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第0章(お試し版) 黒猫少女と仮面の師
32.無慈悲なる蹂躙
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学園内はつい数分前まで、好き勝手暴れる暴動集団達の魔の手により、地獄と化していた。
学園を襲撃した男達は女性教師や女子生徒達を銃で脅し、男性教師や男子生徒達を実際に殺し、逃げれば同じ目に遭わせると宣言し、自由を奪い取った。
尚も藻掻き、きつい言葉を吐いて拒絶する者には直接拳が飛び、単純な暴力に酔いしれた男達は、泣き叫ぶ女を痛めつける遊びに耽りだす。
そして抵抗する気を失わせた女達を組み伏せ、容赦なく衣服を破いていく。下劣な言葉を吐きながら、泣きじゃくる女達に気分を良くさせながら、穢のない体を好き勝手に弄ぶ。
もはや人種差別の概念など消え失せ、弱者を痛めつけ、尊厳を踏み躙る事が目的の暴虐が行われており、襲撃者達は自身らが狂っている事に気付いてもいない。
壁は穴や血痕だらけ、美しく整頓されていた学び舎は、跡形もないほどに荒らされ、混沌と化している。
そこかしこで上がる泣き声を怒号で黙らせ、募った欲望を発散させようと女達に襲い掛かる男達の姿は、もはや人間になど微塵も見えない。
悪魔のように歪んだ笑顔で、げらげらと声を上げる彼らに、女達は屈辱に苛まれながらも、されるがままになるしかなかった。
―――それが現れるまでは。
ずるずると、かちかちと、あらゆる場所から不気味な音が響く。
元王城である学園の中、正面の門から中心の玉座の間まで続く、弧状梁の通路のあちこちに、黒い小さな影が這い回る。
猿人の人差し指から二の腕ほどの太さを誇る毒蛇に、掌から全身までの様々な大きさを見せる蠍。蝙蝠に蜂に蜘蛛に蜈蚣に蛙に蛾にと。
ありとあらゆる毒をもつ生物達が、牙を鳴らし、教室や講堂、城内の部屋に蔓延る銃を持った男達に向かっていく。
「な、何だこいつら…!?」
「いいから撃て、撃て!」
近づいてくる黒い小さな軍勢に、殺戮と暴力に浸っていた男達は目を見開きながらも、苛立った様子で銃を構え、小さな的に向けて発砲する。
銃弾を受け、何体かの毒蟲達は衝撃で粉砕され、ばらばらに飛び散っていく。
しかし、千や万を越える数を見せつける毒蟲の軍勢全てを排するには圧倒的に弾数が足らず、徐々に男達の足元に近づいていく。
悲鳴を漏らし、闇雲に引き金を引く彼らだったが、黒の軍勢は止まる事なく進み続ける。
不意に、泣きべそをかいていた一人の男の肩に、ぽとりと何かが当たる感触があった。
びくっと全身を震わせた彼は、視界の端でもぞもぞと蠢いている何かに、ぎこちなく顔を動かして視線を向ける。
そして、自身の肩の上でかちかちと爪を鳴らす蠍の姿を目の当たりにし、さっと顔から血の気を引かせる。
「ぅ―――うわぁあぁぁああぁあ!?」
悲鳴をあげる彼の頭上から、ぼたぼたぼたっと無数の蜘蛛や蛇達が落下し、彼の全身を埋め尽くす。
男の身体にとりついた毒蟲達は、彼の皮膚に自身らの牙や棘を突き立て、無慈悲に毒素を注入していく。そのうち、足元からも新たな毒蟲達がとりつき、同じく毒牙を突き刺していく。
払い除けようと男が藻掻くも、毒蟲達はしぶとく体に張り付き、離れる気配を全く見せなかった。
その場でじたばたと暴れる男は、次第にその動きを弱め、遂にがくりと膝をつく。びくびくと痙攣する男の抵抗がなくなると、ようやく毒蟲達は満足したように一斉に離れていく。
「うわぁぁぁ―――ぐべっ!?」
「た……助けてくれ―――げぎゃっ!?」
毒蟲達が離れた後には、最早原型も留めていない見るも無残な姿に変わり果てた男だけが残され、彼はやがて音もなく倒れ込む。
血塗れで、全身を風船のように大きく膨れさせた男は、進軍を続ける毒蟲達に覆われ、姿が消える。
