ネトラレ茂吉

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 部屋に敷かれた布団に、茂吉は衝撃を受けていた。
 旅籠は木賃宿と違い、部屋が一組ずつ与えられる。木賃宿すら知らない茂吉なので、一組ずつ部屋を与えられる事に特に感動は無い。だが、そこで出された食事は安い物でも茂吉が食べた事が無い位には上等で、更に布団が敷かれると、もう、どれだけ豪華な宿なのだと思考が停止していた。
「まずは、布団にお入りよ。これからの事をゆっくりと話そうじゃないか」
 ごろりと布団にうつ伏せに寝転がり、艶然と微笑むおたえの横に、茂吉は喜び勇んで転がる。
「自分の布団に!」
 ぐいと足蹴にされ、その勢いでコロコロともう片方の布団まで転がった。
「明日は、あんたの装束を手に入れなきゃね」
 おたえの言葉に、茂吉は困って眉根を寄せた。
「オイラ、金なんか無ぇよ」
「そんなん、見なくてもわかるったろ?」
 おたえが笑って言う。
「これから身体で返してくれりゃ良いさ」
 良いながら、おたえが足をばたばたさせる。
「これからどうするか、あんたの使い道をじっくりと考えなきゃ」

 考えなきゃ、と言った数秒後には、高イビキの茂吉に、おたえは呆れていた。
 そもそも、茂吉の存在に気付いたのは、前を歩いていた他のお遍路さん達の内、女性だけが進むのを拒否して迂回を選んでいたからだ。男女の組でそれで揉めていたので、女性が嫌がる何かがこの先に居るのだと、理解した。危険だとは思った。だけど、自分も含め、男が感知できない何か、と言うのも気になった。
 そもそも、おたえが《《こんな格好なり》》をしているのには理由がある。
 おたえの母親は村でも大層な美人で引く手あまただったと聞く。だが、幼馴染みの男と恋仲になった。ある日、通りすがりのお侍様が、美しい村娘に目を付けた。たまたま、祝言の日にその村を通っただけの、侍だった。慎ましくも美しく着飾った娘を、侍は連れ去った。引き留めようとした花婿は斬られ、帰らぬ人となった。侍は、花嫁を汚し、辱しめ、そして、花街へと売った。侍は、藩で罪を犯し出奔した浪人だった。そしてそのままどこぞへと消えたと言う。売られた娘は、腹に子が出来ていた。気付いた頃には腹が膨れ始めていたのと、そういう趣味の客相手に、人気が出たので、産むまで客を取った。子は、産まれてすぐに捨てられる事になっていたが、客の一人が欲しがったので、売られた。売られた先で、子は母の名で呼ばれた。女物の着物を着せられ、女の子のように髪をすかれ、紅を引かれた。買った男を『父』と呼び、幼い頃から人形のように飾りたてられた。『父』の妻は汚らわしい物を見る目でちらりと目線を送ってくるが、声を掛ける事はない。いや、声を掛けてくるのも、身体中触れるのも、視界に入るのも、ほぼ『父』だけだった。『父』だけを認識するようにその男は『娘』を言い聞かせてきた。その世界が変わったのは、おたえが十の年だった。 『父』が死んだ。
 どこへでも行けと家を追い出されたのは、通夜の翌日だった。
 ぼんやりと屋敷の前で佇むも、ここに居場所はないのだとぼんやりと気付き、特にあてもなく歩き出した。
 殆ど使われていなかった足の裏にはすぐに豆が出来た。初めての痛みに耐えきれずしゃがみこんだが、労ってくれる『父』はいつまで経っても来なかった。
「どうしたんだい? お嬢ちゃん」
 代わりに現れたのは、白い着物を羽織った、笠をかぶって杖を持った二人組だった。
「なんだ、ガキじゃねぇか」
「こんな子供、一人で居たらアッという間に拐かされちまう」
 声を掛けてきたのは、四国へ旅をする遍路の途中の男女だった。
 男女は夫婦で、子を亡くしたばかりなのだと言った。
「綺麗なおべべだね。あんたのお家は良いトコなんだろうね」
 初めて与えられた母親からにも似た優しさに、おたえは無条件に嬉しくなった。
「名前は?」
「……たえ……」
「そうかい。おたえちゃんかい。良い名前だね」
