ネオン街の恋

伊佐ヅカ

文字の大きさ
28 / 28
番外編

深緑のドレス

しおりを挟む
「お疲れ様です。」

四月に入り随分日が長くなり、明るいオフィスはまだまだ活気づいている。
午後五時半の就業時間を迎えると、僕は直ぐに通勤用のリュックへ手を伸ばす。

「ああ、今日は水曜日か……。」

隣のデスクで国枝がにやにやして笑い掛けた。
今日は鶴華の働く「中華料理屋 清水」は定休日のため、急いで帰る日だ。
職場では、国枝だけが僕と鶴華のことを知っている。
僕と彼との間に入り、互いに自立するまで、支援し、見守ってくれたのは、他ならぬ国枝だ。

「ラブラブでいいなー、高瀬は!」

そんなことを、声高く言うものだから……。

「えっ、彼女?」

「美人?」

同僚の好奇心が一斉に向く。
国枝は面白がるように肩をすくめ、「背の高いモデル風の美人だよ」と言った。
間違いではない。
間違いではないけれど……。

誰かに“恋人がいる”と話せることが、こんなにも気恥ずかしくて、嬉しいなんて思わなかった。


スマホには鶴華から、「夕飯は春かつおの刺身と筍ご飯」のメッセージと可愛い絵文字がエッヘンと威張っている。
顔がにやけてしまい、通行人に変に思われないか思わず周囲を見回した。
「清水」で働きだしてから、家でも積極的に料理をしてくれる。

「中華は毎日作っているから、和食や洋食も作れるようになりたい」と、レシピを見ながら色々作ってくれる。

鶴華が嬉しそうにしていると、僕も嬉しくて幸せに満たされる。

早く帰りたくて、足早に西日の中を歩いた。

「ただいま。」

玄関を開けると、出汁と炊きたてご飯の香りが迎える。

「おかえり。」

振り返った鶴華を見た瞬間、心臓が止まった。
深緑の布が視界をかすめる。

「どうして……それを……。」

声が震えた。
ずっと前に置いてきた痛みが、チクリと胸をかすめる。
鶴華は無邪気に笑い、ドレスの裾を軽く翻した。
六年前、鶴華の部屋を引き払う前に一着だけ持って出たドレス。
艶やかな布のきらめきに、一瞬、時間の感覚が狂った。
──あの頃の夜の香りが、ふっと蘇る。


「片付けてたら、見つけた。」

鶴華は微笑み、指先で胸元の布を整えた。
その仕草ひとつで、心臓が跳ねる。

「……ずっと、捨てられなかったんだ。」

あの時は、鶴華という存在が消えて無くなってしまいそうで、彼がいた証が欲しかった。
鶴華のものなら、何でもよかった。
たまたま、咄嗟にこのドレスを持ち帰ったのだ。

「化粧はドラッグストアの安物だし、六年も経っているから、変じゃない?」

鶴華の指先は気恥ずかしそうに、前髪を弄る。
あの頃と違って、派手なアクセサリーはなく、ウイッグもない。
肩に付くぐらいの地毛を後ろで緩く束ねているだけだ。
あの香り立つような甘い香水の匂いもしない。

「……とっても、綺麗だよ。」

それでも、鶴華は綺麗だ。
飾り立てなくても、柔らかく穏やかな大人の美しさが滲み出ていた。

「懐かしいな……。衣装のまま帰ると、直哉がドキドキしてくれるから、好きだった。」

招くように手を引かれて、リュックを置いて部屋のベッドに腰かける。
鶴華もちょこんと隣に座った。
辛い思い出が強すぎて、昔の話はあまりしたことはなかった。
あの頃、やたらに衣装のまま帰って来るな、とは思っていたが。

「僕、そんなに露骨だった?」

紅を引いた唇が、懐かしむように微笑む。

「女の子……、異性を前に困っている感じだった。それが、可愛くて。」

隣の鶴華の手が、昔のように優しく髪を撫でる。
その頃既に、君のことが好きだった。
もっと早くに気づいて、好きだと伝えていたら。

「ほら、今もドキドキしてる。」

ふと身体を寄せられ、胸の上に手の平が当てられた。
ワイシャツ越しに、彼の熱がじわりと伝わる。
鶴華がドレスを着ているだけなのに、妙に落ち着かなくて、どうしていいかわからなくなる。

