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おまけ
公爵令嬢の婚約者 2/4
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アランネル侯爵邸に商家の娘が子どもを連れて滞在しているということは、十一年前の発覚以前から知られていることだった。その商家の娘というのは、当時のアランネル侯爵夫人、現在のクリフォード公爵夫人イリーナの友人で、隣国の戦火を逃れてラウシュリッツ王国にある実家に身を寄せていたのだと、フィリップは最初聞かされていた。
子ども共々、ごく限られた人の前にしか姿を現さない人物で、物心つくまえからアランネル侯爵邸に頻繁に通わされていたフィリップも、初めて顔を合わせたのが発覚──正しくは“公表”か。関係者が周知して回っていたから──した後のことだった。
庶民というものはみなこんな感じなのかもしれないが、エイミーの母親であり、商家の娘であるアネットという女性は実に奇特な人物だった。侯爵邸で客人として扱われながらもそれを鼻にかけることなく控えめで、国王に結婚を許されたというのに、それすらも庶民の出だからと言って断ったというのだ。
公爵家の跡取と庶民の娘。本来なら許されるはずのない結婚も、跡取がその立場を他者に譲り、実力をつけた国王が命令として下せば、貴族たちも反論できず、何の問題もなく結婚できるはずだった。
だがアネットは、正当な伴侶の座を辞退し、今も日蔭の身として邸の隅でひっそりと暮らしている。
その本当の理由をフィリップが聞いたのは三年前、フィリップが十五歳になった時のことだった。
──実はあたし、貴族の血を引く商家の娘じゃなくって、クリフォード公爵邸の前に捨てられてた素性のわからない身なのよね。
人払いはしたけれど、このような衝撃的な事実を、アネットはけろっとした様子で告白した。
貴族は血統を重んじる。庶民であってもアネットの存在が認められているのは、子爵家の血筋を引いているといわれているからだ。それがあったから、国王も結婚を勧めようとした。
けれども、どこの誰の子ともわからないと知れたら、血統至上主義の貴族たちから何を言われるかわからない。下手をすれば彼女の血を引くエイミーは、相続権をはく奪されるかもしれない。
──そのような重大な話を俺にしていいんですか?
冷汗を流しながら考えた末、フィリップがそう言うと、アネットは何故か満足そうにほほえんだ。
──そういう聞き方をしてくれるということは、フィリップはバラしたりしないと約束してくれるということでしょ?
──だったら話す前に、絶対に内緒にするようにと約束を取りつけてください! 危なっかしすぎます! もし俺が触れまわったりしたらどうするつもりだったんですか! バレてただでは済まないのは、あなただけじゃないんですよ!?
親子ほども歳の違うアネットを叱りつけると、彼女は嬉しそうにころころと笑った。
──フィリップだったらそう言ってくれると思ってたわ。だから話したの。
今もめったに人に会わずほとんど部屋の中で暮らしているのは、以前クリフォード公爵邸で下働きとして働いていたことを知られてしまわないようにするためだという。
アネットが結婚の許可を辞退してまで素姓を隠した理由は、この話からだいたいわかった。
はっきりと聞かされたわけではないけど、多分エイミーのためだ。エイミーの立場を守るために、ろくに部屋から出られない不自由な生活を、アネットは自身に課しているのだ。
そうまでして守り通そうとしてきた秘密を何故フィリップに話したのか、未だに謎だったりする。
だが、そうしてまでアネットが子どもたちを守ろうとしても、口さがない者たちの影口は絶えない。貴族の血を引いていても庶民は庶民で、その庶民の血を引くエイミーも所詮庶民だと、一部の者たちから蔑まれている。
それでも、エイミーと結婚できれば公爵位を継承できるとあって、彼女への求婚はひっきりなしだ。
不機嫌を装いパートナーとの最初のダンスを踊り終えると、フィリップは義務を果たしたとばかりにさっさとエイミーから離れた。
