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✾ Episode.1 ✾ 『Code Name : Gemini』
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〈i : ? who are we〉
モグラは地中を泳ぐ。
底へ、底へと土をかき分ける。
〈i / end〉
私たちは生き残るために進化しなければならない。
〈i : ? what is the sin to bear?〉
進化の過程でいらなくなったモノは、容赦なく切り捨てなければならない。
〈no : i / end〉
地中を生きるモグラの場合は、鋭い嗅覚と、発達した大きな爪を与えられた。
〈wish : there should have been no sins long ago.〉
けれどその代償に両目を潰し、盲目にならなければならなかった。
〈wish / disappointment〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
モグラはときどき地上に顔を出しては、陽の光を浴びていることがある。
何も見えなくとも、彼らにとっては然程大した問題ではないのだろう。もっぱら住処は地中深くだ。そこには餌が豊富にあって、水に困ることもない。モグラにとっては実に居心地の良いことだろうと思う。
でも地中に追いやられた私たちはというと、モグラのようには満足できない。
かつてこの大空には、秘境と呼ばれる島があった。それは大地に根付くことなく、雲の上に浮かび、百人にも満たない人数で構成されていた。
そこには最初で最後の支配者ヴィッキと、その弟レダがいたとされ、その地を〝ベベル〟と名付けたのも彼らだと言われている。
ヴィッキは弟思いの逞しい兄だった。面倒見がとてもよく、強さや才能を決して周りにひけらかさない。それでいて自分はベベルの王なのだと自慢げに謳うこともなく、子どもや老人に対しても同じ目線で物事を見ることが出来るような優しい人だった。
その一方で弟のレダは〝王〟などという立場や権力にはまるで興味がなく、〝ベベル〟という空に浮かぶ島の不思議について研究することが何よりの楽しみであった。
もちろん兄のことは尊敬している。民に愛されるというのは、統べる者にとってこの上ない幸せなのだとも思う。
けれどレダはダラダラと流れていく日常にうんざりしていたし、飽き飽きもしていた。だから何かとびっきりの刺激がほしかった。
ベベルに上陸してからおよそ五十年あまり。
ヴィッキとレダはお互いの才能や力を認め合いながら、地上とは勝手の違う空飛ぶ島での生活を順調に送っていた。
だが惨いことに、ベベルの崩壊は二人の兄弟争いが原因で滅びることとなる。
その始まりは四百年以上も前に終わりを迎え、こうして争いに負けた私たちの祖先――つまり、弟レダの敗北――は、〝罪人〟というレッテルとともに、地中深くへ沈められた。
幸いにも身に備えていた知識や技術があったおかげで、レダを含めた仲間たちは、土の中に大きな地下空間をつくることが出来た。
電気はそこを流れる湧き水の微量なエネルギーを最大限に引き出せるよう歯車を回し、発電。飲み水もそこから汲み取り、あらかじめ持ってきていた少量の種を培養して育てるために、この場に順応した品種を改良・発芽させる。
地下空間を作り上げるのには長い年月がかかったが、その分、不自由のない最低限の暮らしが送れるようにはなった。
けれど、この身体に刻まれた遺伝子というのはどうしようもなく、陽に当たらない私たちの身体は、日が増すごとに白く、細く、脆くなっていった。
〈disappointment / ? Destiny?〉
時が経つごとに薄れていく。
〈continue : disappointment〉
遠いむかしに交わされた約束を。
〈i : ? why // i don't relation.〉
そして私たちはあまり知らない。
〈reda : veikki // ? the secret is in the sky.〉
どうしてそのとき交わした約束を今でも律儀に守り続けているのかを――。
~・~ ◇◇◇ ~・~
数少ない娯楽の一冊に、レダが残した古い日記がある。が、残念なことに私たちが最も知りたい〝約束〟のことや、〝ベベル〟に関する重要な記述は、誰かの手によって意図的に破られているようだった。
けれどその日記には、兄ヴィッキに対する謝罪文が長く綴られ、彼が死ぬときも、そのことを酷く悔やんでいたらしい。
その理由を父親に聞いても言葉を濁すようにして、はっきりとは答えてくれなかった。そのくせ〝決して外には出てはいけない〟という〝掟〟だけを私たちに言い残す。不満は余計に募るばかりだった。
それでも私たちは夢に見る。外の世界や、太陽の眩しさがどれほどのものかを。
地底の現王レグルスの娘である三姫、長女のヴィータ、次女のイヴ、三女のウィニーは考える。
〈i :? Can we solve the mystery?〉
――私たちは一体なにに怯えているの?
〈i :? / end / no, there are limits. //〉
――その罪は四百年以上経った今でも消えることはないの?
