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第三章 二人の冷戦編
59.リゼッタは赦さない
しおりを挟むノア・イーゼンハイムが泣いている。
それは初めての経験で、私は何と声を掛けるべきか分からなかった。瀕死の状態でも、私がいくら怒っても、へらりと笑って過ごしていた彼が見せる弱い姿に目を見張った。
「ノア……?」
「寝室はもちろん、別で良い。君が望むなら宮殿の中に君専用の住居を作ることも出来る」
「………、」
「だから…考えてほしい」
ノアはそう言って再び首を垂れた。濡れてぐしゃぐしゃになったその髪に指を通すと、項垂れた肩が僅かに動く。
彼は本当に分かっているのだろうか?
何に対して私が腹を立てているのか、どうして彼の元を去る決意をしたのか。それなのに、何故またこの場所に戻って来て留まっているのか。本当に、理解している?
「顔を上げてください」
恐る恐る上を向いた白い顔をパシンと両手で挟むと、驚いたように赤い瞳を大きく開いた。
「貴方は何に対して謝っているの?」
「これまでの発言と行動を…」
「そんなの…一言二言の謝罪じゃ足りないわ」
「リゼッタ、」
揺れた両目から、また溢れそうになる涙を指で掬った。いつもの彼の姿とのギャップに頭はまだ混乱したままで、だけれど私は伝えなければいけないと思った。
これからの私たちのために。
「ノア…私は、今まで自分の気持ちを表すことに臆病になっていたの…ごめんなさい。もう遠慮するのはやめるから」
「うん…?」
不安そうな瞳を真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「先ず、記憶喪失のこと。そもそも何でカーラを宮殿に連れて帰ったんですか?私のこと忘れたのは仕方ないにして、いくら優しい貴方でもあれは嫌だった」
「ごめん、」
「これ見よがしに宮殿内で二人で過ごして、私がどんな気持ちだったか分かりますか?」
「…………」
「嫉妬したわ。すごく、すごく悲しかった…!」
思い出しただけで身が捩れるぐらい。
窓の外に見える二人の姿は私の心を大きく抉った。プライドなんてもう滅多刺しにされてボロボロになった。それでも、ノアを責めることは出来なかった。
「すぐに出て行かなかったのは、信じていたから。ずっと側にあった愛がまた戻ってくると思い込みたかったから。まだ、貴方のこと好きだったから……!」
呆然とするノアの胸ぐらを掴んで、揺さぶった。怪我人相手に我ながら何をしているんだろうと思ったけれど、昂った感情は抑えられそうになかった。
苦しそうに顔を顰める彼を見て、ハッと我に帰る。
「ごめんなさい、痛みますか…?」
「大丈夫。それより、君をそんな目に遭わせたことを…」
「言葉で済まさないで」
「?」
「私は貴方に人生を捧げると誓ったわ。でも、こんな仕打ちを受けた。貴方のこと絶対に赦したりなんかしない」
強い気持ちを心掛けていた筈なのに、ギリギリで耐えていた防波堤はどうやら決壊したようで、涙が頬を伝った。
「ノア、貴方も私のために生きるのよ。生涯を懸けてそのすべてで償って…!次に余所見したら私が貴方を追放します」
「……追放?」
「マリソン王妃に話はつけたわ。貴方が私と婚約するなら、私はアルカディアの王室専属の執務官になる。貴方にも当然だけど国政に参加してもらうし、好き勝手はさせません」
口を半開きにしたまま、言葉を発さずに固まるノアの鼻をギュッと摘んだ。
ノアの側に居てほしい、というマリソンの熱心な申し出の交換条件として私が提案したのは、王国の執務官になること。もちろん、他国で育った私は土台がそもそも足りていないし、学ぶ必要があることは多々ある。しかし、これまで国王夫妻、そしてこのアルカディアという国が自由にさせてきたノアを取り締まるには、それが最善の策と思えた。
「ノア、私はずっと王子様が迎えに来るのを夢見てた。でも、気付いたの。待っているだけでは何も変わらない」
「リゼッタ…?」
「私が貴方を本物の王子様にします」
驚くノアの頭を引き寄せて口付けた。
惚けたままの彼に笑顔を向けると、立ち上がって部屋を飛び出す。傷を診てもらうために医者を呼ばなければいけない。国王夫妻を起こすのは気が引けたが緊急事態と呼べるので仕方ないだろう。
少しだけ軽くなった身体で廊下を走った。
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