フィリップにとって、エイミーとのダンスは心臓に悪い。手を取り、背中に腕を回して支えれば、その近さに心臓がばくばくと暴れ出す。
エイミーから距離を取り壁際まで行って、フィリップははぁと息をついた。
いつまで保つかな、俺の心臓……。
人に聞かれたら笑われそうな台詞を心の中でつぶやきながら、息を整える。
フィリップの周囲の男たちのエイミーへの感想は、“恋愛する気になれない女”だった。血筋をあげつらい、相手にならないと言っている者もいる。が、それだけでなく表情のない彼女は冷たい女だと誤解されることが多く、そんな女と恋愛してもつまらないと言うのだ。
彼らの認識は間違っている。
エイミーは表情筋が固いだけで、内面は情感豊かだ。それに人の心を読み取ることに長けていて、さりげない気配りができ、彼女を相談相手として頼りにしている友人は多い。友人の数そのものは、出自のせいで敬遠されがちなため、公爵令嬢としては少なめと言えるが。
他にも、フィリップだけが知っていることがある。エイミーは自分の表情のなさを気にして、影ながら笑顔をつくる努力をしているのだ。
そうした彼女のよいところを、求婚者たちはどれだけ知っているのか。
フィリップがエイミーの隣に立ったことで、彼らは一様に顔色を悪くしたが、婚約者と紹介されたわけではないことに安心したのか、ダンスをする人々を避けて広間の端のほうへと移動した彼女にさっそく群がっていた。
彼女に男が群がるのは、見ていて気分のいいものじゃない。だが目をそらせずにいると、何やら様子がおかしいことにフィリップ気付いた。
人込みをかき分け、彼女のもとへ急ぐ。
近付くにつれ、会話が聞こえてきた。
「納得いかない! 何であいつがエスコート役なんだ?」
「あんな暴言を吐くやつのどこがいいんです? お父上方はお許しになられたのですか?」
自問さえしたその言葉に、フィリップはぐっと喉をつまらせ脳裏に反省をちらつかせる。
が、次の言葉に、そんな殊勝な思いも吹っ飛んだ。
「気のある振りをして俺たちを誘って、爵位を餌に僕たちをもてあそんだのか?」
そう言って詰め寄る男の肩をつかんでエイミーから引き離し、フィリップは彼女を背中にかばった。
「エイミーがそんなことするわけないだろ!」
フィリップに割って入られた男は、いまいましそうににらみつけてくる。
「何でかばってるんだ? おまえこそ、いつもエイミーをいじめてるくせに」
「俺はおまえらみたいに、かよわい女を寄ってたかっていじめるような趣味はないんでね」
嫌味を言ってにやり笑ってみせると、男は自覚があったのか、わずかに顔をしかめる。が、すぐに怒りをあらわにし、フィリップの二の腕に手をかけ無理矢理どかそうとした。
「おまえには関係ないだろ? 彼女にはこけにされたんだ。黙っているわけにはいかない」
「エイミーがおまえに気のあるそぶりを見せたってことか?」
フィリップはそれとわかるように大げさに鼻で笑う。
「こいつが礼儀正しくもてなしてくれたことに、おまえが勝手にのぼせただけだろ?」
「エスコート役に選ばれたからって、いい気になるな!」
男は逆上し、フィリップの胸倉をつかみ上げる。襟元をねじられて首を絞められながらも、フィリップは怒鳴った。
「もてなされたのは自分だけだと思うなよ! そういう意味では俺だってその他大勢なんだ!」
そうだ。エイミーはどんなに暴言を吐くフィリップでも、訪問すれば応接室に通して手厚くもてなしてくれた。誰に対しても変わらぬその態度に、フィリップは何度ひそかに胸を焦がしたことか。
息荒く男をにらみつけていたフィリップは、そのうち周囲がやけに静かだと気付いた。男の手も、いつのまにかゆるんでいる。
男は呆然としながらつぶやいた。
「おまえ、もしかして彼女のことが好きなのか?」
その言葉に、フィリップはすぐさま反応した。
「ば……っ、そんなわけねーよ!」
あれだけ暴言を吐きながら彼女のことが好きだなんて。他人に知られたら恥ずかしすぎる。
するとエイミーを取り巻いていた別の男が、ぼそりと言った。
「“俺だってその他大勢なんだ”って、好きだって言ってるようにしか聞こえないんだけど?」