「直哉が口説いてくれたらって、いつもちょっと期待していた。……ねぇ、口説いてみて。」

「へぇ……。」

突然の高すぎるハードルに、間抜けな声が漏れる。
鶴華のことをがっつり引きずっていた僕に、誰かを口説いたという経験はついぞない。
でも、あの原色の溢れるカラフルな部屋で、君を口説けたら、僕は何て言ったのだろうか。

「鶴華、好きだよ。」

未熟で不安定な二人だった。

「君が、すごく優しいことを知ってる。」

ツンとした態度でも、優しくて愛情深い人だと知っていた。
いつも守ってくれたその手に触れたくて、少し指先の荒れた手を取った。
鶴華が今、僕の隣に立ってくれた証。
ここまで来るのに、彼は何度も奥歯を噛み締めて耐えてくれた。
愛おしくて、その指先に唇を落とす。
鶴華の瞳が驚いたように見開かれて、スローモーションのように頬に朱が差す。

「僕と生きて。ずっと一緒にいよう。」

きっともう、この手を離すことはない。
僕等は、互いに歩み寄り努力することを、もう知ってる。
彼の艶やかな瞳が揺れる。

「愛してるよ。」

照れてないで、怖がらないで、君に伝えればよかった。
だから、これからは言葉にしよう。

「……。」

息を呑む気配がした。
何か口にしようとして、固まってしまった彼の赤く色づいた唇にそっと唇を重ねる。
ぎゅっと抱き寄せ、その首筋に顔を埋めた。
腕の中の鶴華の、少し高い体温と早い鼓動が伝わって来る。
その存在全てが愛おしくて、沈黙のなか大切に抱きしめていた。

「なおや……、それはプロポーズだ……。」

「そうだっけ。」

じゃあ、六年前、僕は君にプロポーズがしたかったのかもしれない。
あの時から、それくらい好きだ。
鶴華は両手で、僕の頬を優しく包み、じっと僕の瞳を覗き込む。

「結構……だいぶ、グッときた。」

言った僕より、言葉を受け取った彼の方が、恥ずかしそうに赤面して目を逸らしている。

「はぁー、これで計算じゃないから、怖いわ。」

そう言いながら、鶴華に押されて一緒にベッドへ倒れ込む。
残念ながら、駆け引きは苦手だ。
僕に出来るのは、素直に気持ちを伝えるだけだ。

「俺以外を口説こうとするなよ。」

ドレス姿で、少し拗ねた口調の君が可愛い。

「しないよ。鶴華だけだよ。」

抱きしめて、頬を寄せる。
彼がドレス姿だからドキドキしているんじゃない。
いつだって、鶴華といたら僕はドキドキしてる。

「抱いてみる……俺を。」

何を言われているか、理解できなくて一瞬押し黙る。
抱く……僕が鶴華を。
考えもしなかった選択肢に戸惑う。

「いいの?」

僕も彼を愛したい。

「いいよ。」

上目使いで緩やかに微笑まれる。
緊張しながら、その唇に啄むようなキスを降らす。
いつも、僕を抱く時の鶴華の手順を鮮明に思い出す。
撫でるように、耳の後ろに指を這わせ、緊張を解くようにゆっくりとその首筋へ触れる。
うっとりと目を閉じて、身を任せてくれる姿が嬉しい。
……ドレスに隠れた部分に触れるのに、酷く躊躇われる。
鶴華なんだけど、触れてはいけない気がして、その中性的な美しさにどうしていいのかわからない。

「ふふっ……どうした?脱がせ方がわからない?」

スタンドカラーの後ろに、小さな鉤爪上のホックがあることを教えられて、初めてその構造を知る。
いや、そうではなくて……。

「鶴華……尊くて、触れない。」

思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
目の前にいるのは、何度も抱きしめてきたはずの人なのに。

六年前、女装した鶴華に異性を感じて胸が高鳴った時と同じだ。
今もまた、どうしていいかわからないほど綺麗で、怖い。

「ふっ…ははははっ……。」

悪戯が成功した子供のように、鶴華は声をあげて笑った。
そのまま、軽やかに僕の胸を押して、ベッドに沈めると馬乗りになって僕を見下げる。
動いた拍子に落ちた前髪を掻き上げる仕草ひとつで、視線を奪われた。
男の色気を滲ませたまま、深緑のドレスを纏う彼は、どこまでも綺麗だった。

