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第8章 炎禍の魔女
第52話
しおりを挟む「………っ!? 何だ! いったい何がっ!? 」
陥没し、ひび割れた「修練場」の床で、天井を見上げた姿勢で仰向けに倒れた婆さんが呆然として呟く。
「どうした、婆さん?吃驚した顔して? それよりもう終わりでいいのか? 」
倒れた婆さんの顔を上から覗き込み、ニヤリと笑ってやる。
「……くっ!? まだまだっ! 」
慌てて起き上がり、もう一度攻撃を繰り出そうとする婆さんだったが…、
ーー ズッダァァァァンッ!ーー
「ぐはっ!? 」
ーードダァァァァンッ!ーー
「くっ!この…っ!? 」
ーーベッタアァァァァァンッ!ーー
「ぬあぁぁぁぁぁぁっっ!?」
何度も何度も燃える拳を振りかざし突貫してくる婆さんだったが、その度に背中から地面に叩き付けられる。
俺が何をしているのか? そう、「投げ」ているのだ。婆さんを。
王都までに至る道すがら、ソニア達を鍛えている中で気付いた事なんだが、どうやらこの世界では「投げ技」「極め技」はまだそれほど発達していないようなのだ。
いや、一応はある。だがそれは、”力任せにブン投げる”といったもので、とても「技」とは呼べない代物でしかなかった。
俺がここで言う「投げ技」とは、「背負い投げ」のように、投げるまでの一連の動作の中に「崩し」があるかどうか?というものだ。
人間の”立つ姿勢”というのは、実は非常に不安定だ。少し重心の位置がズレただけで容易に倒れてしまう。人はその重心のズレというものを、無意識のうちに常に細かく修正している為に”立つ、歩く”という事が出来る。簡単なようでいて、実はこれは物凄い事なのだ。
事実、現代では当たり前になった「人型二足歩行」のロボットも、開発が始まった二十世紀末の段階では、立っていることすらままならなかった。そこから安定した「歩行」をさせる為には、研究者達の絶え間無い努力とトライアンドエラー、膨大なデータ、莫大な費用が必要だったほどだ。苦労が偲ばれる話である。
話が逸れたが、人間はそれくらい優秀な”生体オートジャイロ”とでも呼ぶべき物を備えている為、力尽く、といっても余程の力の差が無い限り「投げる」なんて事はなかなか出来はしない。
だからこそ「投げ技」という技術が生まれた訳だ。
簡単に説明すれば、先程”重心”という話をしたが、「投げ」とは如何にこの”重心”をズラしてやるか?が重要になってくる。
人間が何か動作を起こす際、最初に行う事は「重心移動」だ。
聞いた事は無いだろうか?椅子に座っている状態で額を押さえられただけで、人は立ち上がる事が出来なくなる、という話を。
人はこうして無意識の内に”姿勢制御”の為に、また”行動を起こす”為に「重心移動」を行う訳だが、「投げ技」とは、この常に体を安定させようとする”姿勢制御”の為の身体の反応を利用した『技術』なのだ。
例えばお互いに対峙した時、こちらが胸ぐらを掴んで引き寄せようとすれば、相手はそうされまいと反対方向、後ろ側に力(重心)を掛ける。逆に押すなら前に、という具合に。
この時、相手の力が最も乗った瞬間に、相手が力(重心)を掛けているのと全く同じ方向へと反転、もしくは意図しない方向へと”力の向き”を変えてやれば、あっさりと”重心”が傾いてしまう。これが所謂「崩し」だ。
オリンピックの中継で、柔道の試合を観た事はあるだろうか?巨漢の選手達が、如何にも力任せで勝負しているように見えて、実はこうした高度な技術の鬩ぎ合いをしているのである。そうして、一旦身体が流れ、”重心”が傾いてしまえば、今度は逆に、力だけではもうどうにもならない。
………こんな風に。
ーードダァァァァンッーー
「ぐっ!? ………カハッ! 」
修練場の床に、強かに背中を打ち付け、息が詰まった様子の婆さん。うわ~、今のもかなり痛そうだったな………!?
