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第16話 祈りの指輪と、金属アレルギー
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「……うぅ」
野営のテントの中で、ルナが小さな呻き声を漏らした。
彼女は自分の左手を右手で押さえ、痛みに耐えるように眉を寄せている。
「どうした、聖女様。また神の試練か?」
エルザが林檎を齧りながら尋ねる。
ルナはハッとして、慌てて手を隠した。
「い、いいえ。なんでもありません。ただ……少し、世界の痛みが流れ込んできただけです」
「世界の痛み? スケールがでかいな」
「ええ。人々の罪や穢れが、私の指を通して伝わってくるのです。これも聖女としての務め……耐えねばなりません」
彼女は悲壮な決意を口にするが、その指先は小刻みに震えている。
俺は彼女が隠した左手を、こっそりと「鑑定」した。
【聖女の左薬指】
【状態:接触性皮膚炎(重度)、水疱、ただれ】
【原因:金属アレルギー(ニッケル、コバルト)】
【注記:着用している『祈りの銀指輪』の純度が低く、混ぜ物として使われている安価な金属に汗が反応して溶け出し、皮膚を侵している。激しい痒みと痛みを伴う】
世界の痛みじゃない。
ただの金属アレルギーだ。
彼女が大切にしているその指輪は、教会から支給された「清貧の証」らしいが、要するにコストダウンされた安物だ。
銀メッキが剥がれ、中の卑金属が剥き出しになり、それが汗と反応して彼女の柔肌を攻撃している。
あんな指輪を嵌めたまま祈りを捧げても、痒くて集中できるわけがない。
「……お風呂の時間にしましょうか。近くに綺麗な湧き水があります」
俺が提案すると、ルナは救われたような顔をした。
痒いところを洗いたいのだろう。
ソフィアとエルザも賛成し、女性陣は水浴びに向かった。
俺は見張りをしながら、彼女たちが脱衣所に残した荷物を探る。
あった。
ルナの着替えの上に、無造作に置かれた銀色の指輪。
見た目は神聖な意匠が施されているが、裏側を見るとメッキが剥げて黒ずんでいる。
【聖銀の指輪(量産型)】
【品質:D】
【含有率:銀10%、ニッケル60%、銅30%】
【状態:腐食進行中】
酷い配合だ。これじゃアレルギー反応が出るのも当然だ。
俺は道具袋から、小瓶を取り出す。
中身は『透明な樹液ニス』だ。
森の広葉樹から採れる樹液を煮詰め、乾燥するとガラスのように硬く透明になる性質を持つ。
本来は家具の艶出しに使うものだが、今回はこれをコーティング剤として使う。
俺は細い筆にニスを取り、指輪の内側――肌に触れる部分に、丁寧に塗り込んでいく。
薄く、均一に。
凹凸ができないように慎重に筆を動かす。
金属イオンが肌に触れなければ、アレルギーは起きない。
物理的な遮断こそが最強の防御だ。
一度乾かし、二度塗りする。
これで被膜は完璧だ。
見た目は透明なので、塗っていることはわからない。
ただ、指輪の内側が少し艶やかになっただけだ。
ついでに、指輪の歪みも矯正しておく。真円になっていないせいで、血行も悪くなっていたからな。
作業時間、十五分。
ちょうど彼女たちが戻ってくる気配がした。
俺は指輪を元の位置に戻し、焚き火の薪をいじる作業に戻った。
「あー、さっぱりした!」
エルザが髪を拭きながら戻ってくる。
ルナも少し顔色が良くなっているが、まだ左手を気にしている。
指輪を嵌めるのが怖いのだろう。
「……失礼します」
ルナは意を決したように、指輪を手に取り、左手の薬指に通した。
一瞬、顔が強張る。
痛みが走るのを覚悟した表情だ。
「……?」
だが、その表情がすぐに疑問へと変わった。
痛くない。
あの、針で刺されるようなチクチクした刺激も、焼け付くような痒みもない。
指輪は滑らかに指に収まり、不快な金属の冷たさすら感じない。
