Over Rewrite Living Dead

きさらぎ冬青

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【2020/05 野火】

《第3週 金曜日 夜》⑤

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先生はそれまで、治療者である親御さんからも社会化が困難だという前提で見られていたのか。
それより、記憶を失くす前、実の親御さんと暮らしていた時のことが衝撃だった。実のお父さんに対して強い憧れと恋愛感情、性的衝動を持っていたなんて。そして、それに拠って退行を引き起こしていたなんて。
「先生が、この家に来てからお父さんに迫ったとか、中学生の段階でだった大石先生と肉体関係を持ったとかそういう話を、大石先生から聞いてて…でもそれを咎めなかったとも聞いてます、それは、退行している故の行動だと考えてたからですか」
「そのとおり。でも、全く咎めなかったわけじゃないの。本来やるべきことをそれに拠ってやらなかったときは強く叱りましたよ。だからこそ、家を出て受験に集中するって言い出したの。そう一度言い出したらもう止められなかった。ハルくんの受験勉強を手伝って、ハルくんの進学が決まって間もなく、家を出てる」
経歴を思い出す。中学卒業後に家を出てすぐ親元を離れて、その年大検を取って、そのまま翌年ストレートで1年前倒しで東大に行ってるのは、先生なりに予め勝算があったからなのか。それとも、強烈な意志の力の為せるものなのか。
自分が、生まれ育った環境から逃れるために競技に打ち込んだことや、進学先で好意を利用され必死に未知の競技に乗り換えて、強引に迫られて始まった肉体関係に結局自分も溺れ、依存してしまっていたことなどを思い出してしまう。
「でも、今思えばあの時強く言ったことが、良かったのか悪かったのか。家で好きにさせといたほうが今回みたいなことにはならずに済んだのかもだけど、研究なり執筆なりの仕事には就けなかったかもしれないし、未だに考えちゃう」
少し寂しそうに言うと、ふぅっと溜息をついた。
「やっぱり、後悔とかありますか」
「あるある、そんなことばっかりよ。ああすればよかった、もし〇〇だったらって、そんなことの繰り返し。わたしたちは子供を設けるつもりがなかったしその覚悟もなかったのに、突然親になってしまったから、余計ね。ああ、そうだ、そろそろデザート出しましょう」
一旦席を立って、冷蔵庫に取りに向かった。持ってきたのはブランデーグラスに注がれた眩しい緑のゼリーだ。
「ちょっと待ってね、仕上げがあるのよ」
もう一度冷蔵庫に向かい、今度は絞り袋に入った生クリームと、円筒状の容器に入ったちょっとお高いアイスクリーム、そして小さな缶に入った真っ赤に着色されているさくらんぼを戻ってくる。
「ちょっと手伝って」と渡されたスクープでアイスクリームを丸く取って盛り付けると、生クリームを絞り、その上にさくらんぼを載せてからスプーンと一緒におれの前に置いた。
「えっ、かわいい!クリームソーダみたい。撮ってもいいですか」
「ふふふ、お好きにどうぞ」
再び冷蔵庫に片付けに戻っている間、おれはスマートフォンのカメラを起動して写真を何枚か撮った。照明の照り返しで下の方から不思議な光を放つゼリーはいかにもおいしそうだ。しかもさくらんぼの赤が補色になってとても見栄えがする。
撮り終えて満足して、グラスを持ち上げてみる。揺らすと、市販のゼリーとは明らかに違う反動を感じた。グラスを指で弾くと響くようにぷるぷると波打つ。
「それねえ、大好きなのよ玲さんも。メロンそのものも大好きだけど。ゼラチン使った着色料バリバリのゼリーってもしかして今の若い人には珍しいんじゃない?」
確かにそうだ、こんなの今は何処にも売ってない。うちは親があっちの人だから着色でモリモリ色がついたケーキとか出されたこともあるけど、先ずそういうの普段見かけないし…。
生クリームと一緒にスプーンで掬って口にしてみると、炭酸が口の中でしゅわっと散った。驚いて思わずグラスを二度見すると、そのおれの様子を面白がって先生のお母さんは笑った。
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