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第陸夜
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みつけた
みつけた
--音楽が聞こえる--
コアトリクエ
--歌が聞こえる--
母なるコアトリクエ
墓なるコアトリクエ
--不思議な節回しで--
死者を優しく抱く者
死者を優しく迎える者
--懐かしい節回しで--
コアトリクエ
コアトリクエ
--呼びかける……呼びかけて来る--
やっとみつけた
異国でみつけた
--切なげに……懐かしげに--
帰ろう
還ろう
--請う様に……慈しむ様に--
母の中に
墓の中に
--柔らかに……甘やかに--
生命の故郷に
生命の産まれる場所に
--呼びかけて、来る--
コアトリクエ
みつけた
還ろう
時刻は3時。
昆布茶の香りが漂い、落雁が山と詰まれた菓子器が卓上に鎮座して居る。
「何だかお供え……みたいですね……」
「そうだねぇ。上等の落雁だからねぇ」
そう云う意味では無いのだが、眼鏡の細身の男がしたり顔で頷き乍ら言うのを眺めた。
丁寧に丁寧に手入れされ、色艶良く成った身体に薄緑のドレスを纏い、七色の髪を揺らして組み上がったばかりの首を傾げる。
瞬きをする度に揺れる睫は白く、其の瞳は山羊の其れを模して居た。
額の花の様な紋章が前髪に隠れ、頭を揺らす度にちらりちらりと見え隠れする。
「何故こんなに多量に積み上げてあるのでしょうかね?」
「落雁は嫌いだった?」
先程から質問と微妙に食い違った返答が返され、如何言ったら此の眼鏡は自分の欲しい返事が返って来るのかと溜息を吐く。
人形に溜息を吐かれた眼鏡の男は無邪気な笑顔で首を傾げた。
いつも菓子を用意する係りである彼の弟の姿は見当たら無いが、これもまぁ間々有る事で、仕事と称して怪し気な事を行っているのだろう。
調伏とか退魔とか修祓とか。
「海外に言ってるから暫く帰って来れないからね。日持ちする物を沢山買って来たみたいだよ」
そう言う事を聞きたい訳では……ううぬ……。
うぬうぬと唸りながら手近な落雁を手にし、かぶり付く。
ほろほろと上品な甘さが口の中でほどけて行った。
一つ二つと食べ進め、十も数える頃になって、菓子器に違和感を感じる。
まじまじと見れば、蔦模様の様な波模様の様な何かだと思って居た其れは、どうも蛇の様に見える。
其れもみっしりと密集した蛇が、菓子器に掘られて居た。
「面白いでしょう? 結構古い何処かの国の物みたいだよ」
のほほんとした笑顔で眼鏡ニイサンが続ける。
「親切な人からね、突然頂いたんだよ」
ほう。親切な人が。突然。高価そうな大理石であろう白地に黒とグレーが斑に入った。ボウル状の古い何処かの国の物を。ちゃんと説明もせず。
其れは、押し付けられた、と言うのでは無いのですかね?
「落雁にぴったりだよねぇ」
センス……此の眼鏡にセンスを求めてはいけないのは重々解っては居るつもりである。あるからして。
「返して来なさい」
「えー? 無理だよ。何処の誰だか解らないもの」
知らない人から物を貰ったらイケマセンと、人生で一度も言われなかったのですかね、此の眼鏡は。
「でも、また会えるんじゃないかな。態々うちを訪ねて来てくれたくらいだし」
地球が破滅しても恐らく此ののほほんは治らないのでしょうね、という言葉は、口に放り込んだ落雁と共に飲み込んだ。
落雁を全て食べ終え、大理石の菓子器を引っ繰り返す。
薄く内側を削られた大理石は、薄ら光を通して反射し、脚部分には蛇が所狭しと彫られて居た。
引っ繰り返すと中で欠けて居るのか、からころと小石のぶつかる様な軽い音がする。
「なぁに? 気になるの?」
ひょいと眼鏡ニイサンが菓子器を取り上げ、耳に付けて振る。
くるくると何やら回し見て、小さく声を上げた。
「ああ、此処だ」
蛇の一つを指で軽く押すと、菓子器の脚を形成して居た蛇が、ばらり、と解けた。
「組み木細工みたいにパズルになって居たんだねぇ。面白い事考えるなぁ」
言い乍ら、ばらけた蛇を手に組み直そうとする。
が。
中に入って音を立てて居ただろう欠片か何かが有る筈なのだが、見当たら無い。
「何処かに転がって行っちゃったのかなぁ?」
特に気にしている風でも無く、パズルに夢中に成っている眼鏡を放って、ソファの下やらテーブルの下やら探す。
三十分程掛けるも発見は無く首を傾げて居ると、不意に眼鏡ニイサンが声を上げた。
「あれ? 一個余っちゃった」
えへ、と此方を見て来る。
確かに其処には、元通り組み上がった蛇の脚を持つ菓子器とは別に、大理石の蛇が一つ眼鏡ニイサンの手の中に居た。
なんですかね。
玩具とか分解して組み立てたら螺子が余るタイプの人間なんですかね?
「こう云うの失敗し無いんだけどなぁ」
首を傾げて菓子器と手の中の蛇を見比べる眼鏡は放って、ソファに寝転がり、ラジオをつける。
軽快な音楽と軽快なDJの喋りが流れて来た。
『ハーイ、時刻は午後16時となりました。さて皆様はどちらで聞いてくれてるでしょうか? 車? 仕事場? 家? コア……エ?』
ん?
『次の曲はリクエストから、今流行りのナンバーを連続で3曲お送りしまっす』
何か、聞き慣れない単語が入った気が、した。
聞き取れ無かった。
車、仕事場、家、こ……?
ラジオからは流行の歌だと言う曲が流れて居る。
『~あなたと~……~~い~~……~~ てからのわた~~ コアト……エ ~~ますか~』
違和感。
何度か聞いて居る曲なのに、知らない歌詞が混在する。
否、いつも聞いて居るのが1番で2番の歌詞が違うとかなら、まだ納得出来る。
が、此れは恐らく間違いなく。
違 う 。
『コアトリクエ、私の聲が聞こえますか? やっと会えた。ずっと会いたかった。コアトリクエ』
なおも流行の歌手の声で、全く違う内容を歌い上げる。
ぎこちなくラジオの電源を切ろうと指を伸ばした時、曲が終わった。
『ハーイ、お届けしたのは『コアトリクエ』の『コアトリクエ』で『コアトリクエ』でした! 『コアトリクエ』の前の『コアトリクエ』! 又お会いしましょう! バーイ!』
総毛立った衝動に乱暴にラジオの電源を落とす。
菓子器の蛇を再度ばらけさせるとボウル部分に入れ、其の儘カウンターに置く。
「考えても解らない時は、其の時じゃないんだよ、メイベル?」
何やら薀蓄臭い事を言うが、要するに面倒臭くなっただけでしょう?
其れよりも先程のラジオが変では無かったかと声を掛けるわたくしに、眼鏡ニイサンは首を傾げた。
「聞いてなかった」
で、しょうね。
そうでしょうともそうでしょうとも。ええ期待なんて此れッぽっちも、此れッッッぽっちもしておりませんでしたとも。そうですとも。ええ。
本当に、本ッ当にお人形以外の事には全く興味が御座いませんですものね、此の薄ら眼鏡は。
当の薄ら眼鏡は此方の気も知らず、日課の粘土を捏ねる作業だか木を彫る作業だか硝子玉を弄るんだか布を如何にかするんだかに自室へと……。
待て待て待て、一人にしたら怖いじゃないですか何を考え……。
目の前で音を立てて閉じる扉に、やや呆然とする。
否、閉まった扉なら開ければ良いだけなのだが、何やら得体の知れない所に繋がりそうな……まぁ、そんな事は無いのだろうが……気がしてならない。
「何やってんだ?」
聞きなれた濁声が声を掛けて来て、ホッと息を吐き振り返った。
黄色いドレスの、淡い金髪に青い瞳の天使の様な少女人形が呆れた様子で肩を竦める。
「幻聴だと思うのですが……」
そう前置きをして、元は人間の男性であった少女人形ダーニに話し始めた。
「幻聴ってお前……」
まぁ、人形も幻聴や幻覚くらい見るか? と自問自答する様に口篭り、ダーニが其の先を促す。
とは言っても数分も掛からない。
「コアトリクエねぇ?」
聞いた事が有る様な無い様な、と首を傾げるダーニ。
「そのラジオDJが頭おかしいとかじゃなくてか?」
「其の線も考えなくは……」
無いですけど、と言い掛けた時、ボウルの中の一匹の蛇が動いた。様な気がした。
「……ダーニ……」
「ん?」
其方を背にして居る、少女人形の名を呼ぶ。
「ダーニ」
「何だよ?」
蛇が、ボウルから顔を覗かせた。
「ダーニ!」
「だから何だってば」
蛇が、ボウルから身体を乗り出させ……。
「ダーニダーニダーニ!!」
「なんなん……」
視線の先に気付いた少女人形が、勢い良く振り返る。
ぽろり、と蛇がボウルからカウンターへ、そして其の儘床へと着地した。
「へびぃぃいいいいいいいっ」
「へびぃぃいいいいいいいっ」
ダーニの上げた声に釣られ思わず同じ事を叫ぶ。
「蛇は駄目だ蛇は駄目だ駄目駄目蛇駄目蛇は俺は蛇駄目蛇駄目駄目駄目蛇駄目」
軽く混乱して居るのだろう、わたくしの背後に飛び込み兎の様に丸まるダーニ。
其のダーニと大理石で出来て動いて此方にえっちらおっちら近付いて来る蛇を見比べ、動くに動けないわたくし。
ゆっくりと確実に近付いて来る蛇。
頭を抱えて丸まる少女人形のダーニ。
板挟みの少女人形のわたくし。
迫る蛇。
震えるダーニ。
立ち尽くすわたくし。
其の奇異しな状況に、わたくしの目の前迄迫った蛇が、鎌首を持ち上げて口を開いた。
「やっと、見つけた。コアトリクエ」
「え? え? え?」
蛇とダーニを交互に見比べ、とりあえず……
「人違いです」
そう答えると、大理石である其の目からポロポロと涙を零した。
「お忘れですか、お忘れですか……コアトリクエ」
「いやあの、忘れる以前にわたくし面識が無いのですが」
「ひどいひどい……コアトリクエ」
「いや、ひどいと仰られてもですね」
零れた涙が宙で消えて霧散して行くのを見ると、幻か何かだろうか。
「死の匂い、血の匂い、土の匂い、神の匂い、此の匂い……コアトリクエ」
「いやいやいや失礼な。臭う訳が無いでしょう。ちゃんと綺麗に洗い流してますとも!」
全く失礼しちゃう蛇である。
「ノーノーノーノーノー!! ブレイクブレイク!!」
背後から何を勘違いしたのかダーニが羽交い絞めにして来る。
「いやちょっ!? 何!?」
「馬鹿、蛇なんぞとマトモに会話する奴が何処に居る!! 蛇と来りゃ古来より悪魔の化身と決まってるだろう!」
ダーニが大理石の蛇を指差し言い募る。が。ひそひそとがなり立てるとは器用な。
「何処の古来だか知りませんが、日本では酒を飲ませておけば比較的安全な神様ですよ」
「酔い潰す作戦だな!! 酒か!! よし、探して来る!!」
「大吟醸ですからねー」
金の髪を振り乱して台所へと走るダーニの背に声を投げ、肩を竦めた。
目の前ではぽろぽろと涙を零す大理石の蛇……未だ泣いて居る。
罪悪感では無いが、酷い事を言ってしまった様な気がしてくるではないか。
「其の、コア……なんとかさんとはぐれられたのは何時の事でしょうかね?」
「……あれは……」
と蛇が語り始める。
「あれは、五度目の世界を作り終え、テスココ湖の近くで人間の心臓を神々に捧げ平和に暮していた我等の民の下にケツァルコアトルが兵を率いてやって来たのです。
否、彼等はケツァルコアトルの名を騙った侵略者達でした。
