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第16話 アキの気づき
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翌朝。
目覚まし時計の音に目を覚ました順子は、ベッドの中でしばらく動けなかった。
昨夜の配信での出来事が、頭から離れなかったのだ。
──J子。キスしてほしい。
そのコメント。
まるで自分を知っているかのような文字列に、混乱と動揺が止まらない。
「……悟、なわけない。ないよね……」
呟きながらも、心臓はまた早鐘を打つ。
シャワーを浴び、制服のように白衣を着て大学へ向かう。
講義室では真面目にノートをとり、教授の話を一言も逃さないように耳を澄ます。
けれど、黒板の文字よりも昨夜のコメントが頭にちらつく。
「順子ちゃん、昨日のレポートまとめてきた?」
隣の席の同級生に声をかけられても、どこか上の空だった。
「……あ、うん。あるよ」
慌てて微笑みを返すが、心は落ち着かない。
授業の合間に図書館へ行っても、ノートの余白に無意識に「悟」の字を書いている自分に気づき、慌てて消す。
「……私、何やってるの」
現実では看護師を目指して真面目に学び、裏ではハルカやラバーマスクガールとして快楽と高揚に溺れる。
そして今、その二つの世界が、少しずつ重なり始めている気がしてならない。
昼休み。学食のテーブルに一人座りながら、順子は小さくため息をついた。
「……こんな気持ちで、大丈夫なのかな……」
彼女の胸の中で、現実と仮面の境界は揺らぎ始めていた。
ーーーーー
昼食を終えた順子は、気持ちを整理するようにゆっくりと歩いて寮へと戻ってきた。
寮は四階建て。
順子の部屋は一年生フロアの一階にあり、普段は上の階に行くこともない。
だから上級生と接点があるのは、せいぜいエントランスで顔を合わせて会釈する程度だ。
ガラス扉を押し開けると、ちょうど中から一人の上級生が出てきた。
長い黒髪がさらりと揺れる。背筋がすっと伸び、落ち着いた雰囲気をまとった女性。
「……」
順子は反射的に軽く会釈した。
その瞬間、女性がハッとしたように目を見開いた。
まるで、予想もしないものを目にしたような顔。
(え……?)
順子は戸惑いながらも、特に言葉を交わさず通り過ぎる。
ほんの一瞬のことだったが、順子には「え?」と疑問が残る。
(……私、変な顔でもしてた?)
心の中でそう呟きながら、順子は軽く首を傾げる。
女性はすぐに表情を整えると、何事もなかったかのように外へ歩み去っていった。
だが順子の背中には、ほんのわずかに視線の熱が残っているように感じられた。
廊下を歩きながらも、その驚いた目が焼きついて離れない。
(なんだったんだろ……)
順子は小さく息を吐き、自室の扉を開けた。
昨日の配信の余韻と、今すれ違った上級生のことが胸の中で混ざり合い、心は妙に落ち着かない。
ーーーその日の夜。順子は倶楽部に出勤した。
更衣室の扉を閉めると、そこはすでに自分を別人へと変えていく儀式の場だった。
順子は制服のように手際よく衣服を脱ぎ、オイルを肌に薄く伸ばす。
しなやかなラバーが、ぴたりと体に吸い付く。
胸を、腰を、太腿を、すべてを包み込む圧迫感に息を吐くと、鏡の中の自分はもう順子ではなかった。
──ハルカ。
黒いラバーマスクを締め上げ、赤い目のカラコン、重いアイシャドウをのせた姿。
その完成した自分の姿を見つめると、胸が高鳴り、現実から切り離されていく感覚が訪れる。
「……よし」
小さく呟き、ハルカは更衣室を後にした。
バックヤードに入ると、すでにひときわ存在感のあるキャストがそこにいた。
全身を黒光りのラバーで飾り、シルバーのウィッグを揺らす─ーアキ。
「こんばんは、ハルカ」
低く落ち着いた声が、ラバーの奥から響く。
「こんばんは、アキさん」
ハルカは自然に礼をした。慣れない頃なら緊張で声が震えていたが、今は少し余裕がある。
アキはそんなハルカを見て、口元を覆うマスク越しにわずかに笑ったように見えた。
「一人で準備できるようになったのね。頼もしいわ」
「はい。だいぶ慣れてきました」
──アキは今日気づいてしまった。
自分の目の前にいるこのラバーの新人が、大学の寮で見かけた“あの一年生”であることを。
だがその事実を口にすることはしない。
ただ、視線にほんの少しの親密さを滲ませて、ハルカに話しかける。
「今日はきっと良い夜になるわ。あなたならね」
ハルカは、意味を測りかねて小さく頷いた。
ーーーー
ハルカは、ふとアキをもう一度見返した。
雰囲気はいつも通り落ち着いたリーダーの佇まい。
けれど──どこか違う。
「……え?」
目を凝らすと、ラバースーツの胸の部分だけが切り取られたように見え、ふくよかな乳房がむき出しになっているように思えた。
