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第0章(お試し版) 黒猫少女と仮面の師
30.黒猫の反撃
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どこか遠くから響いてくる爆発音を、障害物の端から覗かせた耳で捕らえ、大体の距離を測る。
その音の発信源が、走っても数分かかるような遠さである事を確認し、シオンはひょっこりと顔を覗かせる。
「……出てきても大丈夫、多分」
「多分って…」
そろそろと足音を立てないよう、細心の注意を払って通りに出るシオンに、彼女の後ろにいたティガとレノンが怯えた顔で後に続く。
あちこちに飛び散った瓦礫に硝子の破片。踏んだり蹴飛ばしたりすれば、結構な音が出るそれらに気を付け、ゆっくりと通りを進む。
先ほど街中に響き渡った放送、それに従い、避難できる施設を目指して微々たる速度で前進する。
「あと、どれくらいだ…?」
「一番近い所で……西美術館だから、500m先だよ。でもあいつらがそこかしこに潜んでいるかもしれないから、体感的には倍ぐらいかも……」
レノンが拾った地図を手に、周囲を気にしながら告げると、ティガは悔し気に歯を食い縛る。
重要な文化財を保存してある美術館や博物館は、籠城するには最適の場所であるのだが、敵影を確かめながら向かうとなると非常に困難な道のりとなる。
盾にできるようなものが見つからなかった少年達には、身を潜めながらゆっくり進む事しかできないのが、歯痒くて仕方がなかった。
「な、なぁあんた? あんたの師匠は助けに来てくれないのか? 強いんだろ?」
「……『この程度の事、自分で何とかしろ』って言われると思う。師匠、鬼だから」
「な……!?」
機体を寄せてシオンに話しかけるが、冷や汗を垂らして答える少女の姿に思わず絶句する。
このような非常事態において、弟子を心配するどころか窮地に置き去りにするような人物に、そしてそう考える弟子の精神に、ティガもレノンも唖然となる。
「まぁ、本気で危ない…どうしようもない状況になったら流石に助けてくれる……はず」
「筈って……」
自信なさげに目を逸らすシオンに不安を覚え、数歩分距離を空ける少年達。
今一つ頼れない少女の言葉に、このまま共に行動して大丈夫なのか、という不安に苛まれる。
「と、とにかく今は急がないと。何処からあいつらが出てくるかわからないし」
ごまかしのつもりか、早口で喋り歩幅も大きくなるシオン。じとりと疑わしげな目を向けられている事も無視し、瓦礫を避けて前だけを目指す。
少年達は互いに目を見合わせ、少しの間悩む素振りを見せてから、渋々と言った表情でシオンの後に続く。頼りなくとも、人数は多い方が気持ちが落ち着くためだ。
避難場所はまだか、一刻も早く辿り着かなければ、と焦りを無理矢理抑え込む。
幾つもの建物の間を抜け、交差路を慎重に進み、息をひそめたまま一歩ずつ目的地へ近づいていったその時。
ある分かれ道を曲がろうとして、銃を持った3人の男達とばったり鉢合わせしてしまった。
「―――あ…!」
「! い、いたぞ! 亜人の餓鬼共がいた!」
さっと顔面を真っ青に染め上げるシオン達に、男達もぎょっと目を見開きながら、しかしすぐに我に返って銃を構える。
シオン達は慌てて踵を返し、男達の魔の手から逃れようと走り出すも、男達の指は既に引き金に掛かっている。
万事休すか、と少年少女達の目を絶望が覆い、銃弾が籠もった銃口を思わず凝視し。
「死ね! 出来損ないの屑共―――」
「お前が失せろ、塵共」
ばきん!と。
醜悪な笑みを浮かべていた男達が真っ白に染まり、彫像のように固まる。