〈i :? but if so, would our destinies change more dramatically?〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
その疑問に辿り着いたとき、三姫の中でも一番賢い末っ子のウィニーがある仮説を立てた。というよりも、その〝仮説〟がより濃厚になった、というべきか。
極論をいうと私たちは、地底という牢獄に長く閉じ込められているというわけではなく、何かに怯えて、それから身を守ろうとしているのだ。弱い存在である私たちがどこからも侵略を受けない為に、この地下世界へ逃げ隠れている。
これから生まれてくる新しい命だってあるのに、ちゃんとした理由付けもないまま、ずっと陽の当たらない暗い世界の中で一生を終えるのは嫌だ。となれば、王族の娘である私たちが民のために最善を尽くすというのが道理である。
年齢や性格は違えど、三姫はとても仲が良い。
一緒に冒険に出かけては拾いモノをし、拾うモノによっては、新しいモノを生み出す。
誰よりも貪欲で、誰よりも行動力がある彼女たちは、流石の王様も手を焼くほどの有能さを見せている。
「変えよう。私たちの未来を」
イヴが拳を高々と天に掲げる。ヴィータもウィニーもやる気に満ちた瞳をしていた。
~・~ ◇◇◇ ~・~
そんなある日のこと。
地底を探索していた三姫は、そこで一風変わったヘルメットを拾ってきた。
それはマスクの内側と空気孔に植物が根付いたモノで、抜いても、抜いても、僅か数分で元通りに生えてくるという異常なまでの生命力があった。
そしてその横には――……、今までに見たこともないような人間が二人、身体から青い花を咲かせた状態で倒れていた。
上へとまっすぐ伸びる茎の先端に、一輪の大きな青い花が咲いている。それ以外は特に目立った外傷はなく、けれど、どちらも意識は失っているようだった。
「ねぇ、これ死んでるの?」
イヴが干しシイタケを齧りながら言う。ウィニーはモグラに似せて作った土掘り機から降りると、二人の少年に駆け寄った。
「生きてると思うよ。土が色んなところに入り込んでいるけどね」
ウィニーは振り向きざまに「ねぇ、ヴィタ姉。これウチに持って帰ってもいい?」と聞いた。
ヴィータは腕組みをして「いいんじゃないか? 私達に歯向かうようなら殺せばいい」と答えた。
「じゃあ、持ってかーえろっと」
ウィニーは上機嫌で少年の足を手で引っ張る。ヴィータとイヴも手伝ってやりながら、二人を土掘り機の上に乗せた。
「にしても珍しいもんだな。こんな深い場所で地上人に出くわすとは」
「でもさ、ヴィタ姉。たぶん地上にもこんな構造の人間なんていないと思うよ」
「そうか。」
ヴィータは小さく息を漏らした。
「私はお前より地上に詳しくないからね、てっきりこういう草の生えた人間もふつうにいるのかと思っていたよ」
「たぶん違う」
ウィニーはもう一度、言い直した。
「ねぇウィニー。このヘルメットの草、食べれるかなぁ」
「さぁね。一回食べてみればいいんじゃない? そしたら色んなことが分かるよ」
「色んなことって?」
「本当に食べられるのか、それとも食べられないのか。美味しいのか、美味しくないのか。あとは毒があるか、とかね」
「――ちょっと。先に怖いこと言わないでよ」
「初めて目にするやつなんだから、そーゆーリスクは最初から分かっていること」
ウィニーはイヴの顔面に小さな手を突き出すと、「でもぼくも食べてみたいから、一本ちょうだい」と言った。
イヴは齧っていた干しシイタケを一旦片手に避難させると、ウィニーと仲よく半分こした。
~・~ ◇◇◇ ~・~
家に帰ると、ウィニーはさっそく使い古したパソコンを開けた。
ヘルメットに生えた草の正体。
それから二人の少年の生物学的構造の謎。
それらを一から解析し、ウィニーは生命メカニズムにおける重要な〝プログラム〟をゼロから構築し始めた。
ウィニーの瞳に反射しているのは、上から下に流れる大量の暗号。そのタイプの画面をふだん見慣れているわけではないので、こうした難易度の高い技術を駆使して自在に仕事をやってのけるウィニーには、他の二姫も頭が上がらない。
これは彼女の才能である。
身体も小さく、まるで赤ん坊のような体型をしているウィニー。ふっくらとしたほっぺや、思わずキスしたくなるような艶のある唇は、誰が見ても愛らしく映ることだろう。
けれど彼女は自ら庇護欲を掻き立てるなんてことはしない。それよりもかえって少年のようであり、凛々しく、頭脳も明晰である。
そのため三姫の中では末っ子という立場にありながら、姉二人に一目置かれる存在だった。
ウィニーは横に置いてあるお菓子に手を伸ばしながら、軽やかにキーボードを打つ。
パソコンから伸びる二本の管は、コンクリートの床を這って、円柱状の大きな水槽のてっぺんまで続いていた。
そこには大きな蓋がひとつ。
マンホールのような重めのそれには、サイズもピッタリの穴が二カ所開けられ、その中を通って、水中に眠る二人の少年の頸椎まで繋がっていた。
〝Code Name : Gemini〟
それが二体の被験者の呼び名である。より詳しく言うなら、〝Gemini〟は双子であり、それぞれ白い髪と白い肌、そして先の尖った耳を持っていた。
一人は長めのおかっぱ頭。
もう一人は短髪のツンツン頭。
瞼は固く閉ざされ、表情さえ窺えないものの、幼い顔つきをした二人の少年は今もなお穏やかに眠っている。