そんな憐れな死体が、そこら中で上がる悲鳴の後に幾つも出来上がり、学園内のあらゆる場所に放置される。
数秒前まで彼らに襲われる側だった、衣類を破かれた女性教師や女子生徒達は、彼らの末路を目の当たりにし、ただ震える事しかできないでいた。転がる死体を前に、留飲を下げるどころかより一層の恐怖に苛まれ、涙を流して身を縮めるばかり。
目を覆いたくなるような惨い光景を、ただ一人眼帯を巻いた魔女だけが、平然とした様子で眺めていた。
煙管を咥え、紫煙を吐きながら、これまで殺戮を齎してきた男達が無残な姿に変えられていく様を、詰まらなそうに無言で見届けていた。
「……やはり、少し便利な玩具を持った餓鬼共の軍隊など、この程度のものか。少し不利になっただけでこの為体……情けないにもほどがある」
足元を毒蟲達が這いまわる中を、魔女は一切気にする事なく進む。足に蜈蚣が這いあがって来ても、まるで自分の一部のように感じているようで、表情一つ変えない。
通路の隅で固まり、一緒に震える女子生徒達に怯えた目を向けられても、魔女は眉一つ動かさなかった。
「頭を潰せば多少は大人しくなるかと思ったが、この調子では完全に駆除するまで、この馬鹿騒ぎは終わりそうにないが……」
じろり、と魔女が、師が睨むのは、王城の最も高い場所にある部屋。
かつて、王が自分の住まいとしていた部屋であり―――今は、理事長シェラが自分の書斎として使っている部屋である。
一人の男が、眼下のラルフィント共和国を見下ろしていた。
理事長を名乗る半森人の垢がついた部屋で、かつて兄が使っていた名残を全て取り払った後、唯一残された巨大窓の前に立って。
「閣下、都市部の制圧は既に7割が完了いたしました。じきに全ての反乱分子を鎮圧……武器庫も押さえておりますので、誰も我々に反旗を翻す者はいなくなるでしょう」
「……そうか」
背後から話しかけてくる、長年配下として役目を全うしてきた、かつての臣下の子。
学園に教師として入り、不必要な情報を半森人の女の元に届かないようにし、さらにはけいっかう実行の要である武器を隠す場所を隠していた忠実な男だ。
本来の主に深く礼をしながら、男―――フェムト・ドグマはにやりと悍ましく嗤ってみせる。
「多少、厄介事は起こってしまいましたが……計画通りといったところでしょうな。その咎めは、ディスフロイ公の御子息にどうか……」
「そうか……いいだろう。お前には咎めない」
「有難き幸せ…」
恭しく首を垂れるフェムトだが、彼の態度は何処か本気で敬っているようには見えず、窓際に立つ男は何処か興味が薄そうに見える。
そんな寒々しいやり取りを眺め、それまで沈黙していたシェラ。
椅子に座らされ、肘掛と足にそれぞれ手足を縛り付けられた彼女は、詰まらなそうにため息をこぼす。
「……色々と謎がありましたが、あなた方のお陰で腑に落ちてきましたよ」
小さく呟き、肩を落とすシェラ。
周囲に立ち、銃を手にしてシェラを監視する男達を見やり、学園の長は気だる気な口調で語り出す。
「一応、暴動が起こった時の対策として、暴漢の侵入を阻む機能がこの城にはあった筈だったんですが……働かないはずですね。内部の裏切者に加えて、この城を最もよく知っているであろう人間がそちら側に加わっていたのですから」
じっと見つめる先にいる、窓際で佇んだまま振り向きもしない男。
彼はゆっくりと振り向き、20年の時を経て老いたその男が、何の感情も悟らせない冷めた顔をシェラに見せる。
「あなただったとはね……元ガルム国王王弟、アレフ・デル・ガルム殿」
「お初にお目にかかるな、学園長殿。いや……我が兄の仇というべきか」
険しい表情で呟くシェラに、アレフという名の男はため息交じりに答える。
元は美男子だったのであろう顔立ちに深いしわを刻み、白髪が多く混じった髪を油で固めた、高い背と引き締まった身体つきをした男である。