我等の神と民はまんまと騙され、滅亡を余儀無くされたのです。
だが我等の神も民もただ無為に滅ぶ事を良しとはしなかった。
潜み、形を変え、堪え、生き残る術を見に付けたのです。
そしてコアトリクエ、貴女も、貴女の一部である私も、こうして再び出会う為ににににににに……」
がくがくと大理石の蛇が震え出し、言葉が上ずる。
「コアト……コアトリクエ……コアトリ……」
壊れた蓄音機のように言葉を途切れさせ、大理石の蛇は沈黙した。
擡げていた鎌首はぱたりと音を立ててて倒れる。
ソレは、ただの、ただの大理石になって居た。
先程まで感じた生気や意志や感情等が一切消え失せた物にしか見え無く成って居た。
「え? えー? もしもーし?」
突然の出来事に、大理石の蛇へと近寄ろうと手を伸ばした矢先。
ばしゃああ
「何やってるの?」
聞き覚えの有る爽やかな声が背後から聞こえたのと、何か液体で横面を叩かれたのとが同時に……。
濡れ鼠のまま、振り返る。
「おかえりなさい」
ネイサン青年が居間の入り口、玄関側に佇んで居る。
わたくしの目の端ではバケツを振り被ったダーニが其の姿勢の儘固まってしまったかの様に蟹歩きで物陰に隠れ様として居る。
「ただいま。で、君『達』、何をして居るの?」
にっこりと、其れは其れはもうにっこりと、爽やかに優しげに微笑んで、長髪の青年が小首を傾げた。
ダーニの黄色いスカートがびくりと震えた、気が、した。
わたくしの自分自身から滴る液体がべとべととした触感と甘ったるい且つ酒の様な臭気を放って居る。此れは……味醂か……。
「だから、大吟醸と……」
言ったでしょうに……言葉にしなかった部分を、そもそも異国人であるダーニに言っても仕方が無いとの諦めも含んで、飲み込む。
「内緒話は、好きですか?」
にっこりと可愛い、可愛いお人形さんの笑顔でネイサン青年に小首を傾げ返した
「で、何故其れを内緒話?」
ネイサン青年が笑顔を崩さない。
此方も可愛い可愛いそりゃもう可愛いお人形さんの笑顔を崩す訳が無い。私の隣に正座するダーニの笑顔が引き攣って見えるのは気の所為と云う物で或る。
ざっくりとネイサン青年が戻る三十分程を説明しただけだが。
「うちの眼鏡に知れたら、大騒ぎするでしょう?」
「……ああ……そっち……」
恐らく、粗同じ映像が脳裏の描かれて居ると思う。
わたくしと同じ様に自立し意思の疎通が出来、立って歩ける少女人形が自分の家に居たら。
あの人形狂いは紛れも無く興奮覚めやらぬまま分解するだろう。
分解し、組み直し、暴走し、着せ替えをするだろう。
「すまん、男に玩ばれるのは一寸……」
手を横に振っていやいやをするダーニに、ネイサン青年が肩を竦める。
「ヤギリン、君、此の子の言う事解るの?」
「いや、そりゃ、彼は元々男性ですから……、言いたい事が解らないでも無いですよ?」
「いや、そうじゃなくて、『言葉』が通じてるの?」
ネイサン青年の台詞に首を傾げたわたくしに、重ねて、言う。
「此の子、外国語を話してるけど、理解出来て居るの?」
……外国語とは……其れはまた……初耳ですが。
ダーニと顔を見合わせる。
普通に会話していた相手が違う言語を話して居ましたとか、如何対応を、否、如何もこうも無いじゃありませんか。現に通じているわけですし。
「ほんっと、変な奴だよねぇ、君」
呆れた風で天井を見上げるネイサン青年。
片手には大理石の蛇を持って、電灯の明かりで透かして見て居る。
「普通の大理石だし、呪いの類は見え無いし、そもそも変な物は持ち込ま無い様にしてるんだけどねぇ」
アレ以来……と言葉を続ける。
アレ、とは、アレの事だろう。とやかく言うつもりは無いが。
「此れ、あの大理石の菓子器から出て来たって言ってたっけ?」
ネイサン青年がカウンターに置きっぱなしの大理石の菓子器を見に行く。
丁寧な手付きで分解された脚を復元し、再度分解し、また復元し……。
「ねぇ、本当に此処から出て来たの?」
やはり、如何にも蛇が余るらしい。
「同じ素材で出来てるんだろうなと云う事は判るんだけどねぇ。ほら、僕って地学苦手じゃない?」
何の関係が有るのか解らないが頷いておく。
「本当に此れの一部だったのかなぁ? って」
首を傾げてネイサン青年が言う。
「何か、別の何かなんじゃないかなぁって、疑問なんだよね」
眼鏡ニイサンに分解され丸洗いされ干され化粧直し、と数週間の時間を掛け、組み直されすっかり綺麗にされて、やっと、一息吐く。
カウンターには気の持ち様とばかりに大理石の蛇が埋まった1kgの塩が菓子器に盛られて居た。
「なんという……風情の無い……」
「まぁ、浄化するなりなんなり、酒か塩か日光か月光かってとこじゃない? 日光浴通用しなさそうなイメージだし」
思わず呟いた言葉にネイサン青年がにこりと笑顔で返す。
「酒は失敗だったみたいだし」
いや、アレは酒が失敗だったのでは無く、そもそも動きを止めてから酒ですらない味醂を蛇では無くわたくしに掛けたのが……。
「なぁに? また何かメイベルに掛けようとしてるの? 駄目だよ?」
眼鏡ニイサンが丸ぼうろを口に運びながら口を挟んで来る。
ああ、もう、ぽろぽろ零してもう。
「ところで何故日光浴?」
眼鏡ニイサンの食べ零しを拾い乍ら、ネイサン青年に聞き返す。
「僕も詳しい訳じゃないから調べたんだけどね、どうも太陽信仰の所の神様の名前らしいよ。コアトリクエって」
其れと日光浴が効かない事の繋がりが良く理解出来ないが、取り敢えずふうんと頷く。
「ああ。コアトリクエ良いよねぇ。あの造形……」
眼鏡ニイサンの台詞に、ぎくり、とする。
「蛇のスカートを履いた者、だよね」
「……はぁ? 蛇のスカート!?」
「そうだ、蛇柄のドレスとか格好良いかな? 蛇革の、うん、良い! 早速生地を取り寄せよう!」
勝手に決め付けて盛り上がって部屋にスキップで戻る盆暗眼鏡をやや呆然と見送る。
あ、の、眼鏡、はぁああああああ……。
本当に世間様で勤め人して居なくて良かったと本当に思う。
アレでは周囲の人間の胃に何個穴を開けても気付か無いだろう。
或る意味適正適所で或る。
「勿論、其の神話には他にも神様が居るんだけどね」
何事も無かったかの様にネイサン青年が続ける。
「ま、国が滅亡してるんだから、神様達だって滅亡してると考えるのが普通だよね。其れか邪心化してるかだけどね」
まぁ、大抵の神様は一神教だと悪魔扱いだよね。と何でも無い様に言う。
「え? 一寸意味が……」
祀られ無く成った神が妖怪化悪神化しているのなら解る。解りたくは無いが解る。
別の宗教が他の宗教を否定する為に他所の神様を悪魔だと言うのか?
其れは、何と言う傲慢。
何と言う侮蔑。
何と言う……。
「すみません。少し、頭を、冷やして来ます」
頭に血が上る其の感覚に、違和感と軽い快感を覚え、『何かしでかす前に』と部屋へ戻る。『怒り』だろう、恐らく。わたくしは、数百年も前の、遠い異国の、出来事に、『怒って』いるらしい。
変、ではないか。
変過ぎるではないか。
部屋に戻り、灯りを付ける事も無く、其の儘寝具へと飛び込む。
わたくしの、怒るべき事では無いではないか。
そうですとも。
わたくしには関係の無い……。
大理石の蛇の、あの、流した涙が、声が、聞こえる気がした。
「……コアトリクエ……」と
時刻は3時。
イグアナの頭の形の人形焼が乗った菓子器と麦茶が卓に並ぶ。
卓の向こう側には小柄な老僧が正座し、カラリと氷の音をさせて麦茶を啜る。
其の横には窮屈そうに大きな体躯を縮めて青年の叔父である破戒僧が肩を竦めて居た。
「円顱方趾、御呼び立てしへふっ……」
すみませんと続ける青年の言葉は、口に突っ込まれた人形焼に阻まれる。
当の小柄な老僧の指が人形焼を抑えて居た。
「まぁ、良かろうて良かろうて」
ほほほと笑い、自らの口にも人形焼を放り込む。
「はひはほほうはひゅうほうはひまふまふ……」
「おっしょさん。口に物を入れた儘喋らない」
麦茶を啜り、巨躯の破戒僧が口を開く。
「儂等の様な食み出し者にしか出来ぬ相談も有ろうて」
アレ以来、大理石の蛇は云と寸とも言わず、幻聴も幻覚も無い平和な日々を過ごして居た。
平和である。
平和では或るがこう、何とも言えずもやもやと胸を占めるモノが有る。
しかし、如何にもこうにも如何ともし難いのだ。
だから、呼んで貰った。
恐らく、知る限り雑多な知識が一番有りそうな人物を、眼鏡ニイサンとネイサン青年の叔父である桑門を通じて。
其れは、絶対では無い。
其れは、確信では無い。
若しかしたらと云う微かな予感。
円顱方趾も桑門も、決して話を軽んじたりしはし無い。
「方趾……」
目の前の老僧を見上げ、言葉を選びつつ口を開く。
「知って居たら教えて欲しいのですが」
「やぎちゃんになら何でも話しちゃうぞーいっ」
瞬間、目にも留まらぬ速さで円顱方趾に宙をぐるぐると回されて居る。
「何を聞きたいのかのー? 宇宙の成り立ちかのー? 人間の辞め方かのー? サンスクリットの読み方かのー?」
ぶんぶんと振り回……
「ちょ……話……聞い……」
「おっしょさん」
ひょいと桑門につままれて救出された時には既に目が回って居た。
「あー、何をするか弟子の分際で!!」
「あー、もう、円顱爺ちゃん……」
ネイサン青年が呆れた風にいつもの砕けた口調で言う。
「そんなに人形好きならこっちを振り回してて良いから」
ネイサン青年が物陰に隠れて居た金髪碧眼の天使の様な美少女人形を持ち上げて差し出すが、ぷいと老僧は顔を背ける。
「そんなオジン嫌じゃい」
「はいはい、そう言うのは良いですから先ずは話を聞きましょうね。で、ヤギゾウ?」
話を此方に振られるが如何せん……目が回ってしまって口が回ら無い。
「僕から話すけど、僕の事は振り回さないでよね」
ネイサン青年が大理石の蛇と菓子器を卓上に並べ始めた。
「先日の事なんだけれども……」
先日、突然、大理石の菓子器を持って現れた謎の人物が居る事。
恐らくはネイサン青年の居ない時を狙って来たのだろう事。
大理石の菓子器の脚部分から大理石の蛇が出て来た事。
組み立て直しても其の蛇が入る場所が無い事。
突然、メイベルだけに聞こえた、幻聴。
そして、生き物の様に動き話したと言う大理石で出来ている筈の蛇。
そして、知らぬ間に好き勝手動いて居た古い外国の元呪いの人形。
其の中身が中年男性で或る事。
可愛い女の子になって可愛いお洋服を着たかったらしい事。
途中から話がずれていると思ったものの、頭がぐらぐらしていて口を挟め無い。
「で、若しかしたら、此の人形が爺ちゃんにはオッサンに見えているわけ?」
「若しかしたらも何も、ドレスを着た禿の褐色の不細工な外国のオジンにしか見えないがの」
「……俺には変なオーラの女の子の人形にしか見えないけ……ど……ドレスの禿オヤジ……」
やや呆然と桑門が呟いた。
あまり想像したくないのだろう、視線をダーニから逸らして居る。
『……黙って聞いてりゃ好き放題言いやがっててめえらなぁ!!』
ふるふると肩を震わせ、ダーニが低く唸った。
「おお! 外国語じゃ!!」
「外国語だな」
「ほらこれ、外国語なんだよね」
一斉に三人が口を開く。
が、外国語とは?
