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番外編
深緑のドレス
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「お疲れ様です。」
四月に入り随分日が長くなり、明るいオフィスはまだまだ活気づいている。
午後五時半の就業時間を迎えると、僕は直ぐに通勤用のリュックへ手を伸ばす。
「ああ、今日は水曜日か……。」
隣のデスクで国枝がにやにやして笑い掛けた。
今日は鶴華の働く「中華料理屋 清水」は定休日のため、急いで帰る日だ。
職場では、国枝だけが僕と鶴華のことを知っている。
僕と彼との間に入り、互いに自立するまで、支援し、見守ってくれたのは、他ならぬ国枝だ。
「ラブラブでいいなー、高瀬は!」
そんなことを、声高く言うものだから……。
「えっ、彼女?」
「美人?」
同僚の好奇心が一斉に向く。
国枝は面白がるように肩をすくめ、「背の高いモデル風の美人だよ」と言った。
間違いではない。
間違いではないけれど……。
誰かに“恋人がいる”と話せることが、こんなにも気恥ずかしくて、嬉しいなんて思わなかった。
スマホには鶴華から、「夕飯は春かつおの刺身と筍ご飯」のメッセージと可愛い絵文字がエッヘンと威張っている。
顔がにやけてしまい、通行人に変に思われないか思わず周囲を見回した。
「清水」で働きだしてから、家でも積極的に料理をしてくれる。
「中華は毎日作っているから、和食や洋食も作れるようになりたい」と、レシピを見ながら色々作ってくれる。
鶴華が嬉しそうにしていると、僕も嬉しくて幸せに満たされる。
早く帰りたくて、足早に西日の中を歩いた。
「ただいま。」
玄関を開けると、出汁と炊きたてご飯の香りが迎える。
「おかえり。」
振り返った鶴華を見た瞬間、心臓が止まった。
深緑の布が視界をかすめる。
「どうして……それを……。」
声が震えた。
ずっと前に置いてきた痛みが、チクリと胸をかすめる。
鶴華は無邪気に笑い、ドレスの裾を軽く翻した。
六年前、鶴華の部屋を引き払う前に一着だけ持って出たドレス。
艶やかな布のきらめきに、一瞬、時間の感覚が狂った。
──あの頃の夜の香りが、ふっと蘇る。
「片付けてたら、見つけた。」
鶴華は微笑み、指先で胸元の布を整えた。
その仕草ひとつで、心臓が跳ねる。
「……ずっと、捨てられなかったんだ。」
あの時は、鶴華という存在が消えて無くなってしまいそうで、彼がいた証が欲しかった。
鶴華のものなら、何でもよかった。
たまたま、咄嗟にこのドレスを持ち帰ったのだ。
「化粧はドラッグストアの安物だし、六年も経っているから、変じゃない?」
鶴華の指先は気恥ずかしそうに、前髪を弄る。
あの頃と違って、派手なアクセサリーはなく、ウイッグもない。
肩に付くぐらいの地毛を後ろで緩く束ねているだけだ。
あの香り立つような甘い香水の匂いもしない。
「……とっても、綺麗だよ。」
それでも、鶴華は綺麗だ。
飾り立てなくても、柔らかく穏やかな大人の美しさが滲み出ていた。
「懐かしいな……。衣装のまま帰ると、直哉がドキドキしてくれるから、好きだった。」
招くように手を引かれて、リュックを置いて部屋のベッドに腰かける。
鶴華もちょこんと隣に座った。
辛い思い出が強すぎて、昔の話はあまりしたことはなかった。
あの頃、やたらに衣装のまま帰って来るな、とは思っていたが。
「僕、そんなに露骨だった?」
紅を引いた唇が、懐かしむように微笑む。
「女の子……、異性を前に困っている感じだった。それが、可愛くて。」
隣の鶴華の手が、昔のように優しく髪を撫でる。
その頃既に、君のことが好きだった。
もっと早くに気づいて、好きだと伝えていたら。
「ほら、今もドキドキしてる。」
