らっきー♪

市尾彩佳

文字の大きさ
34 / 36
おまけ

公爵令嬢の婚約者 2/4

しおりを挟む
 アランネル侯爵邸に商家の娘が子どもを連れて滞在しているということは、十一年前の発覚以前から知られていることだった。その商家の娘というのは、当時のアランネル侯爵夫人、現在のクリフォード公爵夫人イリーナの友人で、隣国の戦火を逃れてラウシュリッツ王国にある実家に身を寄せていたのだと、フィリップは最初聞かされていた。
  子ども共々、ごく限られた人の前にしか姿を現さない人物で、物心つくまえからアランネル侯爵邸に頻繁に通わされていたフィリップも、初めて顔を合わせたのが発覚──正しくは“公表”か。関係者が周知して回っていたから──した後のことだった。
 
 庶民というものはみなこんな感じなのかもしれないが、エイミーの母親であり、商家の娘であるアネットという女性は実に奇特な人物だった。侯爵邸で客人として扱われながらもそれを鼻にかけることなく控えめで、国王に結婚を許されたというのに、それすらも庶民の出だからと言って断ったというのだ。
  公爵家の跡取と庶民の娘。本来なら許されるはずのない結婚も、跡取がその立場を他者に譲り、実力をつけた国王が命令として下せば、貴族たちも反論できず、何の問題もなく結婚できるはずだった。
  だがアネットは、正当な伴侶の座を辞退し、今も日蔭の身として邸の隅でひっそりと暮らしている。
 
 その本当の理由をフィリップが聞いたのは三年前、フィリップが十五歳になった時のことだった。
  ──実はあたし、貴族の血を引く商家の娘じゃなくって、クリフォード公爵邸の前に捨てられてた素性のわからない身なのよね。
  人払いはしたけれど、このような衝撃的な事実を、アネットはけろっとした様子で告白した。
  貴族は血統を重んじる。庶民であってもアネットの存在が認められているのは、子爵家の血筋を引いているといわれているからだ。それがあったから、国王も結婚を勧めようとした。
  けれども、どこの誰の子ともわからないと知れたら、血統至上主義の貴族たちから何を言われるかわからない。下手をすれば彼女の血を引くエイミーは、相続権をはく奪されるかもしれない。
  ──そのような重大な話を俺にしていいんですか?
  冷汗を流しながら考えた末、フィリップがそう言うと、アネットは何故か満足そうにほほえんだ。
  ──そういう聞き方をしてくれるということは、フィリップはバラしたりしないと約束してくれるということでしょ?
  ──だったら話す前に、絶対に内緒にするようにと約束を取りつけてください! 危なっかしすぎます! もし俺が触れまわったりしたらどうするつもりだったんですか! バレてただでは済まないのは、あなただけじゃないんですよ!?
  親子ほども歳の違うアネットを叱りつけると、彼女は嬉しそうにころころと笑った。
  ──フィリップだったらそう言ってくれると思ってたわ。だから話したの。
  今もめったに人に会わずほとんど部屋の中で暮らしているのは、以前クリフォード公爵邸で下働きとして働いていたことを知られてしまわないようにするためだという。
  アネットが結婚の許可を辞退してまで素姓を隠した理由は、この話からだいたいわかった。
はっきりと聞かされたわけではないけど、多分エイミーのためだ。エイミーの立場を守るために、ろくに部屋から出られない不自由な生活を、アネットは自身に課しているのだ。
  そうまでして守り通そうとしてきた秘密を何故フィリップに話したのか、未だに謎だったりする。
 

 だが、そうしてまでアネットが子どもたちを守ろうとしても、口さがない者たちの影口は絶えない。貴族の血を引いていても庶民は庶民で、その庶民の血を引くエイミーも所詮庶民だと、一部の者たちから蔑まれている。
  それでも、エイミーと結婚できれば公爵位を継承できるとあって、彼女への求婚はひっきりなしだ。
 