ウィニーは液晶画面に釘付けになりながら、指を忙しなくキーボードに打ちつけていた。水槽の中の様子よりも、データの中の実態に興味がそそられているようだ。
ウィニーはまた無意識のうちにお菓子の袋に手を伸ばしていた。指をしゃぶってはキーボードを叩き、またお菓子を摘まんでは指をしゃぶる。
そういうことを繰り返していると、見かねたイヴがウィニーとパソコンの間に割って入って、妹の汚れた指先をさっと掴み上げた。
「ウィニーったら全く行儀が悪いんだから。食べるか、作業をするか、どっちかにしなよ」
「言ったね? イヴ姉」
ウィニーは重たい瞼を持ち上げて、小さな人差し指をイヴに向けた。
「だったらイヴ姉も、歩きながら干しキノコを齧っちゃダメだよ。ぼくにそう言うんだから、イヴ姉にもぼくと同じ質を求めるよ」
「やだやだ。また始まったわ。頭の良い子ってホント言うことも堅苦しいんだから」
イヴは「やれやれ」と肩を竦め、今度は水槽の前に立って腕組みをしているヴィータのところへ話しかけに行った。
「姉さん。〝Gemin〟の様子はどう?」
「まだ分からんね。ウィニーの解析の速さは助かっているけれど、それでも今のところ私たちが分かったことと言えば、あのヘルメットに生えていた草の種類と、あの少年たちに生えていた草の種類が全く別物だってことぐらいだ」
そう言いながらヴィータは、机の上に置かれたヘルメットを顎で指し示した。
「アレが少年とは全く関係のない個別の物なら、私たちの食糧に生かすことを考えよう。何度でも繰り返し食べることができて、かつ、手間をかけずに再生が可能だというのなら、少し手を加えれば私たち皆の食事がずっと楽になる。完成すれば、さぞお父様も喜ばれることだろう」
ヴィータは腕組みをしたまま、たわわに実った胸を下から支えるようにして持ち上げた。
「あとは結果を待つだけだな」
そういう彼女の言葉には、いち王族の娘としての誇りに満ち溢れていた。
とそこへ、タイミングを被せるように扉をノックする音が聞こえた。
「姫様方。お夕食の準備が整っております。どうぞお集まりくださいませ」
三姫直属の召使いが扉の横で深々と頭を下げる。
その言葉を聞くや否や、真っ先に立ち上がったのはウィニーである。食には三姫とも貪欲だが、とりわけウィニーは待ちきれずお菓子を食べてしまうほど、ご飯に目が無い。
「待ってたよぉ。ぼくのエネルギーゲン」
ウィニーはすっかり上機嫌である。彼女は画面の電源をつけっぱなしにしたまま、喜び勇んで部屋から出て行った。その後をイヴ、次いでヴィータの順に続く。
――このときは誰もが異変に気付けなかった。
ウィニーの管理しているパソコンの画面上で、赤くエラーが発生していたことには……。
~・~ ◇◇◇ ~・~
三姫が出て行き、物音ひとつ聞こえなくなった部屋の中で、水槽にいた被験者がゆっくりと目を開けた。
腹と額の端に〝Underground〟の烙印が押された二人の少年。
その場で数回瞬きをすると、大きな水槽の中で身体を自由に動かし始めた。
長めのおかっぱ頭をしたタアニャは意識を取り戻すなり、いち早く自らが〝囚われの身〟であることを悟る。あたりをキョロキョロ見回して、最上部にある大きな蓋のところまで行くと、それを押し上げて脱出できるかどうかを確かめる。
幸いにも水槽には鍵がかかっていなかった。
「ラビィ! ここから出られそうだよ!」
タアニャは短髪の少年を手招きする。蓋は二人がかりであれば、なんなく開けることが出来た。
~・~ ◇◇◇ ~・~
ようやく解放された二人は、まるで生まれたばかりの小鹿のようだった。しばらくの間は、まともに立って歩くことも出来ない。
何度目かのリハビリを終えて、なんとか走れるようにまでなると、彼らは頸椎から鎖のように繋がっていた長い管を思い切り引き抜いた。
その途端、部屋のあちこちで警報が煩く鳴り始める。赤い回転灯が忙しなく回り、異常事態が発生したことを広く告げた。
「これって僕たちのせいだよね?」
「多分そうだと思うよ」
そう言いながら、ラビィは首の後ろを指でなぞる。そこには大きな穴がぽっかりと開いていて、さっきまで長い管が深く突き刺さっていたことが確かに証明されていた。
けれどそこから赤い血が流れ伝うということはなく、逆に内側からウニョウニョと蠢く細い草たちが、縫い目のように折り合わさって、傷を完全に修復している。
痛みはほとんど感じられなかった。
「これくらいなら大丈夫そうだね」
ラビィがぽつんと呟く。
タアニャが切羽詰まった様子で彼の手を取った。
「ねぇ、ラビィ。早くここを出ようよ‼ 早くしないと誰かが僕たちを探しに来ちゃう」
タアニャの緊張がラビィにも伝わる。二人はぎこちない足取りで部屋を出た。
だが、そこは迷路のように複雑な構図をした長い廊下。二人は右も左も分からないまま、あっち、こっちへ行き当たった。
「このままだと行き止まりだよ、タアニャ!」
「わかってる! でもどっちに行けばいいか分からないんだ‼」
太陽が導とならない地底では、自然な方向感覚も全く当てにはならない。等間隔で取り付けられた白い蛍光灯によって廊下全体は満遍なく照らし出されているものの、似たような景色に惑わされてばかりで彼らは一向に出口を見つけられないでいた。
〈i / us : escap !!〉
僕たちはどこに向かってる?
〈i / us : escap !!〉
出口はどこ?