全身を凍り付かされた男達は、何が起こったかも理解できないまま命を絶たれ、近付いてきた黒衣の魔女に突かれただけで、粉々に砕け散ってしまう。
「ぐえ! …あ、あれ?」
「ししょ……フギャ!?」
撃たれると思い込んでいたティガとレノンは、驚愕で躓き前のめりに倒れ込み、シオンははっと息を呑み、やはり躓いて尻餅をつく。
どさどさともつれ合う三人に、師が冷めた目を向ける。
「……まだこんな所にいたのか、馬鹿弟子」
「! 師匠、いつの間に……」
体を起こし、冷たく自信を見下ろしてくる師を凝視し返すシオン。
彼女の言葉を聞き、転んだ際の痛みに呻いていたティガとレノンがはたと固まり、次いで信じられないものを見る目をシオンに向ける。
「は…はぁ⁉ お前の師匠って……アザミ女史―――」
「さっさと立て。まったく、お前はどこまで己の手を煩わせれば気が済む…」
「……命辛々ここまで来たのに、師匠はやっぱり無慈悲な鬼」
頬を膨らませ、億劫そうに立ち上がるシオンとそれに鼻を鳴らす師。
二人を交互に凝視し、ティガとレノンは言葉を失くす。どうにも前を任せきれない、実力不足が否めない少女が、学園の特別講師を務めるような人物の弟子であったなど、誰が想像できただろうか。
つい最近、眼帯の魔女と直接話をした少年達は、今自分が前にしている光景が現実の物かどうかさえ疑っていた。
「さっさと行け。ここらの連中は片づけておいた……生き延びたければ、走れ」
「は、はい! ……あの、何か、言葉遣いが…? って!」
「あの…! そっちは危ないですよ!?」
以前話した時とはまるで異なる、乱暴さが目立つ物言いになった魔女に、ティガが困惑の目を向けるも、師は一切構う事なく彼らに背を向けて歩き出す。
避難場所である美術館の方向ではなく、暴動集団が大勢蔓延る現場へ向かう師に、二人は慌てて立ち上がって声を上げる。
「ま、待ってください! いくらアザミ女史でも、そこら中にいる連中を全て相手にするなんて無茶ですよ! もっと……人を集めてから向かった方が!」
「邪魔だ。いない方が心置きなく暴れられる……だから、お前達はさっさと去れと言っている」
騒ぐティガに、師はぎろりと鋭い目を向けて、拒絶の意思を告げる。
気怠さばかりが目立った彼女からは考えられない、冷たく隔意に満ちた目を向けられ、ティガもレノンも思わず口を噤んで黙り込む。
静かになった彼らを放置し、師は無言で騒乱の中心……学園に向けて歩き出す、が。
「待って、師匠。……私も戦うよ」
シオンのそんな言葉が聞こえ、師の足が止まる。そして、鬱陶しそうに顔を歪めながら、弟子に振り向き睨み返す。
杖を握りしめたシオンは、師を見つめてふんふんと鼻息を荒くし、決意を示していた。
「師匠、私、やられっぱなしじゃ気が済まないよ。雑魚処理ぐらいなら一緒にやらせて」
「……聞こえなかったか、邪魔だから疾く失せろと言ったのだ」
「邪魔はしない。師匠の邪魔をしそうな連中を、一人でも多く削ろうと思ってるだけ……師匠は思いっきり暴れればいい」
何処からその自信がわいてくるのか、胸を張って闘志を見せつけるシオンに、師は呆れた様子で天を仰ぐ。この非常時に、いつも通りの態度を見せる弟子に軽く頭痛を覚えているようだ。
「あの童共はどうする。お前が見つけて連れてきた連中だろう」
「師匠、この辺りの連中は皆掃除してきたって言ったじゃない。だったらもうあの二人だけでも大丈夫でしょう?」
「…無責任な奴め」
平然とそんな事をのたまうシオンは、ティガとレノンが思わず後退るのにも気づいていない。
師が師なら弟子も弟子か、と慄く二人を見やり、しばらく考え込む様子を見せた師は、肩を深く落とし項垂れる。
そして、自分の腰に手を回すと、折り畳まれた金属の塊をシオンに差し出した。