身に着けた衣類も上質なもので、宝石などはないが生まれながらの気品の高さを感じさせた。
「革命が起こって20年……他人種差別の根源であった王族や貴族は皆、見せしめの為に処刑されたと思っておりましたが、よもや生きておられたとは……」
「…まぁ、全ての血を断つ事はできなかったというわけだ。いつの時代も、金で如何様に動く者は多く存在するという事…」
そう言って、かつての愚王の弟は近くに控えるフェムトや、暴動に加わった猿人達を見やる。
決して少なくない数の人間がこの一件に加わり、それぞれが最初の一人に引き金を引き、やがて誰もが躊躇いなく他者の命を奪ってきた。
元から差別意識を捨てられずに生きてきた者、金に釣られて手を貸した者と理由は様々だが、結局のところ言えるのは、法で彼らを律しきることは不可能だったという事だろう。
シェラは心底落胆した様子で肩を竦め、天井を仰ぐ。
とてつもない虚しさに苛まれた半森人の女は、やるせなさで彼らに毒を吐く気力さえ、ほとんどを失くしていた。
「…ずいぶん前から、この国の腐敗は進んでいたのですね。貴方がそんな下衆な計画の上でこの学園に潜んでいたとは、見抜けなかった私も間抜けです…」
「黙れ、阿婆擦れ!」
小さくぼやくシェラの頬に、フェムトが思い切り拳を振るう。
身動きの取れないシェラの身体は容易く倒れ、がたんっと大きな音を立てて横たわる。
口の中が切れたのか、唇の端から血を垂らしながら、シェラは冷めた目で拳を摩るフェムトを見やる。
「ふ、ふん! 私にそんな生意気な事を言うからですよ! 痛い目に遭いたくなければ、今後私に逆らわない方が賢明ですよ!」
「……殴り合いをした事などないでしょうに、気の短い人ですね」
「うるさい! 黙れと言っているだろうが!」
皮肉を吐く口を閉ざさないシェラの襟首を掴み、彼女の頬にフェムトが何度も張り手を食らわせる。
あっという間に真っ赤に染まる頬に気分を良くする前に、フェムトの手の方が痛みを訴え、すぐに暴力は止まる。
憎々しげに見下ろし、腫れた手を振って唾を吐きかける男に、シェラは微塵も表情を変えなかった。
「ご、ご自分の事を心配した方がよろしいのでは? 味方など一人もいないというのに、いつまでその余裕が続く事でしょうね……!?」
「さぁ? 私に利用価値があるからこうしてまだ殺していないという事でしょう? むしろ…感情のままに私を傷つければ、そう命じた方にあなたの方が処罰されるのではないですか…?」
そう尋ねれば、図星だったようでフェムトは苦々しい顔で引き下がる。
一瞬で勢いをなくす男に呆れた目を向けつつ、今一度自分を取り囲む男達を、そして彼らが持つ武器を見渡す。
「さて、その方が誰なのかは全く見当はつきませんが―――〝漂流者〟の何方かでしょう。そんな代物、この世界で自発的に生み出されるとは思いませんし…」
火薬を用い、弾丸を高速で発射して人体を貫く凶器。
それは、魔術が技術発展の基盤となっているこの世界では、生まれにくくなった道具といえる。
火を発生させ、水を流し、風を起こし、土の形を変える。
あらゆる現象は魔術によって引き起こす事ができ、才ある者がそれを進歩させる。魔術の関わらない技術を追い求める者は少なくなり、必然的に魔術だけが発達していく。
ここまで完成度の高い武器を多く揃えるのに、20年程度では開発と生産する事など不可能であり、元から完成した物を持ち込む以外にない。
つまりそれは―――他の世界から持ち込まれた物である可能性が、非常に高いという事になるのだ。
「弾丸の方は何方の物かは存じませんが……あなた方の協力者に、コンドウ騎士団長やモトイ先生と同郷の方がいらっしゃるのでしょう。…認めたくはありませんでしたが」
