これがわたしの旦那さま 短編集

市尾彩佳

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ケヴィンの回想録(書籍未収録部分の再投稿です)

1 彼女を候補に選んだ理由

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「大変光栄なお話とは存じますが、できましたらお断りさせていただきたく存じます」

 まっとうな神経の親ならまずそう言うだろう。
 くたびれた調度品の並ぶ応接室に恐縮しながらケヴィンを通した、この館の主、ハーネット伯爵ラドクリフは、あまり質のよさそうではないハンカチでおでこの汗を拭き拭き答えた。

「もちろん令嬢のお支度は全額当方が引き受けます。また、大事な令嬢をいただくからにはご実家にも不便をかけないと約束しましょう。聞けば所領の整備に大変な額を要するとか。それにこの邸も手を入れたいところではないですか?」

 ケヴィンはこっそり自嘲の笑みを浮かべた。
 我ながらあくどい。だが、これでその気になってもらえるならよろこんで悪役に徹しよう。
 伯爵の隣に同席する夫人は、表情にはっきりと不快の色を示した。
 それがまっとうな親というものだ。金品や、ちらつかせてもいない地位向上に目がくらんで娘を差し出してくる親に辟易していたので、この反応には安堵するものがある。
 伯爵はうつむいて、しばし何事か考えていた。
何を思うのか、ケヴィンが興味深く見つめていると、伯爵は顔を上げて多少思いつめた様子で問いかけてきた。

「お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何でしょう?」

「何故そこまでして、我が娘を愛妾に推薦したいと思ってくださるのですか?」

 夫君もひとの親だった。娘を金と秤にかけていたのではなく、ケヴィンが引き下がらない雰囲気を悟って腹を割った話し合いをしたいとでも考えたのだろう。
 ならば正直に答えるまで。

「令嬢は大変人柄がよいと聞いています。あなたがた健やかな両親に育まれた、おだやかな感性を持つ愛らしい方だと。
 ご存じのように王城は殺伐とした場所です。その中心に座しておられる国王陛下の心労は計り知れない。お世継ぎも大事ですが、陛下には心安らげる相手が側におられることも大事なのです」

 伯爵は言葉なく、膝の上で結んだこぶしに視線を落とした。
 ケヴィンは駄目押しでもう一言付け加える。

「陛下には愛妾が必要です。それも健やかな感性を持ち合わせた、側に居て癒されるような女性が」

 夫人はたまらなく不安そうな顔をして、だまりこむ夫君の顔をのぞき込んだ。その夫人に少し視線を送り、ハーネット伯爵は顔を上げる。

「わざわざご足労いただいた上に大変もったいないお言葉ですが、我が娘にそのような大役果たせるとは思いません。命令とあっては臣下として従わないわけにはいかないですが……」

 濁した言葉の先に、何とかして娘を守ろうという姿勢が見てとれる。
 ここまでか。
 ケヴィンは小さくため息をもらした。

「わかりました。これは命令ではないので、拒否したからといって罰せられるものではありません。ただ、お気持ちが変わることありましたら是非連絡ください」

 無理やり引き離すなどという行為は得策ではない。
 ここはいさぎよく退くべきだろう。少しでも好印象を与えておけば、何かの拍子に喜んで娘を差し出してくる可能性を期待できるかもしれない。
 連れてきた従者とともに、伯爵邸を辞した。
 伯爵邸は、領内唯一の街イーフェンに隣接する。王都のように広大ではない。宿から伯爵邸までの距離も散歩程度だったので、徒歩で訪問した。

「とんだ無駄足になってしまいましたね」

「ロアル」

 従者の軽口を、きつく名を呼んでいさめた。従者ロアルは「すみません」と小さく謝って口をつぐむ。
 ケヴィンは無駄足だったとは思わなかった。話に聞いていた通りの人柄の良い夫婦だった。国の中枢で働いていた頃から変わらないという健全な感性。
 次期公爵家当主という立場があったため、ケヴィンは幼少の頃から王城のゆがんだ世界に触れてきた。
 そんな世界を嫌悪するのも、もう疲れた。
 うわべを笑顔で取り繕って、裏を読んではいかに相手を出し抜くかを常に考えている。
 そうやって汚れていってしまえばいっそ楽なのに、我が主、国王シグルドは愚鈍な貴族連の悪意をまともに受けて、それでも負けるかと顔を上げる。
 何物にも汚されまいとする高潔な心。それを支える強い意志。───その強さがいつ折れてしまうか、ケヴィンはそれを恐れている。
 ラドクリフは、そんなシグルドとはまた別の形で汚れに身を染めない、清らかな魂を持っているように見えた。夫人にもありありと感じられたそれは、きっと娘にも受け継がれているだろう。
 そのしなやかな強さに触れることで、シグルドによい変化が訪れればいいと期待したのだが。

