「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ

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第29話 違和感と動揺

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一朗は、雪原に立つミキの姿を眺めながら、いつの間にか別の誰かを見ている気がしていた。

カメラのシャッター音が、遠くの世界の出来事のように響いている。

――陽子。

頭の中に、その名前がぽつりと浮かぶ。

中学を卒業して以来、一度も会っていない。

もう十年以上、顔を見ていないのに、なぜだろう。

この冬の空気のせいか、ふとした瞬間に思い出してしまう。

陽子は、決して美人ではなかった。

でも、笑うとえくぼができて、何か言いたげな目をしてた。

意地っ張りで、負けず嫌いで、だけど放課後に一緒に帰るときは、時々「一朗、あんたってさ、ほんと変わってるよね」って笑っていた。

その声が、やけに耳に残っている。

もし今もどこかで生きてるなら、どんな風になってるんだろう。

一朗は、ミキの撮影を見ながら想像してみる。

――ファミレスで働いてるかもしれないな。

テーブルを拭きながら、「いらっしゃいませ」って言ってそうだ。

あいかわらず不器用で、でもお客さんが落としたスプーンを拾って笑ってる。

仕事が終わったら、エプロンを脱いで、冷たい風の中を自転車で帰っていく。

髪が少し乱れて、でもどこか幸せそうに鼻歌なんか歌ってるかもしれない。

……いや、陽子のことだから、転んでジュースをぶちまけて怒られてるかもな。

プッ、と笑いがこぼれた。

自分でもおかしいと思う。勝手に想像して、勝手に笑って。

でも、そんな不器用な陽子が、どうしようもなく懐かしかった。

――ほんと、何やってんだろうな、あいつ。

雪の中でミキがポーズを変える。

白い息の向こう、ふと、陽子の笑顔が重なって見えた。

一朗は、胸の奥がざわめくのを感じた。

心のどこかで、「似てる」と思ってしまった自分を、振り払うように小さく首を振る。

だがその違和感は、静かに、確実に彼の中に残った。

――陽子の記憶が、今、目の前で息をしているように。

撮影がひと段落すると、スタッフの一人が息を白くしながら言った。

「いったんロッジに戻って、休憩しましょうか。」

カメラの電源が落とされ、機材が片づけられていく。

あたりは、すでに西日の色を帯び始めていた。

雪の反射がやわらかくなり、寒気の中にも、どこか穏やかなぬくもりがあった。

一朗は、無意識に自分の手袋を外していた。

ミキが少し肩をすくめたのを見て、慌てて自分のダウンジャンバーを脱ぎ、そっと彼女の肩にかけた。

「寒いでしょ。風、冷たいから。」

ミキは、一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。

「ありがとう……。優しいのね。」

その笑みには、どこか照れと、ほんのわずかな懐かしさが混じっていた。

その表情に、一朗の胸がまたざわめく。

ミキはふいに目線をずらして、いたずらっぽく口を開いた。

「ねぇ、一朗さん。さっき撮影中……なんかニヤニヤしてなかった?」

「えっ?」

「まさかとは思うけど、さっき真白ちゃんのラバー姿、思い出してたんじゃない?」

軽く茶化すような口調だったが、その奥にほんの一瞬だけ、探るような響きがあった。

一朗は慌てて首を振った。

「いやいや、違うよ。真白のことじゃなくて……なんか急に、昔のこと思い出してさ。」

「昔のこと?」

「うん。幼なじみのこと。中学まで一緒だったんだけど、それっきり会ってなくて。真白とは全然違うタイプの子だったけど、いい奴でさ。なんか……一緒にいると落ち着くっていうか、安心できる感じの子だった。」

言葉を選ぶようにゆっくり話す一朗の横顔を、ミキは静かに見つめていた。

風が、二人の間を抜ける。

「へぇ……真白ちゃんの他にも、そういう人いたんだ。」

平然とした口調。でも、その声の奥に、ほんの小さな震えが混ざっていた。

一朗は気づかない。

ただ、目の前の雪山の白さを見つめながら、遠い記憶をたどるように続けた。

「その子、陽子って言うんだけどさ。ちょっと不器用で、でも可愛げがあって。よくケンカして、でもなんだかんだでいつも一緒にいた。……今ごろ、何してるんだろうなって、ふと思ってさ。」

ミキは黙ってその言葉を聞いていた。

吐く息が少し乱れている。

それを気づかれないように、そっと笑みで隠す。

「……そっか。」

短く答え、ミキは肩のダウンをぎゅっと抱きしめた。

その仕草は、一朗にかけられた温もりを確かめるようでもあり、懐かしい何かを胸の奥で押し殺すようでもあった。
 
ミキはふと顔を上げ、ほとんど独り言のように呟いた。

「…安心できる人、かぁ。」

一朗は、雪の中で腕を軽く組みながら、遠くを見つめるように言った。

「いや、でもさ、あの頃は中学生だったから……好きとか恋っていうより、ただ一緒にいると楽しいっていう感覚で。それで、気がついたら離れちゃったんだよな。」

小さく肩をすくめ、苦笑を漏らす。

「……でも、もしあのままずっと一緒にいたら、今ごろ結婚してるかもな、なんて思ったりもするんだ。」

ミキはその言葉にハッと息をのみ、目を大きく見開く。

「結婚⁈」

小さな声だったが、体がビクッと跳ねるように反応した。

思わず一瞬、手で口元を押さえ、驚きを隠そうとする。

一朗は振り返らずに、そっと笑った。

「いや、想像してみただけだよ。あの頃の感情を今思い返すと、ね。」

ミキはまだ少し動揺したまま、雪を踏む足を止め、遠くの景色を見つめた。

胸の奥で、何かがざわつくのを感じながら――。
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