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第16話 聖なる炎
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地下水路での「掃除」を終え、俺たちが地上のマンホールから這い出すと、街の景色は一変していた。 先ほどまで充満していた澱んだ空気と腐敗臭が消え失せている。 代わりに、街中の排水溝やマンホールの隙間から、真っ白な蒸気が立ち上っていた。 俺が地下で放った『鮮血の松明』の熱量が、水路の水を沸騰させ、それが配管を通って地上に噴出したのだ。 高温の蒸気による、都市規模の煮沸消毒(ステライゼーション)。
「おお……見よ! 清浄なる霧だ!」
「空気が美味い……。体の重みが消えていくぞ!」
広場にいた人々が、立ち上る白い蒸気の中で歓喜の声を上げている。 病原菌を含んだ瘴気が熱で殺菌され、湿気が不快なものではなく、清潔なスチームサウナのようなものに変わったからだ。
「奇跡だ! 聖女様の祈りが通じたのだ!」
「地下から聖なる炎が邪悪を焼き払ったのだ!」
市民たちが一斉に大聖堂の方角へ向かって祈り始めた。 地下で物理的に汚物を焼却処分したのは俺だが、彼らの目には「聖女の奇跡」として映っているらしい。 まあいい。手柄になど興味はない。 俺は煤(すす)で少し汚れたスーツを叩きながら、大聖堂の中庭へ戻った。
中庭では、ベンチに寝かせていたはずのルネが、司祭たちによって無理やり起こされようとしていた。
「聖女様! 起きてください! 貴女様の祈りが街を救ったのです!」
「さあ、すぐにこの法衣をお召しになって、信徒たちの前に姿を! これぞ教団の威光を示す好機!」
司祭たちが、俺が剥ぎ取った分厚い『聖女の法衣』を、再びルネに着せようと群がっている。 ルネはまだ顔色が悪い。 薄いインナー姿で肩を震わせ、拒絶するように首を振っているが、力が入らないようだ。
「……いや……あつい……くるしい……」
「何を仰います! これは聖女の務め! 神の加護(結界)なしで人前に出れば、穢れを受けてしまいますぞ!」
司祭の一人が、法衣のマントをルネの頭から被せようとした。 ルネの瞳に絶望の色が浮かぶ。 自由になった身体が、またあの重い檻に閉じ込められようとしている。
「やめろ」
俺は短い言葉と共に、司祭の腕を掴んだ。 『剛力の籠手』を外した後だったが、鍛えていない中年男性の腕を押さえるくらい、俺の素の腕力でも十分だ。
「痛っ!? き、貴様は……さっきの!」
司祭が振り向く。 俺の姿を見て、彼らは息を呑んだ。 俺の全身からは、まだ地下の熱気が漂っていた。服には焦げ臭い匂いが染み付き、微かに湯気が立っている。 それはまるで、地獄の業火の中を歩いて帰ってきたかのような佇まいだった。
「その布切れを着せるなと言ったはずだ」
俺は司祭の手から法衣をひったくり、ベンチの横に放り投げた。
「な、何をする! これは国宝級の聖遺物だぞ! それに、聖女様は奇跡を起こしたのだ。正装して民に応えるのが義務……」
「奇跡?」
俺は鼻で笑った。
「地下の下水道に巣食っていたスライムを焼いただけだ。祈りで菌が死ぬわけがないだろう」
「す、スライムだと? 馬鹿な、あのような強力な瘴気を放つ魔物を、どうやって倒したというのだ!」
「燃やした」
俺は端的な事実だけを告げた。 司祭たちは顔を見合わせた後、顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
「嘘をつくな! 地下水路の湿気の中で、魔物を焼き尽くすほどの火など、大魔導師でも不可能だ! やはりこれは、聖女様の命を削った祈りが、神の聖火を召喚したに違いない!」
彼らは頑なに、自分たちの都合のいいストーリーを信じ込もうとしている。 俺が反論しようとした時だった。
「……ちがいます」
細い、しかしはっきりとした声が響いた。 ルネだ。 彼女はベンチの背もたれに寄りかかりながら、司祭たちではなく、俺を真っ直ぐに見つめていた。
「わたしは……感じていました。地下から響いてくる、圧倒的な熱を。……わたしの祈りなんかじゃない。もっと強くて、激しい……全てを焼き尽くす炎の奔流を」
ルネはふらつく足で立ち上がり、俺の方へ一歩踏み出した。
「聖女様! 騙されてはいけません、そいつは異端者かも……」
「おだまりなさい」
ルネが静かに、しかし冷徹に司祭を一喝した。 普段の従順な「お飾り」としての彼女ではない、本物の威厳があった。司祭たちがたじろぐ。 ルネは俺の目の前まで来ると、俺の手を取った。 俺の手は、松明の熱を持っていたし、煤で汚れていた。 だが、彼女はそれを気にする様子もなく、両手で包み込んだ。
「あたたかい……」
彼女は頬を染め、夢見るような瞳で俺を見上げた。
「法衣の呪いのような、命を吸い取る冷たい炎じゃない。……あなたは、悪いものだけを焼いて、わたしを温めてくれる」
彼女の中で、何かが決定的に書き換わったようだった。 神への信仰が、より具体的で、目の前に存在する「熱源」への依存へとスライドしていく。
「あなたが、救ってくれたのですね」
俺は肩をすくめた。
「ついでだ。通り道だったからな」