「…ご明察ですよ、レイヴェル理事長。彼は私達の思想に賛同してくれた賢者だ。彼がいなければ、この計画は閣下の御存命の間に叶わなかったかもしれませんねぇ」
「……本当に、愚かな事を」
得意げに語るフェムトに、シェラは険しい顔でため息をこぼす。
彼らが不運な因果を辿ってこの世界にやって来ている事には、シェラも同情を禁じ得ない。
しかし、縁も所縁もない世界に迷い込み、生き延びる術を模索した末がこの凶行だというのなら、その者の短慮さに嘆息せざるを得なかった。
「〝世に齎す知識は、毒にも薬にもなる〟……そんな簡単な事もわからないまま、こんな方々に凶器を与えてしまうなど、愚かという外にありませんよ、名も知らぬ漂流者よ―――」
「―――言ってくれるじゃねぇか」
床に目を伏せ、嘆きを口に敷いたシェラの耳に、それまで聞いた声とは別の、比較的若い声が届けられる。
聞き覚えのあるその声に、シェラがはっと目を見開き、自由の利かない身体に叱咤して顔を動かし、声の主を探す。
そして、フェムトの後ろから歩み出てくる一人の男の顔を目の当たりにした途端、シェラは言葉をなくし、しばらくの間呼吸さえ忘れてしまっていた。
「…! あなたは……」
「お察しの通り、彼が我々の協力者だ。どうだ……驚かれた事だろう」
アレフが抑揚のない声で告げるも、シェラはそれに応えていられるほどの落ち着きを失っていた。目の前にいる男が、存在があまりにも信じ難い人物であったからだ。
視界に映るのは、人より小柄な体躯に痩せた体、そして顔に掛かる眼鏡。
詰襟の黒い制服を纏った―――それが『学生服』と呼ばれる、地球の少年少女達が身に着ける衣服である事を、シェラはかつて騎士団長から聞いていたそれを纏う、十代後半の青年。
この世界とは異なる造りをした装いをしたその男―――かつてこの国で保護され、罵声を残して逃げ出した青年が、凶器を持った男達の間から姿を見せる。
「久しぶりだな、会いたかったぜ―――魔法使いの先生…」
小早川慎二―――コンドウに救われた恩を放り捨てて、数年もの間姿を消していた〝漂流者〟の問題児が、シェラを見下ろしてにたりと口角を上げた。
学園を襲撃した男達は女性教師や女子生徒達を銃で脅し、男性教師や男子生徒達を実際に殺し、逃げれば同じ目に遭わせると宣言し、自由を奪い取った。
尚も藻掻き、きつい言葉を吐いて拒絶する者には直接拳が飛び、単純な暴力に酔いしれた男達は、泣き叫ぶ女を痛めつける遊びに耽りだす。
そして抵抗する気を失わせた女達を組み伏せ、容赦なく衣服を破いていく。下劣な言葉を吐きながら、泣きじゃくる女達に気分を良くさせながら、穢のない体を好き勝手に弄ぶ。
もはや人種差別の概念など消え失せ、弱者を痛めつけ、尊厳を踏み躙る事が目的の暴虐が行われており、襲撃者達は自身らが狂っている事に気付いてもいない。
壁は穴や血痕だらけ、美しく整頓されていた学び舎は、跡形もないほどに荒らされ、混沌と化している。
そこかしこで上がる泣き声を怒号で黙らせ、募った欲望を発散させようと女達に襲い掛かる男達の姿は、もはや人間になど微塵も見えない。
悪魔のように歪んだ笑顔で、げらげらと声を上げる彼らに、女達は屈辱に苛まれながらも、されるがままになるしかなかった。
―――それが現れるまでは。
ずるずると、かちかちと、あらゆる場所から不気味な音が響く。
元王城である学園の中、正面の門から中心の玉座の間まで続く、弧状梁の通路のあちこちに、黒い小さな影が這い回る。
猿人の人差し指から二の腕ほどの太さを誇る毒蛇に、掌から全身までの様々な大きさを見せる蠍。蝙蝠に蜂に蜘蛛に蜈蚣に蛙に蛾にと。
ありとあらゆる毒をもつ生物達が、牙を鳴らし、教室や講堂、城内の部屋に蔓延る銃を持った男達に向かっていく。
「な、何だこいつら…!?」
「いいから撃て、撃て!」
近づいてくる黒い小さな軍勢に、殺戮と暴力に浸っていた男達は目を見開きながらも、苛立った様子で銃を構え、小さな的に向けて発砲する。