ふと身体を寄せられ、胸の上に手の平が当てられた。
ワイシャツ越しに、彼の熱がじわりと伝わる。
鶴華がドレスを着ているだけなのに、妙に落ち着かなくて、どうしていいかわからなくなる。
「直哉が口説いてくれたらって、いつもちょっと期待していた。……ねぇ、口説いてみて。」
「へぇ……。」
突然の高すぎるハードルに、間抜けな声が漏れる。
鶴華のことをがっつり引きずっていた僕に、誰かを口説いたという経験はついぞない。
でも、あの原色の溢れるカラフルな部屋で、君を口説けたら、僕は何て言ったのだろうか。
「鶴華、好きだよ。」
未熟で不安定な二人だった。
「君が、すごく優しいことを知ってる。」
ツンとした態度でも、優しくて愛情深い人だと知っていた。
いつも守ってくれたその手に触れたくて、少し指先の荒れた手を取った。
鶴華が今、僕の隣に立ってくれた証。
ここまで来るのに、彼は何度も奥歯を噛み締めて耐えてくれた。
愛おしくて、その指先に唇を落とす。
鶴華の瞳が驚いたように見開かれて、スローモーションのように頬に朱が差す。
「僕と生きて。ずっと一緒にいよう。」
きっともう、この手を離すことはない。
僕等は、互いに歩み寄り努力することを、もう知ってる。
彼の艶やかな瞳が揺れる。
「愛してるよ。」
照れてないで、怖がらないで、君に伝えればよかった。
だから、これからは言葉にしよう。
「……。」
息を呑む気配がした。
何か口にしようとして、固まってしまった彼の赤く色づいた唇にそっと唇を重ねる。
ぎゅっと抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。
腕の中の鶴華の、少し高い体温と早い鼓動が伝わって来る。
その存在全てが愛おしくて、沈黙のなか大切に抱きしめていた。
「なおや……、それはプロポーズだ……。」
「そうだっけ。」
じゃあ、六年前、僕は君にプロポーズがしたかったのかもしれない。
あの時から、それくらい好きだ。
鶴華は両手で、僕の頬を優しく包み、じっと僕の瞳を覗き込む。
「結構……だいぶ、グッときた。」
言った僕より、言葉を受け取った彼の方が、恥ずかしそうに赤面して目を逸らしている。
「はぁー、これで計算じゃないから、怖いわ。」
そう言いながら、鶴華に押されて一緒にベッドへ倒れ込む。
残念ながら、駆け引きは苦手だ。
僕に出来るのは、素直に気持ちを伝えるだけだ。
「俺以外を口説こうとするなよ。」
ドレス姿で、少し拗ねた口調の君が可愛い。
「しないよ。鶴華だけだよ。」
抱きしめて、頬を寄せる。
彼がドレス姿だからドキドキしているんじゃない。
いつだって、鶴華といたら僕はドキドキしてる。
「抱いてみる……俺を。」
何を言われているか、理解できなくて一瞬押し黙る。
抱く……僕が鶴華を。
考えもしなかった選択肢に戸惑う。
「いいの?」
僕も彼を愛したい。
「いいよ。」
上目使いで緩やかに微笑まれる。
緊張しながら、その唇に啄むようなキスを降らす。
いつも、僕を抱く時の鶴華の手順を鮮明に思い出す。
撫でるように、耳の後ろに指を這わせ、緊張を解くようにゆっくりとその首筋へ触れる。
うっとりと目を閉じて、身を任せてくれる姿が嬉しい。
……ドレスに隠れた部分に触れるのに、酷く躊躇われる。
鶴華なんだけど、触れてはいけない気がして、その中性的な美しさにどうしていいのかわからない。
「ふふっ……どうした?脱がせ方がわからない?」
スタンドカラーの後ろに、小さな鉤爪上のホックがあることを教えられて、初めてその構造を知る。
いや、そうではなくて……。
「鶴華……尊くて、触れない。」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
目の前にいるのは、何度も抱きしめてきたはずの人なのに。
六年前、女装した鶴華に異性を感じて胸が高鳴った時と同じだ。