 そうして、四国への旅におたえも一緒に回る事になった。着ていた着物は途中で売り、子供用の旅装をその金で買った。関所では、夫婦が孤児みなしごを拾ったので自分達の子として育てると申し出た。おたえの身体はとおにしては背が低く身体は痩せ細っていた。それは『父』の歪んだ愛情の結果であったが、他人から見て保護されるべき子供だと思われるのは、おたえにとって都合が良かった。
 おたえは、一通りの読み書きと算術はできた。『産みの親』が謡が上手かったからと謡も練習させられた。全て『父』手づから。
 それらは生きるのに役に立った。旅の途中で謡を披露すれば見知らぬ人から駄賃が貰えた。子供相手だからと勘定を誤魔化したり、字が読めないだろうと馬鹿にしてきた大人もやりこめた。養父母は明るく、優しく、間違いなくおたえの人生で一番幸せな時だった。
 その幸せは、一年で崩れ去った。
 野盗に襲われ、養父母が殺されて身ぐるみ剥がれた。珍しい事ではない。おたえが養父母と旅をしている間にも、そういったホトケは何度か目にした。「惨いことを」と手を合わせ、草木で隠して、次の村や関所で報告をした。それが、養父母になっただけだ。
 背の高い草木の間にしゃがんで息を潜め、野盗をやり過ごした。溢れ出る涙もしゃくり上げる声も圧し殺した。そうして、気がつけば夜が明けていた。
 関所まで戻り、養い親が野盗に襲われて死んだ事を告げた。関所から養父母の村へと連絡をし、弔ってくれる手筈を整えてくれた。
 おたえは、その間にそこを離れた。
 誰にも関わりたくなかった。
 けれど、歩けば腹が減り、疲れれば眠くなった。野宿はツラく、空腹は切なかった。
 たびたび、訪れた先の村の人間が、親切に声を掛け、食事と寝床を用意してくれた。
 遍路装束の娘に、ただ親切を振る舞う人も居れば、見返りに身体を求める者も居た。身体を求める男の中には、おたえの身体を見て逆上する者も少なくなかった。だが、都度、おたえが自分の身体を守れたのは幸運だった。
『父』の通夜の翌日、おたえが放り出されたあの日、おたえは、ほんの少しの手荷物を渡されていた。紅と白粉と『父』が隠れて飲んでいた丸薬である。『父』は不眠を患っていた。その薬が無いと眠れないのだ。薬を飲ませるのは、おたえの仕事だった。おたえが丸薬を口に含み、『父』の口へと舌で押し込む。すると『父』はものの数秒で眠りへと落ちていくのだ。その薬は希少らしく、『眠り草』と呼ばれる薬草を使った物だと『父』が教えてくれた。
 身の危険を感じた時には、その丸薬を使った。そうして安全な夜を過ごし、家主が起きる前に、まだ暗い内にそこを離れる。そんな事を繰り返す内に、おたえは男のあしらいが上手くなった。わざわざ貴重な丸薬を使わなくても酒で酔い潰す事も覚えたし、酔い潰した後は財布から金を抜き取って代わりに葉っぱを詰めておけば狐が狸がと勝手に盛り上がって、捜索の手がこちらに及ばない事も覚えた。そうして、目的も帰る所もないままゆっくりと遍路の旅を続けて来た。
 だが、遍路も二周目になれば、その土地の人に顔を覚えられていてもおかしくはない。過去の行為を訴え出られていれば、罪に問われるかも知れない。
 どうしようかと思案していた時に出会ったのが、茂吉である。
 そもそも、女が居ればカモが減る。
 旅籠の飯盛女は、身体を売る事で銭を得ても居る。旅の疲れから、男どもの下半身は昂るので、それはもう良い稼ぎになるらしい。だが、飯盛女が居ればおたえの取り分が減る。面倒で嫌な相手でも引っ掛かってくれれば恩の字なのである。逆に、単純に、女が居なければ、おたえも相手を選べる。カモがネギ背負ったような旨味のある相手を選ぶ事が可能になる。
 もしかしたら、それ以上の何か良い使い道が、茂吉にはあるかも知れない。

「オイラぁ、本当に……おまっちゃんの事ぉ、好きだったんだ……」
 寝しなに茂吉が語った失恋話を思い出す。
 好きな女が、別の男とくっついた話。
 それも、突然の拒絶からの、急な展開。
 もしや、と、おたえの頭に一つの仮説が思い浮かんだ。
「試す価値があるかもねぇ」
 大口を開けてイビキをかく茂吉の顔を眺め、おたえはにやりと口の端を上げた。
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