治まって来た眩暈に頭を押さえ乍ら首を傾げる。
「ヤギリンったら、何時の間にか外国語が解る様になったのかと思ったらそう云う訳じゃないみたいで」
ネイサン青年が続ける。
「どうも、人やらテレビやらの音声とは別に、人形同士だからか如何か判らないけれども、言葉が解るみたい」
「何だ、まだるっこいな。要するに、人外同士、言葉の壁は無いって事か?」
「其れは要してるつもりなのかの?」
桑門の言葉に円顱方趾が口を挟む。
「まぁ、そう不思議な事でもあるまいて」
ほほほ、と円顱方趾が笑った。
「国は違えど同じ人型。何の不思議もあるまいて。ましてややぎちゃんの様な別嬪さんじゃもの」
後半の言葉に何の意味が有るのか無いのか、恐らく無いのだろうが。
「で、まぁ、此の……」
ネイサン青年が大理石の蛇を摘み上げる。
「此の蛇が喋った動いたと此の二人?は言うんだけど」
言い掛けて首を傾げる。
「訳の解らない言葉を喋ったと、此のダーニ……て名前らしいんだけどね……こっちの人形は言ってるんだって。で、ヤギリンが言うには、蛇がヤギリンの事を違う名前で呼んだと……」
「コアトリクエ」と。
名を聞いて、円顱方趾が眉を顰める。
「墓の女神……だったか?」
桑門が軽く首を傾げ、呟いた。
「所謂、地母神じゃの」
「うん、僕も其れ位は知ってる。逆に其れ位しか知らない。調べても大理石に纏わる話なんか出て来ないし、英雄の母って事くらいしか解らない」
小さく息を吐き、円顱方趾が此方を覗き込んで来る。
「何を知りたいのかの? 今障りが無いのなら、儂としてはそっとしておくのが良いと思うんじゃが?」
確かに、触らぬ神に祟り無しと言う。
確かに、寝た子を起こす結果になるやも知れぬ。
確かに、墓穴を掘って填まる事になるかも知れぬ。
しかし、だがしかし、あの切な気に哀し気に呼ぶ声が、耳から離れない。
「それでも、知りたいのです。わたくしは、この蛇に意中の相手に逢わせてやりたいのです。如何したら良いのか、知っていたら教えて頂きたいのです」
「儂は神様は呼び出した事が無いからのぉ」
交霊術、召喚術、口寄せ、宗派や地域で様々な方法が有るものの……と円顱方趾が唇を尖らせてそんな事を言う。
丸で別のモノならそうした事が有るかの様な。
「聞いた感じじゃと、恐らく所謂電波の届かない所に有るか電源が入っていない為かかりませんとか云う状況なんじゃろう。此の結界の中を頑張ってたんじゃろうが、電池切れじゃな。電池切れ」
おちゃらけた口調でそう言うと、人形焼を口に放り込む。
「先ずは、其の件の蛇ちゃん入り菓子器を持って来た謎の人物とやらが手懸かりじゃろうて」
茶を啜り、更に人形焼を口に放り込む。
「根の国にデートと洒落込もうかのぅ」
「根の国……」
神妙な顔付きでネイサン青年が呟く。
「お前さんは連れて行かぬよ。ヤギちゃんとデートじゃもの。桑門はお邪魔虫共が付いて来ぬ様見張って居れよ」
「……え……」
「……えー……」
甥と叔父が粗同時に声を上げる。異口同音に。
「いくら円顱方趾でもお一人では……」
「此の兄弟を俺だけで抑えろってのは無理が有んでしょうが」
「他人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られっちゃうぞい。おぬしはポン兄弟と如何にかせい」
前半はおちゃらけてネイサン青年に、後半は如何でも良さ気に桑門へと告げて、老僧はひょういとわたくしを抱え上げた。
「其処のオジンも付いて来ぬ様に」
円顱方趾の言葉に、桑門がダーニの首根っ子を押さえる。
円顱方趾に抱えられ外へと出る。
「うちの妖怪爺を信用しろって」
家の中から、桑門の呆れた様な声が、聞こえた。
『根の国』とはどんな場所なのかと問うわたくしに、老僧が首を傾げる。
さあのう。音も無く、光も無く、闇も無く、希望も無く、絶望も無く、快楽も無く、空腹も無く、病も悪霊も等しく存在する場所と言う所かのう。
声は何時の間にやら自分の耳にすら届かぬ重苦しい何かの充満して居る中、音では無い何かで円顱方趾が答える。
家を出て直ぐ、目の前に円顱方趾の『寺』が存在して居た。
『寺』からわらわらとポン兄弟が出て来ると代わる代わる挨拶をし、今出て来た我が家へとお邪魔しますとばかりに入って行った。
其の兄弟を目の端に眺め、『寺』に入って其の儘裏口から出れば、其処は、見知らぬ山林の只中に繋がって居た。
『迷い家』ならぬ『迷い寺』とでも言うのか、『寺』自体が生きて居るとでも言うのだろうか。
其の山林の奥、唐突にぽかりと口を開けた『穴』が有った。
躊躇する様子も無く、円顱方趾は歩を進める。
そして、音が、消えた。
『根の国』は『妣國』とも言う。儂の様な穢れを持つ者には心地好いが長居をすれば『根住』共の仲間入りよ。
視界はぼやけ、直ぐ其処に有る筈の円顱方趾の顔すらぼやける。
『誰そ彼』の中、此の自分を抱える手は本当にあの気の良い老僧なのかと不安がほんのり渦巻く。
儂は地獄に逝けば戻れぬじゃろうが、『根の国』なら漂う其処い等の亡霊や病神と変わりゃせん。ほんの少しコネクションがあるでの。
声が音として聞こえても聞こえなくても、おちゃらけた物言いは変わらない。
『妣國』の『妣』に会いに行くんじゃよ。
そう、老僧は言う。
そして、ゆるゆるゆるゆると坂を下り上り下り上り下り、何度か繰り返した後、時間も距離も解らなくなった頃、唐突に、巨大な建物の前に立って居た。
恐らく女性だろう、痩せ衰えた人の様な何かが数柱、建物から現れる。
辛うじて服と言える襤褸を見に纏い、辛うじて髪を結って居る其の顔は朧気で良く見えない。
そして気付く。
明らかに何十年、何百年洗っていないだろう其の衣類、其の身体の、臭い。其れが一切し無い。
五感と言う五感が全て曖昧で有るのか無いのか元からし無いのか解らなくなったのかすら妖しい。
現れた女性達は、円顱方趾の姿を見止めると、首を傾げ、ひそひそと井戸端会議をするかの様に頬を寄せ合った。
音は無い。声は聞こえ無い。だが。
ややあって女性達が円顱方趾をわたくし毎取り囲むと、数人掛りで長い袖を広げた簡易担架へ乗せてあれよあれよと言う間に奥へと連れ込まれた。
奥の豪奢な扉を開け、放り出された円顱方趾がくるりと猫の様に降り立つ。
わたくしもくるりと頭が下の状態で抱えられ直される。
逆さまに見ても、其処は豪奢な……石造りの社の様に見えた。
「久しいな、甘露の者」
扉が閉まり、社の何処かから星のさざめきの様な、涼やかで聞く者の存在全てを溶かす様な、そんな声が響く。
御久し振りで御座居ます。
と返す円顱方趾の声には相変わらず音は無い。
甘やかで涼やかな声だけが、響く。
「豊葦原中津国には飽いたであろう」
否、未だ未練が御座居ます。
「其の手のモノは幣物か?」
否、我が友で御座居ます。
「其れは希覯」
何やら逆さまの儘、足を円顱方趾では無いモノに摘み上げられる。
眩しい。
其れが先ず感じた事だった。
音無き、光無き、闇無き、希望無き、絶望無き世界。
其の誰そ彼の世界で、声を発し音を奏で、光を湛える其の存在。
「此れは寔に染まっておるの」
生きては居らぬが死しても居らぬモノ、我が友で御座居ます。
円顱方趾の言葉に、朗らかな笑い声を上げる。
「然もありなむが、吾も此のモノで遊びたい」
まぁわたくしは可愛いお人形でありますのでお人形遊びには向いておりますけれども、と言うかもうその者で御座いますけれども!?
石の小蛇を一匹、御存知ではありませんでしょうか?
円顱方趾が続ける。
「根住達が妙な小蛇の巷談をしておったの」
細く冷たい指が額を撫ぜる。花の様な星の様な其の印の辺りを。
「根住達に聞くが良い」
何度も何度も額を撫ぜた後、逆さ吊りから開放される。
ゆっくりと、扉が開いた。
円顱方趾が受け止める。
「甘露よ、汝に逝き場なぞ無い」
甘く優しくそして冷たい呪いの言葉を背に、部屋を後にした。
背後の扉が閉まるのを確認し、円顱方趾へ顔を向ける。
今のは何だったのか……と問おうとしても相変わらず声は出ず、円顱方趾の顔も暈やけて居る。
さてはて、と老僧が此の人形の身を抱えた儘音鳴らぬ声を呟く。
さてはて、根住達をとっ捕まえて聞き出さねばの。
御殿を離れ、道らしき物に歩を進め、戻って居るのか進んで居るのかも判らぬ、若しかしたらぐるぐると同じ場所を回って居るのではないかと思い始めた頃、小さな穴の前で老僧が立ち止まった。
懐から小さな握り飯を取り出すと、其の穴へと放り込む。
数秒か数分かして、やおら穴の中の雰囲気が賑やかしく成った。
小さなモノが走り回る様な気配。
慌しく何かを運んでいる様な気配。
そして、喜んで居る様な気配。
やがて、ちょろりと穴から顔を出したのは、小さな濃い灰色の毛の物。
方趾様!
鼠の口はそう動いた。
久しいのう、村長殿。
そう、円顱方趾が返す。
教えて欲しい事が有っての、と続ける小柄な老僧の手を、その何分の一かの体躯の鼠が取って中へと引っ張り込む。
何を水臭い。あの御結びで解りましたとも。さぁ中へ。方趾様を迎える宴会の用意が出来て居りますよ。
引っ張り込まれる儘に穴へと入って行くと、大も小も鼠達が円顱方趾へと手を振り尾を振る。
まるで凱旋の其れで或る。
やけにふかふかする長椅子に座らされ、木の実を堆く積み上げられた脚付きの石の皿を目の前に置かれ、円顱方趾の連れと言う事で此方も歓待される中、音無き世界にも関わらず楽器を奏で踊りを踊りる鼠達。
音が聞こえないのが不思議な程の空気の震えと楽しげな雰囲気に、頭がぐらぐらと揺れる。
小蛇で御座居ますか。其れなら見知って居ります。
一頻りどんちゃん騒ぎに付き合った後、円顱方趾の隣で村長はにこやかに言った。
件の小蛇が『母なる死であり墓なる神であり万物の母』を捜して居ると言う物で、此れは我が母神に違いないと連れて来た所、違うと泣き出すじゃありませんか。
恐らく酒だろう、小さな小さな御猪口を口に運ぶ。
聞けば、遠く遠く海の向こうから来たと言うから耳にぴんと来ましてね。遠く離れた国での私等の眷属の呼び名は病を齎す死神なんですよね。とは言っても言葉が違うもんだからお話にもならないんですが。兎も角、こりゃ迷子だなと。
酔って居るのだろうか、話が回りくどい。
で、まぁ、うちの管轄じゃないもので御帰り願おうとしたら、あちらさんも伝手が無いからと泣き落としに掛かって来ましてね。いや、其の前から泣いてはいたんですが。
出会った場所が場所だもんだから、元居た場所に帰そうと思っても何とかしてくれと。いやはや困り果てました。
其処に我がと名乗り出てくれた方がいらっしゃったんです。其の方に聞けば分かるんじゃあないでしょうかねぇ。
其の方とは?
と聞くも、村長はへらへらと笑ってはっきりしない。
いや、場所が場所ですから。いくら方趾様でも……。いやしかし、御結びをもう一つ頂けると言うのなら場所だけでも。
円顱方趾が溜息混じりに懐から握り飯を一つ、ちらつかせる。
ええ、其れです。其れを頂けるなら。
二つなら名前も聞かせて貰えるかの?
なんと! そんな! 勿論ですとも! 皆の者、餅じゃ! 餅をつけ!