今もまた、どうしていいかわからないほど綺麗で、怖い。
「ふっ…ははははっ……。」
悪戯が成功した子供のように、鶴華は声をあげて笑った。
そのまま、軽やかに僕の胸を押して、ベッドに沈めると馬乗りになって僕を見下げる。
動いた拍子に落ちた前髪を掻き上げる仕草ひとつで、視線を奪われた。
男の色気を滲ませたまま、深緑のドレスを纏う彼は、どこまでも綺麗だった。
「なおやの触れ方……俺と一緒だね。」
唇の端が上がる。
「優しくて、真っ直ぐで、嬉しかった。」
その声が、胸の奥に染みる。
鶴華の瞳には、独占欲と、柔らかい慈しみが混ざっていた。
見つめられるだけで、体の奥が熱くなる。
「鶴華。」
僕だけの名前を呟くと、夜の街に生きたあの頃の彼のように妖艶に微笑む。
「怖い?……触ってみて。」
そっと抱きつけば、いつもの彼の匂い。
「六年前…いや、それ以上もっと前から、好きだった。あの頃から、こうしたかった。」
鶴華の少し低い声が告げた。
吐息が首筋をかすめた瞬間、背筋に電流が走る。
「なおや。俺に任せて。」
耳元に落ちる低い声が、優しく染み込んでくる。
触れるたび、遠い夜の記憶が塗り替えられていく気がした。
もう、怖くない。
何も。
薄暗い部屋に、静かな呼吸音だけが漂っている。
揺れるカーテン越しに、茜色の光が差し込み、鶴華の頬をやわらかく照らしていた。
長い指でそっと髪を梳かれる。
慈しみと欲が混じった瞳が、ゆっくりと細められる。
優しい触れるだけの口付けから、互いの熱を分け合うような深いものへと変わっていく。
鶴華が好き。
今、一緒にいられる奇跡を全身で感じてる。
僕が怖がらないように、鶴華の大きな手は、確かめるように首筋、肩、背中を撫でていく。
キスで蕩けた頭の奥で、鶴華の与える愛を感じていた。
「なおや、すごく色っぽい顔してる。ふふっ……俺の口紅が、付いてる。」
嫋やかなドレス姿なのに、ぎらりとした欲を露わに、彼は悠然と笑った。
僕は今、どんな表情をしているのだろうか。
ゆっくりと彼の指先が唇に触れる。
たったそれだけで、ゾクゾクした震えが背中を駆け上がる。
「俺よりも、ずっと綺麗で可愛い。」
その声に、胸の奥が熱く跳ねた。
睫毛の長さがはっきり見える距離で、うっとりとした視線に絡めとられる。
何だか頬が熱い。
ゆっくりとワイシャツのボタンが外されていく。
脱がされる僕と、ドレス姿の鶴華……。
「ああ、鶴華も服、脱いで。」
「ん?」
「……性癖、ぶん曲がりそう。」
真っ赤になって顔を隠して転がる僕を見て、鶴華は声をあげて笑った。
「やっぱり女装の俺も好きなんだ。」
嬉しそうに微笑む顔が、あの頃よりずっと穏やかで優しい。
「へへっ。じゃあ、今日はご要望どおり脱ぐわ。」
そう言って器用に首の後ろのホックを外し、ジッパーを降ろすと、ばさりと男らしく脱ぎ捨てた。
「これで恥ずかしくないだろ。」
薄っすらと化粧は残るが、そこにいるのはいつもの鶴華だった。
「うんっ。」
指先で頬を撫でられる。
それだけで胸の中に火が灯る。
いつもの鶴華の優しい触れ方。
確かめるように、その反応を伺うように、熱い手の平が僕を撫でる。
「……鶴……かっ。」
じわじわと燃え上がるような波に、流されそうで、彼の背中に縋る。
彼の背に縋ると、あの頃とは違う温もりが返ってくる。
気持ちよくて、幸せなのに、ちょっとだけ怖い。
そんな僕の気持ちを汲むように、鶴華の長い指が髪を梳く。
安心させるように、キスの雨を降らせた。
「愛してるよ、なおや。」
六年前からずっと、聞きたかった言葉。
目の前にいる愛しい人を掻き抱く。
「うん……僕も。僕も、愛してる。」
いつだって、今ここにある幸福を噛み締めてる。
六年前から好きだけど、今抱きしめてくれている鶴華が一番大好きだ。
その夜、窓の外には春の雨が静かに降っていた。
