだ。独立したばかりのきみを心配しているお母さんを大切にして欲しい。まめに連絡して、安心させてあげるといいよ」
「うん。お母さんから……言われた?」
「いや、違う。なんとなく……そうした方がいいと思っただけだよ」
「そうだね。わかった」
「じゃあ、おやすみ。リジー」
「おやすみなさい。ジョン」

(お母さんを大切にか……うん、そうだよね)



 リジーは部屋の玄関ドアを開け壁のスイッチを手で探り、部屋の照明を点けた。

 リジーの目に黒い艶のある1.5インチほどの物体が、床を横切る姿が飛び込んで来た。


「!!!!!」

 恐怖のあまり息が止まった。

(あ、あ、あ……あれは、人類が滅びても生きながらえることができるといわれているタフなやから!!?)


 どこから入ってきたのか、まだ他にも仲間がいるのか、何を物色していたのか。
 リジーは自分を落ち着かせるように胸に手をあてる。

(……怖い。でも、ひとりなんだ)


 あの手強てごわい虫とひとりぼっちで戦うしかない。

 母から持たされたまさかの時の殺虫剤を使う日がこんなに早く来ようとは。

 自分の顔は、きっと青ざめているだろう。

 短期戦か長期戦か、とにかくひとりでなんとかしなければ。

(私的には、足のいっぱいある長い虫よりはマシ、毛のいっぱいある大きな蜘蛛よりはマシ、大きな蛾よりはマシ! 怖くない、怖くない……ああ、できれば、お願い出ていって。あなたは悪くない。戦いたくないから、どうか出て行って。私があなたに手をかけるまえに)

 リジーは心の中で、まじないのように唱えた。

 無意識にゆっくり玄関ドアを開け放つ。出て行って欲しいという気持ちがそうさせた。

 視線を虫から外さないように用心する。

(身体はあなたよりずっと大きいけど、無力な女子だし。お願い察して!)

 
 次はじりじりと殺虫剤がしまってあるクローゼットに移動する。

(もっと出しやすいところに置いておけば良かった~)


 突然飛ばれたら、確実に悲鳴をあげてしまいそうだ。

 心臓の音がドクドク響く。虫はキッチンの方へ向かい始めた。

 目の端で虫をとらえながら、クローゼットの扉を開けてスプレー式の武器を手にした。



 見ると虫はまだキッチンの床にとどまっている。動く気配がない。

 武器を向けて恐る恐る虫に近づく。

(あなたは何も悪くないけど、ここにいたのが運の尽き。ごめんなさい!)


 リジーは虫めがけて殺虫剤を噴きかけた。

 甘くはなかった。殺虫剤を浴びたにもかかわらず、虫は勢いよくバタバタと逃げ惑う。

「!!!!」

 リジーは声も出ないほど狼狽うろたえて殺虫剤を落としてしまった。

 自分もその場にへたり込んだ。

 虫は今度はキッチンの壁に貼り付いて止まった。

 リジーはって落とした殺虫剤に手を伸ばして掴むと、勇ましく立ち上がり、また虫に向かって噴射する。

 虫はバタついたが、ポトリと床に落ちてきた。


(!!!……)

 声にならない悲鳴が出た。力が抜けしりもちを着いた。

 虫はひっくり返ったが、まだ足が動いている。

 リジーは座り込んだまま容赦なく、さらに液体を吹きかける。

 虫の動きが止まった。


(し、仕留めたの? でも、これをどうすれば……)


 茫然としていると、玄関ドアをノックする音がした。



「リジー、どうかした? すごい音がしてたけど」

「……」

(ジョン!)

 すぐには声が出ない。

 自分が無意識にかなり騒音を出していたんだと気が付き恥ずかしくなった。

 たかが虫くらいで、大騒ぎして……でも……されどこの虫は、女子の天敵である。


 虫の亡骸を前にして、その場にへたり込んでいて立ち上がれもしない。

「リジー!? どうしたんだ? 入るよ!?」

 ジョンの少し慌てたような声にリジーは返事をしようとしたが、虫の足が微かに動いたのを見ると、もう正気ではいられなくなった。意識はあるが思考がついてこない。

「……ジョン」

 震えるようなか細い声しか出なかった。しりもちをついたまま後ずさりすると、背中に何かが当たった。
 びくっとして涙目で後ろを向くと、ジョンがそこにいた。


「悪いけど、勝手に部屋に入らせてもらったよ。なるほど、頑張ったんだね」

 ジョンに頭を撫でられ、腕を支えられ立ちあがろうとしたが、足がもつれた。

「腰が抜けてる?」

 
 力なく動けないリジーをジョンは素早く抱き上げ、リビングの椅子まで運び降ろした。
 リジーはされるがままだった。


「リジーはそこにいて。キッチンペーパーを借りるよ」


 キッチンの方から聞こえる紙のがさがさする音を、リジーはただぼんやり聞いていた。


 戻ってきたジョンは、まだ放心状態で椅子に沈んでいるリジーに、

「もう大丈夫だ。こいつはうちで処分するから。次からは遠慮しないで僕を呼んでくれ。この建物は古いから、たまに出るんだよ」

 と言うとキッチンペーパーの塊を持って出て行った。


(……次……たまに出る)

 リジーはその言葉にただ寒気を感じた。




「あれ? なんで椅子に……あっ!?」

 少しして、リジーは我に返った。

(だ、だ、抱っこされたよね~ジョンに!? 腰が抜けて立てなくて……恥ずかしい。お礼を言うのも忘れたし、もう、何やってるの、私!)

 色々はっきり甦り、今頃羞恥に頭を抱えた。

(実家ではお母さん、こっちに来たら今度はジョンに助けてもらって……情けない。でも頑張ったねって頭を優しく撫でてくれて、大きな手で……いやいや)


 リジーは嬉しい気持ちと安心感に心が満たされたのだが、すぐに自分が子供じゃないと思い出す。

 子供のように頭を撫でられたのは何か釈然としない。

 母やジョンを支えられるくらい、しっかりした大人の女性を目指したい。

 
 リジーはまた新たな決意をした。
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