〈i / us : escap to end〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
どうやって居場所を突き止めたのか、三姫を含めた数人の追っ手がいつの間にか二人の背後に迫っていた。
先を走っていたタアニャは目の前の壁に足を止め、息せき切って「どうしよう、もう道がない‼」と声を大きくした。
「落ち着いてタアニャ!」
ラビィが追っ手に向かいながら叫んだ。
「ほんの少しだけど、風の流れを感じるんだ。きっとどこかに外へ繋がる道があるはずだよ。探して‼」
ラビィが追っ手を牽制する。その間にタアニャは手あたり次第に壁を叩いて、どこかに小さな手掛かりがないかを探った。
すると――。
「あった!」
タアニャが叫んだ。
「錆びついていて、ただの突起にしか見えなかったけど、ここに扉があるみたい!」
それは正面壁より下の方にあった。錆のせいで持ち手の面積が少なく、力任せに押したり、引いたりしても、まるでビクともしない。
先に二人に追いついたヴィータは、隠し扉が備え付けられた白い壁の構造を見て、眉間に皺を寄せた。
「ここは確か――お父様が言っていた立ち入り禁止区域じゃないか。よりにもよって、どうしてこの場所を……」
彼女は疲れきったように息を吐きながら、こめかみを指で押さえる。
「悪いがその先へ行かせることはできない。逃亡を諦めてくれ」
「諦めたらボク達そこで終わりなんでしょ?」
タアニャがヴィータを睨みつける。ヴィータも少年を睨み返す。イヴは腕組みをしたまま状況を見守り、ウィニーは〝どうして順調に見えたシステムに突然のエラーが起こったのか〟について、じっと考えを巡らせていた。
「ヴィータ様」
追っ手の一人が耳打ちをする。
「早く手を打たなければ、逃げられてしまいますぞ」
「分かっている」
ヴィータは仕方なしに首を横に振ると、付け根から指先まで丸ごと機関銃となった左腕を突き出した。
ウィニーの設計でサイボーグとなった左腕。装填のタイミングさえ見計れば、どんな戦闘でも不意打ちの利く立派な武器になり代わる。
ヴィータは二人の少年に向かって、情けをかけることなく発砲した。
しかしこの選択が仇となる。
結果だけを見れば、彼女が下した判断に一瞬の隙が生まれたのは、後にも先にもこの時だけだろう。ヴィータの放った弾丸が、錆付いた扉の錠を打ち抜いてしまったのだ。
錆びた扉は外側へ開き、同時に強く壁を押していたタアニャもまた、バランスを崩して真っ逆さまに落ちていく。
続きがあると思っていた道の先が――そこにはなかったのだ。
地上から縦に掘られた深い丸穴。下の方は明かりが灯されておらず、ねっとりとした濃い闇に包まれていた。
穴の側面には扉がいくつも埋められており、どの道を辿っても、最終的にはこの場所へ辿り着くよう設計されているように思われた。
「タアニャ!」
ラビィが駆け寄って下を覗き込む。彼の姿はすでに、豆粒ほどの大きさになっていた。
~・~ ◇◇◇ ~・~
――長いようで短い空中落下。
地面にぶつかる前に、何かに掴まらなければ命はない。そう思うも手は届かず、ようやく彼の指先に触れたのは、頼りない細い紐のようなモノだけだった。
そこに全体重をかけると「カチッ」という小さな音がハッキリと聞こえ、その直後、すぐそばで〝何か〟が作動した。大きな音とともに、穴の側面にあった明かりが下から上へと順に灯っていく。
少しのあいだ紐にぶら下がっていたタアニャも思わず見惚てしまった。
目の前にあったのは銀色に輝く大きな機体。それはまるで意思を持っているかのように起動を始めた。
そこに人の姿はない。
けれどコックピットのメーターが一瞬にして跳ね上がり、操縦レバーが一人でに動いているのを見ると、タアニャはなぜか嬉しくて堪らなかった。
「キミも――眠っていたんだね」
タアニャは目を細めて、そう呟いた。
だが、次の瞬間には開いた天井から吹き込む強風に身体が大きく揺れ、タアニャは必死に細い紐へしがみ付かなければならなかった。
紐には重りのような留め具が無い。汗で滑る手のひらに何もつっかえることなく、タアニャの身体は再び落下した。
今度こそ終わりだ。
そう思った刹那、またしても彼の命はその船に救われることとなる。タアニャが落ちるタイミングをまるで予知していたかのように、見計らったタイミングで機体が旋回したのだ。
おかげでタアニャは地に落ちることなく、船の左翼に身体を預ける形になった。
「ふぅ……」
と一息つくのもやっと。船が本格的な上昇を始めると、その風圧に耐えかねて、何度も身体が飛ばされそうになった。
船は見た目以上にツルツルしている。掴みどころがほとんどなくて、タアニャは自分が狙われているということをすっかり忘れていた。
ヴィータがもう一度彼に照準を定める。イヴに両腕を捕まれて身動きの取れないラビィは、もがきながら声を振り絞った。
「タアニャ‼」
ラビィが叫ぶ。
「タアニャ、後ろ! 狙われてる‼」
「え」
タアニャが振り返り、ヴィータが最後の弾丸を放つ。しかしそれは奇跡的に的を外れ、銀色の機体に撥ね返って終わった。
結局のところ、タアニャの白い肌には弾が一発も当たらなかったのである。
「タアニャ……」
ラビィは思わず声を洩らした。