「! …これ、師匠の杖?」
「貸してやる……市販品の杖ではそう長く持つまい。…だが最後までそいつらを送り届けなければ、渡さん」
眩く輝く宝石や、希少な功績を使って作り上げられた師の持ち物を見下ろし、シオンがごくりと息を呑む。
師は金属の塊の一部を握り、一度強く振る。すると金属の塊が展開し、長い柄と斧のような刃がついた、シオンの背丈よりもはるかに長い杖に変わる。
おずおずと手を伸ばし、ずしりと重い杖を受け取った弟子は、師を見上げて力強く頷いてみせた。
「……わかった。先に送り届けてから暴れてくる」
「違うなよ……もし放置したならば、尻の皮が破けるくらいに叩きのめしてくれる」
「やー、師匠の助平……あ、ごめんなさい。ちゃんと守ります。冗談です、許してください……」
ぎろり、と殺気の籠った目で睨まれ、慌てて首を横に振る。
やると言ったら本気で仕置きをするであろう師に、ぺこぺこと必死に頭を下げ、ふざけた事を詫びる。
そうしてようやく、師はやや苛立った様子ながら、シオンと少年達を置いて改めて歩き出した。
「せいぜい死ぬなよ……あの愚か者共に命を奪われて終わるなど、勿体ないとしか言えんからな」
少年達への、彼の者なりの激励を送り、師は騒乱の真只中へ消えていく。
少年達は始終呆けた様子を見せていたが、やがて顔を引き締め、師の背中の深々と頭を下げる。彼の者の姿が見えなくなるまで、彼らは礼をし続けた。
「ん…よし、じゃあ先へ進もうか」
師が遠く見えなくなった時を見計らい、シオンがティガ達に話しかける。
しかしティガ達はそれに胡乱気な目を向け、困り顔で首を傾げる。
「……本当に、お前で大丈夫なのか? さっきの女史とのやり取り見たら、なんか不安に思えてきたんだけど……」
「む、問題無いに決まってる。こうして師匠も送り出してくれたんだし、大丈夫に違いない」
胸を張る黒猫の少女だが、ティガ達の視線は疑わしげなまま変わらない。
周辺の掃除は完了した、と魔女が言っていたためそこまで不安になっていないのだが、実力や正確に不安を感じる少女が一緒だと思うとどうにも落ち着かないようである。
人選に不満を抱かれていると察したシオンは、むっとした顔でティガ達を睨み、受け取った杖を掲げて仁王立ちしてみせる。
「師匠愛用のこの杖を借りた私に、資格はな―――」
もはや敵はなし、とでもいうように腰に手をあてて告げようとしたシオン。
だが、彼女が言いきる直前、突如真っ赤な光が辺りを照らし、凄まじい衝撃と熱が彼らに襲い掛かった。
「い―――!?」
シオンの背後に着弾した、巨大な炎の爆弾。シオンとティガ達は爆発に吹き飛ばされ、無数の破片と共に地面を転がされる。
きーん、と耳鳴りが止まらない耳を抑え、困惑した表情のまま体を起こしたシオン達は、炎の砲弾が飛んできた方へ目をやり、やがて驚愕に目を見開いていく。
ゆっくりと、上質な外套を翻して近づいてくる、一人の男を視界に映して。
「―――ようやく見つけたぞ、薄汚く卑しい雌猫…!」
煙を吐く蛇の意匠の杖に、金ばかりをかけた派手な衣服。
香油で整えた髪と、染み一つない肌を見せつける男―――ジェダが、まるで化け物の様に歪んだ悍ましい笑みを浮かべ、シオンに向けて近づいてきていた。
思わぬ人物の登場に、シオンとティガ達ははっと腰を浮かして驚く。
「あいつ…! 退学になったって聞いた後、全然姿を見せなかったのに…!」
「……なるほど、あいつもこの一件に関わってた一人なのか」
混乱するティガとレノン。眼を鋭く尖らせ、近付いてくる因縁深い男を睨みつけるシオン。
ジェダは彼らを見据えると、蛇の杖を高く掲げ、自身の周囲に十以上の炎の砲弾を生み出していく。
