黒竜使いの少女ナタリア

杏栞しえる

文字の大きさ
35 / 36

星空の雫

しおりを挟む
 漆黒の馬に身を委ねて、私はシアンさんと森を移動していた。普段彼が乗っている馬とはまた違う、兵士が乗る馬だ。揺れる度に足が痛むが、シアンさんには悟られたくなかった。あんなに思い切った彼を私は知らない。だからこそ、何と声をかけたら良いかわからなかった。
「怪我人を引っ張り出すなんて、僕は馬鹿だなぁ」
 シアンさんが自嘲するように笑った。彼の表情は見えない。
「ありがとう、ございます……」
「そう言うと思った」
 少し安心したような笑いに私の心も落ち着き始めた。今まで見たことのない森の表情。私は上空からしか見ていなかったのかもしれない。地を踏みしめる感覚が、体に刻まれていく。
 いつからこうしていたのか、わからない。心地よい揺れに起こされる。朝なのか昼なのか、はたまた夕方なのかさえ認識出来なかった。
「あ、起きた?」
 腰に布が巻かれていることに気がついた。距離が近い。
「あ、あの。寝ちゃってすみません」
「落ちないように、勝手に結ばせてもらったよ。痛かったらごめん」
「全然痛くないです」
「よかった。そろそろ古城の近くだと思うんだ」
 見渡しても、景色はあまり変わっていないように思えた。鳥の声がいつもと違うくらいだ。フォリンの気配もしない。私が漠然とした不安に苛まれていると、シアンさんの声がした。
「ここだよ」
 顔を前に向けると所々壁の崩れた城が目の前に現れた。その形はまるで……
「竜みたい」
「竜?」
 威厳高い雰囲気は形を変えてもなお、損なわれていなかった。入口はどこにも見当たらない。
「大分、崩れちゃいましたね」
「出るときにゴールドっていう青年が破壊したんだ」
「ジルのお兄ちゃん、ですよね?」
「そうなんだ。他の子は洗脳を解けたんだけど、彼は救えなかった」
 その背中が妙に寂しく見えた。
「シアンさんが全力を尽くしたこと、わかります」
「え?」
「だって、私の無茶にも手を伸ばしてくれたんですよ? シアンさんは人の想いに真摯ですから」
 彼は少し振り向くと、
「ありがとう」
と言って前を見た。そのまま馬を出す。
「いいんですか? 降りなくて」
 背中に声をかけると小さく頭が揺れた。
「いいんだ。生き物の気配はしないからね」
 静かに森を進む。湖まで、もう少し。木々の間からオレンジ色の空が見える。もうそろそろ日が沈むのだ。
「エデンに悪いことしちゃったな」
 シアンさんからその台詞を聞くのは何回目だろう。
「私、ちょっと悲しかったんです。エデンさんが来てくれなくて」
 彼は少し唸ると、前を見たまま語り始めた。
「エデンは本当に良い人なんだ。小さい頃、僕のために薬草を買ってきてくれたり、療養で勉強が遅れていた僕と一緒に学んでくれたりね。だから、きっとナタリアのことを想ってのことだよ」
「ありがとうございます。エデンさんと出会えたのも、元を辿ればシアンさんのおかげ、なんですね」
「あはは、そうだったね。僕が病弱じゃなければエデンも城下に行かなかっただろうから」
 心地よいほど他愛ない会話が続く。夜の空気がこの森にも忍び寄っていた。
「あ! 湖が見えましたよ」
「本当だ」
 湖には満点の星空が生きていた。シアンさんに肩を借りながら、馬から降りる。そして、水面を覗き込んだ。微かにフォリンの気配がする。
「フォリン! どこなの?」
 思わず何度も何度も何度も、叫んでいた――
自分は消えかかっているのに、フォリンは女性に立ち向かってくれた。ダラクサスが朽ちてしまった後だったのに。もっと寄り添ってあげなければいけなかったのに。自責の念に駆られていると、私は甘い香りにすっぽり包まれた。
「ごめん、ナタリアが今にも飛び込んでしまいそうだったから。ほっておけなくて」
 すすり泣く声が響く。
「フォリンがいなくなっちゃっていたら、どうしよう」
「見つかるまで、探そう」
 彼の顔を見て少しずつ気持ちが楽になっていった。
「ありがとう……ご、ございます」
「さっきみたいに気楽に話していいんだよ。エデンの時のように」
 気のせいか彼の声も少し震えていた。
「シアンさんって、本当に優しいんですね」
「そうでもないよ?」
 空元気のような声で彼は言う。その時、水面の星空が微かに崩れた。
「あっ」
 声と視線が重なる。
「フォリン?」
 私を呼ぶ鳴き声が聞こえたような気がした。
「フォリン!」
 シアンさんも一緒に呼んでくれる。また、水面が揺れた。今度は鳴き声も気のせいではない。たしかに今、ここにいる。
星空を纏った体が大きな竜の輪郭を成す。間違いなく、フォリンだった。
「こっちにおいで」
 私が手を差し伸べると、フォリンは悲しい時の鳴き方をする。
「どうしたの?」
 まるで水と一体化してしまったように、湖から先に出られないという様子だ。私の体は吸い込まれるように引き寄せられていく。
「フォリン、駄目だ! ナタリアは今弱ってる。こんなに寒い夜に飛び込んだら、凍え死んでしまうよ」
 シアンさんはこれまでにない声音でフォリンに呼びかける。すると、ぽちゃんと音を立てて水面が静まり返った。
「フォリン。あの時、助けてくれてありがとう。私も必ず助けるからね」
 次の瞬間。目の前に星屑の噴水が上がった。その掛け合いが嬉しくて、私は思わず手を伸ばす。当然、噴水に届くことはなかったけれど、フォリンの存在がはっきりと感じられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身

にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。  姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。

【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ
ファンタジー
無能の烙印、婚約破棄、そして辺境追放――。でもそれ、全部“勘違い”でした。 王国随一の名門貴族令嬢ノクティア・エルヴァーンは、魔力がないと断定され、婚約を破棄されて辺境へと追放された。 だが、誰も知らなかった――彼女が「古代魔術」の適性を持つ唯一の魔導士であることを。 行き着いた先は魔物の脅威に晒されるグランツ砦。 冷徹な司令官カイラスとの出会いをきっかけに、彼女の眠っていた力が次第に目を覚まし始める。 無能令嬢と嘲笑された少女が、辺境で覚醒し、最強へと駆け上がる――! 王都の者たちよ、見ていなさい。今度は私が、あなたたちを見下ろす番です。 これは、“追放令嬢”が辺境から世界を変える、痛快ざまぁ×覚醒ファンタジー。

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」 「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」  私は思わずそう言った。  だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。  ***  私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。  お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。  だから父からも煙たがられているのは自覚があった。  しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。  「必ず仕返ししてやろう」って。  そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...