ネオン街の恋

伊佐ヅカ

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第三章:現代編

第六話:澄藍

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GPSは港に面した小さな倉庫の中で止まっていた。
車体が微かに揺れるほどの強風が吹いている。
でも、心は嘘みたいに落ち着いていた。
大丈夫、最悪僕が死ぬだけだ。
さっきまで聞こえていた車の走行音も、人の声も、もう遠い別世界のことみたいだった。
風はヒューヒューと鳴るのに、どうしてだか僕の周りだけ凪いだように静かだ。
人が出入りする通用口に手を掛ける。
扉の隙間からは、白い光と低い男の声が漏れていた。
こういう場合、どう入っていけばいいものか。
数秒考えてから、礼儀正しくノックを三回することにした。
生死を分けることになる局面なのに、どこか他人事を見ているような僕がいる。

「すみません、失礼します。」

躊躇なく扉を開ければ、鋭い殺気が僕を貫いた。
黒いスーツのいかにもな五人は、腰や胸に片手が入っている。
いきなり撃たれても、おかしくない状況だ。

「お願いがあって来ただけです。敵じゃない。お願いします。」

両手をあげれば、男達の視線は一瞬、一番奥の隅にある作業台の上で雑誌を読む金髪男に集まった。
それは、突然乱入してきた僕への対応を伺うようだった。
男達の役割はわからないが、彼がこの場で一番偉いのだとすぐにわかった。
チラリと見た鶴華は傷一つなく、目が零れ落ちそうなほど驚いた顔をしていた。
あの男が、彼を拘束するように肩を鷲掴んでいる。
もうすぐ解放してあげるよ。
殺意と視線が集まるなか、僕は雑誌に集中する彼の元までゆっくり歩いた。
僕の足音だけが、大きく響く。
金髪男は、よほど腕に自信があるのか、僕のことをチラリとも見なかった。

「すみません。鶴華を返してください。必要なら――臓器でも指でも、何でも差し上げます。」

誠心誠意を込めて、頭を下げる。
鶴華を返してくれるなら、何を差し出しても良かった。
下げた頭の横に、バサリと音を立てて分厚い雑誌が落下した。
男はいつの間にか、すぐ横にしゃがんでいた。

首を絞める勢いでつかまれ、強引に顔を上げさせられる。
そこには無表情な爬虫類のような、冷たい瞳があった。

「お前の指なんか、いらねー。臓器は、……売るルートがあるなら、俺が教えて欲しいくらいだ。」

気道が塞がって、視界が滲むのに、不思議と怖くなかった。
ただ、鶴華の顔だけが、焼き付くように浮かんでいた。

「いいね、お前。観察能力が高くて、頭がいい。うちに欲しいな。」

言葉とは裏腹に、男の指はより強く首に食い込む。
僕はただ、鶴華を返せと視線に込めて、男を強く見つめていた。
その沈黙は、十秒なのか三分なのか二十分なのか、わからないほど続いた。

「おい、鶴華って誰だ!」

金髪男の凄みのある声が響くと同時に、首に絡んだ指が外れる。

「俺です。」

鶴華は真っ青な顔をして、それでも、僕から目を逸らさなかった。
倉庫の中の視線が彼に集中する。

「変な名前だな。」

ボソリと呟くと、金髪男は颯爽と鶴華の方へ歩き出す。
鶴華に何かするんじゃないか、気が気じゃなくて、僕は慌てて彼の後を追った。

「誰だ、こいつ連れて来た奴。」

男の醸し出す威圧感は、チリチリと空気を焦がすようだった。
彼の苛立ちが、そこにいるだけで伝わる。
誰も言葉を発しないのに、視線は鶴華の後ろのシゲに集中していた。

「お前か。組織に入れるのは、縁を持たない奴って言っているだろ。」

「……すみません。」

シゲは青い顔で、素早く頭を下げた。

「四年前、組織売った馬鹿を連れて来たのも、お前だったよな。」

凍てつくような寒々しい声。
空気が重くのしかかり、誰も動けなかった。
骨と肉がぶつかる不快な音がして、次の瞬間にはシゲの身体は宙を舞う。
受け身を取る間もなく、コンクリートの床に投げ出されていた。
鼻から滝のように血が滴る。
あらぬ方向に鼻骨が曲がっていた。

「トラブルを持ち込まない。基本中の基本だろ。」

暴力をふるいながら、酷く冷静なところが一線を越えている。
革靴の底がコンクリートに当たり、カツカツと乾いた音を立てた後、再び鈍い音が繰り返される。
あばらを蹴り上げられ、絞り出したような呻き声が倉庫に響いていた。

「お前らさ、帰っていーよ。」

ゆっくり鶴華が近づいてきて、僕の手を取った。
その温かさで、どこか現実離れしていた感覚がゆっくりと戻ってくる。

「ただし、警察に垂れ込んだら、命はないと思え。」

温度のない瞳は、それが本気であることを告げていた。

「いいんですか?」

ぎょっとしたように鶴華が僕の横顔を見ていた。
金髪男は目を細めて、冷たく笑う。

「頭がいいやつは、裏切った時、怖いから。いらない。捨て身で組織壊滅とかしそうじゃん、お前。」

鶴華は金髪男に向かって、一度だけ深く頭を下げた。
その際、彼の足元に倒れるシゲを一瞬チラリと見たことを、僕は見逃さなかった。
その表情は、同情でも、哀れみでもなく、決意を噛み締めるような苦い顔をしている。
力強く握られた手が、気が変わる前にと、迷いもなく僕を引いた。