シオンはすぐに我に返り、固まっているティガ達を横に蹴り退かし、自身も真横に飛び退く。すると、彼女達がいた場所に砲弾が炸裂し、真下の石畳が粉々に吹き飛ばされた。
「雌猫の分際で…! 私を虚仮にした報いだ! 躾のなっていない獣は処分するに限るな! ははは!」
「……! 誰が主人で誰が獣だ、糞野郎…!」
土煙が舞い上がる中、シオンはぶるぶると頭を振りながら、髪についた砂埃を振り払う。
ぺっ、と口の中に入った砂を唾と共に吐き捨て、自身を狙い杖を掲げる男を鋭く睨み返す。以前の揉め事をまだ根に持っているのか、倒れたティガ達には目もくれずにシオンだけを狙い続けている。
「自業自得って言葉を知らないのか…! 人の制止も聞かずに好き勝手暴れたお前が一番悪い」
「黙れ! 全ての原因は貴様にあるのだ! 貴様が存在してさえいなければ、私は学園を追い出され、父上に蔑まれるという屈辱を受けずに済んだのだ! 私を貶めた貴様に全ての責任があるのだ!!」
呆れた目を向け、正論を吐くシオンにジェダは激昂し、唾を吐き散らして吠える。
彼の怒りを表すように、周囲に浮かぶ炎が一回り大きさを増し、さらなる熱の上昇と共に次々にシオンに迫る。
「ふんっ! …聞く耳持たずか、鬱陶しい奴め」
夜の闇を真っ赤に照らす炎を、軽々と宙返りをして躱したシオンは、破壊された石畳や建物を見て冷や汗を垂らす。
油断して一発でも喰らおうものなら、自身は容易く黒焦げにされ、跡形もなく弾け飛ぶ事になるだろう。ほんの一瞬も油断ができなくなってしまった。
「お、おい! 何やってんだ! 早く逃げろよ!」
「……上等。お前とは一度、ちゃんと決着をつけておかなきゃいけないと思ってた」
遠くから叫ぶティガや、不安げに見つめてくるレノンを無視し、シオンはすっと目を細める。
師の杖を片手に、ひゅんひゅんと軽業師のように巧みに、素早く振り回し、自分の手に馴染ませていく。重さに慣れ、形をこの場で覚えていく。
そしてやがて、杖を両手で掴むと、斧の刃を突き出すように構え、憎き男を鋭く見据えた。
「掛かってこい、三流。その伸びた鼻、圧し折ってやる…!」
虎人と犬人の少年達が、大声で呼び止め止めようとする中、杖を構えて勇ましく宣言する黒猫の少女。
そんな彼女に向けて、悪意に満ちた男の操る無数の炎が彼女の視界を置い、一斉に襲いかかった。
その音の発信源が、走っても数分かかるような遠さである事を確認し、シオンはひょっこりと顔を覗かせる。
「……出てきても大丈夫、多分」
「多分って…」
そろそろと足音を立てないよう、細心の注意を払って通りに出るシオンに、彼女の後ろにいたティガとレノンが怯えた顔で後に続く。
あちこちに飛び散った瓦礫に硝子の破片。踏んだり蹴飛ばしたりすれば、結構な音が出るそれらに気を付け、ゆっくりと通りを進む。
先ほど街中に響き渡った放送、それに従い、避難できる施設を目指して微々たる速度で前進する。
「あと、どれくらいだ…?」
「一番近い所で……西美術館だから、500m先だよ。でもあいつらがそこかしこに潜んでいるかもしれないから、体感的には倍ぐらいかも……」
レノンが拾った地図を手に、周囲を気にしながら告げると、ティガは悔し気に歯を食い縛る。
重要な文化財を保存してある美術館や博物館は、籠城するには最適の場所であるのだが、敵影を確かめながら向かうとなると非常に困難な道のりとなる。
盾にできるようなものが見つからなかった少年達には、身を潜めながらゆっくり進む事しかできないのが、歯痒くて仕方がなかった。
「な、なぁあんた? あんたの師匠は助けに来てくれないのか? 強いんだろ?」
「……『この程度の事、自分で何とかしろ』って言われると思う。師匠、鬼だから」
「な……!?」
機体を寄せてシオンに話しかけるが、冷や汗を垂らして答える少女の姿に思わず絶句する。