「ア、アキさん……胸……どうしたんですか?」
思わず声が震えた。
アキは小さく笑い、肩を揺らした。
「ふふ、そう見えた?これは“シリコンバスト”。ファッションみたいなものよ。本物じゃないの」
「シリコン……?」
信じられず、ハルカは目を丸くした。
「触ってみる?」
ラバー越しの指が胸の上を軽く叩く。
アキのその余裕に飲み込まれるように、ハルカはこくりと頷いた。
指先を伸ばす。
ぷに、と柔らかい感触が指に伝わり、思わず息をのむ。
「……すごい、本物みたい」
「でしょ? お客様はこういう“視覚の遊び”が大好きなの」
アキは片目をウィンクさせ、シルバーのウィッグを揺らした。
その仕草に、ハルカの胸は妙にざわめいた。
ただのシリコンだとわかっているのに、ラバーで隠された存在感と合わさり、妖艶すぎる色気を放っている。
アキは、そんなハルカの戸惑いを見透かしたように囁いた。
「……今日は特別なお客様が来るわ。私にとっても、あなたにとってもね」
「特別……?」
何のことだろう。
ハルカは胸の奥にざらつくような不安と、抗えない高揚を同時に感じた。
ーーーバックヤード。
アキのシルバーのウィッグが照明に反射してきらめいた。
彼女は胸元のシリコンバストを軽く持ち上げると、鏡越しにハルカを見据える。
「ハルカ。今日は……私の姿を、ちゃんと見ておきなさい」
「……え?」
ハルカは戸惑い、ラバーマスクの下で瞬きをした。
「どういう意味ですか?」
アキは笑みを浮かべたまま、少し低い声で続ける。
「私には“専属に近いお客様”がいる。その方に命令されるときの私を、あなたに見てほしいの」
「……見てほしい?」
「そう。今日、私がどう振る舞うか。どう従うか。どう演じるか……それを、全部」
アキはラバーグローブをはめた指先をゆっくりと持ち上げ、ハルカの胸元に軽く触れる。
「いずれ、あなたが必要になる。そのときに備えてね」
ハルカは言葉を失った。
意味が、よくわからない。ただ、アキの声音には冗談の響きは一切なかった。
「……私に、そんな……」
声を絞り出したが、アキは首を横に振った。
「あるのよ。あなたには、その素質が」
その瞳はラバーマスクの奥で揺らがず、ただ真っ直ぐに射抜いてくる。
ハルカの胸が早鐘を打った。
(素質……私に? 何の……?)
わからない。ただ、背筋を伝う震えが心地よくて、抗えない。
やがてフロアの方からベルの音が響いた。
「……来たみたいね」
アキは背筋を伸ばし、完璧な“キャスト”の顔に戻る。
「見ていて、ハルカ。今日の私は、あなたのためにあるの」
目覚まし時計の音に目を覚ました順子は、ベッドの中でしばらく動けなかった。
昨夜の配信での出来事が、頭から離れなかったのだ。
──J子。キスしてほしい。
そのコメント。
まるで自分を知っているかのような文字列に、混乱と動揺が止まらない。
「……悟、なわけない。ないよね……」
呟きながらも、心臓はまた早鐘を打つ。
シャワーを浴び、制服のように白衣を着て大学へ向かう。
講義室では真面目にノートをとり、教授の話を一言も逃さないように耳を澄ます。
けれど、黒板の文字よりも昨夜のコメントが頭にちらつく。
「順子ちゃん、昨日のレポートまとめてきた?」
隣の席の同級生に声をかけられても、どこか上の空だった。
「……あ、うん。あるよ」
慌てて微笑みを返すが、心は落ち着かない。
授業の合間に図書館へ行っても、ノートの余白に無意識に「悟」の字を書いている自分に気づき、慌てて消す。
「……私、何やってるの」
現実では看護師を目指して真面目に学び、裏ではハルカやラバーマスクガールとして快楽と高揚に溺れる。
そして今、その二つの世界が、少しずつ重なり始めている気がしてならない。
昼休み。学食のテーブルに一人座りながら、順子は小さくため息をついた。
「……こんな気持ちで、大丈夫なのかな……」
彼女の胸の中で、現実と仮面の境界は揺らぎ始めていた。
ーーーーー
昼食を終えた順子は、気持ちを整理するようにゆっくりと歩いて寮へと戻ってきた。
寮は四階建て。
順子の部屋は一年生フロアの一階にあり、普段は上の階に行くこともない。
だから上級生と接点があるのは、せいぜいエントランスで顔を合わせて会釈する程度だ。
ガラス扉を押し開けると、ちょうど中から一人の上級生が出てきた。
長い黒髪がさらりと揺れる。背筋がすっと伸び、落ち着いた雰囲気をまとった女性。
「……」
順子は反射的に軽く会釈した。
その瞬間、女性がハッとしたように目を見開いた。
まるで、予想もしないものを目にしたような顔。
(え……?)
順子は戸惑いながらも、特に言葉を交わさず通り過ぎる。
ほんの一瞬のことだったが、順子には「え?」と疑問が残る。
(……私、変な顔でもしてた?)
