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侍女エティと、金糸の弦
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侍女エティと、金糸の弦
二日の旅は案外あっという間だった。宣言通りレオからの質問攻めにはあったが。硬い布か柔らかい布が好きかなんて聞いてどうするんだ。
どこまで本気か分からないレオだったが、話すのは楽しい。気づけば街へ入り、門の前に着いていた。潮の匂いはこんな丘の上まで届いている。
案内された部屋は客間としては広く、最低限の家具と小さな暖炉まである。
部屋で荷を解いているとノックの音が聞こえてきた。
「はい。」
「本日よりお仕えさせていただくエティと申します。なんなりとお申し付けくださいませ。」
立っていたのは人懐こそうな顔をした娘だった。
『専属の侍女をつける。好きに使え。』
そう言われて戸惑った記憶が蘇る。普通楽師に侍女なんてつかないのに。
「ありがとう。よろしくね。」
「はい!お任せください!」
愛嬌のある娘だ。王弟の寵愛との噂もある楽師に仕えるなど決して名誉なことではないだろうに。明るく笑う顔に妹の顔がよぎった。
別に悪い子ではなかった。ただ何もしなかっただけで。
「セラ様?旅でお疲れでしょうか?お湯浴みをされますか?」
「あ....ごめんね。湯は適当に入りに行くわ。」
「いえ、お湯浴みはお部屋でと殿下より仰せつかっております。」
「そうなの?」
「はい。ですので落ち着かれたらお呼びください。」
「分かった。ありがとう。」
湯を運ばせ、身の回りの世話をさせる。どれも最近まで自分がやっていたことで、どうしたって落ち着かない。
(そういう設定だし、仕方ないか...)
ハープのこともバレた以上、どの道侍女ではいられない。この待遇もここにいる間だけのことだ。
「エティ」
「はい、お湯を用意しますか?」
「お願いできる?」
「はい。すぐに。」
用意してもらった湯に入ると旅の疲れを思い出した。馬に乗るよりお尻の辺りが痛い。身分の高い者もある意味大変な思いをしているのだなと他人事のように考えた。
(ベルシュタインの令嬢なら移動も当然馬車だけど)
馬に乗り、走り回る方が多分性には合っている。だが、失ったものの大きさを思うとこれでよかったとも簡単には思えなかった。
湯から上がり、衣を纏う。用意されたシンプルなドレスは不思議とセラの体型にぴたりと合った。
もう今日は寝てしまおうか。そんなことを考えていたのだが。
「セラ様。殿下がお越しになりました。」
なんだって。
「レオ様、どうされたのですか?」
「理由がないと来てはダメか?」
「そういうわけではないですが.....」
「サイズは合ってるな。他に不自由はないか?」
「ないどころか、落ち着きません。」
「諦めろ。寵愛している楽師を雑には扱えないだろう?」
口の端を上げて笑うレオは明らかにこの状況を楽しんでいる。
「エティ、あれを。」
「かしこまりました。」
エティから何やら受け取ったレオがこちらを向く。差し出されたのは丁度楽器が入るくらいの木箱だった。
「やっと正式に贈り物を出来る立場になってくれたからな。開けてみろ。」
そう言われて開けた箱の中身にはっとした。
「これは.....」
「楽師になったんだ。見合う楽器を持たないとな。」
ローズウッドの木にライラックの金工細工が側面に二輪施され、光る金糸の弦。これでは見合うどころか――――
「分不相応ですが.....」
口から出る言葉と反対に弾いてみたくてたまらなくなった。どんな音が鳴るんだろう....