「あ、あの!」

 邸と街を結ぶさほど距離のない雑木林に入ったところで、背後から追いかけてくる声があった。
 立ち止って振り返れば、娘が一人手を振り上げて走ってくる。
 膝下までのワンピースにエプロン、頭に三角巾をかぶっている。
 下女が何の用なのか。
 というより、あの家に下女を雇う金があったのかという思いが頭をよぎる。
 下女は息を切らせて追いつき、胸を押さえて二度深呼吸をしてから、ワンピースのすそをつまんで腰を落とした。

「お呼び止めして失礼いたしました。ハーネット伯爵の長女シュエラと申します」

 ケヴィンはうっかり目をむきそうになった。
 これが伯爵令嬢!?
 縮れた毛髪、がさがさの肌。衣服は色あせてみすぼらしい。
 狼狽しかけたのをかろうじて表に出さず、取りすまして口を話し開いた。

「シグルド国王陛下側近ケヴィン・クリフォードだ。して、令嬢がわたしに何の用か?」

 伯爵令嬢と名乗った娘は礼を解いて胸の前で手を組んだ。

「お願いがあるんです」

「何でしょう?」

「わたしにお金をくださらないかしら?」

「は? 今何と?」

「ですから、わたしが愛妾になればいただけるというお金を、わたしにいただけないかと申し上げているのです」

 きらきら顔を輝かせて言うこの娘に、ケヴィンはひどいめまいを感じた。
 残念ながら、両親の高潔さは娘には受け継がれなかったらしい。
 額を押さえてやりすごしていると、ケヴィンがいかに不快な思いをしているか察したのだろう、娘は手を突きだして小さく振る。

「い、いえ! お金の無心ではないのです。話をお聞きいただけますか?」



 こんな娘だとは聞いていない。
 エイドリアンの話では、純真で愛らしく、弟たちの面倒をよく見るけなげな娘だということだった。大人数の兄弟の一番上だから年齢より少し背伸びをして、その様子がいじらしくて守ってやりたくなるのだと、折々に触れてそう語っていた。
 が、ケヴィンは思う。
 これのどこがそういう娘だと?
 自身が大手を振って男性を呼び止めるのは不作法であるし、初対面の者に金の無心としか思えない言葉を口にするのは藪から棒にもほどがある。
 しかし話を聞き始めてしまったからには、礼儀程度には耳を傾けることにした。

「どうぞ」

 短く答えると、娘はほっとしたように表情をゆるめ話し始めた。

「お金をいただいてそれを使ってしまえば、我が家はお返しすることができません。そうしましたら父も母もさすがに折れて、私を国王陛下の愛妾に差し出してくれると思うのです」

 頭痛がした。

「あ、盗み聞きしていたわけではないんです。隣の部屋で内職をしていたものですから勝手に聞こえてきてしまって! あ……でもこれって盗み聞きと変わらないですよね。申し訳ありません」

 ぺこりと頭を下げる娘に、ケヴィンは苦言をもらす。

「……聞かれていたならおわかりになるはず。あなたが言っていることは、拒否権のない命令するのと大差ない。あなたは両親を悲しませたいんですか?」

「両親は、わたしが愛妾になったら不幸になると思い込んでいるのです」

「ご両親の認識は間違っていない。愛妾とはあなたが思うほど楽な役目ではありません」

「楽だなんて思ってません。ですがわたしでもなれるのでしたら、ぜひとも陛下のお側に上がりたいのです」

 背の高いケヴィンを、首をそらすようにして見上げながら娘は真剣に訴える。
 これは絶対にわかってない。
 断られて正解だったかもしれないと思った。



 娘は翌日、ケヴィンの滞在する宿に執事なる者を連れて訪れた。
 昨日よりいくぶんマシなドレスを着た娘は、執事が所領の整備に金を使ってくれるからと話を切り出した。

「あなたは何故、そうまでして愛妾になりたいというのですか?」

「ケヴィン様が、国王陛下には愛妾が必要だとおっしゃったからです」

 金が目当てなのか、地位が目当てなのか、王城の優雅な暮らしが目当てなのか。
 その一言からは読み取れなかったが、昨日とは打って変わった落ち着いたまなざしに、娘の口車に乗ってみようという気になった。