 不機嫌を装いパートナーとの最初のダンスを踊り終えると、フィリップは義務を果たしたとばかりにさっさとエイミーから離れた。
  フィリップにとって、エイミーとのダンスは心臓に悪い。手を取り、背中に腕を回して支えれば、その近さに心臓がばくばくと暴れ出す。
  エイミーから距離を取り壁際まで行って、フィリップははぁと息をついた。
  いつまで保つかな、俺の心臓……。
  人に聞かれたら笑われそうな台詞を心の中でつぶやきながら、息を整える。
  フィリップの周囲の男たちのエイミーへの感想は、“恋愛する気になれない女”だった。血筋をあげつらい、相手にならないと言っている者もいる。が、それだけでなく表情のない彼女は冷たい女だと誤解されることが多く、そんな女と恋愛してもつまらないと言うのだ。
  彼らの認識は間違っている。
  エイミーは表情筋が固いだけで、内面は情感豊かだ。それに人の心を読み取ることに長けていて、さりげない気配りができ、彼女を相談相手として頼りにしている友人は多い。友人の数そのものは、出自のせいで敬遠されがちなため、公爵令嬢としては少なめと言えるが。
  他にも、フィリップだけが知っていることがある。エイミーは自分の表情のなさを気にして、影ながら笑顔をつくる努力をしているのだ。
 
 そうした彼女のよいところを、求婚者たちはどれだけ知っているのか。
  フィリップがエイミーの隣に立ったことで、彼らは一様に顔色を悪くしたが、婚約者と紹介されたわけではないことに安心したのか、ダンスをする人々を避けて広間の端のほうへと移動した彼女にさっそく群がっていた。
  彼女に男が群がるのは、見ていて気分のいいものじゃない。だが目をそらせずにいると、何やら様子がおかしいことにフィリップ気付いた。
  人込みをかき分け、彼女のもとへ急ぐ。
  近付くにつれ、会話が聞こえてきた。
 「納得いかない! 何であいつがエスコート役なんだ?」
 「あんな暴言を吐くやつのどこがいいんです? お父上方はお許しになられたのですか?」
  自問さえしたその言葉に、フィリップはぐっと喉をつまらせ脳裏に反省をちらつかせる。
  が、次の言葉に、そんな殊勝な思いも吹っ飛んだ。
 「気のある振りをして俺たちを誘って、爵位を餌に僕たちをもてあそんだのか?」
  そう言って詰め寄る男の肩をつかんでエイミーから引き離し、フィリップは彼女を背中にかばった。
 「エイミーがそんなことするわけないだろ!」
  フィリップに割って入られた男は、いまいましそうににらみつけてくる。
 「何でかばってるんだ? おまえこそ、いつもエイミーをいじめてるくせに」
 「俺はおまえらみたいに、かよわい女を寄ってたかっていじめるような趣味はないんでね」
  嫌味を言ってにやり笑ってみせると、男は自覚があったのか、わずかに顔をしかめる。が、すぐに怒りをあらわにし、フィリップの二の腕に手をかけ無理矢理どかそうとした。
 「おまえには関係ないだろ? 彼女にはこけにされたんだ。黙っているわけにはいかない」
 「エイミーがおまえに気のあるそぶりを見せたってことか?」
  フィリップはそれとわかるように大げさに鼻で笑う。
 「こいつが礼儀正しくもてなしてくれたことに、おまえが勝手にのぼせただけだろ?」
 「エスコート役に選ばれたからって、いい気になるな!」
  男は逆上し、フィリップの胸倉をつかみ上げる。襟元をねじられて首を絞められながらも、フィリップは怒鳴った。
 
「もてなされたのは自分だけだと思うなよ! そういう意味では俺だってその他大勢なんだ!」
 
 そうだ。エイミーはどんなに暴言を吐くフィリップでも、訪問すれば応接室に通して手厚くもてなしてくれた。誰に対しても変わらぬその態度に、フィリップは何度ひそかに胸を焦がしたことか。
 
 息荒く男をにらみつけていたフィリップは、そのうち周囲がやけに静かだと気付いた。男の手も、いつのまにかゆるんでいる。
  男は呆然としながらつぶやいた。
 「おまえ、もしかして彼女のことが好きなのか?」
  その言葉に、フィリップはすぐさま反応した。
 「ば……っ、そんなわけねーよ!」
  あれだけ暴言を吐きながら彼女のことが好きだなんて。他人に知られたら恥ずかしすぎる。
  するとエイミーを取り巻いていた別の男が、ぼそりと言った。
 
「“俺だってその他大勢なんだ”って、好きだって言ってるようにしか聞こえないんだけど?」
 
 エイミーへの恋心は完全に隠せてると思っていた。
  いや、実際今まで隠せていたようだ。
  自分の失言を指摘され、一気に頭に血がのぼる。
 「違うっ! 違うんだあぁ!」
  フィリップは叫び声を上げながら、その場から逃げ出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...