エンジンを蒸かして旋回するその船に操縦士の影はない。それでも予め目的の場所だけはプログラムされていたようで、それは明確な意思をもって地下から地上へ浮上した。
タアニャは逃げ遅れてしまった弟のラビィを見下ろす。
その距離は一方的に開くばかりで、タアニャにはどうすることも出来なかった。
To Be Continue……
モグラは地中を泳ぐ。
底へ、底へと土をかき分ける。
〈i / end〉
私たちは生き残るために進化しなければならない。
〈i : ? what is the sin to bear?〉
進化の過程でいらなくなったモノは、容赦なく切り捨てなければならない。
〈no : i / end〉
地中を生きるモグラの場合は、鋭い嗅覚と、発達した大きな爪を与えられた。
〈wish : there should have been no sins long ago.〉
けれどその代償に両目を潰し、盲目にならなければならなかった。
〈wish / disappointment〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
モグラはときどき地上に顔を出しては、陽の光を浴びていることがある。
何も見えなくとも、彼らにとっては然程大した問題ではないのだろう。もっぱら住処は地中深くだ。そこには餌が豊富にあって、水に困ることもない。モグラにとっては実に居心地の良いことだろうと思う。
でも地中に追いやられた私たちはというと、モグラのようには満足できない。
かつてこの大空には、秘境と呼ばれる島があった。それは大地に根付くことなく、雲の上に浮かび、百人にも満たない人数で構成されていた。
そこには最初で最後の支配者ヴィッキと、その弟レダがいたとされ、その地を〝ベベル〟と名付けたのも彼らだと言われている。
ヴィッキは弟思いの逞しい兄だった。面倒見がとてもよく、強さや才能を決して周りにひけらかさない。それでいて自分はベベルの王なのだと自慢げに謳うこともなく、子どもや老人に対しても同じ目線で物事を見ることが出来るような優しい人だった。
その一方で弟のレダは〝王〟などという立場や権力にはまるで興味がなく、〝ベベル〟という空に浮かぶ島の不思議について研究することが何よりの楽しみであった。
もちろん兄のことは尊敬している。民に愛されるというのは、統べる者にとってこの上ない幸せなのだとも思う。
けれどレダはダラダラと流れていく日常にうんざりしていたし、飽き飽きもしていた。だから何かとびっきりの刺激がほしかった。
ベベルに上陸してからおよそ五十年あまり。
ヴィッキとレダはお互いの才能や力を認め合いながら、地上とは勝手の違う空飛ぶ島での生活を順調に送っていた。
だが惨いことに、ベベルの崩壊は二人の兄弟争いが原因で滅びることとなる。
その始まりは四百年以上も前に終わりを迎え、こうして争いに負けた私たちの祖先――つまり、弟レダの敗北――は、〝罪人〟というレッテルとともに、地中深くへ沈められた。
幸いにも身に備えていた知識や技術があったおかげで、レダを含めた仲間たちは、土の中に大きな地下空間をつくることが出来た。
電気はそこを流れる湧き水の微量なエネルギーを最大限に引き出せるよう歯車を回し、発電。飲み水もそこから汲み取り、あらかじめ持ってきていた少量の種を培養して育てるために、この場に順応した品種を改良・発芽させる。
地下空間を作り上げるのには長い年月がかかったが、その分、不自由のない最低限の暮らしが送れるようにはなった。
けれど、この身体に刻まれた遺伝子というのはどうしようもなく、陽に当たらない私たちの身体は、日が増すごとに白く、細く、脆くなっていった。
〈disappointment / ? Destiny?〉
時が経つごとに薄れていく。
〈continue : disappointment〉
遠いむかしに交わされた約束を。
〈i : ? why // i don't relation.〉
そして私たちはあまり知らない。
〈reda : veikki // ? the secret is in the sky.〉
どうしてそのとき交わした約束を今でも律儀に守り続けているのかを――。
~・~ ◇◇◇ ~・~
数少ない娯楽の一冊に、レダが残した古い日記がある。が、残念なことに私たちが最も知りたい〝約束〟のことや、〝ベベル〟に関する重要な記述は、誰かの手によって意図的に破られているようだった。
けれどその日記には、兄ヴィッキに対する謝罪文が長く綴られ、彼が死ぬときも、そのことを酷く悔やんでいたらしい。
その理由を父親に聞いても言葉を濁すようにして、はっきりとは答えてくれなかった。そのくせ〝決して外には出てはいけない〟という〝掟〟だけを私たちに言い残す。不満は余計に募るばかりだった。
それでも私たちは夢に見る。外の世界や、太陽の眩しさがどれほどのものかを。
地底の現王レグルスの娘である三姫、長女のヴィータ、次女のイヴ、三女のウィニーは考える。
〈i :? Can we solve the mystery?〉
――私たちは一体なにに怯えているの?
〈i :? / end / no, there are limits. //〉
――その罪は四百年以上経った今でも消えることはないの?