小さな握り飯を二つ手渡すと、鼠達が騒然とした。
小さな臼と杵を運んで来ると、村長から渡された握り飯を放り込み、数匹がかりでリズミカルに捏ね始める。
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
鼠軽の居ぬ間にぺったんこ
鼠軽の鳴き声御免だよ
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
音の無い世界の、音として聞こえて居る訳では無い此れは何なのか。
空気の振動なのか脳に直接響く物なのか其れとも。
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
鼠軽の居ぬ間にぺったんこ
鼠軽の鳴き声御免だよ
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
何を言う間も無く、目の前に小さな小さな餅が山と積み上げられる。
先程の小さな握り飯三つで出来る量では到底無い。
村長が改まって頭を下げる。
此れで、神様へのお供えが用意出来ました。
方趾様には何時も見計らったかの様に良い時に現れなさる。
此れで村は助かる。
此れで根住の国は助かる。
ありがたや、ありがたや。
鼠達が揃って頭を下げる。
福根住。
其れはそう呼ばれているらしい。
白い小さな鼠はハツカネズミの様だと円顱方趾が愛で嬉しそうに顔を綻ばせた。
鼠も頭を楽しそうに振る。
根住の村を後にし、道案内の福根住を円顱方趾の肩に乗せ、指差す方向へ彼方此方と彷徨う様に歩く。
此れは……迷わせようとして居るのでなければ如何云う作りなのかとうんざりし始めた頃合で、道が途切れた。
唐突に福根住が円顱方趾の肩から飛び降りる。其の指し示す指の先は、闇しか見えなかった。
薄暗闇の黄昏の中では無い、闇。
行けと言わんばかりに闇の先を指差し、福根住がちょろりと走って岩の隙間から地面の下へと潜った。
根住の道でも有るのだろう、直ぐに姿の見え無くなった白鼠に肩を竦める。
躊躇いも無く、闇の中へと円顱方趾が足を踏み入れた。
闇と言えば、わたくしの知っている、経験したことの有る闇は、純然たる闇では無かったのだろう。
あの粘体の様な丸で黒い水の中を掻き分けて進む様な闇はやはり特殊なのだろう。
アレは、気体では無く何かの思念や悪意や哀しみや、そう云った何かだったのだろう。
するすると闇は円顱方趾とわたくしを受け入れ、拒絶せず、丸で其処に居るのが当然で或るかの様なそんな気さえしてくる。
温かく柔らかく居心地の良い死……。
眠気を誘う、全てを許される安楽の地。
母なる胎の中と言う物はこう云う感じかと、人形であるわたくしにさえ思わせる、優しく慈しみに溢れた闇を、しかし円顱方趾は何の感情も抱いてないかの如く早足で歩く。
目的地へと歩を急ぐ。
やがて闇の中に一点の赤い光が点った。否、二点の、である。
赤酸漿……と円顱方趾が呟いた。
突風の如く走り出し、狼狽する其の光の本体を捕まえると勢いを殺さずに元来た道を駆け戻る。
やや有って闇を抜けると、円顱方趾が大きく溜息を吐いた。
どうやら息を止めていたらしい。
手には目を回した小さな蛇、あの大理石で出来た蛇……の恐らく本体であろう……をしっかりと握って居る。
しっかりと握り過ぎてぐったりとしているのが何やら不憫である。
帰り道はやけにすんなりと行った。
と言うより、推測だが、出口の方が迎えに来た。
数歩歩いただけで出口に辿り着いたのだからそうとしか思えない。
「ぷふぁあああああああ」
久方ぶりの外の空気に、思わず変な声が出る。
「おー、しんどかったのぉ。すまんのぉ」
円顱方趾が可笑しそうに笑う。
目の前には円顱方趾の寺が迎えに来て居た。
「たぬぽんやー。帰るぞーい」
玄関口から奥に声を掛ける円顱方趾に抱えられた儘、先程迄其の中に居た筈の根の国への入り口を……無い。
根の国の入り口が、無い。
未だ寺の中に入っていないのだから、場所を移動していない筈であるのに、何処にも入り口は見当たらなかった。
平然と寺の中へ入る円顱方趾が見通すかの様に手の内の蛇を振る。
「出口、じゃからの。こっちからは見えんのじゃよ」
奥から狢共がきゃあきゃあと遊びながら出迎えに出て来た。
季節が変わっていた事に気付いたのは唐突な冷気のせいだった。
根の国では寒さも暑さも感じなかったが、確か夏の始めだった筈が、気付けば周囲の木々は紅葉し飛び出して来たメガネ兄さんはセーターなんぞを着込んでいる。
「三ヶ月も何やってたのぉおおお」
泣き乍わたくしを抱き絞めるメガネ兄さんの首根っこを捕まえて家の中へと引きずり込むニイサン青年。
「お探しの蛇ちゃんじゃぞーい」
蛇を振り回し乍スキップで我が家へ乗り込んで来る円顱方趾に呆れつつも本当に得体の知れない爺だなとニイサン青年と桑門が同時に呟いた。
「この半透明の蛇がそうなの? なんか気絶しているようだけど」
わたくしの目にははっきりと白と灰色の斑に見えるのですがね。
「え? 蛇? どこどこ?」
「兄さんは黙ってて」
其れもですが季節がすっ飛んで居る事も聞いて置きたいのですがね。
「あー、ほら、あれじゃよ、あれあれ。浦島太郎が竜宮城から帰ったら何十年も経っておったろ? 同じ理屈よ」
全然、全っっっ然、理解らないのですが。
「世の中っちゅーのは不思議がいっぱいじゃのー」
ほほほと笑う円顱方趾が蛇を大理石の器に乗せる。
「根の国はのう、居心地良かったじゃろう?」
そう言えば、何とかの者とか…・・・何やら霞掛かった様に根の国の事が急速に消えて逝く。
「やぎちゃんが助けたかった蛇ちゃんは此処に居るし、儂等は帰るぞい」
円顱方趾は飛び跳ねると桑門の肩に飛び乗った。
「妖怪爺」
「ほれ帰るぞ動け動け」
「俺は巨大ロボか。またな」
此方の事なぞ後は知らぬとでも言う様に、桑門を追い立てる。
「此れ以上深入りするで無いぞ」
と言う不穏な一言を残して慌しく帰って行った。
根の国から戻った日の夜。『私』は夢の中に居た。
確かに夢。夢以外のナニモノでもない。
『私』は幼い少女になっていた。やや褐色に近い肌。茶色の、黒に近い目と髪。粗末な服は麻だろうか。穴の開いた場所に首を通し、紐で腰回りを括っている。
同じような少女が『私』の前にも後ろにも沢山並んでいた。
逃げようにも、縄で前後の少女と繋がれ、一歩、また一歩、と歩を進める。
その先は闇、だった。
先頭は見えない。少女の列は闇の中へと続いており、裸足の足の裏からは血が滲んでいた。もう誰の血かもわからない。
これは夢だ。
夢だ。夢なのだ。
早く覚めねばという思いと、どうにか動かねばという思いは、唯々諾々とただひたすらに一歩ずつ前へと進む足に裏切られる。
いや、これは私の足なのだ。
ぼんやりと、先程飲まされた酒を思い出す。
いや、『私』は酒なぞ飲んでいない。
この少女が飲んだのだろう。
口の中に味がよみがえってくる。
鼻に抜ける匂いがクラクラと思考を妨げる。
紫の煙が上がっていた。独特の香りがした。あれは、なんだろうか。
視界が揺れる。
前を歩く少女が耐えきれぬように笑い出した。「ふふふ」という笑いは伝染する。気付けば『私』も笑っていた。ひどく、楽しい気分なのだ。眠くて、いい気分で、目を瞑ると後ろを歩く少女に羽が生えていた。
もう一歩も歩けないと思った頃、たどり着いた、紫色の煙が焚き染められたその部屋は、豪華なベッドと豪華な食事と、酒が用意されていた。
村で貧乏な暮らしをしていた私達は、涙を流し、笑い、食べて飲んだ。
酩酊し、私達は大事に大事にされた。
身体に絵が描かれた。チクチクとするが刺される痛みは感じない。足の裏からヘソ、背、首、耳の裏、顔へと絵は広がっていく。それは、私達みんなに順番に描かれていった。
私達はソルイルナの日、外へと運ばれた。
太陽が姿を消しツィツィミメが降りてくる。
周囲を見渡せば、松明に照らされて、白く塗りたくられ、金銀で飾り立てられた少女達が見える。
私達はコアトリクエの胸に抱かれ、そして、眠るのだ。ツィツィミメが来ないように。
目の端に赤い花が咲く。
流れる血が祭壇に紋様を描く。
次々に咲き誇る赤い花。
振り下ろされる白銀。
じわり、と太陽の光が一筋、祭壇を照らす。
ああ、ツィツィミメに喰われずに済んだのだと、思うと同時に私の首が飛ぶ。
痛みは無かった。
ただ、ただ、太陽の光が眩しかった。
嫌な夢を見てしまった。
あれは、いつの何処なのか。
酒と、恐らく薬で思考力を奪い、神に捧げる。生け贄の少女達は最後まで、それこそ首を飛ばされても恍惚として痛みを感じていなかった。それが救いなのか。それが何だと言うのか。
だけれど、あの少女達は捕虜で、時代や、政治や、宗教や、どうにもできない事があること位は『私』にだってわかる。
恐らく、あの少女達の一人があの大理石の蛇なのだろう。たぶん。わからないけれど。
だとすれば『私』の中で眠らせてあげれば良いのか? 人違いでも? それが彼女達の救いになるのだろうか? ていうか何故に『私』?
「随分と酷い顔をしてるね、ヤギリン」
誰が酷い顔か。私はいつでも可愛らしいでしょうが。
言い返す気力もなく、何となく、そう、何とはなしに、呟く。
「『私』、ナニでできているのでしょうか?」
きょとん、と音がしそうな顔で眼鏡ニイサンが『私』を見返した。
「愛と勇気と希望?」
ネイサン青年が横からチャチャを入れる。
「いえ、物理的に!!」
確かに其れっぽい気もしたりしなかったり致しますが!!!