樹液の層が、優しく肌を守っているからだ。
「あれ……? 痛みが……ない?」
彼女は指輪を回してみる。
いつもなら、この動作だけで悲鳴を上げたくなるほどの激痛が走るのに、今は何も感じない。
「嘘……世界の痛みが、消えた?」
ルナは指輪をつけた手を掲げ、月明かりに透かしてみた。
指輪は清らかに輝いている(内側はニスでテカテカだが)。
「おお……神よ。ついに私の祈りが届いたのですね」
彼女は感極まったように膝をついた。
「私の信仰心が、指輪に宿る不浄を浄化したのです! これは私が試練を乗り越え、真の聖女として認められた証!」
「よかったな。風呂に入って血行が良くなっただけだろ」
エルザが適当に流すが、ルナは聞いていない。
「感じます……指輪が私を守ってくれているのを。まるで、見えない膜に包まれているような安心感があります」
正解だ。物理的な膜がある。
「これで、心置きなく祈りに集中できます。皆様、今夜は徹夜で感謝の祈りを捧げましょう」
「勘弁してくれ。明日は山越えだぞ」
俺たちはやんわりと拒否して寝ることにした。
ルナは一人、テントの中で熱心に祈り続けている。
時折、「ああ、快適……」という本音が漏れているのが聞こえる。
翌日。
指輪のストレスから解放されたルナの祈りは、凄まじい集中力を発揮した。
道中で遭遇した悪霊の群れに対し、彼女が一言「消えなさい」と唱えただけで、悪霊たちが光の粒子となって昇天していったのだ。
「すげえな。昨日のゾンビと言い、聖女様は化け物か?」
エルザが舌を巻く。
集中力を阻害する「痒み」というノイズが消えたことで、彼女本来の聖なる力が100%発揮されるようになったのだろう。
「ふふっ。神の愛を感じます」
ルナは微笑み、指輪にキスをした。
そこは俺が念入りにニスを塗った部分だ。
間接キス……いや、樹液越しのキスか。
まあ、彼女の指がただれなくなったのなら、それでいい。
俺は道具袋のニスの残量を確認する。
コーティングは摩擦で剥がれてくる。
一週間に一度は、またこっそりと「上塗り」をする必要があるだろう。
聖女の指は、俺のニスによって守られ続ける。
野営のテントの中で、ルナが小さな呻き声を漏らした。
彼女は自分の左手を右手で押さえ、痛みに耐えるように眉を寄せている。
「どうした、聖女様。また神の試練か?」
エルザが林檎を齧りながら尋ねる。
ルナはハッとして、慌てて手を隠した。
「い、いいえ。なんでもありません。ただ……少し、世界の痛みが流れ込んできただけです」
「世界の痛み? スケールがでかいな」
「ええ。人々の罪や穢れが、私の指を通して伝わってくるのです。これも聖女としての務め……耐えねばなりません」
彼女は悲壮な決意を口にするが、その指先は小刻みに震えている。
俺は彼女が隠した左手を、こっそりと「鑑定」した。
【聖女の左薬指】
【状態:接触性皮膚炎(重度)、水疱、ただれ】
【原因:金属アレルギー(ニッケル、コバルト)】
【注記:着用している『祈りの銀指輪』の純度が低く、混ぜ物として使われている安価な金属に汗が反応して溶け出し、皮膚を侵している。激しい痒みと痛みを伴う】
世界の痛みじゃない。
ただの金属アレルギーだ。
彼女が大切にしているその指輪は、教会から支給された「清貧の証」らしいが、要するにコストダウンされた安物だ。
銀メッキが剥がれ、中の卑金属が剥き出しになり、それが汗と反応して彼女の柔肌を攻撃している。
あんな指輪を嵌めたまま祈りを捧げても、痒くて集中できるわけがない。
「……お風呂の時間にしましょうか。近くに綺麗な湧き水があります」
俺が提案すると、ルナは救われたような顔をした。
痒いところを洗いたいのだろう。
ソフィアとエルザも賛成し、女性陣は水浴びに向かった。
俺は見張りをしながら、彼女たちが脱衣所に残した荷物を探る。
あった。
ルナの着替えの上に、無造作に置かれた銀色の指輪。
