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ハロウィーン編
54 限界
しおりを挟む「リジー、おかえり」
ジョンが屈んでリジーに手を差し出す。
「ジョン……」
(どうしてジョンの顔を見るとこんなに安心するんだろう)
自分はすごく情けない顔をしながら、ジョンの手に縋ろうとしている。
(こんなひどい状態の私なんて、見られたくなかったのに)
「少し前にマリサから連絡をもらった。さっきはまだ納品から戻ってなくて、迎えに行けなくてごめん。辛かったろう?」
(優しい声で謝らないで。泣きそうになるから)
突然身体が浮いて、リジーは驚いた。
ジョンに抱き上げられたのは何度目だろうと思う。
今は辛い身体をジョンに預けるしかなかった。
「彼女を送ってくれてありがとう」
タクシーの中から様子を見ていたカイルに向かって、ジョンが礼を言った。
「おまえに礼を言われる筋合いはねえよ。同僚だからな。スーザン、待っててやるから少し手伝ってやれ」
「了解」
スーザンはリジーが落としそうになっている鞄を持った。
ジョンはリジーを抱えたまま、スーザンと共に2階へ上がった。
「リジー、ごめん、部屋の鍵を探すから、バッグを開けさせてもらうよ」
スーザンはリジーの鞄から鍵を探し出すと、部屋のドアを開けた。
部屋へ入ると、ジョンは奥のベッドまで行って、リジーを降ろした。
「ごめんね、ありが……とう……」
リジーは短い呼吸を繰り返し辛そうに身体を折り曲げている。
「スーザン、僕は店を閉めて来るから、少しリジーを頼む」
「わかった」
♢♢♢♢♢♢
ジョンがリジーの部屋に戻ると、スーザンがひとり途方に暮れていた。
「リジーが……バスルームにひとりで籠って出てこないのよ。なんとか楽な部屋着には着替えさせて、水は飲ませたんだけど、吐き気はまだ治まらないみたい。悪いんだけど、私はこれで……」
行きかけたスーザンが立ち止まった。
「ありがとう、スーザン?」
「リジーの事、頼んで良いんだよね。本当にその気がないなら、私、ここに残るけど……」
ジョンはスーザンに真意を問われていると、気が付いた。
「……」
ジョンは返事に窮していた。
「まったく、ハロウィーンの時はせっかく甘い罠をしかけて背中を押してあげたのに、鉄の理性でくぐり抜けたでしょ。ほとんどの女の子はね、男に抱き上げられた時点で、その人は自分の運命の相手じゃないかと思うんだから、責任取って。ぼやぼやしてると誰かに横取りされちゃうよ!」
そう言って、スーザンはジョンの返事を待たずに部屋から出て行った。
♢♢♢♢♢♢
スーザンは足早にカイルの待つタクシーに戻って来た。
「お待たせ」
後部座席に乗り込んで来る。
「あいつは?」
カイルはすかさず尋ねた。
「リジーの事?」
「具合は?」
「酷そうだね。でも、ジョンがついてるから大丈夫でしょ」
「そうか……」
「カイルってリジーの名前呼ばないよね。恥ずかしいの? いい大人が」
「ば、馬鹿にするなよ! 小娘が」
「好きなんでしょ? リジーのこと」
「違う」
カイルは心して無表情で言ったつもりだった。
「残念だね」
「だから、違うと言ってる……。しかし、あの男は化け物か? しゃがみ込んでる娘を軽々抱え上げたぞ。おまえも唖然として見てただろう」
「ああ、私もあれには驚いた。いくらリジーが小柄とはいえね。すごい力だと思った。愛のなせる業?」
「……あいつらには何か強い絆があるように感じる。ほかの誰も断ち切れない……」
その何かに自分は阻まれた気がする。
(あの男に負けたとは思っていない)
「そうだね。運命っていうのも憧れるけど、私はまだまだ気楽に遊びたいなあ。ボーイフレンドはいるけどね」
「生意気だな。まだ小娘のくせに」
「そう、まだ小娘だから、色々恋愛経験もしたいかなって思うんだ」
「小悪魔……」
「そうだよ。私は冷たくされるともっと優しくして欲しい、かまって欲しいってねだるし、でもあんまり尽くされると引いちゃうの。そんな小悪魔です! て、みんな女の子は似たり寄ったりだと思うけど。そういえば、カイルと普通に会話するの初めてじゃない?」