「あー、頭と身体は基本的には磁器、焼き物だね」
初耳である。
てっきりセルロイドかと思い込んでいた。
「最初、目がプリントだったし、恐らく試験的に作られた物じゃないかな?」
ほうほう。
「じゃあ、コイツが焼却炉で燃え残ったのって、単純に焼き物だったからってこと?」
ネイサン青年がヒュンと音をさせてバールの先を此方へ向ける。
バールで他人を指してはいけません。
何だかホッとすると同時に、実はあの工場の諸先輩方とは仲間では無かったのだと、少し寂しい気分になる。
ふと、工場長の口癖を思い出す。「ぐらっちぇーぐらっちぇー」と笑うあの……、あれは確か、まだ『私』が……。
ダメだ。思い出せない。
探ろうにも、ハッキリとした記憶があるのはネイサン青年が訪れて以降だ。
「ぐらっちぇーてどんな意味ですかね?」
「イタリア語? ありがとうって意味だけど……」
「随分と訛ってるよね。スペイン語に近くない?」
『私』の質問に、ネイサン青年と眼鏡ニイサンが首を傾げる。
「あ」
何かに気付いたのだろう、ネイサン青年が声を上げる。
「テスココ湖、ケツァルコアトル、侵略、コアトリクエ……」
それは、あの蛇が口にしていた言葉。
いきなり、『私』の頭を両手で挟み込んで掴んだ。
「もし、ヤギリンにアステカの土が使われていたら? ヤギリンの素材に骨が混じっていたら?」
ボーンチャイナという言葉がある。牛の骨灰を混ぜて焼いた磁器だ。が。
「失踪前、あそこの工場長は立て直しの為に色々模索してたって聞いた。それの一つが、スペインから持ち帰った土で実験的に作った人形だとしたら?」
それは、全てが憶測である。
「アステカはスペインに侵略されて文明が滅んだ。その時に持ち帰った『何か』がスペインの『どこか』に保存されていてもおかしくない。いや、もしかしたら保存すらされていなくて打ち捨てられていたのかもしれない。それを偶然社長が持ち帰り偶然人形に仕立て上げ、偶然自我を持った?」
言いながら、ネイサン青年の顔が青ざめていく。
「そんなのは偶然じゃない。必然だ」
巨大な巨大な何かの意思が其処に存在していたとしたら……。
みつけた
--音楽が聞こえる--
コアトリクエ
--歌が聞こえる--
母なるコアトリクエ
墓なるコアトリクエ
--不思議な節回しで--
死者を優しく抱く者
死者を優しく迎える者
--懐かしい節回しで--
コアトリクエ
コアトリクエ
--呼びかける……呼びかけて来る--
やっとみつけた
異国でみつけた
--切なげに……懐かしげに--
帰ろう
還ろう
--請う様に……慈しむ様に--
母の中に
墓の中に
--柔らかに……甘やかに--
生命の故郷に
生命の産まれる場所に
--呼びかけて、来る--
コアトリクエ
みつけた
還ろう
時刻は3時。
昆布茶の香りが漂い、落雁が山と詰まれた菓子器が卓上に鎮座して居る。
「何だかお供え……みたいですね……」
「そうだねぇ。上等の落雁だからねぇ」
そう云う意味では無いのだが、眼鏡の細身の男がしたり顔で頷き乍ら言うのを眺めた。
丁寧に丁寧に手入れされ、色艶良く成った身体に薄緑のドレスを纏い、七色の髪を揺らして組み上がったばかりの首を傾げる。
瞬きをする度に揺れる睫は白く、其の瞳は山羊の其れを模して居た。
額の花の様な紋章が前髪に隠れ、頭を揺らす度にちらりちらりと見え隠れする。
「何故こんなに多量に積み上げてあるのでしょうかね?」
「落雁は嫌いだった?」
先程から質問と微妙に食い違った返答が返され、如何言ったら此の眼鏡は自分の欲しい返事が返って来るのかと溜息を吐く。
人形に溜息を吐かれた眼鏡の男は無邪気な笑顔で首を傾げた。
いつも菓子を用意する係りである彼の弟の姿は見当たら無いが、これもまぁ間々有る事で、仕事と称して怪し気な事を行っているのだろう。
調伏とか退魔とか修祓とか。
「海外に言ってるから暫く帰って来れないからね。日持ちする物を沢山買って来たみたいだよ」
そう言う事を聞きたい訳では……ううぬ……。
うぬうぬと唸りながら手近な落雁を手にし、かぶり付く。
ほろほろと上品な甘さが口の中でほどけて行った。
一つ二つと食べ進め、十も数える頃になって、菓子器に違和感を感じる。
まじまじと見れば、蔦模様の様な波模様の様な何かだと思って居た其れは、どうも蛇の様に見える。
其れもみっしりと密集した蛇が、菓子器に掘られて居た。
「面白いでしょう? 結構古い何処かの国の物みたいだよ」
のほほんとした笑顔で眼鏡ニイサンが続ける。
「親切な人からね、突然頂いたんだよ」
ほう。親切な人が。突然。高価そうな大理石であろう白地に黒とグレーが斑に入った。ボウル状の古い何処かの国の物を。ちゃんと説明もせず。
其れは、押し付けられた、と言うのでは無いのですかね?
「落雁にぴったりだよねぇ」
センス……此の眼鏡にセンスを求めてはいけないのは重々解っては居るつもりである。あるからして。
「返して来なさい」
「えー? 無理だよ。何処の誰だか解らないもの」
知らない人から物を貰ったらイケマセンと、人生で一度も言われなかったのですかね、此の眼鏡は。
「でも、また会えるんじゃないかな。態々うちを訪ねて来てくれたくらいだし」
地球が破滅しても恐らく此ののほほんは治らないのでしょうね、という言葉は、口に放り込んだ落雁と共に飲み込んだ。
落雁を全て食べ終え、大理石の菓子器を引っ繰り返す。
薄く内側を削られた大理石は、薄ら光を通して反射し、脚部分には蛇が所狭しと彫られて居た。
引っ繰り返すと中で欠けて居るのか、からころと小石のぶつかる様な軽い音がする。
「なぁに? 気になるの?」
ひょいと眼鏡ニイサンが菓子器を取り上げ、耳に付けて振る。
くるくると何やら回し見て、小さく声を上げた。
「ああ、此処だ」
蛇の一つを指で軽く押すと、菓子器の脚を形成して居た蛇が、ばらり、と解けた。
「組み木細工みたいにパズルになって居たんだねぇ。面白い事考えるなぁ」
言い乍ら、ばらけた蛇を手に組み直そうとする。
が。
中に入って音を立てて居ただろう欠片か何かが有る筈なのだが、見当たら無い。
「何処かに転がって行っちゃったのかなぁ?」
特に気にしている風でも無く、パズルに夢中に成っている眼鏡を放って、ソファの下やらテーブルの下やら探す。
三十分程掛けるも発見は無く首を傾げて居ると、不意に眼鏡ニイサンが声を上げた。
「あれ? 一個余っちゃった」
えへ、と此方を見て来る。
確かに其処には、元通り組み上がった蛇の脚を持つ菓子器とは別に、大理石の蛇が一つ眼鏡ニイサンの手の中に居た。
なんですかね。
玩具とか分解して組み立てたら螺子が余るタイプの人間なんですかね?
「こう云うの失敗し無いんだけどなぁ」
首を傾げて菓子器と手の中の蛇を見比べる眼鏡は放って、ソファに寝転がり、ラジオをつける。
軽快な音楽と軽快なDJの喋りが流れて来た。
『ハーイ、時刻は午後16時となりました。さて皆様はどちらで聞いてくれてるでしょうか? 車? 仕事場? 家? コア……エ?』
ん?
『次の曲はリクエストから、今流行りのナンバーを連続で3曲お送りしまっす』
何か、聞き慣れない単語が入った気が、した。
聞き取れ無かった。
車、仕事場、家、こ……?
ラジオからは流行の歌だと言う曲が流れて居る。
『~あなたと~……~~い~~……~~ てからのわた~~ コアト……エ ~~ますか~』
違和感。
何度か聞いて居る曲なのに、知らない歌詞が混在する。
否、いつも聞いて居るのが1番で2番の歌詞が違うとかなら、まだ納得出来る。
が、此れは恐らく間違いなく。
違 う 。
『コアトリクエ、私の聲が聞こえますか? やっと会えた。ずっと会いたかった。コアトリクエ』
なおも流行の歌手の声で、全く違う内容を歌い上げる。
ぎこちなくラジオの電源を切ろうと指を伸ばした時、曲が終わった。
『ハーイ、お届けしたのは『コアトリクエ』の『コアトリクエ』で『コアトリクエ』でした! 『コアトリクエ』の前の『コアトリクエ』! 又お会いしましょう! バーイ!』
総毛立った衝動に乱暴にラジオの電源を落とす。
菓子器の蛇を再度ばらけさせるとボウル部分に入れ、其の儘カウンターに置く。
「考えても解らない時は、其の時じゃないんだよ、メイベル?」
何やら薀蓄臭い事を言うが、要するに面倒臭くなっただけでしょう?
其れよりも先程のラジオが変では無かったかと声を掛けるわたくしに、眼鏡ニイサンは首を傾げた。
「聞いてなかった」
で、しょうね。
そうでしょうともそうでしょうとも。ええ期待なんて此れッぽっちも、此れッッッぽっちもしておりませんでしたとも。そうですとも。ええ。
本当に、本ッ当にお人形以外の事には全く興味が御座いませんですものね、此の薄ら眼鏡は。
当の薄ら眼鏡は此方の気も知らず、日課の粘土を捏ねる作業だか木を彫る作業だか硝子玉を弄るんだか布を如何にかするんだかに自室へと……。
待て待て待て、一人にしたら怖いじゃないですか何を考え……。
目の前で音を立てて閉じる扉に、やや呆然とする。
否、閉まった扉なら開ければ良いだけなのだが、何やら得体の知れない所に繋がりそうな……まぁ、そんな事は無いのだろうが……気がしてならない。
「何やってんだ?」
聞きなれた濁声が声を掛けて来て、ホッと息を吐き振り返った。
黄色いドレスの、淡い金髪に青い瞳の天使の様な少女人形が呆れた様子で肩を竦める。
「幻聴だと思うのですが……」
そう前置きをして、元は人間の男性であった少女人形ダーニに話し始めた。
「幻聴ってお前……」
まぁ、人形も幻聴や幻覚くらい見るか? と自問自答する様に口篭り、ダーニが其の先を促す。
とは言っても数分も掛からない。
「コアトリクエねぇ?」
聞いた事が有る様な無い様な、と首を傾げるダーニ。
「そのラジオDJが頭おかしいとかじゃなくてか?」
「其の線も考えなくは……」
無いですけど、と言い掛けた時、ボウルの中の一匹の蛇が動いた。様な気がした。
「……ダーニ……」
「ん?」
其方を背にして居る、少女人形の名を呼ぶ。
「ダーニ」
「何だよ?」
蛇が、ボウルから顔を覗かせた。
「ダーニ!」
「だから何だってば」
蛇が、ボウルから身体を乗り出させ……。
「ダーニダーニダーニ!!」
「なんなん……」
視線の先に気付いた少女人形が、勢い良く振り返る。
ぽろり、と蛇がボウルからカウンターへ、そして其の儘床へと着地した。
「へびぃぃいいいいいいいっ」
「へびぃぃいいいいいいいっ」
ダーニの上げた声に釣られ思わず同じ事を叫ぶ。
「蛇は駄目だ蛇は駄目だ駄目駄目蛇駄目蛇は俺は蛇駄目蛇駄目駄目駄目蛇駄目」
軽く混乱して居るのだろう、わたくしの背後に飛び込み兎の様に丸まるダーニ。
其のダーニと大理石で出来て動いて此方にえっちらおっちら近付いて来る蛇を見比べ、動くに動けないわたくし。
ゆっくりと確実に近付いて来る蛇。
頭を抱えて丸まる少女人形のダーニ。
板挟みの少女人形のわたくし。
迫る蛇。
震えるダーニ。
立ち尽くすわたくし。
其の奇異しな状況に、わたくしの目の前迄迫った蛇が、鎌首を持ち上げて口を開いた。
「やっと、見つけた。コアトリクエ」
「え? え? え?」
蛇とダーニを交互に見比べ、とりあえず……
「人違いです」
そう答えると、大理石である其の目からポロポロと涙を零した。
「お忘れですか、お忘れですか……コアトリクエ」
「いやあの、忘れる以前にわたくし面識が無いのですが」
「ひどいひどい……コアトリクエ」
「いや、ひどいと仰られてもですね」
零れた涙が宙で消えて霧散して行くのを見ると、幻か何かだろうか。
「死の匂い、血の匂い、土の匂い、神の匂い、此の匂い……コアトリクエ」
「いやいやいや失礼な。臭う訳が無いでしょう。ちゃんと綺麗に洗い流してますとも!」
全く失礼しちゃう蛇である。
「ノーノーノーノーノー!! ブレイクブレイク!!」
背後から何を勘違いしたのかダーニが羽交い絞めにして来る。
「いやちょっ!? 何!?」
「馬鹿、蛇なんぞとマトモに会話する奴が何処に居る!! 蛇と来りゃ古来より悪魔の化身と決まってるだろう!」