だが、勘違いしないでほしい、確かに俺は婆さんに「投げ技」をかけてはいる。だが、息が詰まるほど強く体を打ち付けているのは、婆さん自身の力なのだ。
俺がやっている事はといえば、突進してくる婆さんの”力”と”勢い”の方向を変えているだけ。
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬっ!? いい加減におしよ!妙な魔法ばっかり使わずに、男らしく正々堂々と勝負したらどうなんだい!! 」
あ…、とうとうキレたな、婆さん?
「何言ってんだ、婆さん?今のが”魔法”みたいなチャチなモンだと思うのか?こいつはな、『技術』だ。俺自身も同じ技を何度も喰らいながら、血反吐を吐いて会得した「技」だよ。それに、さっき婆さんも言ったろ?「”得物”を使っても良い」ってな 」
「はぁ?アンタ素手じゃないのさ、どこに持ってるんだい、そんなもの!」
「さっきから見えてるだろう?ココだよ、こ~こ! 」
僅かに足を上げて、つま先でトントンと地面を指す。
「今の俺の得物はこの修練場の床全部さ。これだけデカイと外す方が大変なくらいだな? さて婆さん。他のみんなも待たせてるし、そろそろ”お終い”にするかい? 」
「ふん!やっと本気になったかい?いいさ、”お終い”にしてあげるよ!! 」
またもや突貫してくる婆さん。学ばないよなー?でも、さすがにセイリアのお祖母さんをこのまま叩き付け続けたり、ましてや殴ったりとかはなぁ……?爺さんだったら吝かではないが。
仕方がない、違うやり方で、『心』を折らせて貰おう。
「うらあぁぁぁぁぁぁっ!! 」
婆さんの攻撃に対して、「引く」でも「受ける」でも無く前に出る。突き出して来た右腕が伸びきるのに合わせて身体を入れ替えながら、突き出された右の拳の上に手を添え、上から下、そしてまた上へと、半円を描く様に手を動かせば、体捌きによる強制的な重心移動で力の流れを百八十度変えられた婆さんは、まるで柔道の「前回り受け身」のような綺麗な前転を描いて仰向けに倒れた姿勢になる。
「くっ!?またかいっ!…って、えっ!?」
っと、さっきまでとは違う事が二つ。ひとつ目はご覧の通り、婆さんが叩き付けられる様な投げ方をしていない事。二つ目は、自分から距離を詰めて前に出る事だ。
さっきまでは「後の先」、先に打ち掛かって来た婆さんの攻撃を利用して「投げ技」へと転じていたが、これからやる事は「先の先」、婆さんが攻撃に転じる前に全ての行動を潰すという事だ。
起き上がり、体制を整えようとしている婆さんに近づいて、ーートンッ!ーー 力の流れの方向を見定めて、軽く突き飛ばす。
「うわっ!?」ーートンッ!ーー「ちょっ!? 待っ!」ーートンッ!ーー「おいっ!やめ!」ーートンッ!ーー「~~~~っ!?」ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーートンッ!ーー……………………!!
面白いように闘技場の床をコロコロ、ゴロゴロと転がる婆さん。前に後ろに、右に左に。婆さんの”重心”や力をかける方向を瞬時に見定め、読み切って先回りをして、立ち上がる事さえもさせてやらない。
絶え間無く転がしてやっているので、もう上下の感覚も分からなくなって来ているんじゃないか?と、思っていたところで、とうとう婆さんが叫んだ。
「にゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? 待った!分かった!! アタシの負けだ!! やめぇ~~~~~~~~~~~っ!?」
ふ、勝ったっ!!