銃弾を受け、何体かの毒蟲達は衝撃で粉砕され、ばらばらに飛び散っていく。
しかし、千や万を越える数を見せつける毒蟲の軍勢全てを排するには圧倒的に弾数が足らず、徐々に男達の足元に近づいていく。
悲鳴を漏らし、闇雲に引き金を引く彼らだったが、黒の軍勢は止まる事なく進み続ける。
不意に、泣きべそをかいていた一人の男の肩に、ぽとりと何かが当たる感触があった。
びくっと全身を震わせた彼は、視界の端でもぞもぞと蠢いている何かに、ぎこちなく顔を動かして視線を向ける。
そして、自身の肩の上でかちかちと爪を鳴らす蠍の姿を目の当たりにし、さっと顔から血の気を引かせる。
「ぅ―――うわぁあぁぁああぁあ!?」
悲鳴をあげる彼の頭上から、ぼたぼたぼたっと無数の蜘蛛や蛇達が落下し、彼の全身を埋め尽くす。
男の身体にとりついた毒蟲達は、彼の皮膚に自身らの牙や棘を突き立て、無慈悲に毒素を注入していく。そのうち、足元からも新たな毒蟲達がとりつき、同じく毒牙を突き刺していく。
払い除けようと男が藻掻くも、毒蟲達はしぶとく体に張り付き、離れる気配を全く見せなかった。
その場でじたばたと暴れる男は、次第にその動きを弱め、遂にがくりと膝をつく。びくびくと痙攣する男の抵抗がなくなると、ようやく毒蟲達は満足したように一斉に離れていく。
「うわぁぁぁ―――ぐべっ!?」
「た……助けてくれ―――げぎゃっ!?」
毒蟲達が離れた後には、最早原型も留めていない見るも無残な姿に変わり果てた男だけが残され、彼はやがて音もなく倒れ込む。
血塗れで、全身を風船のように大きく膨れさせた男は、進軍を続ける毒蟲達に覆われ、姿が消える。
そんな憐れな死体が、そこら中で上がる悲鳴の後に幾つも出来上がり、学園内のあらゆる場所に放置される。
数秒前まで彼らに襲われる側だった、衣類を破かれた女性教師や女子生徒達は、彼らの末路を目の当たりにし、ただ震える事しかできないでいた。転がる死体を前に、留飲を下げるどころかより一層の恐怖に苛まれ、涙を流して身を縮めるばかり。
目を覆いたくなるような惨い光景を、ただ一人眼帯を巻いた魔女だけが、平然とした様子で眺めていた。
煙管を咥え、紫煙を吐きながら、これまで殺戮を齎してきた男達が無残な姿に変えられていく様を、詰まらなそうに無言で見届けていた。
「……やはり、少し便利な玩具を持った餓鬼共の軍隊など、この程度のものか。少し不利になっただけでこの為体……情けないにもほどがある」
足元を毒蟲達が這いまわる中を、魔女は一切気にする事なく進む。足に蜈蚣が這いあがって来ても、まるで自分の一部のように感じているようで、表情一つ変えない。
通路の隅で固まり、一緒に震える女子生徒達に怯えた目を向けられても、魔女は眉一つ動かさなかった。
「頭を潰せば多少は大人しくなるかと思ったが、この調子では完全に駆除するまで、この馬鹿騒ぎは終わりそうにないが……」
じろり、と魔女が、師が睨むのは、王城の最も高い場所にある部屋。
かつて、王が自分の住まいとしていた部屋であり―――今は、理事長シェラが自分の書斎として使っている部屋である。
一人の男が、眼下のラルフィント共和国を見下ろしていた。
理事長を名乗る半森人の垢がついた部屋で、かつて兄が使っていた名残を全て取り払った後、唯一残された巨大窓の前に立って。
「閣下、都市部の制圧は既に7割が完了いたしました。じきに全ての反乱分子を鎮圧……武器庫も押さえておりますので、誰も我々に反旗を翻す者はいなくなるでしょう」
「……そうか」
背後から話しかけてくる、長年配下として役目を全うしてきた、かつての臣下の子。
学園に教師として入り、不必要な情報を半森人の女の元に届かないようにし、さらにはけいっかう実行の要である武器を隠す場所を隠していた忠実な男だ。