 ──それでもご両親が反対されたときはあきらめてください。

 そう言って聞かせて、再度乗り込んだハーネット邸。応接室で話を聞いた夫婦は案の定血相を変えた。

「使っちゃったものは返せないでしょ?」

 執事と「ね?」と顔を見合わせる娘を、夫婦はケヴィンに断りを入れてそそくさと応接室から連れだした。
 この展開を最初から読んでいた。だから執事とやらにくれてやった金は手持ちのはした金。両親が頭を下げて謝罪するのを聞いたら、金はそのままにして辞すつもりだった。
 どこからか話し声が聞こえてくる。
 耳をすませばしかと聞こえてくる声に、確かにこれでは盗み聞きしてしまっても仕方ないと理解した。このボロ邸、どこに隙間があるかわかったものじゃない。
 呆れかえる両親を説得する娘。
 その声は次第に大きくなっていく。

 ──おまえは愛妾というものが、どういうものなのかわかっていない。

 ──わかっているわ。正式な婚姻じゃないから後ろ指さされるんでしょう?

 ──わかっていながら何故!?

 それはケヴィンも聞きたいところだった。娘が何と答えるかと、気持そちらに体を傾けて耳をすます。

 ──陛下は無益な戦争から兵を引きあげてくださったじゃない。だからその恩返しがしたいのよ!

 ケヴィンははずみをつけて固いソファから立ち上がり、扉に向かう。

 ──父さまも言ってたじゃない。一存で隣国から兵を引き上げてくださった国王陛下のお立場は、王城では苦しいものになるだろうって。わたしが行って陛下が少しでも楽になるなら、後ろ指さされたって平気なの。

 切りのいいところまで聞いて、ケヴィンは扉を開いた。
 廊下で話しこんでいた三人はびくっとして振り返る。
 娘の両親に向けて、ケヴィンは腰を折って大きく頭を下げた。

「ご両親の心配はごもっともです。ですからわたしができる限りの便宜を図らせていただきます。どうかご令嬢をわたしにお預けください」

「待ってください! そのようなことされては困ります!」

 伯爵はわめいた。当然だ。たとえ歳下であっても、伯爵家の者が公爵家の者に頭を下げさせるなどあってはならない。そこまでされたら、伯爵は断るすべを失う。
 彼を追い詰めているのはわかっている。だが、どうしても。
 娘は父親の腕にすがった。

「父さま! わたし絶対行くから!」

「シュエラっ!」

 混乱しつつある場に、一つの静かな声が投げかけられた。

「あなた」

 娘を叱りつけようとしていた伯爵は、その声に振り返る。夫人は娘の正面に立ち、じっと娘の瞳を見つめた。

「どうあっても行くというのね?」

「わたしの気持ちは変わらないわ」

「逃げ帰ってきても、家には二度と入れないと言われても?」

「──うん」

 わずかに遅れたもののしっかりと答えた娘に、夫人はあきらめの笑みを向けた。

「なら頑張りなさい。──ケヴィン様」

 夫人はケヴィンの方に向き直って深々と頭を下げた。

「娘をお預けします。どうぞよろしくお願いいたします」

 成り行きを呆然と見つめていた伯爵も、ため息をついて夫人の隣に並び頭を下げる。

「このように強情な娘ですが、王城で恥をかかぬよう厳しく指導をお願いいたします」

 見つけた。理想の人材を。
 地位や金や名誉を欲しがるでなく、ただ純粋に国王のために尽くす娘。
 そんな娘に巡り合える日が来るとは思わなかった。
 だが今、ケヴィンが望んだとおりの娘が目の前にいる。

「お任せください。責任もってお預かりします」

 このような娘を育て上げてくれた伯爵夫妻に感謝を思い、浮き立つ心を押さえつつ、ケヴィンは誠意をこめて言葉を返した。
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