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24.辺境伯家の人々
グラーツ辺境伯家は、イスブルグ王国の南の砦である。
雪の多い寒冷地のイスブルグ王国において一番気候が安定している地でもある。ヴィリス帝国に大きく接する土地を管理するグラーツ辺境伯家は、国の守りとなるその政務の性質もあって、かなりの武闘派の集団であった。
城塞のような都市を管理しながら、屈強な騎士団を保持している彼らは、一族の結束が固く、またその親戚縁者で役割分担を明確にしながらこの土地を統治している。
辺境伯家は騎士団を束ねる長であるから、当主は当然武に長けている者でなければならない。そのためある程度の実力主義で、必ずしも長男が辺境伯家当主となるとは限らない家ではあるが、今代は嫡男が当主を担っている。
邸内に案内され、応接間に現れた大柄な男は、自身をダニエル・グラーツと名乗った。現辺境伯その人である。
「噂に違わぬ姫君だなぁ。こりゃあ参った」
アリスと対面して名乗った後、ダニエルはそう言って苦笑した。
自国の王族であるディートハルトもいる場で、随分と砕けた口調である。そしてディートハルトもその口調を咎めたりはしない。
「ダニエル殿、その姫君が戸惑ってる。いつも調子出し過ぎだ」
ディートハルトはそう言って、アリスを覗き込んだ。
「ダニエル殿はね、貴族然とした物言いが出来ないわけじゃないよ。ただ、そういう自分が嫌いなんだ。こんな感じだけど、アリスもいいよね?
その代わりアリスもいつものアリスでいいよ。公爵令嬢なアリスじゃなく、ただのアリスで。この家ではそれが許される。
僕もそうなんだ。王子の皮は脱いでいる。
グラーツ家はね、武の家だから、僕の剣術指南は王都にいる次男のフランク殿だった。それこそ、家族みたいな間柄だ」
アリスは、ディートハルトの言葉に頷いた。
ここまでの道中、王子らしいディートハルトを初めて見たのだ。普段アリスと接している彼とは違い、王族として威厳ある態度を他人がいる前では崩さなかった。
そんなディートハルトを知ってしまい、『ああ、彼は王子だったんだ』とアリスは認識を改めた旅だった。
それがここに来て、いつものディートハルトに戻っている。この部屋には伯爵もいれば、伯爵夫人も使用人たちまでいて、そして皆、ディートハルトを王子として扱っていなかった。
「殿下、いや、ディー。お前さんから聞いてはいたが、こりゃあ、本当に姫様だな。ほんとに留学させんのか? 危なすぎんじゃねえか」
「だからですよ。何れはこの国に来ることになるんですから。アリスもちゃんとわかってる」
アリスの見た目は、遠からず王家の血を感じさせるものだ、ディートハルトは正しく王家の色を継いでいる。銀髪に濃い紫瞳。アリスはその色を薄めたような色なのだ。
「いやあ、こりゃお嬢、反対するんじゃねぇかなぁ」
「そうですか? 思うに、彼女は賛成すると思いますけど」
ダニエルの『お嬢』という単語に、アリスは違和感を覚える。ここに、そう呼ばれるであろう対象はアリス以外にはいない。しかし、ダニエルは終始アリスのことを『姫』と称している。
頭の中に浮かぶ疑問符に、アリスが思考を奪われていると、扉の前にいた使用人が横に移動するのが目の端に入った。
「やっとおでましか」
ダニエルの言葉が合図かのように、応接間の扉が開いた。それも、結構な勢いで。
「わたくしのこと、お嬢っていうのやめなさいといったはずだけど。ダニエルに耳は付いているのかしらね?」
「義母上、とお呼びすればよいので?」
ダニエルの揶揄うような言葉に、入ってきた女性は大げさにため息をついて見せた。
アリスは、扉の前にいる二人を目にして、瞬きを忘れた。
一人は車椅子だった。
そこには、老齢ではあるが眼光の鋭い男性が座っている。白髪は短く切り揃えられていて、たっぷり蓄えた髭は丁寧に手入れがされている。車椅子ではあるものの、体は鍛えられたものであることがわかる。
そして、その後ろに、長い真っ直ぐな銀髪を結い上げることなく流した妖精のような女性が車椅子を押していた。
その姿は、先ほどの言葉を発した人物とは思えない可憐さで、年齢も見た目ではまだ少女と言っても通りそうな姿だった。
だが、ダニエルは『義母』と言ったのだ。
時が止まったような感覚に陥ったアリスは、息をするのも忘れてしまう。
やっと動き始めた頭で、整理した状況は、その二人はおそらく前辺境伯とその妻、なのであろう。
「アリス? 大丈夫?」
隣のディートハルトが、アリスの肩をそっと揺らした。
「大丈夫、です。ええと、あの」
アリスは何を言えばいいのかわからなくなった。
そう、前辺境伯の妻とは、アリスの実の母であるはずなのだ。
「お嬢、遅いんだよ。
大体さ、今か今かと待ち焦がれてたんじゃねぇか。部屋ン中うろうろしてたんだろ? 落ち着けってこの親父に窘められてたくらいなんだからさ。飛んでくるもんだと思ってたんだよ」
ダニエルの声に、その妖精のような人は、眉を顰めて彼を睨み付けた。
確かに怒気を含んだ表情なのに、その容姿に乗せたところで可愛らしさは損なわない。
そして、ダニエルから視線を逸らせたその妖精のような女は、アリスを認めて微笑んだ。
「やっと会えたわ、アリス」
雪の多い寒冷地のイスブルグ王国において一番気候が安定している地でもある。ヴィリス帝国に大きく接する土地を管理するグラーツ辺境伯家は、国の守りとなるその政務の性質もあって、かなりの武闘派の集団であった。
城塞のような都市を管理しながら、屈強な騎士団を保持している彼らは、一族の結束が固く、またその親戚縁者で役割分担を明確にしながらこの土地を統治している。
辺境伯家は騎士団を束ねる長であるから、当主は当然武に長けている者でなければならない。そのためある程度の実力主義で、必ずしも長男が辺境伯家当主となるとは限らない家ではあるが、今代は嫡男が当主を担っている。
邸内に案内され、応接間に現れた大柄な男は、自身をダニエル・グラーツと名乗った。現辺境伯その人である。
「噂に違わぬ姫君だなぁ。こりゃあ参った」
アリスと対面して名乗った後、ダニエルはそう言って苦笑した。
自国の王族であるディートハルトもいる場で、随分と砕けた口調である。そしてディートハルトもその口調を咎めたりはしない。
「ダニエル殿、その姫君が戸惑ってる。いつも調子出し過ぎだ」
ディートハルトはそう言って、アリスを覗き込んだ。
「ダニエル殿はね、貴族然とした物言いが出来ないわけじゃないよ。ただ、そういう自分が嫌いなんだ。こんな感じだけど、アリスもいいよね?