本来の主に深く礼をしながら、男―――フェムト・ドグマはにやりと悍ましく嗤ってみせる。
「多少、厄介事は起こってしまいましたが……計画通りといったところでしょうな。その咎めは、ディスフロイ公の御子息にどうか……」
「そうか……いいだろう。お前には咎めない」
「有難き幸せ…」
恭しく首を垂れるフェムトだが、彼の態度は何処か本気で敬っているようには見えず、窓際に立つ男は何処か興味が薄そうに見える。
そんな寒々しいやり取りを眺め、それまで沈黙していたシェラ。
椅子に座らされ、肘掛と足にそれぞれ手足を縛り付けられた彼女は、詰まらなそうにため息をこぼす。
「……色々と謎がありましたが、あなた方のお陰で腑に落ちてきましたよ」
小さく呟き、肩を落とすシェラ。
周囲に立ち、銃を手にしてシェラを監視する男達を見やり、学園の長は気だる気な口調で語り出す。
「一応、暴動が起こった時の対策として、暴漢の侵入を阻む機能がこの城にはあった筈だったんですが……働かないはずですね。内部の裏切者に加えて、この城を最もよく知っているであろう人間がそちら側に加わっていたのですから」
じっと見つめる先にいる、窓際で佇んだまま振り向きもしない男。
彼はゆっくりと振り向き、20年の時を経て老いたその男が、何の感情も悟らせない冷めた顔をシェラに見せる。
「あなただったとはね……元ガルム国王王弟、アレフ・デル・ガルム殿」
「お初にお目にかかるな、学園長殿。いや……我が兄の仇というべきか」
険しい表情で呟くシェラに、アレフという名の男はため息交じりに答える。
元は美男子だったのであろう顔立ちに深いしわを刻み、白髪が多く混じった髪を油で固めた、高い背と引き締まった身体つきをした男である。
身に着けた衣類も上質なもので、宝石などはないが生まれながらの気品の高さを感じさせた。
「革命が起こって20年……他人種差別の根源であった王族や貴族は皆、見せしめの為に処刑されたと思っておりましたが、よもや生きておられたとは……」
「…まぁ、全ての血を断つ事はできなかったというわけだ。いつの時代も、金で如何様に動く者は多く存在するという事…」
そう言って、かつての愚王の弟は近くに控えるフェムトや、暴動に加わった猿人達を見やる。
決して少なくない数の人間がこの一件に加わり、それぞれが最初の一人に引き金を引き、やがて誰もが躊躇いなく他者の命を奪ってきた。
元から差別意識を捨てられずに生きてきた者、金に釣られて手を貸した者と理由は様々だが、結局のところ言えるのは、法で彼らを律しきることは不可能だったという事だろう。
シェラは心底落胆した様子で肩を竦め、天井を仰ぐ。
とてつもない虚しさに苛まれた半森人の女は、やるせなさで彼らに毒を吐く気力さえ、ほとんどを失くしていた。
「…ずいぶん前から、この国の腐敗は進んでいたのですね。貴方がそんな下衆な計画の上でこの学園に潜んでいたとは、見抜けなかった私も間抜けです…」
「黙れ、阿婆擦れ!」
小さくぼやくシェラの頬に、フェムトが思い切り拳を振るう。
身動きの取れないシェラの身体は容易く倒れ、がたんっと大きな音を立てて横たわる。
口の中が切れたのか、唇の端から血を垂らしながら、シェラは冷めた目で拳を摩るフェムトを見やる。
「ふ、ふん! 私にそんな生意気な事を言うからですよ! 痛い目に遭いたくなければ、今後私に逆らわない方が賢明ですよ!」
「……殴り合いをした事などないでしょうに、気の短い人ですね」
「うるさい! 黙れと言っているだろうが!」
皮肉を吐く口を閉ざさないシェラの襟首を掴み、彼女の頬にフェムトが何度も張り手を食らわせる。
あっという間に真っ赤に染まる頬に気分を良くする前に、フェムトの手の方が痛みを訴え、すぐに暴力は止まる。
憎々しげに見下ろし、腫れた手を振って唾を吐きかける男に、シェラは微塵も表情を変えなかった。