〈i :? but if so, would our destinies change more dramatically?〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
その疑問に辿り着いたとき、三姫の中でも一番賢い末っ子のウィニーがある仮説を立てた。というよりも、その〝仮説〟がより濃厚になった、というべきか。
極論をいうと私たちは、地底という牢獄に長く閉じ込められているというわけではなく、何かに怯えて、それから身を守ろうとしているのだ。弱い存在である私たちがどこからも侵略を受けない為に、この地下世界へ逃げ隠れている。
これから生まれてくる新しい命だってあるのに、ちゃんとした理由付けもないまま、ずっと陽の当たらない暗い世界の中で一生を終えるのは嫌だ。となれば、王族の娘である私たちが民のために最善を尽くすというのが道理である。
年齢や性格は違えど、三姫はとても仲が良い。
一緒に冒険に出かけては拾いモノをし、拾うモノによっては、新しいモノを生み出す。
誰よりも貪欲で、誰よりも行動力がある彼女たちは、流石の王様も手を焼くほどの有能さを見せている。
「変えよう。私たちの未来を」
イヴが拳を高々と天に掲げる。ヴィータもウィニーもやる気に満ちた瞳をしていた。
~・~ ◇◇◇ ~・~
そんなある日のこと。
地底を探索していた三姫は、そこで一風変わったヘルメットを拾ってきた。
それはマスクの内側と空気孔に植物が根付いたモノで、抜いても、抜いても、僅か数分で元通りに生えてくるという異常なまでの生命力があった。
そしてその横には――……、今までに見たこともないような人間が二人、身体から青い花を咲かせた状態で倒れていた。
上へとまっすぐ伸びる茎の先端に、一輪の大きな青い花が咲いている。それ以外は特に目立った外傷はなく、けれど、どちらも意識は失っているようだった。
「ねぇ、これ死んでるの?」
イヴが干しシイタケを齧りながら言う。ウィニーはモグラに似せて作った土掘り機から降りると、二人の少年に駆け寄った。
「生きてると思うよ。土が色んなところに入り込んでいるけどね」
ウィニーは振り向きざまに「ねぇ、ヴィタ姉。これウチに持って帰ってもいい?」と聞いた。
ヴィータは腕組みをして「いいんじゃないか? 私達に歯向かうようなら殺せばいい」と答えた。
「じゃあ、持ってかーえろっと」
ウィニーは上機嫌で少年の足を手で引っ張る。ヴィータとイヴも手伝ってやりながら、二人を土掘り機の上に乗せた。
「にしても珍しいもんだな。こんな深い場所で地上人に出くわすとは」
「でもさ、ヴィタ姉。たぶん地上にもこんな構造の人間なんていないと思うよ」
「そうか。」
ヴィータは小さく息を漏らした。
「私はお前より地上に詳しくないからね、てっきりこういう草の生えた人間もふつうにいるのかと思っていたよ」
「たぶん違う」
ウィニーはもう一度、言い直した。
「ねぇウィニー。このヘルメットの草、食べれるかなぁ」
「さぁね。一回食べてみればいいんじゃない? そしたら色んなことが分かるよ」
「色んなことって?」
「本当に食べられるのか、それとも食べられないのか。美味しいのか、美味しくないのか。あとは毒があるか、とかね」
「――ちょっと。先に怖いこと言わないでよ」
「初めて目にするやつなんだから、そーゆーリスクは最初から分かっていること」
ウィニーはイヴの顔面に小さな手を突き出すと、「でもぼくも食べてみたいから、一本ちょうだい」と言った。
イヴは齧っていた干しシイタケを一旦片手に避難させると、ウィニーと仲よく半分こした。
~・~ ◇◇◇ ~・~
家に帰ると、ウィニーはさっそく使い古したパソコンを開けた。
ヘルメットに生えた草の正体。
それから二人の少年の生物学的構造の謎。
それらを一から解析し、ウィニーは生命メカニズムにおける重要な〝プログラム〟をゼロから構築し始めた。
ウィニーの瞳に反射しているのは、上から下に流れる大量の暗号。そのタイプの画面をふだん見慣れているわけではないので、こうした難易度の高い技術を駆使して自在に仕事をやってのけるウィニーには、他の二姫も頭が上がらない。
これは彼女の才能である。
身体も小さく、まるで赤ん坊のような体型をしているウィニー。ふっくらとしたほっぺや、思わずキスしたくなるような艶のある唇は、誰が見ても愛らしく映ることだろう。
けれど彼女は自ら庇護欲を掻き立てるなんてことはしない。それよりもかえって少年のようであり、凛々しく、頭脳も明晰である。
そのため三姫の中では末っ子という立場にありながら、姉二人に一目置かれる存在だった。
ウィニーは横に置いてあるお菓子に手を伸ばしながら、軽やかにキーボードを打つ。
パソコンから伸びる二本の管は、コンクリートの床を這って、円柱状の大きな水槽のてっぺんまで続いていた。
そこには大きな蓋がひとつ。
マンホールのような重めのそれには、サイズもピッタリの穴が二カ所開けられ、その中を通って、水中に眠る二人の少年の頸椎まで繋がっていた。
〝Code Name : Gemini〟
それが二体の被験者の呼び名である。より詳しく言うなら、〝Gemini〟は双子であり、それぞれ白い髪と白い肌、そして先の尖った耳を持っていた。
一人は長めのおかっぱ頭。
もう一人は短髪のツンツン頭。
瞼は固く閉ざされ、表情さえ窺えないものの、幼い顔つきをした二人の少年は今もなお穏やかに眠っている。