その素っ気ない返答すら、今の彼女には心地よく響いたらしい。 彼女は俺の手を離そうとしない。 周囲の空気は清浄化された。 だが、まだ問題は残っている。 放り投げられた法衣と、それを絶対視する教団のシステムだ。 ルネの顔色は良くなったが、根本的に彼女が「聖女」という生贄システムに組み込まれている限り、いずれまたボロ雑巾のように使い潰されるだろう。
(面倒だな)
俺は放り投げた法衣を見下ろした。 このふざけた服の機能を、完全に停止させる必要がある。
「おお……見よ! 清浄なる霧だ!」
「空気が美味い……。体の重みが消えていくぞ!」
広場にいた人々が、立ち上る白い蒸気の中で歓喜の声を上げている。 病原菌を含んだ瘴気が熱で殺菌され、湿気が不快なものではなく、清潔なスチームサウナのようなものに変わったからだ。
「奇跡だ! 聖女様の祈りが通じたのだ!」
「地下から聖なる炎が邪悪を焼き払ったのだ!」
市民たちが一斉に大聖堂の方角へ向かって祈り始めた。 地下で物理的に汚物を焼却処分したのは俺だが、彼らの目には「聖女の奇跡」として映っているらしい。 まあいい。手柄になど興味はない。 俺は煤(すす)で少し汚れたスーツを叩きながら、大聖堂の中庭へ戻った。
中庭では、ベンチに寝かせていたはずのルネが、司祭たちによって無理やり起こされようとしていた。
「聖女様! 起きてください! 貴女様の祈りが街を救ったのです!」
「さあ、すぐにこの法衣をお召しになって、信徒たちの前に姿を! これぞ教団の威光を示す好機!」
司祭たちが、俺が剥ぎ取った分厚い『聖女の法衣』を、再びルネに着せようと群がっている。 ルネはまだ顔色が悪い。 薄いインナー姿で肩を震わせ、拒絶するように首を振っているが、力が入らないようだ。
「……いや……あつい……くるしい……」
「何を仰います! これは聖女の務め! 神の加護(結界)なしで人前に出れば、穢れを受けてしまいますぞ!」
司祭の一人が、法衣のマントをルネの頭から被せようとした。 ルネの瞳に絶望の色が浮かぶ。 自由になった身体が、またあの重い檻に閉じ込められようとしている。
「やめろ」
俺は短い言葉と共に、司祭の腕を掴んだ。 『剛力の籠手』を外した後だったが、鍛えていない中年男性の腕を押さえるくらい、俺の素の腕力でも十分だ。
「痛っ!? き、貴様は……さっきの!」
司祭が振り向く。 俺の姿を見て、彼らは息を呑んだ。 俺の全身からは、まだ地下の熱気が漂っていた。服には焦げ臭い匂いが染み付き、微かに湯気が立っている。 それはまるで、地獄の業火の中を歩いて帰ってきたかのような佇まいだった。
「その布切れを着せるなと言ったはずだ」
俺は司祭の手から法衣をひったくり、ベンチの横に放り投げた。
「な、何をする! これは国宝級の聖遺物だぞ! それに、聖女様は奇跡を起こしたのだ。正装して民に応えるのが義務……」
「奇跡?」
俺は鼻で笑った。
「地下の下水道に巣食っていたスライムを焼いただけだ。祈りで菌が死ぬわけがないだろう」
「す、スライムだと? 馬鹿な、あのような強力な瘴気を放つ魔物を、どうやって倒したというのだ!」
「燃やした」
俺は端的な事実だけを告げた。 司祭たちは顔を見合わせた後、顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
「嘘をつくな! 地下水路の湿気の中で、魔物を焼き尽くすほどの火など、大魔導師でも不可能だ! やはりこれは、聖女様の命を削った祈りが、神の聖火を召喚したに違いない!」
彼らは頑なに、自分たちの都合のいいストーリーを信じ込もうとしている。 俺が反論しようとした時だった。
「……ちがいます」
細い、しかしはっきりとした声が響いた。 ルネだ。 彼女はベンチの背もたれに寄りかかりながら、司祭たちではなく、俺を真っ直ぐに見つめていた。
「わたしは……感じていました。地下から響いてくる、圧倒的な熱を。……わたしの祈りなんかじゃない。もっと強くて、激しい……全てを焼き尽くす炎の奔流を」
ルネはふらつく足で立ち上がり、俺の方へ一歩踏み出した。
「聖女様! 騙されてはいけません、そいつは異端者かも……」
「おだまりなさい」
ルネが静かに、しかし冷徹に司祭を一喝した。 普段の従順な「お飾り」としての彼女ではない、本物の威厳があった。司祭たちがたじろぐ。 ルネは俺の目の前まで来ると、俺の手を取った。 俺の手は、松明の熱を持っていたし、煤で汚れていた。 だが、彼女はそれを気にする様子もなく、両手で包み込んだ。
「あたたかい……」
彼女は頬を染め、夢見るような瞳で俺を見上げた。
「法衣の呪いのような、命を吸い取る冷たい炎じゃない。……あなたは、悪いものだけを焼いて、わたしを温めてくれる」
彼女の中で、何かが決定的に書き換わったようだった。 神への信仰が、より具体的で、目の前に存在する「熱源」への依存へとスライドしていく。
「あなたが、救ってくれたのですね」
俺は肩をすくめた。
「ついでだ。通り道だったからな」
その素っ気ない返答すら、今の彼女には心地よく響いたらしい。 彼女は俺の手を離そうとしない。 周囲の空気は清浄化された。 だが、まだ問題は残っている。 放り投げられた法衣と、それを絶対視する教団のシステムだ。 ルネの顔色は良くなったが、根本的に彼女が「聖女」という生贄システムに組み込まれている限り、いずれまたボロ雑巾のように使い潰されるだろう。
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