その代わりアリスもいつものアリスでいいよ。公爵令嬢なアリスじゃなく、ただのアリスで。この家ではそれが許される。
僕もそうなんだ。王子の皮は脱いでいる。
グラーツ家はね、武の家だから、僕の剣術指南は王都にいる次男のフランク殿だった。それこそ、家族みたいな間柄だ」
アリスは、ディートハルトの言葉に頷いた。
ここまでの道中、王子らしいディートハルトを初めて見たのだ。普段アリスと接している彼とは違い、王族として威厳ある態度を他人がいる前では崩さなかった。
そんなディートハルトを知ってしまい、『ああ、彼は王子だったんだ』とアリスは認識を改めた旅だった。
それがここに来て、いつものディートハルトに戻っている。この部屋には伯爵もいれば、伯爵夫人も使用人たちまでいて、そして皆、ディートハルトを王子として扱っていなかった。
「殿下、いや、ディー。お前さんから聞いてはいたが、こりゃあ、本当に姫様だな。ほんとに留学させんのか? 危なすぎんじゃねえか」
「だからですよ。何れはこの国に来ることになるんですから。アリスもちゃんとわかってる」
アリスの見た目は、遠からず王家の血を感じさせるものだ、ディートハルトは正しく王家の色を継いでいる。銀髪に濃い紫瞳。アリスはその色を薄めたような色なのだ。
「いやあ、こりゃお嬢、反対するんじゃねぇかなぁ」
「そうですか? 思うに、彼女は賛成すると思いますけど」
ダニエルの『お嬢』という単語に、アリスは違和感を覚える。ここに、そう呼ばれるであろう対象はアリス以外にはいない。しかし、ダニエルは終始アリスのことを『姫』と称している。
頭の中に浮かぶ疑問符に、アリスが思考を奪われていると、扉の前にいた使用人が横に移動するのが目の端に入った。
「やっとおでましか」
ダニエルの言葉が合図かのように、応接間の扉が開いた。それも、結構な勢いで。
「わたくしのこと、お嬢っていうのやめなさいといったはずだけど。ダニエルに耳は付いているのかしらね?」
「義母上、とお呼びすればよいので?」
ダニエルの揶揄うような言葉に、入ってきた女性は大げさにため息をついて見せた。
アリスは、扉の前にいる二人を目にして、瞬きを忘れた。
一人は車椅子だった。
そこには、老齢ではあるが眼光の鋭い男性が座っている。白髪は短く切り揃えられていて、たっぷり蓄えた髭は丁寧に手入れがされている。車椅子ではあるものの、体は鍛えられたものであることがわかる。
そして、その後ろに、長い真っ直ぐな銀髪を結い上げることなく流した妖精のような女性が車椅子を押していた。
その姿は、先ほどの言葉を発した人物とは思えない可憐さで、年齢も見た目ではまだ少女と言っても通りそうな姿だった。
だが、ダニエルは『義母』と言ったのだ。
時が止まったような感覚に陥ったアリスは、息をするのも忘れてしまう。
やっと動き始めた頭で、整理した状況は、その二人はおそらく前辺境伯とその妻、なのであろう。
「アリス? 大丈夫?」
隣のディートハルトが、アリスの肩をそっと揺らした。
「大丈夫、です。ええと、あの」
アリスは何を言えばいいのかわからなくなった。
そう、前辺境伯の妻とは、アリスの実の母であるはずなのだ。
「お嬢、遅いんだよ。
大体さ、今か今かと待ち焦がれてたんじゃねぇか。部屋ン中うろうろしてたんだろ? 落ち着けってこの親父に窘められてたくらいなんだからさ。飛んでくるもんだと思ってたんだよ」
ダニエルの声に、その妖精のような人は、眉を顰めて彼を睨み付けた。
確かに怒気を含んだ表情なのに、その容姿に乗せたところで可愛らしさは損なわない。
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