どんな過去も、今この温もりの前では、ただ優しい音に変わっていく。
四月に入り随分日が長くなり、明るいオフィスはまだまだ活気づいている。
午後五時半の就業時間を迎えると、僕は直ぐに通勤用のリュックへ手を伸ばす。
「ああ、今日は水曜日か……。」
隣のデスクで国枝がにやにやして笑い掛けた。
今日は鶴華の働く「中華料理屋 清水」は定休日のため、急いで帰る日だ。
職場では、国枝だけが僕と鶴華のことを知っている。
僕と彼との間に入り、互いに自立するまで、支援し、見守ってくれたのは、他ならぬ国枝だ。
「ラブラブでいいなー、高瀬は!」
そんなことを、声高く言うものだから……。
「えっ、彼女?」
「美人?」
同僚の好奇心が一斉に向く。
国枝は面白がるように肩をすくめ、「背の高いモデル風の美人だよ」と言った。
間違いではない。
間違いではないけれど……。
誰かに“恋人がいる”と話せることが、こんなにも気恥ずかしくて、嬉しいなんて思わなかった。
スマホには鶴華から、「夕飯は春かつおの刺身と筍ご飯」のメッセージと可愛い絵文字がエッヘンと威張っている。
顔がにやけてしまい、通行人に変に思われないか思わず周囲を見回した。
「清水」で働きだしてから、家でも積極的に料理をしてくれる。
「中華は毎日作っているから、和食や洋食も作れるようになりたい」と、レシピを見ながら色々作ってくれる。
鶴華が嬉しそうにしていると、僕も嬉しくて幸せに満たされる。
早く帰りたくて、足早に西日の中を歩いた。
「ただいま。」
玄関を開けると、出汁と炊きたてご飯の香りが迎える。
「おかえり。」
振り返った鶴華を見た瞬間、心臓が止まった。
深緑の布が視界をかすめる。
「どうして……それを……。」
声が震えた。
ずっと前に置いてきた痛みが、チクリと胸をかすめる。
鶴華は無邪気に笑い、ドレスの裾を軽く翻した。
六年前、鶴華の部屋を引き払う前に一着だけ持って出たドレス。
艶やかな布のきらめきに、一瞬、時間の感覚が狂った。
──あの頃の夜の香りが、ふっと蘇る。
「片付けてたら、見つけた。」
鶴華は微笑み、指先で胸元の布を整えた。
その仕草ひとつで、心臓が跳ねる。
「……ずっと、捨てられなかったんだ。」
あの時は、鶴華という存在が消えて無くなってしまいそうで、彼がいた証が欲しかった。
鶴華のものなら、何でもよかった。
たまたま、咄嗟にこのドレスを持ち帰ったのだ。
「化粧はドラッグストアの安物だし、六年も経っているから、変じゃない?」
鶴華の指先は気恥ずかしそうに、前髪を弄る。
あの頃と違って、派手なアクセサリーはなく、ウイッグもない。
肩に付くぐらいの地毛を後ろで緩く束ねているだけだ。
あの香り立つような甘い香水の匂いもしない。
「……とっても、綺麗だよ。」
それでも、鶴華は綺麗だ。
飾り立てなくても、柔らかく穏やかな大人の美しさが滲み出ていた。
「懐かしいな……。衣装のまま帰ると、直哉がドキドキしてくれるから、好きだった。」
招くように手を引かれて、リュックを置いて部屋のベッドに腰かける。
鶴華もちょこんと隣に座った。
辛い思い出が強すぎて、昔の話はあまりしたことはなかった。
あの頃、やたらに衣装のまま帰って来るな、とは思っていたが。
「僕、そんなに露骨だった?」
紅を引いた唇が、懐かしむように微笑む。
「女の子……、異性を前に困っている感じだった。それが、可愛くて。」
隣の鶴華の手が、昔のように優しく髪を撫でる。
その頃既に、君のことが好きだった。
もっと早くに気づいて、好きだと伝えていたら。
「ほら、今もドキドキしてる。」
ふと身体を寄せられ、胸の上に手の平が当てられた。
ワイシャツ越しに、彼の熱がじわりと伝わる。
鶴華がドレスを着ているだけなのに、妙に落ち着かなくて、どうしていいかわからなくなる。