「ご、ご自分の事を心配した方がよろしいのでは? 味方など一人もいないというのに、いつまでその余裕が続く事でしょうね……!?」
「さぁ? 私に利用価値があるからこうしてまだ殺していないという事でしょう? むしろ…感情のままに私を傷つければ、そう命じた方にあなたの方が処罰されるのではないですか…?」
そう尋ねれば、図星だったようでフェムトは苦々しい顔で引き下がる。
一瞬で勢いをなくす男に呆れた目を向けつつ、今一度自分を取り囲む男達を、そして彼らが持つ武器を見渡す。
「さて、その方が誰なのかは全く見当はつきませんが―――〝漂流者〟の何方かでしょう。そんな代物、この世界で自発的に生み出されるとは思いませんし…」
火薬を用い、弾丸を高速で発射して人体を貫く凶器。
それは、魔術が技術発展の基盤となっているこの世界では、生まれにくくなった道具といえる。
火を発生させ、水を流し、風を起こし、土の形を変える。
あらゆる現象は魔術によって引き起こす事ができ、才ある者がそれを進歩させる。魔術の関わらない技術を追い求める者は少なくなり、必然的に魔術だけが発達していく。
ここまで完成度の高い武器を多く揃えるのに、20年程度では開発と生産する事など不可能であり、元から完成した物を持ち込む以外にない。
つまりそれは―――他の世界から持ち込まれた物である可能性が、非常に高いという事になるのだ。
「弾丸の方は何方の物かは存じませんが……あなた方の協力者に、コンドウ騎士団長やモトイ先生と同郷の方がいらっしゃるのでしょう。…認めたくはありませんでしたが」
「…ご明察ですよ、レイヴェル理事長。彼は私達の思想に賛同してくれた賢者だ。彼がいなければ、この計画は閣下の御存命の間に叶わなかったかもしれませんねぇ」
「……本当に、愚かな事を」
得意げに語るフェムトに、シェラは険しい顔でため息をこぼす。
彼らが不運な因果を辿ってこの世界にやって来ている事には、シェラも同情を禁じ得ない。
しかし、縁も所縁もない世界に迷い込み、生き延びる術を模索した末がこの凶行だというのなら、その者の短慮さに嘆息せざるを得なかった。
「〝世に齎す知識は、毒にも薬にもなる〟……そんな簡単な事もわからないまま、こんな方々に凶器を与えてしまうなど、愚かという外にありませんよ、名も知らぬ漂流者よ―――」
「―――言ってくれるじゃねぇか」
床に目を伏せ、嘆きを口に敷いたシェラの耳に、それまで聞いた声とは別の、比較的若い声が届けられる。
聞き覚えのあるその声に、シェラがはっと目を見開き、自由の利かない身体に叱咤して顔を動かし、声の主を探す。
そして、フェムトの後ろから歩み出てくる一人の男の顔を目の当たりにした途端、シェラは言葉をなくし、しばらくの間呼吸さえ忘れてしまっていた。
「…! あなたは……」
「お察しの通り、彼が我々の協力者だ。どうだ……驚かれた事だろう」
アレフが抑揚のない声で告げるも、シェラはそれに応えていられるほどの落ち着きを失っていた。目の前にいる男が、存在があまりにも信じ難い人物であったからだ。
視界に映るのは、人より小柄な体躯に痩せた体、そして顔に掛かる眼鏡。
詰襟の黒い制服を纏った―――それが『学生服』と呼ばれる、地球の少年少女達が身に着ける衣服である事を、シェラはかつて騎士団長から聞いていたそれを纏う、十代後半の青年。
この世界とは異なる造りをした装いをしたその男―――かつてこの国で保護され、罵声を残して逃げ出した青年が、凶器を持った男達の間から姿を見せる。
「久しぶりだな、会いたかったぜ―――魔法使いの先生…」
小早川慎二―――コンドウに救われた恩を放り捨てて、数年もの間姿を消していた〝漂流者〟の問題児が、シェラを見下ろしてにたりと口角を上げた。
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