ダーニが大理石の蛇を指差し言い募る。が。ひそひそとがなり立てるとは器用な。
「何処の古来だか知りませんが、日本では酒を飲ませておけば比較的安全な神様ですよ」
「酔い潰す作戦だな!! 酒か!! よし、探して来る!!」
「大吟醸ですからねー」
金の髪を振り乱して台所へと走るダーニの背に声を投げ、肩を竦めた。
目の前ではぽろぽろと涙を零す大理石の蛇……未だ泣いて居る。
罪悪感では無いが、酷い事を言ってしまった様な気がしてくるではないか。
「其の、コア……なんとかさんとはぐれられたのは何時の事でしょうかね?」
「……あれは……」
と蛇が語り始める。
「あれは、五度目の世界を作り終え、テスココ湖の近くで人間の心臓を神々に捧げ平和に暮していた我等の民の下にケツァルコアトルが兵を率いてやって来たのです。
否、彼等はケツァルコアトルの名を騙った侵略者達でした。
我等の神と民はまんまと騙され、滅亡を余儀無くされたのです。
だが我等の神も民もただ無為に滅ぶ事を良しとはしなかった。
潜み、形を変え、堪え、生き残る術を見に付けたのです。
そしてコアトリクエ、貴女も、貴女の一部である私も、こうして再び出会う為ににににににに……」
がくがくと大理石の蛇が震え出し、言葉が上ずる。
「コアト……コアトリクエ……コアトリ……」
壊れた蓄音機のように言葉を途切れさせ、大理石の蛇は沈黙した。
擡げていた鎌首はぱたりと音を立ててて倒れる。
ソレは、ただの、ただの大理石になって居た。
先程まで感じた生気や意志や感情等が一切消え失せた物にしか見え無く成って居た。
「え? えー? もしもーし?」
突然の出来事に、大理石の蛇へと近寄ろうと手を伸ばした矢先。
ばしゃああ
「何やってるの?」
聞き覚えの有る爽やかな声が背後から聞こえたのと、何か液体で横面を叩かれたのとが同時に……。
濡れ鼠のまま、振り返る。
「おかえりなさい」
ネイサン青年が居間の入り口、玄関側に佇んで居る。
わたくしの目の端ではバケツを振り被ったダーニが其の姿勢の儘固まってしまったかの様に蟹歩きで物陰に隠れ様として居る。
「ただいま。で、君『達』、何をして居るの?」
にっこりと、其れは其れはもうにっこりと、爽やかに優しげに微笑んで、長髪の青年が小首を傾げた。
ダーニの黄色いスカートがびくりと震えた、気が、した。
わたくしの自分自身から滴る液体がべとべととした触感と甘ったるい且つ酒の様な臭気を放って居る。此れは……味醂か……。
「だから、大吟醸と……」
言ったでしょうに……言葉にしなかった部分を、そもそも異国人であるダーニに言っても仕方が無いとの諦めも含んで、飲み込む。
「内緒話は、好きですか?」
にっこりと可愛い、可愛いお人形さんの笑顔でネイサン青年に小首を傾げ返した
「で、何故其れを内緒話?」
ネイサン青年が笑顔を崩さない。
此方も可愛い可愛いそりゃもう可愛いお人形さんの笑顔を崩す訳が無い。私の隣に正座するダーニの笑顔が引き攣って見えるのは気の所為と云う物で或る。
ざっくりとネイサン青年が戻る三十分程を説明しただけだが。
「うちの眼鏡に知れたら、大騒ぎするでしょう?」
「……ああ……そっち……」
恐らく、粗同じ映像が脳裏の描かれて居ると思う。
わたくしと同じ様に自立し意思の疎通が出来、立って歩ける少女人形が自分の家に居たら。
あの人形狂いは紛れも無く興奮覚めやらぬまま分解するだろう。
分解し、組み直し、暴走し、着せ替えをするだろう。
「すまん、男に玩ばれるのは一寸……」
手を横に振っていやいやをするダーニに、ネイサン青年が肩を竦める。
「ヤギリン、君、此の子の言う事解るの?」
「いや、そりゃ、彼は元々男性ですから……、言いたい事が解らないでも無いですよ?」
「いや、そうじゃなくて、『言葉』が通じてるの?」
ネイサン青年の台詞に首を傾げたわたくしに、重ねて、言う。
「此の子、外国語を話してるけど、理解出来て居るの?」
……外国語とは……其れはまた……初耳ですが。
ダーニと顔を見合わせる。
普通に会話していた相手が違う言語を話して居ましたとか、如何対応を、否、如何もこうも無いじゃありませんか。現に通じているわけですし。
「ほんっと、変な奴だよねぇ、君」
呆れた風で天井を見上げるネイサン青年。
片手には大理石の蛇を持って、電灯の明かりで透かして見て居る。
「普通の大理石だし、呪いの類は見え無いし、そもそも変な物は持ち込ま無い様にしてるんだけどねぇ」
アレ以来……と言葉を続ける。
アレ、とは、アレの事だろう。とやかく言うつもりは無いが。
「此れ、あの大理石の菓子器から出て来たって言ってたっけ?」
ネイサン青年がカウンターに置きっぱなしの大理石の菓子器を見に行く。
丁寧な手付きで分解された脚を復元し、再度分解し、また復元し……。
「ねぇ、本当に此処から出て来たの?」
やはり、如何にも蛇が余るらしい。
「同じ素材で出来てるんだろうなと云う事は判るんだけどねぇ。ほら、僕って地学苦手じゃない?」
何の関係が有るのか解らないが頷いておく。
「本当に此れの一部だったのかなぁ? って」
首を傾げてネイサン青年が言う。
「何か、別の何かなんじゃないかなぁって、疑問なんだよね」
眼鏡ニイサンに分解され丸洗いされ干され化粧直し、と数週間の時間を掛け、組み直されすっかり綺麗にされて、やっと、一息吐く。
カウンターには気の持ち様とばかりに大理石の蛇が埋まった1kgの塩が菓子器に盛られて居た。
「なんという……風情の無い……」
「まぁ、浄化するなりなんなり、酒か塩か日光か月光かってとこじゃない? 日光浴通用しなさそうなイメージだし」
思わず呟いた言葉にネイサン青年がにこりと笑顔で返す。
「酒は失敗だったみたいだし」
いや、アレは酒が失敗だったのでは無く、そもそも動きを止めてから酒ですらない味醂を蛇では無くわたくしに掛けたのが……。
「なぁに? また何かメイベルに掛けようとしてるの? 駄目だよ?」
眼鏡ニイサンが丸ぼうろを口に運びながら口を挟んで来る。
ああ、もう、ぽろぽろ零してもう。
「ところで何故日光浴?」
眼鏡ニイサンの食べ零しを拾い乍ら、ネイサン青年に聞き返す。
「僕も詳しい訳じゃないから調べたんだけどね、どうも太陽信仰の所の神様の名前らしいよ。コアトリクエって」
其れと日光浴が効かない事の繋がりが良く理解出来ないが、取り敢えずふうんと頷く。
「ああ。コアトリクエ良いよねぇ。あの造形……」
眼鏡ニイサンの台詞に、ぎくり、とする。
「蛇のスカートを履いた者、だよね」
「……はぁ? 蛇のスカート!?」
「そうだ、蛇柄のドレスとか格好良いかな? 蛇革の、うん、良い! 早速生地を取り寄せよう!」
勝手に決め付けて盛り上がって部屋にスキップで戻る盆暗眼鏡をやや呆然と見送る。
あ、の、眼鏡、はぁああああああ……。
本当に世間様で勤め人して居なくて良かったと本当に思う。
アレでは周囲の人間の胃に何個穴を開けても気付か無いだろう。
或る意味適正適所で或る。
「勿論、其の神話には他にも神様が居るんだけどね」
何事も無かったかの様にネイサン青年が続ける。
「ま、国が滅亡してるんだから、神様達だって滅亡してると考えるのが普通だよね。其れか邪心化してるかだけどね」
まぁ、大抵の神様は一神教だと悪魔扱いだよね。と何でも無い様に言う。
「え? 一寸意味が……」
祀られ無く成った神が妖怪化悪神化しているのなら解る。解りたくは無いが解る。
別の宗教が他の宗教を否定する為に他所の神様を悪魔だと言うのか?
其れは、何と言う傲慢。
何と言う侮蔑。
何と言う……。
「すみません。少し、頭を、冷やして来ます」
頭に血が上る其の感覚に、違和感と軽い快感を覚え、『何かしでかす前に』と部屋へ戻る。『怒り』だろう、恐らく。わたくしは、数百年も前の、遠い異国の、出来事に、『怒って』いるらしい。
変、ではないか。
変過ぎるではないか。
部屋に戻り、灯りを付ける事も無く、其の儘寝具へと飛び込む。
わたくしの、怒るべき事では無いではないか。
そうですとも。
わたくしには関係の無い……。
大理石の蛇の、あの、流した涙が、声が、聞こえる気がした。
「……コアトリクエ……」と
時刻は3時。
イグアナの頭の形の人形焼が乗った菓子器と麦茶が卓に並ぶ。
卓の向こう側には小柄な老僧が正座し、カラリと氷の音をさせて麦茶を啜る。
其の横には窮屈そうに大きな体躯を縮めて青年の叔父である破戒僧が肩を竦めて居た。
「円顱方趾、御呼び立てしへふっ……」
すみませんと続ける青年の言葉は、口に突っ込まれた人形焼に阻まれる。
当の小柄な老僧の指が人形焼を抑えて居た。
「まぁ、良かろうて良かろうて」
ほほほと笑い、自らの口にも人形焼を放り込む。
「はひはほほうはひゅうほうはひまふまふ……」
「おっしょさん。口に物を入れた儘喋らない」
麦茶を啜り、巨躯の破戒僧が口を開く。
「儂等の様な食み出し者にしか出来ぬ相談も有ろうて」
アレ以来、大理石の蛇は云と寸とも言わず、幻聴も幻覚も無い平和な日々を過ごして居た。
平和である。
平和では或るがこう、何とも言えずもやもやと胸を占めるモノが有る。
しかし、如何にもこうにも如何ともし難いのだ。
だから、呼んで貰った。
恐らく、知る限り雑多な知識が一番有りそうな人物を、眼鏡ニイサンとネイサン青年の叔父である桑門を通じて。
其れは、絶対では無い。
其れは、確信では無い。
若しかしたらと云う微かな予感。
円顱方趾も桑門も、決して話を軽んじたりしはし無い。
「方趾……」
目の前の老僧を見上げ、言葉を選びつつ口を開く。
「知って居たら教えて欲しいのですが」
「やぎちゃんになら何でも話しちゃうぞーいっ」
瞬間、目にも留まらぬ速さで円顱方趾に宙をぐるぐると回されて居る。
「何を聞きたいのかのー? 宇宙の成り立ちかのー? 人間の辞め方かのー? サンスクリットの読み方かのー?」
ぶんぶんと振り回……
「ちょ……話……聞い……」
「おっしょさん」
ひょいと桑門につままれて救出された時には既に目が回って居た。
「あー、何をするか弟子の分際で!!」
「あー、もう、円顱爺ちゃん……」
ネイサン青年が呆れた風にいつもの砕けた口調で言う。
「そんなに人形好きならこっちを振り回してて良いから」
ネイサン青年が物陰に隠れて居た金髪碧眼の天使の様な美少女人形を持ち上げて差し出すが、ぷいと老僧は顔を背ける。
「そんなオジン嫌じゃい」
「はいはい、そう言うのは良いですから先ずは話を聞きましょうね。で、ヤギゾウ?」
話を此方に振られるが如何せん……目が回ってしまって口が回ら無い。
「僕から話すけど、僕の事は振り回さないでよね」
ネイサン青年が大理石の蛇と菓子器を卓上に並べ始めた。
「先日の事なんだけれども……」
先日、突然、大理石の菓子器を持って現れた謎の人物が居る事。
恐らくはネイサン青年の居ない時を狙って来たのだろう事。
大理石の菓子器の脚部分から大理石の蛇が出て来た事。
組み立て直しても其の蛇が入る場所が無い事。
突然、メイベルだけに聞こえた、幻聴。
そして、生き物の様に動き話したと言う大理石で出来ている筈の蛇。
そして、知らぬ間に好き勝手動いて居た古い外国の元呪いの人形。
其の中身が中年男性で或る事。
可愛い女の子になって可愛いお洋服を着たかったらしい事。
途中から話がずれていると思ったものの、頭がぐらぐらしていて口を挟め無い。
「で、若しかしたら、此の人形が爺ちゃんにはオッサンに見えているわけ?」
「若しかしたらも何も、ドレスを着た禿の褐色の不細工な外国のオジンにしか見えないがの」
「……俺には変なオーラの女の子の人形にしか見えないけ……ど……ドレスの禿オヤジ……」
やや呆然と桑門が呟いた。
あまり想像したくないのだろう、視線をダーニから逸らして居る。
『……黙って聞いてりゃ好き放題言いやがっててめえらなぁ!!』
ふるふると肩を震わせ、ダーニが低く唸った。
「おお! 外国語じゃ!!」
「外国語だな」
「ほらこれ、外国語なんだよね」
一斉に三人が口を開く。
が、外国語とは?