「なおやの触れ方……俺と一緒だね。」

唇の端が上がる。

「優しくて、真っ直ぐで、嬉しかった。」

その声が、胸の奥に染みる。
鶴華の瞳には、独占欲と、柔らかい慈しみが混ざっていた。
見つめられるだけで、体の奥が熱くなる。

「鶴華。」

僕だけの名前を呟くと、夜の街に生きたあの頃の彼のように妖艶に微笑む。

「怖い?……触ってみて。」

そっと抱きつけば、いつもの彼の匂い。

「六年前…いや、それ以上もっと前から、好きだった。あの頃から、こうしたかった。」

鶴華の少し低い声が告げた。
吐息が首筋をかすめた瞬間、背筋に電流が走る。

「なおや。俺に任せて。」

耳元に落ちる低い声が、優しく染み込んでくる。
触れるたび、遠い夜の記憶が塗り替えられていく気がした。
もう、怖くない。
何も。


薄暗い部屋に、静かな呼吸音だけが漂っている。
揺れるカーテン越しに、茜色の光が差し込み、鶴華の頬をやわらかく照らしていた。

長い指でそっと髪を梳かれる。
慈しみと欲が混じった瞳が、ゆっくりと細められる。
優しい触れるだけの口付けから、互いの熱を分け合うような深いものへと変わっていく。
鶴華が好き。
今、一緒にいられる奇跡を全身で感じてる。
僕が怖がらないように、鶴華の大きな手は、確かめるように首筋、肩、背中を撫でていく。
キスで蕩けた頭の奥で、鶴華の与える愛を感じていた。

「なおや、すごく色っぽい顔してる。ふふっ……俺の口紅が、付いてる。」

嫋やかなドレス姿なのに、ぎらりとした欲を露わに、彼は悠然と笑った。
僕は今、どんな表情をしているのだろうか。
ゆっくりと彼の指先が唇に触れる。
たったそれだけで、ゾクゾクした震えが背中を駆け上がる。

「俺よりも、ずっと綺麗で可愛い。」

その声に、胸の奥が熱く跳ねた。
睫毛の長さがはっきり見える距離で、うっとりとした視線に絡めとられる。
何だか頬が熱い。
ゆっくりとワイシャツのボタンが外されていく。
脱がされる僕と、ドレス姿の鶴華……。

「ああ、鶴華も服、脱いで。」

「ん?」

「……性癖、ぶん曲がりそう。」

真っ赤になって顔を隠して転がる僕を見て、鶴華は声をあげて笑った。

「やっぱり女装の俺も好きなんだ。」

嬉しそうに微笑む顔が、あの頃よりずっと穏やかで優しい。

「へへっ。じゃあ、今日はご要望どおり脱ぐわ。」

そう言って器用に首の後ろのホックを外し、ジッパーを降ろすと、ばさりと男らしく脱ぎ捨てた。

「これで恥ずかしくないだろ。」

薄っすらと化粧は残るが、そこにいるのはいつもの鶴華だった。

「うんっ。」

指先で頬を撫でられる。
それだけで胸の中に火が灯る。
いつもの鶴華の優しい触れ方。
確かめるように、その反応を伺うように、熱い手の平が僕を撫でる。

「……鶴……かっ。」

じわじわと燃え上がるような波に、流されそうで、彼の背中に縋る。
彼の背に縋ると、あの頃とは違う温もりが返ってくる。
気持ちよくて、幸せなのに、ちょっとだけ怖い。
そんな僕の気持ちを汲むように、鶴華の長い指が髪を梳く。
安心させるように、キスの雨を降らせた。

「愛してるよ、なおや。」

六年前からずっと、聞きたかった言葉。
目の前にいる愛しい人を掻き抱く。

「うん……僕も。僕も、愛してる。」

いつだって、今ここにある幸福を噛み締めてる。
六年前から好きだけど、今抱きしめてくれている鶴華が一番大好きだ。

その夜、窓の外には春の雨が静かに降っていた。
どんな過去も、今この温もりの前では、ただ優しい音に変わっていく。



しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

処理中です...