「直哉が口説いてくれたらって、いつもちょっと期待していた。……ねぇ、口説いてみて。」
「へぇ……。」
突然の高すぎるハードルに、間抜けな声が漏れる。
鶴華のことをがっつり引きずっていた僕に、誰かを口説いたという経験はついぞない。
でも、あの原色の溢れるカラフルな部屋で、君を口説けたら、僕は何て言ったのだろうか。
「鶴華、好きだよ。」
未熟で不安定な二人だった。
「君が、すごく優しいことを知ってる。」
ツンとした態度でも、優しくて愛情深い人だと知っていた。
いつも守ってくれたその手に触れたくて、少し指先の荒れた手を取った。
鶴華が今、僕の隣に立ってくれた証。
ここまで来るのに、彼は何度も奥歯を噛み締めて耐えてくれた。
愛おしくて、その指先に唇を落とす。
鶴華の瞳が驚いたように見開かれて、スローモーションのように頬に朱が差す。
「僕と生きて。ずっと一緒にいよう。」
きっともう、この手を離すことはない。
僕等は、互いに歩み寄り努力することを、もう知ってる。
彼の艶やかな瞳が揺れる。
「愛してるよ。」
照れてないで、怖がらないで、君に伝えればよかった。
だから、これからは言葉にしよう。
「……。」
息を呑む気配がした。
何か口にしようとして、固まってしまった彼の赤く色づいた唇にそっと唇を重ねる。
ぎゅっと抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。
腕の中の鶴華の、少し高い体温と早い鼓動が伝わって来る。
その存在全てが愛おしくて、沈黙のなか大切に抱きしめていた。
「なおや……、それはプロポーズだ……。」
「そうだっけ。」
じゃあ、六年前、僕は君にプロポーズがしたかったのかもしれない。
あの時から、それくらい好きだ。
鶴華は両手で、僕の頬を優しく包み、じっと僕の瞳を覗き込む。
「結構……だいぶ、グッときた。」
言った僕より、言葉を受け取った彼の方が、恥ずかしそうに赤面して目を逸らしている。
「はぁー、これで計算じゃないから、怖いわ。」
そう言いながら、鶴華に押されて一緒にベッドへ倒れ込む。
残念ながら、駆け引きは苦手だ。
僕に出来るのは、素直に気持ちを伝えるだけだ。
「俺以外を口説こうとするなよ。」
ドレス姿で、少し拗ねた口調の君が可愛い。
「しないよ。鶴華だけだよ。」
抱きしめて、頬を寄せる。
彼がドレス姿だからドキドキしているんじゃない。
いつだって、鶴華といたら僕はドキドキしてる。
「抱いてみる……俺を。」
何を言われているか、理解できなくて一瞬押し黙る。
抱く……僕が鶴華を。
考えもしなかった選択肢に戸惑う。
「いいの?」
僕も彼を愛したい。
「いいよ。」
上目使いで緩やかに微笑まれる。
緊張しながら、その唇に啄むようなキスを降らす。
いつも、僕を抱く時の鶴華の手順を鮮明に思い出す。
撫でるように、耳の後ろに指を這わせ、緊張を解くようにゆっくりとその首筋へ触れる。
うっとりと目を閉じて、身を任せてくれる姿が嬉しい。
……ドレスに隠れた部分に触れるのに、酷く躊躇われる。
鶴華なんだけど、触れてはいけない気がして、その中性的な美しさにどうしていいのかわからない。
「ふふっ……どうした?脱がせ方がわからない?」
スタンドカラーの後ろに、小さな鉤爪上のホックがあることを教えられて、初めてその構造を知る。
いや、そうではなくて……。
「鶴華……尊くて、触れない。」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
目の前にいるのは、何度も抱きしめてきたはずの人なのに。
六年前、女装した鶴華に異性を感じて胸が高鳴った時と同じだ。
今もまた、どうしていいかわからないほど綺麗で、怖い。
「ふっ…ははははっ……。」
悪戯が成功した子供のように、鶴華は声をあげて笑った。