心の中でそう呟きながら、順子は軽く首を傾げる。
女性はすぐに表情を整えると、何事もなかったかのように外へ歩み去っていった。
だが順子の背中には、ほんのわずかに視線の熱が残っているように感じられた。
廊下を歩きながらも、その驚いた目が焼きついて離れない。
(なんだったんだろ……)
順子は小さく息を吐き、自室の扉を開けた。
昨日の配信の余韻と、今すれ違った上級生のことが胸の中で混ざり合い、心は妙に落ち着かない。
ーーーその日の夜。順子は倶楽部に出勤した。
更衣室の扉を閉めると、そこはすでに自分を別人へと変えていく儀式の場だった。
順子は制服のように手際よく衣服を脱ぎ、オイルを肌に薄く伸ばす。
しなやかなラバーが、ぴたりと体に吸い付く。
胸を、腰を、太腿を、すべてを包み込む圧迫感に息を吐くと、鏡の中の自分はもう順子ではなかった。
──ハルカ。
黒いラバーマスクを締め上げ、赤い目のカラコン、重いアイシャドウをのせた姿。
その完成した自分の姿を見つめると、胸が高鳴り、現実から切り離されていく感覚が訪れる。
「……よし」
小さく呟き、ハルカは更衣室を後にした。
バックヤードに入ると、すでにひときわ存在感のあるキャストがそこにいた。
全身を黒光りのラバーで飾り、シルバーのウィッグを揺らす─ーアキ。
「こんばんは、ハルカ」
低く落ち着いた声が、ラバーの奥から響く。
「こんばんは、アキさん」
ハルカは自然に礼をした。慣れない頃なら緊張で声が震えていたが、今は少し余裕がある。
アキはそんなハルカを見て、口元を覆うマスク越しにわずかに笑ったように見えた。
「一人で準備できるようになったのね。頼もしいわ」
「はい。だいぶ慣れてきました」
──アキは今日気づいてしまった。
自分の目の前にいるこのラバーの新人が、大学の寮で見かけた“あの一年生”であることを。
だがその事実を口にすることはしない。
ただ、視線にほんの少しの親密さを滲ませて、ハルカに話しかける。
「今日はきっと良い夜になるわ。あなたならね」
ハルカは、意味を測りかねて小さく頷いた。
ーーーー
ハルカは、ふとアキをもう一度見返した。
雰囲気はいつも通り落ち着いたリーダーの佇まい。
けれど──どこか違う。
「……え?」
目を凝らすと、ラバースーツの胸の部分だけが切り取られたように見え、ふくよかな乳房がむき出しになっているように思えた。
「ア、アキさん……胸……どうしたんですか?」
思わず声が震えた。
アキは小さく笑い、肩を揺らした。
「ふふ、そう見えた?これは“シリコンバスト”。ファッションみたいなものよ。本物じゃないの」
「シリコン……?」
信じられず、ハルカは目を丸くした。
「触ってみる?」
ラバー越しの指が胸の上を軽く叩く。
アキのその余裕に飲み込まれるように、ハルカはこくりと頷いた。
指先を伸ばす。
ぷに、と柔らかい感触が指に伝わり、思わず息をのむ。
「……すごい、本物みたい」
「でしょ? お客様はこういう“視覚の遊び”が大好きなの」
アキは片目をウィンクさせ、シルバーのウィッグを揺らした。
その仕草に、ハルカの胸は妙にざわめいた。
ただのシリコンだとわかっているのに、ラバーで隠された存在感と合わさり、妖艶すぎる色気を放っている。
アキは、そんなハルカの戸惑いを見透かしたように囁いた。
「……今日は特別なお客様が来るわ。私にとっても、あなたにとってもね」
「特別……?」
何のことだろう。
ハルカは胸の奥にざらつくような不安と、抗えない高揚を同時に感じた。
ーーーバックヤード。
アキのシルバーのウィッグが照明に反射してきらめいた。
彼女は胸元のシリコンバストを軽く持ち上げると、鏡越しにハルカを見据える。
「ハルカ。今日は……私の姿を、ちゃんと見ておきなさい」
「……え?」
ハルカは戸惑い、ラバーマスクの下で瞬きをした。
「どういう意味ですか?」
アキは笑みを浮かべたまま、少し低い声で続ける。
「私には“専属に近いお客様”がいる。その方に命令されるときの私を、あなたに見てほしいの」
「……見てほしい?」
「そう。今日、私がどう振る舞うか。どう従うか。どう演じるか……それを、全部」
アキはラバーグローブをはめた指先をゆっくりと持ち上げ、ハルカの胸元に軽く触れる。
「いずれ、あなたが必要になる。そのときに備えてね」
ハルカは言葉を失った。
意味が、よくわからない。ただ、アキの声音には冗談の響きは一切なかった。
「……私に、そんな……」
声を絞り出したが、アキは首を横に振った。
「あるのよ。あなたには、その素質が」
その瞳はラバーマスクの奥で揺らがず、ただ真っ直ぐに射抜いてくる。
ハルカの胸が早鐘を打った。
(素質……私に? 何の……?)
わからない。ただ、背筋を伝う震えが心地よくて、抗えない。
やがてフロアの方からベルの音が響いた。
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