「言葉と顔が一致していないぞ。弾きたいか?」
分かりきったことを。わざと聞くなんて性格が悪い。
「意地悪はやめておくか。俺も聴いてみたいから何か弾いてくれ。」
「では.....」
レオは既に目を閉じ、聴く体制に入っていた。そろりと楽器を手に取る。一音。胸の奥に響く鳴った音の深さに思わず感嘆した。
さて、どんなのにしようか。そうだ、夜の海がいい。数回しか見たことのない海を思い出しながら弦を弾く。うねる波と白い砂の色。反射する星の光をそのまま調べにすれば部屋には音が満ちた。
「いいな.....弾き心地はどうだ?」
「これは....まずいかもしれません。」
「?何か問題があったか?」
「いえ。弾くのがやめられそうにありません。どうしましょう。」
きょとんとしたレオが弾けたように笑う。
「ははっ。気に入ったなら何よりだ。思う存分弾いてくれ。」
「悔いなく弾き尽くすことにします。そういえばお礼を申し上げていませんでした。このような楽器をありがとうございます。」
「いい。礼は演奏でしてくれ。しかし今のは海辺の星空の下にでもいる気分になった。初めて聴いたな。」
「ちゃんとそう聴こえましたか?正にその情景をイメージしました。」
「即興か?」
「あまり得意ではないんですが、今日はインスピレーションが降りてきました。このハープのお陰ですね。」
「月毎に新しいハープでも贈るか。そしたら曲が出来るんじゃないか?」
「それは違う気がします。」
「しかしお前の部屋で聴けばいいと思ったが眠ってしまいそうだな。」
「それは非常に困ります。」
「寵愛している楽師の部屋から出てこないのは自然だと思うがな?」
「そういう問題ではありません。眠ってしまうならレオ様のお部屋で弾きましょう。」
「確かに香は焚きやすいけどな....この部屋が落ち着く。調香師はここに呼ぼう。」
侵略される気配がする。大国のレオに極小国のセラが敵うはずもないのだけれど。
「もう....寝ても起こしますからね。」
「ああ。そうしてくれて構わない。」
そうは言ったものの寝顔を見たら申し訳なくなる未来が見えた。
小一時間、弾いていると案の定レオがうつらうつらとし始めた。心を鬼にして声をかける。
「レオ様、お部屋に戻ってください。」
「....ん?分かった..お前も早く寝ろ。」
「そうします。廊下で倒れないでくださいね。」
「分かってる....お休み、セラ。」
「お休みなさい。」
レオにはああ言ったもののこの楽器を前に寝ろなどと無理な話だ。たっぷり数時間、堪能した後遂に眠気に勝てなかった。
二日の旅は案外あっという間だった。宣言通りレオからの質問攻めにはあったが。硬い布か柔らかい布が好きかなんて聞いてどうするんだ。
どこまで本気か分からないレオだったが、話すのは楽しい。気づけば街へ入り、門の前に着いていた。潮の匂いはこんな丘の上まで届いている。
案内された部屋は客間としては広く、最低限の家具と小さな暖炉まである。
部屋で荷を解いているとノックの音が聞こえてきた。
「はい。」
「本日よりお仕えさせていただくエティと申します。なんなりとお申し付けくださいませ。」
立っていたのは人懐こそうな顔をした娘だった。
『専属の侍女をつける。好きに使え。』
そう言われて戸惑った記憶が蘇る。普通楽師に侍女なんてつかないのに。
「ありがとう。よろしくね。」
「はい!お任せください!」
愛嬌のある娘だ。王弟の寵愛との噂もある楽師に仕えるなど決して名誉なことではないだろうに。明るく笑う顔に妹の顔がよぎった。
別に悪い子ではなかった。ただ何もしなかっただけで。
「セラ様?旅でお疲れでしょうか?お湯浴みをされますか?」
「あ....ごめんね。湯は適当に入りに行くわ。」
「いえ、お湯浴みはお部屋でと殿下より仰せつかっております。」
「そうなの?」
「はい。ですので落ち着かれたらお呼びください。」
「分かった。ありがとう。」
湯を運ばせ、身の回りの世話をさせる。どれも最近まで自分がやっていたことで、どうしたって落ち着かない。
(そういう設定だし、仕方ないか...)