ウィニーは液晶画面に釘付けになりながら、指を忙しなくキーボードに打ちつけていた。水槽の中の様子よりも、データの中の実態に興味がそそられているようだ。
ウィニーはまた無意識のうちにお菓子の袋に手を伸ばしていた。指をしゃぶってはキーボードを叩き、またお菓子を摘まんでは指をしゃぶる。
そういうことを繰り返していると、見かねたイヴがウィニーとパソコンの間に割って入って、妹の汚れた指先をさっと掴み上げた。
「ウィニーったら全く行儀が悪いんだから。食べるか、作業をするか、どっちかにしなよ」
「言ったね? イヴ姉」
ウィニーは重たい瞼を持ち上げて、小さな人差し指をイヴに向けた。
「だったらイヴ姉も、歩きながら干しキノコを齧っちゃダメだよ。ぼくにそう言うんだから、イヴ姉にもぼくと同じ質を求めるよ」
「やだやだ。また始まったわ。頭の良い子ってホント言うことも堅苦しいんだから」
イヴは「やれやれ」と肩を竦め、今度は水槽の前に立って腕組みをしているヴィータのところへ話しかけに行った。
「姉さん。〝Gemin〟の様子はどう?」
「まだ分からんね。ウィニーの解析の速さは助かっているけれど、それでも今のところ私たちが分かったことと言えば、あのヘルメットに生えていた草の種類と、あの少年たちに生えていた草の種類が全く別物だってことぐらいだ」
そう言いながらヴィータは、机の上に置かれたヘルメットを顎で指し示した。
「アレが少年とは全く関係のない個別の物なら、私たちの食糧に生かすことを考えよう。何度でも繰り返し食べることができて、かつ、手間をかけずに再生が可能だというのなら、少し手を加えれば私たち皆の食事がずっと楽になる。完成すれば、さぞお父様も喜ばれることだろう」
ヴィータは腕組みをしたまま、たわわに実った胸を下から支えるようにして持ち上げた。
「あとは結果を待つだけだな」
そういう彼女の言葉には、いち王族の娘としての誇りに満ち溢れていた。
とそこへ、タイミングを被せるように扉をノックする音が聞こえた。
「姫様方。お夕食の準備が整っております。どうぞお集まりくださいませ」
三姫直属の召使いが扉の横で深々と頭を下げる。
その言葉を聞くや否や、真っ先に立ち上がったのはウィニーである。食には三姫とも貪欲だが、とりわけウィニーは待ちきれずお菓子を食べてしまうほど、ご飯に目が無い。
「待ってたよぉ。ぼくのエネルギーゲン」
ウィニーはすっかり上機嫌である。彼女は画面の電源をつけっぱなしにしたまま、喜び勇んで部屋から出て行った。その後をイヴ、次いでヴィータの順に続く。
――このときは誰もが異変に気付けなかった。
ウィニーの管理しているパソコンの画面上で、赤くエラーが発生していたことには……。
~・~ ◇◇◇ ~・~
三姫が出て行き、物音ひとつ聞こえなくなった部屋の中で、水槽にいた被験者がゆっくりと目を開けた。
腹と額の端に〝Underground〟の烙印が押された二人の少年。
その場で数回瞬きをすると、大きな水槽の中で身体を自由に動かし始めた。
長めのおかっぱ頭をしたタアニャは意識を取り戻すなり、いち早く自らが〝囚われの身〟であることを悟る。あたりをキョロキョロ見回して、最上部にある大きな蓋のところまで行くと、それを押し上げて脱出できるかどうかを確かめる。
幸いにも水槽には鍵がかかっていなかった。
「ラビィ! ここから出られそうだよ!」
タアニャは短髪の少年を手招きする。蓋は二人がかりであれば、なんなく開けることが出来た。
~・~ ◇◇◇ ~・~
ようやく解放された二人は、まるで生まれたばかりの小鹿のようだった。しばらくの間は、まともに立って歩くことも出来ない。
何度目かのリハビリを終えて、なんとか走れるようにまでなると、彼らは頸椎から鎖のように繋がっていた長い管を思い切り引き抜いた。
その途端、部屋のあちこちで警報が煩く鳴り始める。赤い回転灯が忙しなく回り、異常事態が発生したことを広く告げた。
「これって僕たちのせいだよね?」
「多分そうだと思うよ」
そう言いながら、ラビィは首の後ろを指でなぞる。そこには大きな穴がぽっかりと開いていて、さっきまで長い管が深く突き刺さっていたことが確かに証明されていた。
けれどそこから赤い血が流れ伝うということはなく、逆に内側からウニョウニョと蠢く細い草たちが、縫い目のように折り合わさって、傷を完全に修復している。
痛みはほとんど感じられなかった。
「これくらいなら大丈夫そうだね」
ラビィがぽつんと呟く。
タアニャが切羽詰まった様子で彼の手を取った。
「ねぇ、ラビィ。早くここを出ようよ‼ 早くしないと誰かが僕たちを探しに来ちゃう」
タアニャの緊張がラビィにも伝わる。二人はぎこちない足取りで部屋を出た。
だが、そこは迷路のように複雑な構図をした長い廊下。二人は右も左も分からないまま、あっち、こっちへ行き当たった。
「このままだと行き止まりだよ、タアニャ!」
「わかってる! でもどっちに行けばいいか分からないんだ‼」
太陽が導とならない地底では、自然な方向感覚も全く当てにはならない。等間隔で取り付けられた白い蛍光灯によって廊下全体は満遍なく照らし出されているものの、似たような景色に惑わされてばかりで彼らは一向に出口を見つけられないでいた。
〈i / us : escap !!〉
僕たちはどこに向かってる?
〈i / us : escap !!〉
出口はどこ?