エイミーへの恋心は完全に隠せてると思っていた。
いや、実際今まで隠せていたようだ。
自分の失言を指摘され、一気に頭に血がのぼる。
「違うっ! 違うんだあぁ!」
フィリップは叫び声を上げながら、その場から逃げ出した。
子ども共々、ごく限られた人の前にしか姿を現さない人物で、物心つくまえからアランネル侯爵邸に頻繁に通わされていたフィリップも、初めて顔を合わせたのが発覚──正しくは“公表”か。関係者が周知して回っていたから──した後のことだった。
庶民というものはみなこんな感じなのかもしれないが、エイミーの母親であり、商家の娘であるアネットという女性は実に奇特な人物だった。侯爵邸で客人として扱われながらもそれを鼻にかけることなく控えめで、国王に結婚を許されたというのに、それすらも庶民の出だからと言って断ったというのだ。
公爵家の跡取と庶民の娘。本来なら許されるはずのない結婚も、跡取がその立場を他者に譲り、実力をつけた国王が命令として下せば、貴族たちも反論できず、何の問題もなく結婚できるはずだった。
だがアネットは、正当な伴侶の座を辞退し、今も日蔭の身として邸の隅でひっそりと暮らしている。
その本当の理由をフィリップが聞いたのは三年前、フィリップが十五歳になった時のことだった。
──実はあたし、貴族の血を引く商家の娘じゃなくって、クリフォード公爵邸の前に捨てられてた素性のわからない身なのよね。
人払いはしたけれど、このような衝撃的な事実を、アネットはけろっとした様子で告白した。
貴族は血統を重んじる。庶民であってもアネットの存在が認められているのは、子爵家の血筋を引いているといわれているからだ。それがあったから、国王も結婚を勧めようとした。
けれども、どこの誰の子ともわからないと知れたら、血統至上主義の貴族たちから何を言われるかわからない。下手をすれば彼女の血を引くエイミーは、相続権をはく奪されるかもしれない。
──そのような重大な話を俺にしていいんですか?
冷汗を流しながら考えた末、フィリップがそう言うと、アネットは何故か満足そうにほほえんだ。
──そういう聞き方をしてくれるということは、フィリップはバラしたりしないと約束してくれるということでしょ?
──だったら話す前に、絶対に内緒にするようにと約束を取りつけてください! 危なっかしすぎます! もし俺が触れまわったりしたらどうするつもりだったんですか! バレてただでは済まないのは、あなただけじゃないんですよ!?
親子ほども歳の違うアネットを叱りつけると、彼女は嬉しそうにころころと笑った。
──フィリップだったらそう言ってくれると思ってたわ。だから話したの。
今もめったに人に会わずほとんど部屋の中で暮らしているのは、以前クリフォード公爵邸で下働きとして働いていたことを知られてしまわないようにするためだという。
アネットが結婚の許可を辞退してまで素姓を隠した理由は、この話からだいたいわかった。
はっきりと聞かされたわけではないけど、多分エイミーのためだ。エイミーの立場を守るために、ろくに部屋から出られない不自由な生活を、アネットは自身に課しているのだ。
そうまでして守り通そうとしてきた秘密を何故フィリップに話したのか、未だに謎だったりする。
だが、そうしてまでアネットが子どもたちを守ろうとしても、口さがない者たちの影口は絶えない。貴族の血を引いていても庶民は庶民で、その庶民の血を引くエイミーも所詮庶民だと、一部の者たちから蔑まれている。
それでも、エイミーと結婚できれば公爵位を継承できるとあって、彼女への求婚はひっきりなしだ。
不機嫌を装いパートナーとの最初のダンスを踊り終えると、フィリップは義務を果たしたとばかりにさっさとエイミーから離れた。
フィリップにとって、エイミーとのダンスは心臓に悪い。手を取り、背中に腕を回して支えれば、その近さに心臓がばくばくと暴れ出す。
エイミーから距離を取り壁際まで行って、フィリップははぁと息をついた。
いつまで保つかな、俺の心臓……。
人に聞かれたら笑われそうな台詞を心の中でつぶやきながら、息を整える。
