15 / 73
第一章 ロードライトの令嬢
15 お兄様の授業
しおりを挟む
「うーーーーん……」
取り寄せてもらった本をパラパラと捲りながら、わたしは一人唸っていた。
本のチョイスは、毎度のことながらセラだ。
「お勉強したいから、まずは簡単なもので良いので欲しい」と言ったら、すぐさま揃えてくれた。ありがたいことだ。
いつも思うが、わたしってセラがいないとすぐに死んでしまうんじゃないだろうか。そのくらい手助けしてもらっている。いつかお礼がしたいなぁ。
しかし、それにしても。
「わからん……呪いについては、何も、わからん……」
まぁ、子供向けの入門書に書いてあれば、わたしはもっと早くに呪いを解いてもらっているだろう。
高度な専門書にすら対処法が載っていないから、未だに困っているわけであって。
その時、部屋の扉がノックされた。入ってきたのは兄と、そしてシリウス様だ。
そう言えば、今日は週末だったっけ。
全く、ずっとベッドの上にいるせいで、曜日感覚が無くなってしまう。
「お兄様! シリウス様!」
「よーっすリッカ! 遊びに来たぞー!」
シリウス様が、にかっと笑って手を振った。
胸が温かくなるような笑みに、思わずこちらも笑顔で手を振り返す。
兄は、相変わらずの心配性を発揮していた。
「リッカ、今日は大丈夫か?」
「大丈夫です!」
わたしの元気な返事に、兄はほっとしたように頬を緩めた。
……実を言うと、雪の女王に会ってからというもの、なんだかいつもより調子が良いのだ。
わたしだけが気がつくほどの、ほんの些細な変化ではあるのだが。
相変わらず寝込んでしまうことも多いけれど、五日に二日寝込んでいたのが、最近は四日に一日となった。
……いや、それでも大きな変化だよ!
わたしの頬を挟み込んだ兄は、ふと視線をわたしの胸元に向ける。
……いや、えっちな意味じゃなくってだよ? 年齢(七歳)以上に華奢で貧相な体格だ、色気なんてどこを探しても見当たらない。
兄がじっと見ていたのは、わたしが先日雪の女王からもらった、雪の結晶の形をしたネックレスだった。
ネックレスの鎖に指を絡め、兄は尋ねる。
「どうしたんだ、これ?」
「あ、先日もらったんです」
「……誰から?」
……どうしてかな? 兄の笑顔は、いつも通り見慣れたとっても美しいものなのに、何故だかちょっと怖いような気がしてならない。
「えっと……雪の女王って人から……」
「……雪の女王?」
そんな人いたっけ? と兄は首を傾げた。さぁ? とわたしも、兄のように首を傾ける。
「でも、可愛いでしょう?」
そう言って薄い胸を張ると、兄は毒牙を抜かれた顔で苦笑して「可愛いよ」とわたしの頭を撫でる。
「リッカ、勉強してたのか? 偉いなぁ」
シリウス様は、ベッドの上に散らばった本やノートを見ながら感心した声を零した。
「よく寝込んじゃうから、元気なときはお勉強しようかなと思ってるんです。簡単なところから、ですけど」
兄とシリウス様にノートを見せると、二人は「偉い偉い」とわたしの頭を撫でてくれた。
ふふんと思わず胸を張る。
「……それに、なんとかしてこの『呪い』を解きたいので」
そう言うと、兄は苦しげな顔で目を伏せた。思い悩むように眉を寄せている。
地雷だったか、と思わず兄の表情を伺うも、わたしのノートを覗き込んでいたシリウス様が「しかもリッカ、魔法の勉強してんの! すげぇ!」と声を上げたことで、兄の意識は逸れたようだ。
「どれどれ……?」
シリウス様と同じように、兄もわたしのノートを覗き込む。
……なんだか恥ずかしいぞ。変な落書きはしてなかったはずだけど。
「偉いな、リッカ。独学なのか? 誰か、家庭教師を頼んだ方がいいかな?」
「その、セラもそう言ってくれたんですけど、わたしがいつ体調良いか分からないから、ひとまずは保留ってことになりました」
わたしの体調には波がある。
今日はこうして笑っているけれど、明日も元気だという保証はない。
兄は「そっか」と呟いて、わたしの頭を撫でてくれた。
