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28.母の愛した人
「計画?」
アリスはアンネリーゼの言葉に戸惑った。その言葉尻が疑問符となった。
「そう。貴女の父親はね、とっても策士なの。
見た目は柔和な好青年みたいな顔をしているけれど、中身はそうではないわ。
ヴィリス帝国は大国で、さらにその魔窟のような皇宮で育った彼は、もう16歳にして、皇帝になる素質を十分に備えた人だったわ。貴族の表も裏も全て把握して、どのように駒を動かすのがいいかを楽しんですらいた」
アリスがヴィリスで見た絵姿の皇太子は、金髪に青空のような蒼瞳で、静かに微笑んでいた。穏やかそうな整った容姿が、次代も穏やかに治められると安堵させるような絵であった。
アンネリーゼが言うような仄暗さなど欠片も感じさせないものだったように思う。
「わたくしのことは、彼にとって想定外だったみたい。
存在というより、性格かしらね。
もともとわたくしたちには政略結婚の話があったのは、アリスも知っているわね」
アンネリーゼは、このイスブルグで架け橋となるべく育てられた令嬢だったと聞いた。何れはヴィリス帝国の皇妃になるべく育てられたから、出会ったこと自体は想定内であっただろう。
そして、大国の妃ともなれば、美しい見た目だけでは務まらない。それこそ虚も実も見分ける目を持たねばならない。微笑んでいるだけではだめなのだ。
当然、アンネリーゼはそれを見越した教育が施されただろう。そして、大国にも耐えうる性格も持ち合わせていた。些か思ったより強靭で苛烈な性質であったことが想定外であったのかもしれない。
「あの方はね、わたくしという結婚相手の最有力候補を、その目で確かめにこの国へいらしたの。それは自分の妃として相応しいかどうか、見極める政治的な意味だったのだと思うわ。
でも、わたくしたちは恋をしてしまった。どう言い表すのが正しいのか分からないけれど、それは激情と言っていいほどの感情だった。わたくしも、あの方も。
わたくしはこの見た目に似合わない業火のような性格をしていると自分でもわかっているの。そしてあの方も、その柔和な空気を纏いながら、身の中に激しい炎を持っている方。
互いを理解するのにそう時間はかからなかった。もちろん、お互いに強情だからぶつかることはあるのだけれど、そうやって意見を戦わせて、言いたいことを言い合える人に、わたくしは初めて出会ったのよ。それは痛快だったわ」
アリスは、皇太子との出会いを語るアンネリーゼが眩しく思えた。彼女は、アリスから見てもはっきりした気性で、およそ男に付き従うだけの令嬢ではなかったと思えた。
そしてそんな性格の彼女を在りのまま受け止める人が現れた。その喜びは計り知れない。
「あの方はね、わたくしと約束したの。必ず皇帝になる、って。
わたくしは、貴女が出来た時、こう言ったのよ。『わたくしは皇太子妃、そして皇后になる未来はいらない。この子の母親である未来だけでいい。でも貴方が皇帝になる未来は見てみたい』って。
そうしたらあの方は、『必ず見せてみせよう。だが、私は君を諦めない』って言ったの」
徐に、アンネリーゼはアリスを抱き締める。まるで心を落ち着けるように、深く一度息を吸って静かに吐き出した。
「…… あの人はね、本当に恐ろしい人よ。きっとわたくしは捕まってしまう。それはどんな年を重ねて、しわくちゃの老女になったとしても、きっとわたくしを捕まえに来るのよ。
だから、わたくしは誰の妻にもならないと決めていた。だってね、他の人の妻になっていたとしても、あの方はわたくしを攫って行くわ。
わたくしも必ずついていく。そうしたとき、残さねばならない人を作りたくなかったの」
「お母様は、皇太子殿下…… お父様を愛しておられるのですね? わたくしは同じ国に居ながら、皇太子殿下にお目通りが叶ったことはありません。
絵姿でしか知らないの。優しそうな眼差しもお顔も。
お母様がお慕いなさる本当のお父様はどんな方なのか、知りたいと思ってしまいました」
アリスは、純粋に父親を知りたいと思った。皇太子としての顔ではなく、母とともにある時の顔を。そしてアリスを娘としてみるときの顔を。
「そうね。そのうち会えると思うわ。というか、必ずあの方は会いに来る。
あの方はね、アリスの身を自身の国に留め置くのは、16歳までと決めたわ。それはこのイスブルグとの契約として書面にも残している。
今回、ディートハルト殿下が予定より早く連れ出してしまったから、わたくしは16歳まで会えないと思っていた貴女にこうして会えているわけだけれど。
16歳になったら、貴女はこちらの国に移り住むことになる。そしてこの国の誰かと家族になる。それはあの方の計画なの」
今、アリスは10歳。本来の契約より6年も早いこの再会を、母は喜んでくれている。
じっと母を見つめるアリスに、アンネリーゼは悪戯っぽく笑った。
「でもね、それはあくまであの方の計画なの。アリスは、アリスの好きなように生きていいはずよ。でも、まだこれからどうしたいのか、アリスは定まっていないでしょう?