フィリップの周囲の男たちのエイミーへの感想は、“恋愛する気になれない女”だった。血筋をあげつらい、相手にならないと言っている者もいる。が、それだけでなく表情のない彼女は冷たい女だと誤解されることが多く、そんな女と恋愛してもつまらないと言うのだ。
彼らの認識は間違っている。
エイミーは表情筋が固いだけで、内面は情感豊かだ。それに人の心を読み取ることに長けていて、さりげない気配りができ、彼女を相談相手として頼りにしている友人は多い。友人の数そのものは、出自のせいで敬遠されがちなため、公爵令嬢としては少なめと言えるが。
他にも、フィリップだけが知っていることがある。エイミーは自分の表情のなさを気にして、影ながら笑顔をつくる努力をしているのだ。
そうした彼女のよいところを、求婚者たちはどれだけ知っているのか。
フィリップがエイミーの隣に立ったことで、彼らは一様に顔色を悪くしたが、婚約者と紹介されたわけではないことに安心したのか、ダンスをする人々を避けて広間の端のほうへと移動した彼女にさっそく群がっていた。
彼女に男が群がるのは、見ていて気分のいいものじゃない。だが目をそらせずにいると、何やら様子がおかしいことにフィリップ気付いた。
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近付くにつれ、会話が聞こえてきた。
「納得いかない! 何であいつがエスコート役なんだ?」
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自問さえしたその言葉に、フィリップはぐっと喉をつまらせ脳裏に反省をちらつかせる。
が、次の言葉に、そんな殊勝な思いも吹っ飛んだ。
「気のある振りをして俺たちを誘って、爵位を餌に僕たちをもてあそんだのか?」
そう言って詰め寄る男の肩をつかんでエイミーから引き離し、フィリップは彼女を背中にかばった。
「エイミーがそんなことするわけないだろ!」
フィリップに割って入られた男は、いまいましそうににらみつけてくる。
「何でかばってるんだ? おまえこそ、いつもエイミーをいじめてるくせに」
「俺はおまえらみたいに、かよわい女を寄ってたかっていじめるような趣味はないんでね」
嫌味を言ってにやり笑ってみせると、男は自覚があったのか、わずかに顔をしかめる。が、すぐに怒りをあらわにし、フィリップの二の腕に手をかけ無理矢理どかそうとした。
「おまえには関係ないだろ? 彼女にはこけにされたんだ。黙っているわけにはいかない」
「エイミーがおまえに気のあるそぶりを見せたってことか?」
フィリップはそれとわかるように大げさに鼻で笑う。
「こいつが礼儀正しくもてなしてくれたことに、おまえが勝手にのぼせただけだろ?」
「エスコート役に選ばれたからって、いい気になるな!」
男は逆上し、フィリップの胸倉をつかみ上げる。襟元をねじられて首を絞められながらも、フィリップは怒鳴った。
「もてなされたのは自分だけだと思うなよ! そういう意味では俺だってその他大勢なんだ!」
そうだ。エイミーはどんなに暴言を吐くフィリップでも、訪問すれば応接室に通して手厚くもてなしてくれた。誰に対しても変わらぬその態度に、フィリップは何度ひそかに胸を焦がしたことか。
息荒く男をにらみつけていたフィリップは、そのうち周囲がやけに静かだと気付いた。男の手も、いつのまにかゆるんでいる。
男は呆然としながらつぶやいた。
「おまえ、もしかして彼女のことが好きなのか?」
その言葉に、フィリップはすぐさま反応した。
「ば……っ、そんなわけねーよ!」
あれだけ暴言を吐きながら彼女のことが好きだなんて。他人に知られたら恥ずかしすぎる。
するとエイミーを取り巻いていた別の男が、ぼそりと言った。
「“俺だってその他大勢なんだ”って、好きだって言ってるようにしか聞こえないんだけど?」
エイミーへの恋心は完全に隠せてると思っていた。
いや、実際今まで隠せていたようだ。
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