治まって来た眩暈に頭を押さえ乍ら首を傾げる。
「ヤギリンったら、何時の間にか外国語が解る様になったのかと思ったらそう云う訳じゃないみたいで」
ネイサン青年が続ける。
「どうも、人やらテレビやらの音声とは別に、人形同士だからか如何か判らないけれども、言葉が解るみたい」
「何だ、まだるっこいな。要するに、人外同士、言葉の壁は無いって事か?」
「其れは要してるつもりなのかの?」
桑門の言葉に円顱方趾が口を挟む。
「まぁ、そう不思議な事でもあるまいて」
ほほほ、と円顱方趾が笑った。
「国は違えど同じ人型。何の不思議もあるまいて。ましてややぎちゃんの様な別嬪さんじゃもの」
後半の言葉に何の意味が有るのか無いのか、恐らく無いのだろうが。
「で、まぁ、此の……」
ネイサン青年が大理石の蛇を摘み上げる。
「此の蛇が喋った動いたと此の二人?は言うんだけど」
言い掛けて首を傾げる。
「訳の解らない言葉を喋ったと、此のダーニ……て名前らしいんだけどね……こっちの人形は言ってるんだって。で、ヤギリンが言うには、蛇がヤギリンの事を違う名前で呼んだと……」
「コアトリクエ」と。
名を聞いて、円顱方趾が眉を顰める。
「墓の女神……だったか?」
桑門が軽く首を傾げ、呟いた。
「所謂、地母神じゃの」
「うん、僕も其れ位は知ってる。逆に其れ位しか知らない。調べても大理石に纏わる話なんか出て来ないし、英雄の母って事くらいしか解らない」
小さく息を吐き、円顱方趾が此方を覗き込んで来る。
「何を知りたいのかの? 今障りが無いのなら、儂としてはそっとしておくのが良いと思うんじゃが?」
確かに、触らぬ神に祟り無しと言う。
確かに、寝た子を起こす結果になるやも知れぬ。
確かに、墓穴を掘って填まる事になるかも知れぬ。
しかし、だがしかし、あの切な気に哀し気に呼ぶ声が、耳から離れない。
「それでも、知りたいのです。わたくしは、この蛇に意中の相手に逢わせてやりたいのです。如何したら良いのか、知っていたら教えて頂きたいのです」
「儂は神様は呼び出した事が無いからのぉ」
交霊術、召喚術、口寄せ、宗派や地域で様々な方法が有るものの……と円顱方趾が唇を尖らせてそんな事を言う。
丸で別のモノならそうした事が有るかの様な。
「聞いた感じじゃと、恐らく所謂電波の届かない所に有るか電源が入っていない為かかりませんとか云う状況なんじゃろう。此の結界の中を頑張ってたんじゃろうが、電池切れじゃな。電池切れ」
おちゃらけた口調でそう言うと、人形焼を口に放り込む。
「先ずは、其の件の蛇ちゃん入り菓子器を持って来た謎の人物とやらが手懸かりじゃろうて」
茶を啜り、更に人形焼を口に放り込む。
「根の国にデートと洒落込もうかのぅ」
「根の国……」
神妙な顔付きでネイサン青年が呟く。
「お前さんは連れて行かぬよ。ヤギちゃんとデートじゃもの。桑門はお邪魔虫共が付いて来ぬ様見張って居れよ」
「……え……」
「……えー……」
甥と叔父が粗同時に声を上げる。異口同音に。
「いくら円顱方趾でもお一人では……」
「此の兄弟を俺だけで抑えろってのは無理が有んでしょうが」
「他人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られっちゃうぞい。おぬしはポン兄弟と如何にかせい」
前半はおちゃらけてネイサン青年に、後半は如何でも良さ気に桑門へと告げて、老僧はひょういとわたくしを抱え上げた。
「其処のオジンも付いて来ぬ様に」
円顱方趾の言葉に、桑門がダーニの首根っ子を押さえる。
円顱方趾に抱えられ外へと出る。
「うちの妖怪爺を信用しろって」
家の中から、桑門の呆れた様な声が、聞こえた。
『根の国』とはどんな場所なのかと問うわたくしに、老僧が首を傾げる。
さあのう。音も無く、光も無く、闇も無く、希望も無く、絶望も無く、快楽も無く、空腹も無く、病も悪霊も等しく存在する場所と言う所かのう。
声は何時の間にやら自分の耳にすら届かぬ重苦しい何かの充満して居る中、音では無い何かで円顱方趾が答える。
家を出て直ぐ、目の前に円顱方趾の『寺』が存在して居た。
『寺』からわらわらとポン兄弟が出て来ると代わる代わる挨拶をし、今出て来た我が家へとお邪魔しますとばかりに入って行った。
其の兄弟を目の端に眺め、『寺』に入って其の儘裏口から出れば、其処は、見知らぬ山林の只中に繋がって居た。
『迷い家』ならぬ『迷い寺』とでも言うのか、『寺』自体が生きて居るとでも言うのだろうか。
其の山林の奥、唐突にぽかりと口を開けた『穴』が有った。
躊躇する様子も無く、円顱方趾は歩を進める。
そして、音が、消えた。
『根の国』は『妣國』とも言う。儂の様な穢れを持つ者には心地好いが長居をすれば『根住』共の仲間入りよ。
視界はぼやけ、直ぐ其処に有る筈の円顱方趾の顔すらぼやける。
『誰そ彼』の中、此の自分を抱える手は本当にあの気の良い老僧なのかと不安がほんのり渦巻く。
儂は地獄に逝けば戻れぬじゃろうが、『根の国』なら漂う其処い等の亡霊や病神と変わりゃせん。ほんの少しコネクションがあるでの。
声が音として聞こえても聞こえなくても、おちゃらけた物言いは変わらない。
『妣國』の『妣』に会いに行くんじゃよ。
そう、老僧は言う。
そして、ゆるゆるゆるゆると坂を下り上り下り上り下り、何度か繰り返した後、時間も距離も解らなくなった頃、唐突に、巨大な建物の前に立って居た。
恐らく女性だろう、痩せ衰えた人の様な何かが数柱、建物から現れる。
辛うじて服と言える襤褸を見に纏い、辛うじて髪を結って居る其の顔は朧気で良く見えない。
そして気付く。
明らかに何十年、何百年洗っていないだろう其の衣類、其の身体の、臭い。其れが一切し無い。
五感と言う五感が全て曖昧で有るのか無いのか元からし無いのか解らなくなったのかすら妖しい。
現れた女性達は、円顱方趾の姿を見止めると、首を傾げ、ひそひそと井戸端会議をするかの様に頬を寄せ合った。
音は無い。声は聞こえ無い。だが。
ややあって女性達が円顱方趾をわたくし毎取り囲むと、数人掛りで長い袖を広げた簡易担架へ乗せてあれよあれよと言う間に奥へと連れ込まれた。
奥の豪奢な扉を開け、放り出された円顱方趾がくるりと猫の様に降り立つ。
わたくしもくるりと頭が下の状態で抱えられ直される。
逆さまに見ても、其処は豪奢な……石造りの社の様に見えた。
「久しいな、甘露の者」
扉が閉まり、社の何処かから星のさざめきの様な、涼やかで聞く者の存在全てを溶かす様な、そんな声が響く。
御久し振りで御座居ます。
と返す円顱方趾の声には相変わらず音は無い。
甘やかで涼やかな声だけが、響く。
「豊葦原中津国には飽いたであろう」
否、未だ未練が御座居ます。
「其の手のモノは幣物か?」
否、我が友で御座居ます。
「其れは希覯」
何やら逆さまの儘、足を円顱方趾では無いモノに摘み上げられる。
眩しい。
其れが先ず感じた事だった。
音無き、光無き、闇無き、希望無き、絶望無き世界。
其の誰そ彼の世界で、声を発し音を奏で、光を湛える其の存在。
「此れは寔に染まっておるの」
生きては居らぬが死しても居らぬモノ、我が友で御座居ます。
円顱方趾の言葉に、朗らかな笑い声を上げる。
「然もありなむが、吾も此のモノで遊びたい」
まぁわたくしは可愛いお人形でありますのでお人形遊びには向いておりますけれども、と言うかもうその者で御座いますけれども!?
石の小蛇を一匹、御存知ではありませんでしょうか?
円顱方趾が続ける。
「根住達が妙な小蛇の巷談をしておったの」
細く冷たい指が額を撫ぜる。花の様な星の様な其の印の辺りを。
「根住達に聞くが良い」
何度も何度も額を撫ぜた後、逆さ吊りから開放される。
ゆっくりと、扉が開いた。
円顱方趾が受け止める。
「甘露よ、汝に逝き場なぞ無い」
甘く優しくそして冷たい呪いの言葉を背に、部屋を後にした。
背後の扉が閉まるのを確認し、円顱方趾へ顔を向ける。
今のは何だったのか……と問おうとしても相変わらず声は出ず、円顱方趾の顔も暈やけて居る。
さてはて、と老僧が此の人形の身を抱えた儘音鳴らぬ声を呟く。
さてはて、根住達をとっ捕まえて聞き出さねばの。
御殿を離れ、道らしき物に歩を進め、戻って居るのか進んで居るのかも判らぬ、若しかしたらぐるぐると同じ場所を回って居るのではないかと思い始めた頃、小さな穴の前で老僧が立ち止まった。
懐から小さな握り飯を取り出すと、其の穴へと放り込む。
数秒か数分かして、やおら穴の中の雰囲気が賑やかしく成った。
小さなモノが走り回る様な気配。
慌しく何かを運んでいる様な気配。
そして、喜んで居る様な気配。
やがて、ちょろりと穴から顔を出したのは、小さな濃い灰色の毛の物。
方趾様!
鼠の口はそう動いた。
久しいのう、村長殿。
そう、円顱方趾が返す。
教えて欲しい事が有っての、と続ける小柄な老僧の手を、その何分の一かの体躯の鼠が取って中へと引っ張り込む。
何を水臭い。あの御結びで解りましたとも。さぁ中へ。方趾様を迎える宴会の用意が出来て居りますよ。
引っ張り込まれる儘に穴へと入って行くと、大も小も鼠達が円顱方趾へと手を振り尾を振る。
まるで凱旋の其れで或る。
やけにふかふかする長椅子に座らされ、木の実を堆く積み上げられた脚付きの石の皿を目の前に置かれ、円顱方趾の連れと言う事で此方も歓待される中、音無き世界にも関わらず楽器を奏で踊りを踊りる鼠達。
音が聞こえないのが不思議な程の空気の震えと楽しげな雰囲気に、頭がぐらぐらと揺れる。
小蛇で御座居ますか。其れなら見知って居ります。
一頻りどんちゃん騒ぎに付き合った後、円顱方趾の隣で村長はにこやかに言った。
件の小蛇が『母なる死であり墓なる神であり万物の母』を捜して居ると言う物で、此れは我が母神に違いないと連れて来た所、違うと泣き出すじゃありませんか。
恐らく酒だろう、小さな小さな御猪口を口に運ぶ。
聞けば、遠く遠く海の向こうから来たと言うから耳にぴんと来ましてね。遠く離れた国での私等の眷属の呼び名は病を齎す死神なんですよね。とは言っても言葉が違うもんだからお話にもならないんですが。兎も角、こりゃ迷子だなと。
酔って居るのだろうか、話が回りくどい。
で、まぁ、うちの管轄じゃないもので御帰り願おうとしたら、あちらさんも伝手が無いからと泣き落としに掛かって来ましてね。いや、其の前から泣いてはいたんですが。
出会った場所が場所だもんだから、元居た場所に帰そうと思っても何とかしてくれと。いやはや困り果てました。
其処に我がと名乗り出てくれた方がいらっしゃったんです。其の方に聞けば分かるんじゃあないでしょうかねぇ。
其の方とは?
と聞くも、村長はへらへらと笑ってはっきりしない。
いや、場所が場所ですから。いくら方趾様でも……。いやしかし、御結びをもう一つ頂けると言うのなら場所だけでも。
円顱方趾が溜息混じりに懐から握り飯を一つ、ちらつかせる。
ええ、其れです。其れを頂けるなら。
二つなら名前も聞かせて貰えるかの?
なんと! そんな! 勿論ですとも! 皆の者、餅じゃ! 餅をつけ!
