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出会い編
11 クッキーは何の味?
しおりを挟む翌日、仕事が休みだったリジーは、午後からキッチンでクッキーを作り始めた。
昨夜黒い虫を処分してもらったのと、先日ごちそうになったハワイアンブレッドのお礼に、ジョンに渡すつもりだった。
(ハワイアンブレッドが好きなら、甘い物も大丈夫だよね)
母から伝授されたバター多めのさくさくクッキー。砂糖を少なめにしてくるみを入れたのが、父の好みだったらしい。ジョンは男性なので、父の好みに合わせたレシピで作ることにした。混ぜて焼くだけのシンプルなクッキーだが、とても美味だ。
溶かしたバターに砂糖、卵、小麦粉を順序良く入れ、ゴムベラでさっくり混ぜた。丸いスプーンで形をとって、一口サイズにコロコロと丸める。170度のオーブンで30分ほど焼くと香ばしい甘い香りが広がった。あとは時間をかけて冷まし、最後に粉砂糖をまぶして完成だ。
リジーは待つ間に部屋の掃除や片付けなどを済ませた。
夕方になり、冷めたクッキーに粉砂糖を振りかけ完成させた。
今回も完璧な仕上がりだ。味見をすると、予想通りの出来栄えで満足した。
くるみの歯ごたえも良い。
リジーは、出来上がったクッキーを袋に入れてリボンをつけた。
昨日ジョンに抱き上げられた事を考えると、自然と頬が熱くなってくる。
でも、お礼はしておきたかった。
(平常心、平常心! 私だけ意識したってしょうがない。ジョンはきっと子供を抱えたくらいにしか思ってないよね。悔しいけど……)
リジーは意を決して、階下に降りて行った。
すでに夕方6時を過ぎていた。
<スカラムーシュ>の中をそっとのぞく。お客様はいないようだ。
リジーに気が付いたジョンが、入口のドアに向かって大股で歩いてくる。
「リジー、昨日はお疲れ様」
ジョンはいつもの穏やかで優しい笑みでドアを開けてくれる。
(彼はいつも私に優しい。理由はわかってる。お母さんに頼まれているから……)
「ジョン、昨日は虫を片付けてくれてありがとう! それと前にハワイアンブレッドをごちそうになったままで、何もお礼してなかったし。どうぞこれ。ジョンにあげようと思ってクッキーを焼いたの。甘いお菓子は苦手じゃないよね?」
「ありがとう! 手作りのクッキーなんて、何年ぶりだろう。本当に嬉しいよ。今、店を閉めようと思っていたんだ。中で一緒に食べよう。コーヒーを入れるよ」
クッキーの袋を受け取ったジョンの濃い茶色の瞳が、嬉しそうに揺れた。
ジョンの喜ぶ顔が見られて、リジーも嬉しかった。
「コーヒー、大丈夫だったかな?」
「うん、コーヒー大好き」
「良かった。どうぞ」
「ありがとう」
ジョンが入れてくれたコーヒーの良い香りが広がる。リジーはジョンと同じテーブルにいるのが、なんとなく気恥ずかしかった。しかもこのテーブルは、リジーがアレをつけてしまったいわくつきの物だ。
クッキーが紙袋から、用意された白いシンプルな皿にコロコロと出された。
ジョンの表情が微かに固まったが、すぐに和らいだ。
それを見逃さなかったリジーは、どうかしたのかと少し不安になった。
「いだだきます」
ジョンが、クッキーを口に入れた。
味をかみしめるように、口をゆっくり動かし飲み込んだようだ。
「すごく、……おいしいよ。くるみが入っているんだね。……懐かしい味がする」
「!……」
リジーは息を飲んだ。
ジョンの瞳が潤んだようにみえたからだ。
だが、彼が顔をそらしたのでわからない。
リジーはコーヒーを飲んで、ジョンを見ないようにした。
沈黙の時間はわずかでも長く感じる。コーヒーはあっという間に飲み切ってしまった。
自分よりずっと年上のジョンが、一瞬見せた涙をこらえるような表情に衝撃を受けた。
それを悟られるのはジョンも嫌かもしれないと思い、リジーはつとめて自然に言葉を繋いだ。
「このクッキーは、母が作る唯一のお菓子なの。くるみは父のリクエストで入れるようになったんだって」
手元のマグカップを見たままで言った。
「くるみが香ばしいね。甘さも控えめだし、サクサクですごくおいしいよ」
(いつものジョンに戻ってる? 見間違いだったのかな?)
「でしょう? 父はこのクッキーが好きすぎて、母がなかなか作らないから、結局自分で作って食べていたそうなの」
「へえ……。そうだったんだ」
ジョンは微笑んでいるのに寂しそうな遠い目をしている。
リジーはそんなジョンを見て、胸の奥が少しチクリと痛む。
「コーヒーごちそうさま。部屋の片付けをするから、もう失礼するね」
リジーは椅子から立ち上がった。
「美味しいクッキーをありがとう、リジー」
「気に入ってくれてよかった。また食べたくなったら作ってあげる」
自分の部屋に戻ると、リジーは大きく深呼吸をした。
初めて見るジョンの深いところの感情、遠い瞳。
(ジョンは私が店を出るときに、振り返ったことにも気が付いていなかった。ずっとクッキーだけを見て物思いに耽っていた。食べるまではあんなに嬉しそうだったのに。美味しいって言ってくれたのに。クッキーは何の味がしたの?)
♢♢♢♢♢♢
ジョンはリジーの作ったクッキーを瞬きもせずにただ見つめていた。
古い記憶が脳裏に浮かぶ。
家族3人でこのテーブルを囲んで、父親が焼いたクッキーを食べた。
懐かしい幸せの味がして、こみ上げる苦い想い。
リジーに気づかれただろう。
目頭が熱くなったことを。実は過去を引きずっている情けない男だということを。
昨夜、虫退治に精根尽きて腰が抜けたリジーを抱え上げた時、その柔らかな重みに目が覚めた。
彼女はもう、子どもではない。
平静を装い、とにかく急いで彼女の部屋を出た。
気付きたくなかった現実。
自分の心はこれからどこへ向かうのだろう。
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