******

直哉の冷たい手を引き、緊張で縺れそうになる足を叱咤し、強風の中へ飛びだした。
未だに緊張で手が小刻みに震えている。

「車、どこ?」

そう言うと、“わ”ナンバーの白いコンパクトカーへ案内された。
助手席に座りドアを閉めると、直哉と二人きり。
この空間だけ、世界から切り離された感じがする。
真っ白なワイシャツ一枚だけの彼が、酷く寒そうなのにその横顔からは感情が読めない。

「何で来た。」

あんなヤバそうな人間が集まる場所へ。
しかも、単身で。

「どうして、あんな……自分を差し出すようなことを言ったんだ。」

一番守りたいはずの直哉が、俺を助ける為に全てを投げ出す様は、絶望でしかなかった。
彼を傷つけるなら、彼を失うなら、俺が助かる意味などないのに。
いつもは、すぐに怯えて肩を震わせてしまう彼が、運転席から真っ直ぐに俺を見た。
血の気の引いた繊細そうな指が伸び、力いっぱい俺の胸ぐらを掴む。

「何で、あの男のところへ行ったんだ。四年前と同じことを繰り返すな。」

この狭い空間の空気が、ビリビリと震えている。
彼の眼には、燃えるような怒りが宿っていた。

「『何で来た』かだって。お前が何よりも大事だからに、決まってんだろ。じゃなきゃ、……じゃなきゃ、あんなこと言わない。」

それは、段々と涙声へ変わっていき、今は肩を震わせて大粒の涙がその頬を濡らす。
倉庫での彼は飄々とした様子だったのに、今、目の前でその感情は大きく揺れている。

「で、どうしてあの男を頼った。言えよ。」

こんなにも感情的になって怒る直哉を初めて見る。
どうしてって……たまたまポケットにもらった名刺があって、他に頼れる人が思いつかなかった、ってだけで。

「……。」

そんな曖昧な理由を口にしたところで、許してもらえるのか。

「そうやって、また僕を捨てていくんだ。」

四年前、俺は傷つきたくなくて直哉への思いから逃げたくて、彼を置き去りにした。
置きざれにされた直哉の気持なんか、これっぽっちも考えず、手酷く捨てた。
そうした方が、直哉は俺のことなんか忘れて、普通の道へ戻れると思ったからだ。
でも、そのせいで彼は離れることに酷く怯えるようになった。
そんな彼の弱みに付け込むような真似をした。

「捨てる気なんてない。メッセージ、送っただろ。」

ちゃんと仕事も得て、ちゃんと自分の足で立てたなら、迎えに行くんだって決めた。

「一方的に、メッセージ一つで『待ってて』って。そんなんで、待ってられない。」

俺の胸ぐらを掴む指先は、細かく震えている。
大きな瞳は、涙を滴らせているのに強い意志を宿していて、すごく綺麗だ。

「そもそも、『ちゃんとしたら』って何だよ。
具体的に何をどうするか言ってくれないと、待つ方も見通しが立たないんだよ。」

その必死さに、胸が熱くなった。
きゃんきゃん吠える直哉が可愛い。
彼はこんな顔も出来るのか。
俺は胸ぐらを掴んだままの、直哉をそっと抱き寄せた。
ワイシャツ越しの彼の身体は酷くひんやりしている。
温めてあげたいと思った。
俺のせいで、こんなに冷たくしてしまったのだから。

「ごめん。言葉が足りなかった。」

距離を取ろうと意固地になってた。
あのあと、何度もメッセージは送れたし、直接会わなくとも通話も出来たはずだ。

「ごめんな。」

直哉の手が背中に回され、力いっぱい抱きしめ返される。
彼の細い首筋に頬を寄せて、優しい彼の匂いを吸い込む。
シゲと俺との決定的な違いは、直哉が隣にいてくれるかどうかだ。
前科者でクズで弱くて、彼を傷つけて逃げ出した俺でも、愛してくれる。
俺が一人で立てるまで、隣で辛抱強く待ってくれる直哉がいるかどうかだ。
大切にしたい。
ずっと一緒にいたい。

「あのさ、前科あって中卒で手に職もない俺だけど、一緒にいて欲しい。幸せにできるか、わかんないけど。どうか。」

育ちも、頭の良さも、何もかも釣り合わない俺だけど、俺を選んで。

「馬鹿だな。お前さえ、隣にいてくれればそれでいいのに。」

ぽろぽろ涙を零しながら、泣き笑いのような顔で、俺の髪を撫でるように優しく梳く。
口づけができそうな、その距離で清らかに微笑んだ。

「四年前も、今も、君がいてくれるだけで幸せだよ。」

その一言に、彼の笑顔の輪郭がぐにゃりと歪む。
涙が溢れて止まらなかった。
始めから彼は、俺が描くような幸せは望んでいなかった。
そこにいるだけで、幸せなのだと言ってくれる。
馬鹿だな俺。
怖がらずに、もっと直哉と話せたら、違う今があったのかもしれない。
あんな風に、彼を傷つけなくても良かったのかもしれない。
後悔と罪悪感と愛されている実感で、胸がぐちゃぐちゃだった。

泣いている俺を、直哉はずっと抱きしめていた。
その体温の中に、直哉の静かな愛の形があった。
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