【完結】奴隷が主人になりまして

おのまとぺ

文字の大きさ
14 / 83
第一章 女王とその奴隷

14.常備薬

しおりを挟む


「え、旦那様が風邪を?」

 私たちの不思議な関係が始まって二週間ほどが経った頃、出勤早々に帰宅する途中のオデットと鉢合わせました。まだ仕事は始まったばかりだというのに、マフラーを巻いて屋敷を出て行こうとする彼女を見て私が尋ねると、なんとロカルドが風邪を引いたと言うのです。

「そうだよ。移ったらいけないからと今日は帰ってくれだってさ!まったく、来る前に連絡をくれたら良いものを…」

 ブツブツと不満を溢しながらオデットはもう門の方へと歩き出しています。

 私は、自分が同じように帰るべきか、それとも念のため出勤して来たことをロカルドに伝えるべきか悩みました。おそらく伝えに行ったところで同じことを言われるだけなのですが、このまま顔も見せずに帰宅すると私が無断で欠勤したと思われる可能性もあります。

 メモ書きでも残そうかとも考えましたが、ここまで来たのですからとりあえず挨拶だけでもしておこうかと考え、ひとまず屋敷の主人が眠る寝室まで向かいました。

 二度のノックのあと、やや掠れた病人の声で「どうぞ」と返答がありました。恐る恐る扉を開けてみると、おでこに氷嚢を乗せたロカルドがベッドに横たわっています。

 熱が高いのかトロッとした双眼が私を捉えると、すぐになんとか上体を起こそうとするので、私は「動かないで」と伝えて急いでベッドへ歩み寄りました。


「オデットから、風邪を引いたと聞きました」

「ああ……だから今日は悪いが休みにしてくれ、給料は払うから家に帰ってほしい。君たち二人が寝込んだら家のことが回らなくなる」

「症状は?」

「昨日の夜から熱と咳がある。アンナ、帰ってくれ」

 そう言ってゲホゲホと口元を押さえて咳き込むロカルドは確かに苦しそうです。夜間も眠れていないのか、目の周りの隈はよりいっそうひどくなったような気がしました。

「何か食事は摂りましたか?」

「いや……喉が痛くて」

「厨房を借りても良いですか?」

「……? 俺は帰れと、」

「貴方が弱って死んだら給料が支払われないので困ります。なにか食べてください。そして十分に休んで」

 ロカルドの目が大きく見開かれるのが見えましたが、私はそのまま踵を返して部屋を出て行きました。

 静まり返った厨房は、人の気配がないためかいつもより寒く感じます。冷蔵庫を開けると卵が数個とチーズ、牛乳があったので、いつの日か使った米の残りを探し出して、私は調理台の上に並べます。

(………何をやっているのかしら)

 言われるがままに帰ってしまえば良いのに。
 私が風邪を引いたら、それこそ目も当てられません。昼の仕事のみでなく、夜の仕事にも影響が及びます。復帰した後もオデットの不満をきっと一週間は聞き続けることになるでしょう。

 それなのに、どうして屋敷に留まるのか。
 動き続ける手足にその答えを聞きたいものです。


 寝室に戻ると、ロカルドは少し眠っていたのか、まだ夢の中のような両目をこちらに向けます。

「お口に合うか分かりませんが……」

 私は盆の上に載った白い皿を、主人の眠る枕元から見えるように傾けました。ホカホカと湯気を上げるミルク粥にはとろけたチーズが掛かっています。

 弟が幼い頃に作っていたこの病人用の食事が、はたして貴族のロカルドの舌に合うのかは分かりません。やっとのことで上体を起こした我が主人は、しかしながら、なかなか両手を差し出しません。

 黙って見守っていたら、消えそうな声で「食べさせてほしい」と言うので、私は思わず吹き出しそうになりました。夜の私であれば何を甘えたことを、と一蹴するのですが、今はまだ太陽が出ている昼の時間です。私は銀の小さなスプーンで粥を掬って、小鳥のように餌を待つロカルドの口元まで持っていきました。

 火傷するのではないかと少し心配しながら与えた食事でしたが、なんとかそれは大丈夫だったようで、半分ほど食べたところでロカルドは水を飲んでまた眠ってしまいました。


 部屋を出て後片付けなどを済ませて再び寝室に戻ったら、氷嚢の氷がすっかり溶けて、主人は苦しげに顔を顰めています。慌てて駆け寄って体温を測ると、かなり熱が上がっていることが分かりました。

 勝手ながら電話帳を引っ張り出して、行ける範囲の医者を調べましたが、この小さな港町の医者はどういうわけか木曜日を休診日にしているようで、緊急時に頼れそうな医者を私は知りませんでした。

(困ったわ……どうしよう)

 死んでしまっては大変です。
 とにかく、何か薬をと必死で戸棚を漁っていたら常備薬の箱を見つけました。おそらく引っ越してくる前に住んでいた屋敷のメイドがまとめておいてくれたのでしょう。

 幸いその箱の中には、風邪薬も入っていたので、私は粉薬を水で溶いてロカルドに飲ませました。苦そうに顔を歪めながらもなんとか飲み干したのを見て、安堵します。

 氷を取り替えたり、水を飲ませたり、主人が眠っている間は他の部屋の換気や掃除をしている間に時間はどんどん進み、夕食にと作った優しい味のスープを飲む頃には病人の熱も少し落ち着いてきました。

 本日何度目かの浅い眠りにロカルドが落ちたのを見届けて、自分も少しだけ休息を取ろうと私は椅子の上で目を閉じました。今日は夜の仕事はお休みなので、ゆっくり洗い物を済ませてから屋敷を去るつもりだったのです。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

処理中です...