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第二章 シルヴィアの店編
34.リゼッタは魚を追う
しおりを挟む「わぁ……たくさん泳いでいますね」
水槽の中をスイスイと自由に泳ぎ回る小さな魚の群れを見て、私は思わず感嘆の声を上げた。街の中心部に新しく出来たという水族館には、週末ということもあって、多くの人が来ている。
ガラスに手を付けてよくよく見ようと顔を近付けたら、後ろに立ったエレンが屈んで姿勢を低くした。私は緊張して少し身構えてしまう。
「昔読んだ絵本に書いてあったんだけど、ああいう小さな魚もいざ大きな魚に襲われそうになったら集団で集まって大きな魚の振りをするんだって」
「え、そうなのですか?」
「子供騙しの嘘かもしれないけれど、面白いよね」
フッと笑うエレンの息が耳に掛かって恥ずかしくなったので、私は急いで館内の地図に目を落とす。
「あ…ペンギンというものが人気みたいです!」
「見たいの?行ってみようか」
「はい。ぜひぜひ!」
「リゼッタ、地図が逆だよ」
「……!」
あたふたとひっくり返す私の手から地図を取り上げると、エレンはそのまま折ってポケットに仕舞い込んだ。
「こんなの見なくても大丈夫だよ。見たいものを好きなだけ見れば良い。時間はまだまだあるんだから」
差し出された手に右手を重ねる。小さな子供を連れた家族や友達同士で来ている若い子たちも多い。私たちはどういう風に見えているのだろう。仲の良いどこにでもいるカップルとして認知されるのだろうか。
繋がれた手からエレンの温かい体温を感じた。この手を離さなければ、その先には私が欲している幸せがあるのかもしれない。ただ側で静かに笑っていてくれる、それだけで良い。
立ち止まった私を心配するようにエレンが振り返った。
「今日は一段と綺麗だね。見ていて照れるよ」
「……お上手ですね」
そう言って柔らかく笑うから、照れてしまうのはこっちの方だ。背伸びをしてお洒落してきて良かったと思う。シルヴィアからも太鼓判を押してもらったし、いつもの内気なリゼッタ・アストロープではなく、強い女として今日は乗り切らなければ。
手を引かれて歩き出しながら、視線を前に向けた。今私が見つめるべきなのはこの背中。差し伸べてくれる手を掴んでみたいと思う。自分の足で、前に進むために。
「リゼッタ、今日は何時まで一緒に居られる?」
ふいに、横に並んだ私の顔をエレンが覗き込んだ。
「あ、今日はお休みを頂いているんです」
「それは俺のために?」
「えっと…シルヴィアさんが、せっかくなのでと…」
「ありがたいね。ゆっくりできる」
安心したようにエレンは息を吐いた。
心臓が少し騒がしくなってきたので、私は気分を変えるために咳払いをする。べつに付き合いを申し込まれたとか、そういったわけではないので、もっとドッシリと落ち着いて構えるべきだ。私は緊張しすぎだと思う。
「実はこのあとで寄りたい場所があるんだ」
エレンの爽やかな笑顔に私は小さく頷く。デートは始まったばかりで、今のところは上手くやれていると思う。シルヴィアの店で固く誓って来たように、私は今日まだ一度も思い出の中に潜っていない。
このまま、前だけを見て今を生きなければ。
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