小さな握り飯を二つ手渡すと、鼠達が騒然とした。
小さな臼と杵を運んで来ると、村長から渡された握り飯を放り込み、数匹がかりでリズミカルに捏ね始める。
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
鼠軽の居ぬ間にぺったんこ
鼠軽の鳴き声御免だよ
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
音の無い世界の、音として聞こえて居る訳では無い此れは何なのか。
空気の振動なのか脳に直接響く物なのか其れとも。
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
鼠軽の居ぬ間にぺったんこ
鼠軽の鳴き声御免だよ
ぺったん ぺったん ちゅ~ちゅ~ちゅ~
何を言う間も無く、目の前に小さな小さな餅が山と積み上げられる。
先程の小さな握り飯三つで出来る量では到底無い。
村長が改まって頭を下げる。
此れで、神様へのお供えが用意出来ました。
方趾様には何時も見計らったかの様に良い時に現れなさる。
此れで村は助かる。
此れで根住の国は助かる。
ありがたや、ありがたや。
鼠達が揃って頭を下げる。
福根住。
其れはそう呼ばれているらしい。
白い小さな鼠はハツカネズミの様だと円顱方趾が愛で嬉しそうに顔を綻ばせた。
鼠も頭を楽しそうに振る。
根住の村を後にし、道案内の福根住を円顱方趾の肩に乗せ、指差す方向へ彼方此方と彷徨う様に歩く。
此れは……迷わせようとして居るのでなければ如何云う作りなのかとうんざりし始めた頃合で、道が途切れた。
唐突に福根住が円顱方趾の肩から飛び降りる。其の指し示す指の先は、闇しか見えなかった。
薄暗闇の黄昏の中では無い、闇。
行けと言わんばかりに闇の先を指差し、福根住がちょろりと走って岩の隙間から地面の下へと潜った。
根住の道でも有るのだろう、直ぐに姿の見え無くなった白鼠に肩を竦める。
躊躇いも無く、闇の中へと円顱方趾が足を踏み入れた。
闇と言えば、わたくしの知っている、経験したことの有る闇は、純然たる闇では無かったのだろう。
あの粘体の様な丸で黒い水の中を掻き分けて進む様な闇はやはり特殊なのだろう。
アレは、気体では無く何かの思念や悪意や哀しみや、そう云った何かだったのだろう。
するすると闇は円顱方趾とわたくしを受け入れ、拒絶せず、丸で其処に居るのが当然で或るかの様なそんな気さえしてくる。
温かく柔らかく居心地の良い死……。
眠気を誘う、全てを許される安楽の地。
母なる胎の中と言う物はこう云う感じかと、人形であるわたくしにさえ思わせる、優しく慈しみに溢れた闇を、しかし円顱方趾は何の感情も抱いてないかの如く早足で歩く。
目的地へと歩を急ぐ。
やがて闇の中に一点の赤い光が点った。否、二点の、である。
赤酸漿……と円顱方趾が呟いた。
突風の如く走り出し、狼狽する其の光の本体を捕まえると勢いを殺さずに元来た道を駆け戻る。
やや有って闇を抜けると、円顱方趾が大きく溜息を吐いた。
どうやら息を止めていたらしい。
手には目を回した小さな蛇、あの大理石で出来た蛇……の恐らく本体であろう……をしっかりと握って居る。
しっかりと握り過ぎてぐったりとしているのが何やら不憫である。
帰り道はやけにすんなりと行った。
と言うより、推測だが、出口の方が迎えに来た。
数歩歩いただけで出口に辿り着いたのだからそうとしか思えない。
「ぷふぁあああああああ」
久方ぶりの外の空気に、思わず変な声が出る。
「おー、しんどかったのぉ。すまんのぉ」
円顱方趾が可笑しそうに笑う。
目の前には円顱方趾の寺が迎えに来て居た。
「たぬぽんやー。帰るぞーい」
玄関口から奥に声を掛ける円顱方趾に抱えられた儘、先程迄其の中に居た筈の根の国への入り口を……無い。
根の国の入り口が、無い。
未だ寺の中に入っていないのだから、場所を移動していない筈であるのに、何処にも入り口は見当たらなかった。
平然と寺の中へ入る円顱方趾が見通すかの様に手の内の蛇を振る。
「出口、じゃからの。こっちからは見えんのじゃよ」
奥から狢共がきゃあきゃあと遊びながら出迎えに出て来た。
季節が変わっていた事に気付いたのは唐突な冷気のせいだった。
根の国では寒さも暑さも感じなかったが、確か夏の始めだった筈が、気付けば周囲の木々は紅葉し飛び出して来たメガネ兄さんはセーターなんぞを着込んでいる。
「三ヶ月も何やってたのぉおおお」
泣き乍わたくしを抱き絞めるメガネ兄さんの首根っこを捕まえて家の中へと引きずり込むニイサン青年。
「お探しの蛇ちゃんじゃぞーい」
蛇を振り回し乍スキップで我が家へ乗り込んで来る円顱方趾に呆れつつも本当に得体の知れない爺だなとニイサン青年と桑門が同時に呟いた。
「この半透明の蛇がそうなの? なんか気絶しているようだけど」
わたくしの目にははっきりと白と灰色の斑に見えるのですがね。
「え? 蛇? どこどこ?」
「兄さんは黙ってて」
其れもですが季節がすっ飛んで居る事も聞いて置きたいのですがね。
「あー、ほら、あれじゃよ、あれあれ。浦島太郎が竜宮城から帰ったら何十年も経っておったろ? 同じ理屈よ」
全然、全っっっ然、理解らないのですが。
「世の中っちゅーのは不思議がいっぱいじゃのー」
ほほほと笑う円顱方趾が蛇を大理石の器に乗せる。
「根の国はのう、居心地良かったじゃろう?」
そう言えば、何とかの者とか…・・・何やら霞掛かった様に根の国の事が急速に消えて逝く。
「やぎちゃんが助けたかった蛇ちゃんは此処に居るし、儂等は帰るぞい」
円顱方趾は飛び跳ねると桑門の肩に飛び乗った。
「妖怪爺」
「ほれ帰るぞ動け動け」
「俺は巨大ロボか。またな」
此方の事なぞ後は知らぬとでも言う様に、桑門を追い立てる。
「此れ以上深入りするで無いぞ」
と言う不穏な一言を残して慌しく帰って行った。
根の国から戻った日の夜。『私』は夢の中に居た。
確かに夢。夢以外のナニモノでもない。
『私』は幼い少女になっていた。やや褐色に近い肌。茶色の、黒に近い目と髪。粗末な服は麻だろうか。穴の開いた場所に首を通し、紐で腰回りを括っている。
同じような少女が『私』の前にも後ろにも沢山並んでいた。
逃げようにも、縄で前後の少女と繋がれ、一歩、また一歩、と歩を進める。
その先は闇、だった。
先頭は見えない。少女の列は闇の中へと続いており、裸足の足の裏からは血が滲んでいた。もう誰の血かもわからない。
これは夢だ。
夢だ。夢なのだ。
早く覚めねばという思いと、どうにか動かねばという思いは、唯々諾々とただひたすらに一歩ずつ前へと進む足に裏切られる。
いや、これは私の足なのだ。
ぼんやりと、先程飲まされた酒を思い出す。
いや、『私』は酒なぞ飲んでいない。
この少女が飲んだのだろう。
口の中に味がよみがえってくる。
鼻に抜ける匂いがクラクラと思考を妨げる。
紫の煙が上がっていた。独特の香りがした。あれは、なんだろうか。
視界が揺れる。
前を歩く少女が耐えきれぬように笑い出した。「ふふふ」という笑いは伝染する。気付けば『私』も笑っていた。ひどく、楽しい気分なのだ。眠くて、いい気分で、目を瞑ると後ろを歩く少女に羽が生えていた。
もう一歩も歩けないと思った頃、たどり着いた、紫色の煙が焚き染められたその部屋は、豪華なベッドと豪華な食事と、酒が用意されていた。
村で貧乏な暮らしをしていた私達は、涙を流し、笑い、食べて飲んだ。
酩酊し、私達は大事に大事にされた。
身体に絵が描かれた。チクチクとするが刺される痛みは感じない。足の裏からヘソ、背、首、耳の裏、顔へと絵は広がっていく。それは、私達みんなに順番に描かれていった。
私達はソルイルナの日、外へと運ばれた。
太陽が姿を消しツィツィミメが降りてくる。
周囲を見渡せば、松明に照らされて、白く塗りたくられ、金銀で飾り立てられた少女達が見える。
私達はコアトリクエの胸に抱かれ、そして、眠るのだ。ツィツィミメが来ないように。
目の端に赤い花が咲く。
流れる血が祭壇に紋様を描く。
次々に咲き誇る赤い花。
振り下ろされる白銀。
じわり、と太陽の光が一筋、祭壇を照らす。
ああ、ツィツィミメに喰われずに済んだのだと、思うと同時に私の首が飛ぶ。
痛みは無かった。
ただ、ただ、太陽の光が眩しかった。
嫌な夢を見てしまった。
あれは、いつの何処なのか。
酒と、恐らく薬で思考力を奪い、神に捧げる。生け贄の少女達は最後まで、それこそ首を飛ばされても恍惚として痛みを感じていなかった。それが救いなのか。それが何だと言うのか。
だけれど、あの少女達は捕虜で、時代や、政治や、宗教や、どうにもできない事があること位は『私』にだってわかる。
恐らく、あの少女達の一人があの大理石の蛇なのだろう。たぶん。わからないけれど。
だとすれば『私』の中で眠らせてあげれば良いのか? 人違いでも? それが彼女達の救いになるのだろうか? ていうか何故に『私』?
「随分と酷い顔をしてるね、ヤギリン」
誰が酷い顔か。私はいつでも可愛らしいでしょうが。
言い返す気力もなく、何となく、そう、何とはなしに、呟く。
「『私』、ナニでできているのでしょうか?」
きょとん、と音がしそうな顔で眼鏡ニイサンが『私』を見返した。
「愛と勇気と希望?」
ネイサン青年が横からチャチャを入れる。
「いえ、物理的に!!」
確かに其れっぽい気もしたりしなかったり致しますが!!!
「あー、頭と身体は基本的には磁器、焼き物だね」
初耳である。
てっきりセルロイドかと思い込んでいた。
「最初、目がプリントだったし、恐らく試験的に作られた物じゃないかな?」
ほうほう。
「じゃあ、コイツが焼却炉で燃え残ったのって、単純に焼き物だったからってこと?」
ネイサン青年がヒュンと音をさせてバールの先を此方へ向ける。
バールで他人を指してはいけません。
何だかホッとすると同時に、実はあの工場の諸先輩方とは仲間では無かったのだと、少し寂しい気分になる。
ふと、工場長の口癖を思い出す。「ぐらっちぇーぐらっちぇー」と笑うあの……、あれは確か、まだ『私』が……。
ダメだ。思い出せない。
探ろうにも、ハッキリとした記憶があるのはネイサン青年が訪れて以降だ。
「ぐらっちぇーてどんな意味ですかね?」
「イタリア語? ありがとうって意味だけど……」
「随分と訛ってるよね。スペイン語に近くない?」
『私』の質問に、ネイサン青年と眼鏡ニイサンが首を傾げる。
「あ」
何かに気付いたのだろう、ネイサン青年が声を上げる。
「テスココ湖、ケツァルコアトル、侵略、コアトリクエ……」
それは、あの蛇が口にしていた言葉。
いきなり、『私』の頭を両手で挟み込んで掴んだ。
「もし、ヤギリンにアステカの土が使われていたら? ヤギリンの素材に骨が混じっていたら?」
ボーンチャイナという言葉がある。牛の骨灰を混ぜて焼いた磁器だ。が。
「失踪前、あそこの工場長は立て直しの為に色々模索してたって聞いた。それの一つが、スペインから持ち帰った土で実験的に作った人形だとしたら?」
それは、全てが憶測である。
「アステカはスペインに侵略されて文明が滅んだ。その時に持ち帰った『何か』がスペインの『どこか』に保存されていてもおかしくない。いや、もしかしたら保存すらされていなくて打ち捨てられていたのかもしれない。それを偶然社長が持ち帰り偶然人形に仕立て上げ、偶然自我を持った?」
言いながら、ネイサン青年の顔が青ざめていく。
「そんなのは偶然じゃない。必然だ」
巨大な巨大な何かの意思が其処に存在していたとしたら……。
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