このような非常事態において、弟子を心配するどころか窮地に置き去りにするような人物に、そしてそう考える弟子の精神に、ティガもレノンも唖然となる。
「まぁ、本気で危ない…どうしようもない状況になったら流石に助けてくれる……はず」
「筈って……」
自信なさげに目を逸らすシオンに不安を覚え、数歩分距離を空ける少年達。
今一つ頼れない少女の言葉に、このまま共に行動して大丈夫なのか、という不安に苛まれる。
「と、とにかく今は急がないと。何処からあいつらが出てくるかわからないし」
ごまかしのつもりか、早口で喋り歩幅も大きくなるシオン。じとりと疑わしげな目を向けられている事も無視し、瓦礫を避けて前だけを目指す。
少年達は互いに目を見合わせ、少しの間悩む素振りを見せてから、渋々と言った表情でシオンの後に続く。頼りなくとも、人数は多い方が気持ちが落ち着くためだ。
避難場所はまだか、一刻も早く辿り着かなければ、と焦りを無理矢理抑え込む。
幾つもの建物の間を抜け、交差路を慎重に進み、息をひそめたまま一歩ずつ目的地へ近づいていったその時。
ある分かれ道を曲がろうとして、銃を持った3人の男達とばったり鉢合わせしてしまった。
「―――あ…!」
「! い、いたぞ! 亜人の餓鬼共がいた!」
さっと顔面を真っ青に染め上げるシオン達に、男達もぎょっと目を見開きながら、しかしすぐに我に返って銃を構える。
シオン達は慌てて踵を返し、男達の魔の手から逃れようと走り出すも、男達の指は既に引き金に掛かっている。
万事休すか、と少年少女達の目を絶望が覆い、銃弾が籠もった銃口を思わず凝視し。
「死ね! 出来損ないの屑共―――」
「お前が失せろ、塵共」
ばきん!と。
醜悪な笑みを浮かべていた男達が真っ白に染まり、彫像のように固まる。
全身を凍り付かされた男達は、何が起こったかも理解できないまま命を絶たれ、近付いてきた黒衣の魔女に突かれただけで、粉々に砕け散ってしまう。
「ぐえ! …あ、あれ?」
「ししょ……フギャ!?」
撃たれると思い込んでいたティガとレノンは、驚愕で躓き前のめりに倒れ込み、シオンははっと息を呑み、やはり躓いて尻餅をつく。
どさどさともつれ合う三人に、師が冷めた目を向ける。
「……まだこんな所にいたのか、馬鹿弟子」
「! 師匠、いつの間に……」
体を起こし、冷たく自信を見下ろしてくる師を凝視し返すシオン。
彼女の言葉を聞き、転んだ際の痛みに呻いていたティガとレノンがはたと固まり、次いで信じられないものを見る目をシオンに向ける。
「は…はぁ⁉ お前の師匠って……アザミ女史―――」
「さっさと立て。まったく、お前はどこまで己の手を煩わせれば気が済む…」
「……命辛々ここまで来たのに、師匠はやっぱり無慈悲な鬼」
頬を膨らませ、億劫そうに立ち上がるシオンとそれに鼻を鳴らす師。
二人を交互に凝視し、ティガとレノンは言葉を失くす。どうにも前を任せきれない、実力不足が否めない少女が、学園の特別講師を務めるような人物の弟子であったなど、誰が想像できただろうか。
つい最近、眼帯の魔女と直接話をした少年達は、今自分が前にしている光景が現実の物かどうかさえ疑っていた。
「さっさと行け。ここらの連中は片づけておいた……生き延びたければ、走れ」
「は、はい! ……あの、何か、言葉遣いが…? って!」
「あの…! そっちは危ないですよ!?」
以前話した時とはまるで異なる、乱暴さが目立つ物言いになった魔女に、ティガが困惑の目を向けるも、師は一切構う事なく彼らに背を向けて歩き出す。
避難場所である美術館の方向ではなく、暴動集団が大勢蔓延る現場へ向かう師に、二人は慌てて立ち上がって声を上げる。