〈i / us : escap to end〉
~・~ ◇◇◇ ~・~
どうやって居場所を突き止めたのか、三姫を含めた数人の追っ手がいつの間にか二人の背後に迫っていた。
先を走っていたタアニャは目の前の壁に足を止め、息せき切って「どうしよう、もう道がない‼」と声を大きくした。
「落ち着いてタアニャ!」
ラビィが追っ手に向かいながら叫んだ。
「ほんの少しだけど、風の流れを感じるんだ。きっとどこかに外へ繋がる道があるはずだよ。探して‼」
ラビィが追っ手を牽制する。その間にタアニャは手あたり次第に壁を叩いて、どこかに小さな手掛かりがないかを探った。
すると――。
「あった!」
タアニャが叫んだ。
「錆びついていて、ただの突起にしか見えなかったけど、ここに扉があるみたい!」
それは正面壁より下の方にあった。錆のせいで持ち手の面積が少なく、力任せに押したり、引いたりしても、まるでビクともしない。
先に二人に追いついたヴィータは、隠し扉が備え付けられた白い壁の構造を見て、眉間に皺を寄せた。
「ここは確か――お父様が言っていた立ち入り禁止区域じゃないか。よりにもよって、どうしてこの場所を……」
彼女は疲れきったように息を吐きながら、こめかみを指で押さえる。
「悪いがその先へ行かせることはできない。逃亡を諦めてくれ」
「諦めたらボク達そこで終わりなんでしょ?」
タアニャがヴィータを睨みつける。ヴィータも少年を睨み返す。イヴは腕組みをしたまま状況を見守り、ウィニーは〝どうして順調に見えたシステムに突然のエラーが起こったのか〟について、じっと考えを巡らせていた。
「ヴィータ様」
追っ手の一人が耳打ちをする。
「早く手を打たなければ、逃げられてしまいますぞ」
「分かっている」
ヴィータは仕方なしに首を横に振ると、付け根から指先まで丸ごと機関銃となった左腕を突き出した。
ウィニーの設計でサイボーグとなった左腕。装填のタイミングさえ見計れば、どんな戦闘でも不意打ちの利く立派な武器になり代わる。
ヴィータは二人の少年に向かって、情けをかけることなく発砲した。
しかしこの選択が仇となる。
結果だけを見れば、彼女が下した判断に一瞬の隙が生まれたのは、後にも先にもこの時だけだろう。ヴィータの放った弾丸が、錆付いた扉の錠を打ち抜いてしまったのだ。
錆びた扉は外側へ開き、同時に強く壁を押していたタアニャもまた、バランスを崩して真っ逆さまに落ちていく。
続きがあると思っていた道の先が――そこにはなかったのだ。
地上から縦に掘られた深い丸穴。下の方は明かりが灯されておらず、ねっとりとした濃い闇に包まれていた。
穴の側面には扉がいくつも埋められており、どの道を辿っても、最終的にはこの場所へ辿り着くよう設計されているように思われた。
「タアニャ!」
ラビィが駆け寄って下を覗き込む。彼の姿はすでに、豆粒ほどの大きさになっていた。
~・~ ◇◇◇ ~・~
――長いようで短い空中落下。
地面にぶつかる前に、何かに掴まらなければ命はない。そう思うも手は届かず、ようやく彼の指先に触れたのは、頼りない細い紐のようなモノだけだった。
そこに全体重をかけると「カチッ」という小さな音がハッキリと聞こえ、その直後、すぐそばで〝何か〟が作動した。大きな音とともに、穴の側面にあった明かりが下から上へと順に灯っていく。
少しのあいだ紐にぶら下がっていたタアニャも思わず見惚てしまった。
目の前にあったのは銀色に輝く大きな機体。それはまるで意思を持っているかのように起動を始めた。
そこに人の姿はない。
けれどコックピットのメーターが一瞬にして跳ね上がり、操縦レバーが一人でに動いているのを見ると、タアニャはなぜか嬉しくて堪らなかった。
「キミも――眠っていたんだね」
タアニャは目を細めて、そう呟いた。
だが、次の瞬間には開いた天井から吹き込む強風に身体が大きく揺れ、タアニャは必死に細い紐へしがみ付かなければならなかった。
紐には重りのような留め具が無い。汗で滑る手のひらに何もつっかえることなく、タアニャの身体は再び落下した。
今度こそ終わりだ。
そう思った刹那、またしても彼の命はその船に救われることとなる。タアニャが落ちるタイミングをまるで予知していたかのように、見計らったタイミングで機体が旋回したのだ。
おかげでタアニャは地に落ちることなく、船の左翼に身体を預ける形になった。
「ふぅ……」
と一息つくのもやっと。船が本格的な上昇を始めると、その風圧に耐えかねて、何度も身体が飛ばされそうになった。
船は見た目以上にツルツルしている。掴みどころがほとんどなくて、タアニャは自分が狙われているということをすっかり忘れていた。
ヴィータがもう一度彼に照準を定める。イヴに両腕を捕まれて身動きの取れないラビィは、もがきながら声を振り絞った。
「タアニャ‼」
ラビィが叫ぶ。
「タアニャ、後ろ! 狙われてる‼」
「え」
タアニャが振り返り、ヴィータが最後の弾丸を放つ。しかしそれは奇跡的に的を外れ、銀色の機体に撥ね返って終わった。
結局のところ、タアニャの白い肌には弾が一発も当たらなかったのである。
「タアニャ……」
ラビィは思わず声を洩らした。
エンジンを蒸かして旋回するその船に操縦士の影はない。それでも予め目的の場所だけはプログラムされていたようで、それは明確な意思をもって地下から地上へ浮上した。
タアニャは逃げ遅れてしまった弟のラビィを見下ろす。
その距離は一方的に開くばかりで、タアニャにはどうすることも出来なかった。
To Be Continue……
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