オールバックを辞めない

lacconicksou77

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憂喜美波 3

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 次の日の昼休み。いつもならチャイムと同時に机にお昼ご飯を広げる伊勢谷君が、お昼を持って、任務の最中の忍びのように、教室から出て行っていた。
 昨日のことで教室にいづらくなったのだろうか。どこへ行くのか私は気になっていた。
「美波。食堂行くよ~」
「ごめん。夏帆、結衣。ちょっと調子悪くて。保健室行ってくる」
 私は咄嗟に嘘をついた。
 ついて行こうか?と心配してくれる二人に、大丈夫だからと言って教室を出た。
 伊勢谷君の思考が読める訳ではなかったが、どこにいくのか、なんとなく目星はついていた。
 今まで一人で食事をしていたのだから、わざわざ食堂や中庭は選ばないだろう。昔の私なら学校という場所で一人になりたい時はトイレを選んでいた。もしトイレなら私が入れる訳もなく、諦めるしかないが、食事をするのだからトイレではない別の場所ではないかと推測する。
 転校して間もない伊勢谷君は、校舎全てにまだ足を運んではいないだろうから、伊勢谷君がこれまで足を運んだ中で、一番一人になれそうな場所。昔の私なら、屋上を選ぶ。
 その推測はおおかた当たっていた。正確には屋上ではなく、屋上に向かうための扉がある踊り場だったが。扉の前の段差に腰掛けて、小説を片手にパンを食べていた。突然現れた私の姿に、伊勢谷君は咥えていたパンを喉の詰まらせそうになったのか、咳き込んでいた。
 屋上にいると思い込んでいた私も、扉の前で一呼吸置いて、頭の整理をしてから伊勢谷君と対面するつもりでいたから、軽くパニックになって言葉がなかなか出ずにいた。ランニングをしている時のように鼓動が早くなっているのを感じる。
 伊勢谷君は持っていたカフェオレで、食道に停滞していたパンを胃へ押し込むと、右手に小説を開きながら、続きのパンをは食べ始めた。私は言葉を見つけた。
「その小説。いつも読んでいるよね。誰の何て作品?」
 伊勢谷君は小説に目を落としたままで反応しない。
「昨日はあの後、大丈夫だった?お昼休み。冴え…三人組に囲まれてたよね?それでここで食べてるの?」
「……」
「というか、小説二冊同時に読んでるの?昨日ちょっと見ちゃってたんだよね」
「……」
 何も反応しない伊勢谷君に私は次の行動に出た。
 伊勢谷君の隣に腰を掛けて近付く。何か特別なことをしようとしたわけではない。物理的に距離を縮めて話をしようとしただけだ。しかし、伊勢谷君は不快に思ったのか、距離を空けて壁際まで移動してしまった。
 プライドが高いと自分で思ったことはない。ただ、実績を積み上げてきたことによる自信があっただけだ。まるでバイ菌のように扱われたと感じた私は酷く自尊心を傷付けられた気持ちになった。今まで私が近付いて、距離をとった人間などいなかった。
 だが、そんな伊勢谷君の行動を見て私は悟った。やはり伊勢谷君は昔の私なのだ。
 一人でいたいと考える人間にとっては、どちらも同じなのだ。
 差し伸べられた手も、殴りかかろうとする手も。好意も、悪意も。私も、冴えない三人組も。一人でいたいと考えている人間にとってはどちらも〔邪魔者〕でしかないのだ。誰とも関わりたくないと考えているのだから。昔の私もそうだった。伊勢谷君もそうなのだろう。
 でも、だったら尚更。早く教えてあげないとという気持ちに私は駆られた。コーナーに追い込んだボクサーさながら、壁際に移動した伊勢谷君に私は詰め寄った。
「聞いて、伊勢谷君。貴方は一人で生きていきたいのかもしれないけど、この学校という世界で、それは無理なのよ。一人でいるといつか迫害を受けるの。私も昔はそうだったの。貴方みたいに、一人で生きて生きたいと思ってた。一人が好きだったの。でもそれをこの世界は許さなかったわ。私は酷いいじめを受けた。貴方もこのままだとそうなる」
 伊勢谷君は小説に目を落としたままだが、耳はこちらに傾けている気がした。私は続ける。
「そうならないためには、カーストのどこかに属する必要があるの。貴方の前の学校にもあったでしょ?階級によって待遇は違うだろうけど。どこかに居場所を確立すれば、迫害は受けなくて済むし、仲間がきっと出来るから。属する方法は……。まあ、いろいろあると思う」
 全てを話してしまうと伊勢谷君のためにならないのではないかと思った私はそこで話を辞めることにした。「だから、頑張ってね」それだけ言って、教室へ戻ろうと立ち上がって階段へ向かった。そしてひとつだけ重要なことを思い出して振り返った。
「そうそう、その髪型。かっこいいし、気に入っているのかもしれないけど、辞めた方がいいと思うよ。目立つし、目を付けられるから」
 私は皮肉の意味でかっこいいという言葉を使った。前を向いて階段を降りる。言えることは言った。伊勢谷君が私のような目に遭わなければいいという思いは本心だが、もうこれ以上干渉するのは辞めておこうと思った。
「俺は……!」
 階段の中腹まで降りたところで、声がして振り返る。
「オールバックは、辞めない!」
 小説に視線を落としたまま、伊勢谷君が細い声でそう言った
 私はなんだか、腹の底から黒い感情が湧いてくるのを感じた。