ハープのこともバレた以上、どの道侍女ではいられない。この待遇もここにいる間だけのことだ。
「エティ」
「はい、お湯を用意しますか?」
「お願いできる?」
「はい。すぐに。」
用意してもらった湯に入ると旅の疲れを思い出した。馬に乗るよりお尻の辺りが痛い。身分の高い者もある意味大変な思いをしているのだなと他人事のように考えた。
(ベルシュタインの令嬢なら移動も当然馬車だけど)
馬に乗り、走り回る方が多分性には合っている。だが、失ったものの大きさを思うとこれでよかったとも簡単には思えなかった。
湯から上がり、衣を纏う。用意されたシンプルなドレスは不思議とセラの体型にぴたりと合った。
もう今日は寝てしまおうか。そんなことを考えていたのだが。
「セラ様。殿下がお越しになりました。」
なんだって。
「レオ様、どうされたのですか?」
「理由がないと来てはダメか?」
「そういうわけではないですが.....」
「サイズは合ってるな。他に不自由はないか?」
「ないどころか、落ち着きません。」
「諦めろ。寵愛している楽師を雑には扱えないだろう?」
口の端を上げて笑うレオは明らかにこの状況を楽しんでいる。
「エティ、あれを。」
「かしこまりました。」
エティから何やら受け取ったレオがこちらを向く。差し出されたのは丁度楽器が入るくらいの木箱だった。
「やっと正式に贈り物を出来る立場になってくれたからな。開けてみろ。」
そう言われて開けた箱の中身にはっとした。
「これは.....」
「楽師になったんだ。見合う楽器を持たないとな。」
ローズウッドの木にライラックの金工細工が側面に二輪施され、光る金糸の弦。これでは見合うどころか――――
「分不相応ですが.....」
口から出る言葉と反対に弾いてみたくてたまらなくなった。どんな音が鳴るんだろう....
「言葉と顔が一致していないぞ。弾きたいか?」
分かりきったことを。わざと聞くなんて性格が悪い。
「意地悪はやめておくか。俺も聴いてみたいから何か弾いてくれ。」
「では.....」
レオは既に目を閉じ、聴く体制に入っていた。そろりと楽器を手に取る。一音。胸の奥に響く鳴った音の深さに思わず感嘆した。
さて、どんなのにしようか。そうだ、夜の海がいい。数回しか見たことのない海を思い出しながら弦を弾く。うねる波と白い砂の色。反射する星の光をそのまま調べにすれば部屋には音が満ちた。
「いいな.....弾き心地はどうだ?」
「これは....まずいかもしれません。」
「?何か問題があったか?」
「いえ。弾くのがやめられそうにありません。どうしましょう。」
きょとんとしたレオが弾けたように笑う。
「ははっ。気に入ったなら何よりだ。思う存分弾いてくれ。」
「悔いなく弾き尽くすことにします。そういえばお礼を申し上げていませんでした。このような楽器をありがとうございます。」
「いい。礼は演奏でしてくれ。しかし今のは海辺の星空の下にでもいる気分になった。初めて聴いたな。」
「ちゃんとそう聴こえましたか?正にその情景をイメージしました。」
「即興か?」
「あまり得意ではないんですが、今日はインスピレーションが降りてきました。このハープのお陰ですね。」
「月毎に新しいハープでも贈るか。そしたら曲が出来るんじゃないか?」
「それは違う気がします。」
「しかしお前の部屋で聴けばいいと思ったが眠ってしまいそうだな。」
「それは非常に困ります。」
「寵愛している楽師の部屋から出てこないのは自然だと思うがな?」
「そういう問題ではありません。眠ってしまうならレオ様のお部屋で弾きましょう。」
「確かに香は焚きやすいけどな....この部屋が落ち着く。調香師はここに呼ぼう。」
侵略される気配がする。大国のレオに極小国のセラが敵うはずもないのだけれど。
「もう....寝ても起こしますからね。」
「ああ。そうしてくれて構わない。」
そうは言ったものの寝顔を見たら申し訳なくなる未来が見えた。
小一時間、弾いていると案の定レオがうつらうつらとし始めた。心を鬼にして声をかける。
「レオ様、お部屋に戻ってください。」
「....ん?分かった..お前も早く寝ろ。」
「そうします。廊下で倒れないでくださいね。」
「分かってる....お休み、セラ。」
「お休みなさい。」
レオにはああ言ったもののこの楽器を前に寝ろなどと無理な話だ。たっぷり数時間、堪能した後遂に眠気に勝てなかった。
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