「ま、待ってください! いくらアザミ女史でも、そこら中にいる連中を全て相手にするなんて無茶ですよ! もっと……人を集めてから向かった方が!」
「邪魔だ。いない方が心置きなく暴れられる……だから、お前達はさっさと去れと言っている」
騒ぐティガに、師はぎろりと鋭い目を向けて、拒絶の意思を告げる。
気怠さばかりが目立った彼女からは考えられない、冷たく隔意に満ちた目を向けられ、ティガもレノンも思わず口を噤んで黙り込む。
静かになった彼らを放置し、師は無言で騒乱の中心……学園に向けて歩き出す、が。
「待って、師匠。……私も戦うよ」
シオンのそんな言葉が聞こえ、師の足が止まる。そして、鬱陶しそうに顔を歪めながら、弟子に振り向き睨み返す。
杖を握りしめたシオンは、師を見つめてふんふんと鼻息を荒くし、決意を示していた。
「師匠、私、やられっぱなしじゃ気が済まないよ。雑魚処理ぐらいなら一緒にやらせて」
「……聞こえなかったか、邪魔だから疾く失せろと言ったのだ」
「邪魔はしない。師匠の邪魔をしそうな連中を、一人でも多く削ろうと思ってるだけ……師匠は思いっきり暴れればいい」
何処からその自信がわいてくるのか、胸を張って闘志を見せつけるシオンに、師は呆れた様子で天を仰ぐ。この非常時に、いつも通りの態度を見せる弟子に軽く頭痛を覚えているようだ。
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「…無責任な奴め」
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師が師なら弟子も弟子か、と慄く二人を見やり、しばらく考え込む様子を見せた師は、肩を深く落とし項垂れる。
そして、自分の腰に手を回すと、折り畳まれた金属の塊をシオンに差し出した。
「! …これ、師匠の杖?」
「貸してやる……市販品の杖ではそう長く持つまい。…だが最後までそいつらを送り届けなければ、渡さん」
眩く輝く宝石や、希少な功績を使って作り上げられた師の持ち物を見下ろし、シオンがごくりと息を呑む。
師は金属の塊の一部を握り、一度強く振る。すると金属の塊が展開し、長い柄と斧のような刃がついた、シオンの背丈よりもはるかに長い杖に変わる。
おずおずと手を伸ばし、ずしりと重い杖を受け取った弟子は、師を見上げて力強く頷いてみせた。
「……わかった。先に送り届けてから暴れてくる」
「違うなよ……もし放置したならば、尻の皮が破けるくらいに叩きのめしてくれる」
「やー、師匠の助平……あ、ごめんなさい。ちゃんと守ります。冗談です、許してください……」
ぎろり、と殺気の籠った目で睨まれ、慌てて首を横に振る。
やると言ったら本気で仕置きをするであろう師に、ぺこぺこと必死に頭を下げ、ふざけた事を詫びる。
そうしてようやく、師はやや苛立った様子ながら、シオンと少年達を置いて改めて歩き出した。
「せいぜい死ぬなよ……あの愚か者共に命を奪われて終わるなど、勿体ないとしか言えんからな」
少年達への、彼の者なりの激励を送り、師は騒乱の真只中へ消えていく。
少年達は始終呆けた様子を見せていたが、やがて顔を引き締め、師の背中の深々と頭を下げる。彼の者の姿が見えなくなるまで、彼らは礼をし続けた。
「ん…よし、じゃあ先へ進もうか」
師が遠く見えなくなった時を見計らい、シオンがティガ達に話しかける。
しかしティガ達はそれに胡乱気な目を向け、困り顔で首を傾げる。
「……本当に、お前で大丈夫なのか? さっきの女史とのやり取り見たら、なんか不安に思えてきたんだけど……」
「む、問題無いに決まってる。こうして師匠も送り出してくれたんだし、大丈夫に違いない」
胸を張る黒猫の少女だが、ティガ達の視線は疑わしげなまま変わらない。
