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第二章 マックール家の秘密編

10.出口のない

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それから、何を食べたか覚えていない。
どんな味だったかも記憶にない。

ヒソヒソ話すエドワードとモーガンの声以外は何も聞こえなかったように思う。

あの後、大声を出したハーグ・マックールを妻が宥めて着席させた。アーサーも何事もなかったかのように席に座って、机の上に置かれたグラスに入った水を飲んでいた。

私だけが、顔を赤くして目に涙を溜めて、突っ立っていた。


私は許せなかった。

アーサーへの全ての暴言が。
それをただ受け止める、彼自身が。
何の力にもなれない無力な自分が。


最後のデザートが運び込まれると、ハーグは「仕事がある」と隣に座る妻に伝えて席を立った。エドワードとモーガンに向けて何か言っていたようだが、私はもちろんのこと、アーサーの方も一度も目ないまま、部屋を出て行った。

「素敵なお父様ね」
「ああ、自慢の父だよ」

場違いな言葉を交わす二人の声だけが部屋に響く。

私はそのピンク色のババロアのようなデザートをフォークで突いてみたが、食欲は湧かず、フォークを置いた。


それから一時間ほど経ち、長い朝食はやっとお開きになった。コースの内容的にも朝食というよりも昼食だったし、無理して少しだけ飲んだ白ワインは口に合わず吐きそうだ。

マックール家を取り締まる奥方らしく、最後は義母がみんなに向かって口先だけの挨拶を述べる。その空間の殺伐とした空気を埋めたいという彼女の気持ちが透けて見えた。

「皆さん、本当にありがとうね。久しぶりに集まれてとても楽しかったわ。よい一日を…」

その言葉に各々好きな返事を返す。
私も少し頭を下げて、アーサーの元へ向かった。



「少し、散歩しないか?」
「ええ。もちろん」

何と声を掛けたら良いか分からなかった。
アーサーはいつもと変わらぬ顔をしている。

行く宛があるのか分からないが、アーサーは屋敷の中を迷いなく進む。いくつかの部屋の前で立ち止まっては、懐かしむように目を細める彼を見て、私は心が痛んだ。

ずっと育ってきた家なのだ。
何年もの間その場所を離れても、懐かしくない筈がない。


「無駄に広い屋敷だが、使われている部屋はごく一部だ」
「そうなのですね」
「確かこの辺だったと思うが……」

言いながらアーサーは、階段の下にある倉庫のような部屋のドアノブを回した。少し埃を被ったそれは施錠されていると思ったが、存外ゆるく回って開く。

「ここは…?」

中には6畳分ぐらいの小さな部屋があった。ところどころに蜘蛛の巣が張っており、部屋の隅には数年は使用されていないことを物語るほど埃が積もっている。

アーサーは軋む床板に注意を払いながら、部屋の中へ足を踏み入れる。


「子供の頃に住んでいた部屋だ。もうすっかり廃屋のようだが、」
「ここで暮らされていたのですか…?」

こんなに広い屋敷があるのに、敢えて階段下のこの小部屋を与えられていたという事実は信じがたい。蘇るのは耳に強く残るハーグ・マックールの言葉。望まれない子供として、彼はこの部屋で生きてきたのだろうか。

窓のない暗い部屋を見回す。
廊下の光が唯一の光源だ。

ふと、既視感を覚えた。


積み上げらえた玩具
散らばったクレヨンや似顔絵
探しても見つからない出口
鏡に映る、怯えた顔と小さな手


「アーサー……ずっとこの部屋で…?」
「慣れればなんてことない。遊び道具も与えられていたし、自分で好きに時間を使えたんだ」
「…………、」
「絵を描いたりもした。そんなに得意ではなかったが…」

暗闇の中で一人で、まだ小さな子供なのに。
彼はいったい何を思って、誰の絵を描いたのだろう。

「……どうしてお前がそんな顔をする、」
「だって、そんなのってあんまりで…」
「結構楽しかったんだ、本当に。お前が想像するようなことは何も………」

アーサーは言葉を止め、その手で両目を覆った。

「……何も、悲しいことなんて」
「…アーサー、」
「母親の記憶だってもう無いんだ、」
「…………」
「……俺には優秀な父と兄が居て、恵まれた環境だった」
「もういいです、十分…」

「なぁ、イヴ……俺は過ちか…?」

アーサーの声は震えていた。
近付いて、その背中に手を回すと、崩れ落ちるように床に膝を着く。私はただ、丸まった身体を優しく撫でた。

よく目を凝らすと、床にはたくさんの落書きがある。それらはおそらく、すべて幼少期の彼が描いたものだろう。大人と手を繋いだ姿、誕生日ケーキを前にした姿、外で友達と遊ぶ姿……

いったい、いくつの夢が叶えられたのだろう。
ただ、少しの間でも彼は家族と触れ合えたのだろうか。



「過ちなんかじゃないです。アーサー・フィン・マックールはこの世界の最高傑作で、私の最愛ですから…」

胸の中でアーサーが僅かに笑った気がした。



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