それに貴女は狭い世界しか知らない。これから、此方の国のことも、彼方の国のことも、しっかりその目で見るといいわ。
それから、貴女のしたいことを考えても決して遅くないのよ」
アリスはアンネリーゼの言葉に戸惑った。その言葉尻が疑問符となった。
「そう。貴女の父親はね、とっても策士なの。
見た目は柔和な好青年みたいな顔をしているけれど、中身はそうではないわ。
ヴィリス帝国は大国で、さらにその魔窟のような皇宮で育った彼は、もう16歳にして、皇帝になる素質を十分に備えた人だったわ。貴族の表も裏も全て把握して、どのように駒を動かすのがいいかを楽しんですらいた」
アリスがヴィリスで見た絵姿の皇太子は、金髪に青空のような蒼瞳で、静かに微笑んでいた。穏やかそうな整った容姿が、次代も穏やかに治められると安堵させるような絵であった。
アンネリーゼが言うような仄暗さなど欠片も感じさせないものだったように思う。
「わたくしのことは、彼にとって想定外だったみたい。
存在というより、性格かしらね。
もともとわたくしたちには政略結婚の話があったのは、アリスも知っているわね」
アンネリーゼは、このイスブルグで架け橋となるべく育てられた令嬢だったと聞いた。何れはヴィリス帝国の皇妃になるべく育てられたから、出会ったこと自体は想定内であっただろう。
そして、大国の妃ともなれば、美しい見た目だけでは務まらない。それこそ虚も実も見分ける目を持たねばならない。微笑んでいるだけではだめなのだ。
当然、アンネリーゼはそれを見越した教育が施されただろう。そして、大国にも耐えうる性格も持ち合わせていた。些か思ったより強靭で苛烈な性質であったことが想定外であったのかもしれない。
「あの方はね、わたくしという結婚相手の最有力候補を、その目で確かめにこの国へいらしたの。それは自分の妃として相応しいかどうか、見極める政治的な意味だったのだと思うわ。
でも、わたくしたちは恋をしてしまった。どう言い表すのが正しいのか分からないけれど、それは激情と言っていいほどの感情だった。わたくしも、あの方も。
わたくしはこの見た目に似合わない業火のような性格をしていると自分でもわかっているの。そしてあの方も、その柔和な空気を纏いながら、身の中に激しい炎を持っている方。
互いを理解するのにそう時間はかからなかった。もちろん、お互いに強情だからぶつかることはあるのだけれど、そうやって意見を戦わせて、言いたいことを言い合える人に、わたくしは初めて出会ったのよ。それは痛快だったわ」
アリスは、皇太子との出会いを語るアンネリーゼが眩しく思えた。彼女は、アリスから見てもはっきりした気性で、およそ男に付き従うだけの令嬢ではなかったと思えた。
そしてそんな性格の彼女を在りのまま受け止める人が現れた。その喜びは計り知れない。
「あの方はね、わたくしと約束したの。必ず皇帝になる、って。
わたくしは、貴女が出来た時、こう言ったのよ。『わたくしは皇太子妃、そして皇后になる未来はいらない。この子の母親である未来だけでいい。でも貴方が皇帝になる未来は見てみたい』って。
そうしたらあの方は、『必ず見せてみせよう。だが、私は君を諦めない』って言ったの」
徐に、アンネリーゼはアリスを抱き締める。まるで心を落ち着けるように、深く一度息を吸って静かに吐き出した。
「…… あの人はね、本当に恐ろしい人よ。きっとわたくしは捕まってしまう。それはどんな年を重ねて、しわくちゃの老女になったとしても、きっとわたくしを捕まえに来るのよ。
だから、わたくしは誰の妻にもならないと決めていた。だってね、他の人の妻になっていたとしても、あの方はわたくしを攫って行くわ。
わたくしも必ずついていく。そうしたとき、残さねばならない人を作りたくなかったの」
「お母様は、皇太子殿下…… お父様を愛しておられるのですね? わたくしは同じ国に居ながら、皇太子殿下にお目通りが叶ったことはありません。
絵姿でしか知らないの。優しそうな眼差しもお顔も。
お母様がお慕いなさる本当のお父様はどんな方なのか、知りたいと思ってしまいました」
アリスは、純粋に父親を知りたいと思った。皇太子としての顔ではなく、母とともにある時の顔を。そしてアリスを娘としてみるときの顔を。
「そうね。そのうち会えると思うわ。というか、必ずあの方は会いに来る。
あの方はね、アリスの身を自身の国に留め置くのは、16歳までと決めたわ。それはこのイスブルグとの契約として書面にも残している。
今回、ディートハルト殿下が予定より早く連れ出してしまったから、わたくしは16歳まで会えないと思っていた貴女にこうして会えているわけだけれど。
16歳になったら、貴女はこちらの国に移り住むことになる。そしてこの国の誰かと家族になる。それはあの方の計画なの」
今、アリスは10歳。本来の契約より6年も早いこの再会を、母は喜んでくれている。
じっと母を見つめるアリスに、アンネリーゼは悪戯っぽく笑った。
「でもね、それはあくまであの方の計画なの。アリスは、アリスの好きなように生きていいはずよ。でも、まだこれからどうしたいのか、アリスは定まっていないでしょう?
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