「~~~っ!? め、目が回る……、あ、アンタ何て事すんだい…………!? 」
修練場の床の上で立ち上がる事も出来ずに目を回す婆さんが、クラクラした様子で文句を言っている。
「まあまあ、なかなか「面白い技」だったろ?」
「まぁねぇ、いったい何なんだい、ありゃあさ?」
「『合気道』ってやつさ。力の流れを見極めて、対峙した相手の力すら自分の力として”制御”してしまう『技術』だよ 」
「相手の力すら…ねぇ?普通なら信じられないだろうが、実際途中からアタシも手も足も出なかったからねぇ…?トンデモない『技術』もあったもんだよ。しっかし…、よく分かったよ、本当の化け物は、アンタを仕込んだ”師匠”だってね 」
「ははっ!違いねぇ、あの人はたしかに”化け物”だったよ!」
へたり込んでいた婆さんに手を貸して起こしていたところで、バタバタといくつもの足音が近づいてくる。セイリア達だ。
「ヒロト様!」
「兄貴!すごい!すごいよっ!? セイレン様に勝っちゃうなんてさ!?」
「兄貴!俺ァ、俺ァ震えが止まらねぇ!? 凄えよ兄貴!! 」
「ヒロト兄ィすごい!全然見えなかったよ~~っ!?」
「ヒロト兄さん、凄すぎます!途中からのアレ、私にも出来ますか!?」
えらく興奮した様子でまくし立てるソニア達。一方セイリアはといえば…、
「だ、大丈夫ですか、お祖母様!? 」
恐る恐るだが、婆さんへと声をかけるセイリア。途中まではともかく、投げ技に徹し出してからは、あれ程ほぼ一方的な展開になるとは思っていなかったんだろう。俺の事を応援はしてくれていたんだろうが、対峙していたのは何と言っても実の肉親なのだ。何度も何度も地面へと叩き付けられる祖母の姿を見るのは複雑だったに違いない。
「ありがとう、セイリア。そんな泣きそうな顔をするんじゃないよ、大丈夫さ 」
「ですが!あんなに…!? 」
立ち上がり、あちこちを動かしながら、身体の状態を確認しつつ、セイリアに苦笑を向ける婆さん。
「問題無いよ、なんせ最後の方は手加減までされちゃったからねぇ…、どっちかっと言えば”プライド”の方がボロボロだよ 」
「悪かったな、婆さん。魔獣とかよりも、完全に”対人戦”に特化した技なんだ。対処法を知らなけりゃ、力がある程逆にダメージがデカくなる技だからな 」
『アイ、婆さんに《治癒》をかけてやってくれ』
『イエス、マイマスター 』
誤魔化す為にモニョモニョと小声で呟くようにすると、それに合わせてアイがヒールを発動させる。淡い光に包まれて、細かい傷やら打ち身のダメージが全て全快した婆さんが、驚きの声を上げる。
「…っ!? 驚いた、《治癒》まで使えるのかいアンタ…?勝負は完敗だし、こりゃ認めるしかないねぇ……? 」
「お祖母様っ!本当ですか!? 」
「ああ、ちっとばかり意地は悪そうだが、人柄も悪くはなさそうだ。これだけ強い上に、クーガ…ノア様の主人でもある。……ってか、セイリア?今思ったんだが……、アンタも何だか強くなってないかい? いったい今のレベルはいくつになってるのさ?」
んん~?っと、セイリアの顔を覗き込むようにして怪訝な顔をする婆さんに急に見つめられて、焦ったように顔を赤くしながらセイリアは答える。
「あっ!? はい、Lv78…です 」
「はぁっ!? ちょいとお待ち!セイリア、アンタ秀真に帰る前はLv37じゃなかったかい!?」
驚いた声を上げる婆さんに答えたのは、なぜかノア。
「ふふん、セイレンよ、それも我が主の御力だ。秀真での「大襲来」の際に、上手く戦闘力を落とした高ランク魔獣を、奥方に討伐させたのだ。だが勘違いするな?それも初めだけの事、今では〈ランクA〉魔獣すら奥方は一人で屠る事すら可能なのだ!」
セイリアの腕に抱かれながら、まるで我が事のようにドヤ顔で宣うノア。……だがなぜお前が言う?まあ、ノアに褒められたセイリアが、テレテレとしながらも嬉しそうだからいいけど。
「Lv78と言えば〈ランクB〉の超一流クラスじゃないか…!? ホントにねぇ…、アタシは吃驚し過ぎて腰が抜けそうだよ……!? 」
何処か諦めたような表情で、やれやれとため息を吐く婆さん。
「じゃあ、後で手続きをしてあげるから、冒険者カードのランクアップをしていかないとねぇ?」
「あっ!? そうです!お祖母様、今日はお祖母様への帰還のご挨拶と一緒に、ヒロト様の冒険者ギルドへの”本登録”もしに来たんです! 」
「”本登録”~~~?何だいそりゃ?」
本気で訳が分からないという顔をする婆さんに、俺達はデイジマのギルド支部での出来事を、あれこれと説明する事になるのだった……。
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