見た目は神聖な意匠が施されているが、裏側を見るとメッキが剥げて黒ずんでいる。
【聖銀の指輪(量産型)】
【品質:D】
【含有率:銀10%、ニッケル60%、銅30%】
【状態:腐食進行中】
酷い配合だ。これじゃアレルギー反応が出るのも当然だ。
俺は道具袋から、小瓶を取り出す。
中身は『透明な樹液ニス』だ。
森の広葉樹から採れる樹液を煮詰め、乾燥するとガラスのように硬く透明になる性質を持つ。
本来は家具の艶出しに使うものだが、今回はこれをコーティング剤として使う。
俺は細い筆にニスを取り、指輪の内側――肌に触れる部分に、丁寧に塗り込んでいく。
薄く、均一に。
凹凸ができないように慎重に筆を動かす。
金属イオンが肌に触れなければ、アレルギーは起きない。
物理的な遮断こそが最強の防御だ。
一度乾かし、二度塗りする。
これで被膜は完璧だ。
見た目は透明なので、塗っていることはわからない。
ただ、指輪の内側が少し艶やかになっただけだ。
ついでに、指輪の歪みも矯正しておく。真円になっていないせいで、血行も悪くなっていたからな。
作業時間、十五分。
ちょうど彼女たちが戻ってくる気配がした。
俺は指輪を元の位置に戻し、焚き火の薪をいじる作業に戻った。
「あー、さっぱりした!」
エルザが髪を拭きながら戻ってくる。
ルナも少し顔色が良くなっているが、まだ左手を気にしている。
指輪を嵌めるのが怖いのだろう。
「……失礼します」
ルナは意を決したように、指輪を手に取り、左手の薬指に通した。
一瞬、顔が強張る。
痛みが走るのを覚悟した表情だ。
「……?」
だが、その表情がすぐに疑問へと変わった。
痛くない。
あの、針で刺されるようなチクチクした刺激も、焼け付くような痒みもない。
指輪は滑らかに指に収まり、不快な金属の冷たさすら感じない。
樹液の層が、優しく肌を守っているからだ。
「あれ……? 痛みが……ない?」
彼女は指輪を回してみる。
いつもなら、この動作だけで悲鳴を上げたくなるほどの激痛が走るのに、今は何も感じない。
「嘘……世界の痛みが、消えた?」
ルナは指輪をつけた手を掲げ、月明かりに透かしてみた。
指輪は清らかに輝いている(内側はニスでテカテカだが)。
「おお……神よ。ついに私の祈りが届いたのですね」
彼女は感極まったように膝をついた。
「私の信仰心が、指輪に宿る不浄を浄化したのです! これは私が試練を乗り越え、真の聖女として認められた証!」
「よかったな。風呂に入って血行が良くなっただけだろ」
エルザが適当に流すが、ルナは聞いていない。
「感じます……指輪が私を守ってくれているのを。まるで、見えない膜に包まれているような安心感があります」
正解だ。物理的な膜がある。
「これで、心置きなく祈りに集中できます。皆様、今夜は徹夜で感謝の祈りを捧げましょう」
「勘弁してくれ。明日は山越えだぞ」
俺たちはやんわりと拒否して寝ることにした。
ルナは一人、テントの中で熱心に祈り続けている。
時折、「ああ、快適……」という本音が漏れているのが聞こえる。
翌日。
指輪のストレスから解放されたルナの祈りは、凄まじい集中力を発揮した。
道中で遭遇した悪霊の群れに対し、彼女が一言「消えなさい」と唱えただけで、悪霊たちが光の粒子となって昇天していったのだ。
「すげえな。昨日のゾンビと言い、聖女様は化け物か?」
エルザが舌を巻く。
集中力を阻害する「痒み」というノイズが消えたことで、彼女本来の聖なる力が100%発揮されるようになったのだろう。
「ふふっ。神の愛を感じます」
ルナは微笑み、指輪にキスをした。
そこは俺が念入りにニスを塗った部分だ。
間接キス……いや、樹液越しのキスか。
まあ、彼女の指がただれなくなったのなら、それでいい。
俺は道具袋のニスの残量を確認する。
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