周辺の掃除は完了した、と魔女が言っていたためそこまで不安になっていないのだが、実力や正確に不安を感じる少女が一緒だと思うとどうにも落ち着かないようである。
人選に不満を抱かれていると察したシオンは、むっとした顔でティガ達を睨み、受け取った杖を掲げて仁王立ちしてみせる。
「師匠愛用のこの杖を借りた私に、資格はな―――」
もはや敵はなし、とでもいうように腰に手をあてて告げようとしたシオン。
だが、彼女が言いきる直前、突如真っ赤な光が辺りを照らし、凄まじい衝撃と熱が彼らに襲い掛かった。
「い―――!?」
シオンの背後に着弾した、巨大な炎の爆弾。シオンとティガ達は爆発に吹き飛ばされ、無数の破片と共に地面を転がされる。
きーん、と耳鳴りが止まらない耳を抑え、困惑した表情のまま体を起こしたシオン達は、炎の砲弾が飛んできた方へ目をやり、やがて驚愕に目を見開いていく。
ゆっくりと、上質な外套を翻して近づいてくる、一人の男を視界に映して。
「―――ようやく見つけたぞ、薄汚く卑しい雌猫…!」
煙を吐く蛇の意匠の杖に、金ばかりをかけた派手な衣服。
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ジェダは彼らを見据えると、蛇の杖を高く掲げ、自身の周囲に十以上の炎の砲弾を生み出していく。
シオンはすぐに我に返り、固まっているティガ達を横に蹴り退かし、自身も真横に飛び退く。すると、彼女達がいた場所に砲弾が炸裂し、真下の石畳が粉々に吹き飛ばされた。
「雌猫の分際で…! 私を虚仮にした報いだ! 躾のなっていない獣は処分するに限るな! ははは!」
「……! 誰が主人で誰が獣だ、糞野郎…!」
土煙が舞い上がる中、シオンはぶるぶると頭を振りながら、髪についた砂埃を振り払う。
ぺっ、と口の中に入った砂を唾と共に吐き捨て、自身を狙い杖を掲げる男を鋭く睨み返す。以前の揉め事をまだ根に持っているのか、倒れたティガ達には目もくれずにシオンだけを狙い続けている。
「自業自得って言葉を知らないのか…! 人の制止も聞かずに好き勝手暴れたお前が一番悪い」
「黙れ! 全ての原因は貴様にあるのだ! 貴様が存在してさえいなければ、私は学園を追い出され、父上に蔑まれるという屈辱を受けずに済んだのだ! 私を貶めた貴様に全ての責任があるのだ!!」
呆れた目を向け、正論を吐くシオンにジェダは激昂し、唾を吐き散らして吠える。
彼の怒りを表すように、周囲に浮かぶ炎が一回り大きさを増し、さらなる熱の上昇と共に次々にシオンに迫る。
「ふんっ! …聞く耳持たずか、鬱陶しい奴め」
夜の闇を真っ赤に照らす炎を、軽々と宙返りをして躱したシオンは、破壊された石畳や建物を見て冷や汗を垂らす。
油断して一発でも喰らおうものなら、自身は容易く黒焦げにされ、跡形もなく弾け飛ぶ事になるだろう。ほんの一瞬も油断ができなくなってしまった。
「お、おい! 何やってんだ! 早く逃げろよ!」
「……上等。お前とは一度、ちゃんと決着をつけておかなきゃいけないと思ってた」
遠くから叫ぶティガや、不安げに見つめてくるレノンを無視し、シオンはすっと目を細める。
師の杖を片手に、ひゅんひゅんと軽業師のように巧みに、素早く振り回し、自分の手に馴染ませていく。重さに慣れ、形をこの場で覚えていく。
そしてやがて、杖を両手で掴むと、斧の刃を突き出すように構え、憎き男を鋭く見据えた。
「掛かってこい、三流。その伸びた鼻、圧し折ってやる…!」
虎人と犬人の少年達が、大声で呼び止め止めようとする中、杖を構えて勇ましく宣言する黒猫の少女。
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