そのまま、軽やかに僕の胸を押して、ベッドに沈めると馬乗りになって僕を見下げる。
動いた拍子に落ちた前髪を掻き上げる仕草ひとつで、視線を奪われた。
男の色気を滲ませたまま、深緑のドレスを纏う彼は、どこまでも綺麗だった。
「なおやの触れ方……俺と一緒だね。」
唇の端が上がる。
「優しくて、真っ直ぐで、嬉しかった。」
その声が、胸の奥に染みる。
鶴華の瞳には、独占欲と、柔らかい慈しみが混ざっていた。
見つめられるだけで、体の奥が熱くなる。
「鶴華。」
僕だけの名前を呟くと、夜の街に生きたあの頃の彼のように妖艶に微笑む。
「怖い?……触ってみて。」
そっと抱きつけば、いつもの彼の匂い。
「六年前…いや、それ以上もっと前から、好きだった。あの頃から、こうしたかった。」
鶴華の少し低い声が告げた。
吐息が首筋をかすめた瞬間、背筋に電流が走る。
「なおや。俺に任せて。」
耳元に落ちる低い声が、優しく染み込んでくる。
触れるたび、遠い夜の記憶が塗り替えられていく気がした。
もう、怖くない。
何も。
薄暗い部屋に、静かな呼吸音だけが漂っている。
揺れるカーテン越しに、茜色の光が差し込み、鶴華の頬をやわらかく照らしていた。
長い指でそっと髪を梳かれる。
慈しみと欲が混じった瞳が、ゆっくりと細められる。
優しい触れるだけの口付けから、互いの熱を分け合うような深いものへと変わっていく。
鶴華が好き。
今、一緒にいられる奇跡を全身で感じてる。
僕が怖がらないように、鶴華の大きな手は、確かめるように首筋、肩、背中を撫でていく。
キスで蕩けた頭の奥で、鶴華の与える愛を感じていた。
「なおや、すごく色っぽい顔してる。ふふっ……俺の口紅が、付いてる。」
嫋やかなドレス姿なのに、ぎらりとした欲を露わに、彼は悠然と笑った。
僕は今、どんな表情をしているのだろうか。
ゆっくりと彼の指先が唇に触れる。
たったそれだけで、ゾクゾクした震えが背中を駆け上がる。
「俺よりも、ずっと綺麗で可愛い。」
その声に、胸の奥が熱く跳ねた。
睫毛の長さがはっきり見える距離で、うっとりとした視線に絡めとられる。
何だか頬が熱い。
ゆっくりとワイシャツのボタンが外されていく。
脱がされる僕と、ドレス姿の鶴華……。
「ああ、鶴華も服、脱いで。」
「ん?」
「……性癖、ぶん曲がりそう。」
真っ赤になって顔を隠して転がる僕を見て、鶴華は声をあげて笑った。
「やっぱり女装の俺も好きなんだ。」
嬉しそうに微笑む顔が、あの頃よりずっと穏やかで優しい。
「へへっ。じゃあ、今日はご要望どおり脱ぐわ。」
そう言って器用に首の後ろのホックを外し、ジッパーを降ろすと、ばさりと男らしく脱ぎ捨てた。
「これで恥ずかしくないだろ。」
薄っすらと化粧は残るが、そこにいるのはいつもの鶴華だった。
「うんっ。」
指先で頬を撫でられる。
それだけで胸の中に火が灯る。
いつもの鶴華の優しい触れ方。
確かめるように、その反応を伺うように、熱い手の平が僕を撫でる。
「……鶴……かっ。」
じわじわと燃え上がるような波に、流されそうで、彼の背中に縋る。
彼の背に縋ると、あの頃とは違う温もりが返ってくる。
気持ちよくて、幸せなのに、ちょっとだけ怖い。
そんな僕の気持ちを汲むように、鶴華の長い指が髪を梳く。
安心させるように、キスの雨を降らせた。
「愛してるよ、なおや。」
六年前からずっと、聞きたかった言葉。
目の前にいる愛しい人を掻き抱く。
「うん……僕も。僕も、愛してる。」
いつだって、今ここにある幸福を噛み締めてる。
六年前から好きだけど、今抱きしめてくれている鶴華が一番大好きだ。
その夜、窓の外には春の雨が静かに降っていた。
どんな過去も、今この温もりの前では、ただ優しい音に変わっていく。
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