悪魔に捧げた願い

さき

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虐げられし少女、フィーナ。

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わたしは、スザンヌ公爵家の長女、フィーナ。

――そう名乗れば、聞こえはいい。

けれど、それは、本当の私ではない。

 

◆◇◆

「フィーナ、また庭の掃除が終わっていないの? 本当に手のかかる子ね。どうして言われなければわからないのかしら」

母――レネリアの声は、氷のように冷たかった。

白銀の巻き髪に、青い瞳。美貌と気品を兼ね備えた彼女は、社交界でも名を馳せる才媛。
けれど、そんな母がわたしに向けるのは、笑顔ではなく、舌打ちと怒声ばかりだった。

「ご、ごめんなさい……すぐにやります」

震える声でそう答えると、すかさず聞こえてきたのは、横からのあざけりだった。

「お姉さま、また怒られてるの? 本当、邪魔でしかないわ。掃除が終わったら、そのまま庭から消えてくれない? せっかくのお庭なのに、お姉さまがいると景観が悪くなるの」

涼しい顔でそう言ったのは、スザンヌ家の次女――アンナ。

真っ赤なドレスに、それに合わせたように光り輝くルビーをあしらったカチューシャ。どちらも嫌味のないほど似合ってしまう美しさ。母譲りの顔立ちで、違うのは瞳の色くらい。

アンナもまた、当然のようにわたしを蔑んだ。
家の中での立場は、いつだって彼女の方が上だった。

「アンナ、あなたはもう勉強の時間でしょう?」

「今日は王子さまが街にいらっしゃるんですって。だから新しいドレスを作りに行かなきゃ」

母にたしなめられても、アンナは愛嬌たっぷりにそう返す。

最近のアンナは王子に夢中で、「いつか正妃になるの」と夢見るように話していた。

「あ、そうだ。お姉さま、この前のドレスもういらないでしょう? わたしが着てあげるわ。高級品だし、お姉さまには似合わなかったし」

「そうね。本当はこの子に新しい服なんて仕立てたくなかったけれど……あれは王家主催のパーティーだったから仕方なくね。アンナの部屋に運ぶように、後で侍女に言っておくわ」

――わたしがドレスを着る機会なんて、決まっている。

王家主催の、家族全員参加が義務づけられた場か、スザンヌ家より格上の貴族に招かれたときだけ。

それ以外は、決まってこう言われた。

「フィーナは引っ込み思案で、パーティーが苦手だから」と。

そうして、わたしはいつも家の奥に押し込まれてきた。

 

◆◇◆

「おい、フィーナ」

廊下で声をかけられ、わたしの身体は反射的にこわばった。

兄――レオン。スザンヌ家の長男で、今は王都の騎士団に所属している。

母に似た整った顔立ち。けれど、その笑みに滲むのは、底知れぬ不気味さだった。

「部屋に来いって言ったのに、何掃除なんかしてんだよ」

レオンはわたしの肩を軽く叩き、顔を近づけてくる。

「お母様に言われたの」と返そうとすれば、

「だったら今夜、部屋に来いよ。話でもしようぜ?」

――ぞわり。

背筋に、凍りつくような感覚が走る。

声を出そうとしても、喉が焼けるようで、何も言えなかった。
息さえ詰まりそうな中、ただ立ち尽くすわたしを、レオンは苛立たしげに舌打ちして去っていった。

 

◆◇◆

夜。誰も来ない屋根裏部屋の片隅で、小さな蝋燭の火を見つめながら、わたしは震えていた。

――どうして、わたしだけが、こんな目に遭うのだろう。

けれど、その答えは、もう知っている。

「……わたしは、捨て子だったんだから」

この家に“引き取ってもらえた”だけでも、幸運なこと。

昔はなぜ自分だけがこんな扱いを受けるのか分からなかった。
けれど、唯一わたしに優しくしてくれた侍女が、全てを教えてくれた。

彼女は、ある日わたしに優しくしているところを見つかり、辞めさせられてしまった。

その時、別れ際に、こっそりと囁いてくれたのだ。

「お嬢様、どうかお逃げください。この家の者を信じてはなりません……。あなたは……っっ、
幼きあなたになんて言ったらいいのか………
そうだ、そう、あなたは…す、捨て子なのです。そして、政略結婚のための“駒”として育てられているのです。だから……だから、どうか、逃げてください」

言葉に詰まってなんて言ったらいいか悩んでいたあの表情は嘘には思えなかったし、あの言葉で、長年抱えていた疑問がすべてつながった気がした。

けれど、わたしは逃げなかった。

侍女には感謝している。でも……孤児として暮らすよりは、マシな生活だと思ってしまったのだ。

孤児院への寄付を名目に、兄がわたしを連れて行きたがったことがある。
その時、わたしは“現実”を知った。

飢えた子どもたち、鼻をつく悪臭。
兄が投げたパン一つに、群がるようにして奪い合う姿がそこにはあった。

怖かった。

わたしは今、食べるものには困っていない。
家では虐げられても、あの子たちよりは――マシ。

そう思ってしまったのだ。

 

そして、もうひとつ希望があった。

十六になれば、政略結婚とはいえ、この家を出られる。

見た目がどうであれ、年が離れていようと、どんな相手でも構わない。
この家を出られるのなら、それだけで、幸せになれると思っていた。

侍女が言ったように、わざわざ捨て子のわたしを育て、外では“長女”として見せているのは、それだけ政略的に都合のいい相手が用意されているということなのだろう。

本当の娘には押しつけたくない、相当難ありの相手なのかもしれない。

それでも、わたしにとっては、願ってもない話だった。

虐げられても、孤児よりずっとマシな生活ができた。
そして、この家を出られれば、わたしは――

やっと、“幸せ”になれると信じていたのだから。
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