「そうか?」
「リジーが来てから雰囲気が優しくなったよね。前は目つきも仕草ももっとずっと冷たくて鬼みたいに怖かったもの」
「鬼か……」
「そう、リジーがいれば鬼に金棒だったのにね。まあ、今は多少は良い感じにソフトになったし、きっとそのうちかわいい彼女ができるよ」
「おい、馬鹿にするのもいい加減にしろよ。首絞めるぞ」
「怖っ、やっぱり鬼だ! 馬鹿にはしてないです。すみません~」
「あの~、どこ行きますか?」
タクシーの運転手が、とうとう待てずに聞いてきた。
♢♢♢♢♢♢
バスルームからリジーの辛そうに呻く声がする。
「リジー、大丈夫かい? 開けるよ」
ジョンがバスルームのドアを開けると、リジーがバスタブに凭れかかりぐったりしている。
「ジョン、私、大丈夫だから、帰っ……て」
バスタブの縁に手をつき、立ち上がろうとするリジーがふらついて、前のめりになる。
「危ない!」
咄嗟にジョンは両手を伸ばした。
バスタブに真っ逆さまにならずにすんだが、リジーの両肩と腹部を後ろから抱えることになり、薄い部屋着だけの柔らかい身体にジョンは狼狽えた。
「ごめん……リジー」
リジーは荒い呼吸のまま、気にする様子もない。
力のない手でジョンの腕を押しのけて、バスタブの脇にまた座り込むが、
「うっ……」
吐き気の波が来たらしく、バスタブに身を乗り出し、液体を吐き出した。
「リジー、大丈夫か?」
思わず両肩を支えると、リジーの肩がびくりと揺れた。
「もうひとりにして……お願い、帰って」
リジーはうつむいたまま、消え入りそうな声を出した。
「だけど……」
「ジョン、お願い……」
「…………わかった……帰るよ。動けるようになったら部屋のドアの鍵をかけて」
ジョンは自分の立場での限界を感じた。
♢♢♢
ジョンの足音が遠ざかるのを、リジーは背中で聞いていた。
(口の中が気持ち悪い。こんな姿、ジョンに見せたくなかったのに。目の前で吐くなんて最悪。百年の恋だって、これじゃあ醒めるよね。悲しい。苦しい)
リジーは牡蠣を呪った。
しばらく、バスタブの縁に伏せたままでいたが、水っぽい液体を吐いた後はえずくことなく、吐き気が少し治まってきた。
ほっと胃のあたりに手を当て、はたと気づく。
(あれ? ノーブラ? そうだ、帰ってきて朦朧としながら着替えた時、苦しいから外したんだった)
リジーは頭の中がぐるぐる回った。
さっきふらついた時、ジョンに支えてもらったあたりに腕を回してみて顔から火を噴いた。
(お、お、お腹の肉付きを知られた! うわ、絶対胸も当たってるし~うあ~ん。恥ずかしい!! ジョンからなんだかごめんって謝られたのは、そういうことだったのォ~? もう、いやあ~!!!)
リジーは今度は羞恥で悶えることになった。
♢♢♢
ジョンは、まだリジーの部屋の外にいた。ドアの鍵をかける気配がないので、心配だった。
ジョンは自分自身の望みが抑えられなくなってきているのをはっきり意識した。
彼女に触れる度に、膨らんでくる想い。
最初はただ彼女の幸せを願っていただけだったのが、それが今では。
彼女は自分の欠けていた心の隙間に、スッと収まって、外せなくなっている。
『リジーの事、頼んで良いんだよね』
『私の幸せが、ジョンのそばにいることだって言ったら迷惑?』
『おまえが今望んで手に入れなきゃ、あの子は離れて行く』
目をきつく閉じても、自身にとっては誘惑でしかない言葉が、次々とジョンの心に蘇ってくる。
(もう限界だ。どうしたら……)
『ジョン、きみには幸せな夢を見て欲しい』
(父さん、……僕は……)
ジョンは、ドアの外で壁を背に力無く座り込む。
(リジー、きみが辛い時は、少しでもきみの近くに、そばにいる)
明け方近く、リジーの部屋に鍵がかかる音がするのを聞くと、ジョンはようやく立ち上がった。
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