「先生はなんで、伊勢谷君のこの髪型を認めているんですか?」
 授業後のホームルームの時間。私は席を立って、担任に向かって発言した。「ちょっとどうしたの?」と夏帆と結衣が見つめてくるが、私は構わず続ける。
「伊勢谷君のこの髪型、校則違反ですよね?最初は校則が分からなかったとしても、もうすぐ転校してきてから一週間経ちます。なんで学校側は本気で辞めさせようとしないんですか?」
 伊勢谷君のことをホームルームで話題にしたのは、せっかくの私の言葉が何も響かない伊勢谷君に対して腹が立っていたのもそうだが、結局は、一度痛い目を見た方がいいと思ったからだ。
 私の立場の人間が、大ぴらに話題に出すとどうなるかは目に見えている。
「い、いや。僕たちも…。それなりに色々声を掛けてはいるんだけど…」
 担任の吉田がおどおどと答える。突然意見を言い始めた私をめんどくさく思っているのは、吉田の態度から他のクラスメイトにも分かっただろう。
 私は導火線に火を付けた。
「伊勢谷君のこの髪型を認めているんだったら、私達もどんな格好をしてきても良いってことですよね?」
 私がそう言うと「そうだそうだ」「おかしいだろ」とクラスの面々が口々に抗議の声を上げ始めた。
 一度火をつければ、後は勝手に燃える。私は椅子に腰を下ろしたが、クラスの抗議の声は次第にヒートアップする。吉田は目眩でも起こしたのか、フラフラしながら耳を塞いでいる。
 やがて耐えきれなくなった吉田が、まるで他人事のように小説を読んでいた伊勢谷君の席に近付き、読んでいた小説を取り上げた。机の中から取り出した小説も取り上げる。
「小説なんか読んでないで周りを見てみろよ。お前のせいで、こうなるんだよ。なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ。オーーールバックを辞めろーーー」
 吉田から今まで聞いたことのない大声にクラスは一瞬鎮まった。すると今度は、吉田に向けていた抗議の声が伊勢谷君へと向けられる。「調子に乗るなよ」「かっこ悪いんだよ」「さっさと辞めろ」「この学校から出て行け」もはや誰の声かも分からないほどの声が飛んでいる。
「俺は!!!!!」
 伊勢谷君は黙っていたがやがて全てのヤジを掻き消すような大声を上げた。そして立ち上がる。クラスの面々に視線を送る。何を考えているのか読めない表情だが、眼光はいやに鋭い。燃え盛っていた炎が一瞬にして完全に鎮火されていた。
 そして、伊勢谷君の視線は、私のところで止まった。
「オールバックを辞めない!」
 伊勢谷君は吉田の手から小説を奪い返して鞄にしまうと、教室を飛び出していった。
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