兄の撫で方は優しくて、それでもって本人の人柄を表すようにとても丁寧だ。
髪の流れに沿ってふわりふわりと撫でてくれるから、なんだかすごく気持ちいい。
「でも、一人で本読んで勉強だと、ちょっととっつきにくくないか?」
「そうなんですよねー……」
シリウス様の言葉にわたしも頷く。
ある程度の知識がつけば、一人でもどんどん勉強していけるのだろうが。
入門書とは銘打ってあるものの、やっぱり学校の教科書のようにはいかない。
「This is a pen.」レベルから始めて欲しいのだ、こっちは。
と、シリウス様はそこで、何かを思いついたかのように「そうだ!」と手を打った。
びし、と兄を指差し、言う。
「黒曜に頼めばいい! なぁ、リッカもお兄様の授業、受けたいよな?」
「は!? 何を勝手に」
「受けたいです! ぜひとも!」
兄がシリウス様に文句を言うよりも早く、わたしはパッと手を上げた。
「俺も!」と、シリウス様も調子良く手を上げる。
「お前は前回も前々回も、魔法理論の小テストは満点だっただろうが!」
「だって俺、国外から来たからさー。初歩の初歩って教わったことないんだよ」
ぐぅ、と兄は文句を封じられた顔で黙り込んだ。
わたしは首を傾げてシリウス様を見上げる。
「国外?」
「あぁ、リッカには言ってなかったっけ。俺、«魔法使いだけの国»で生まれたわけじゃないんだ。国の外の出身なんだけど、魔力があるってんでこの国に連れて来られたの」
あぁ、そう言えば『ゼロナイ』でもそうだった。
未知の世界、魔法がある世界に胸ときめかす主人公の(つまりは、シリウス様の)目線で話が進んでいくから、現代に住んでいた我々プレイヤーも、彼に感情移入しながらワクワクドキドキの冒険に足を踏み入れるのだ。
懐かしいなぁ、初期の頃のおつかいクエスト……。
そうそ、とシリウス様は頷いた。
「この国の子って、親もみんな魔法使いだから、何となく生活の中で触れて育ってきてんじゃん? 先生たちもその辺『知ってんだろ?』ってテイで飛ばすからさぁ、割と困ってるんだよね。俺だけのために授業止めてもらうのも気まずいしさぁ」
ぐぬぬ、と兄は眉を寄せる。
やがて大きくため息をつくと「……リッカのためだからな」と言って口を開いた。
「じゃあまずは、根本のところ……魔法とは何か? の基本のキからだ」
なんだかんだでちゃんと講義をしてくれるところ、生真面目で優しい兄らしい。
シリウス様もおんなじ気持ちなのか、顔にはしてやったりな笑みが滲んでいる。
「最初は、魔法を使う一連の流れについてからかな。と言っても、そう難しいことじゃない。
魔力を持つ者が、空気中に漂う第五元素『エーテル』に意志を伝えて『対価』を渡す。意志を伝えられた『エーテル』は、受け取った『対価』に応じて超常的な現象、すなわち『魔法』をこの世に発現させる。簡単だろ?」
簡単かな?
「お兄様。そういえばわたし、この前セラに『お嬢様は生命エネルギーが足りてないから魔法を使っちゃダメです』って言われたのですが……」
「あぁ。魔法を試みるときは生命力も必要だからな。必要と言っても寿命が減るとかそういうレベルの話じゃないから、普通の人には特に関係する話じゃないが……でもリッカ、お前はまた話が別だ。呪いで生命力がただでさえ削られてるんだ、本当に命に関わってくるぞ」
だからくれぐれも、くれぐれも、お前は軽率に魔法を使おうと思うなよ? と、兄は何度も釘を刺してくる。「はぁい」と肩を竦めた。
「はいはーい、せんせー」と、そこでシリウス様が手を上げた。
兄は面倒そうな顔をしながらも「はい、シリウス」と指名する。どうやら一応、教師と生徒のごっこ遊びに付き合ってくれる気はあるようだ。
「『対価』って、何なんですかー?」
「はーい、いい質問ですねー」
棒読みの兄。
しかし、説明はきっちりしてくれる。
「『対価』とは、魔法使いが持つ魔力のことを指す。この魔力保有量が多いほど『強い』魔法使いであるとされる。魔力は使えば使った分だけ減っていき、体力と同じように、休息や食事で回復する」
この辺りは、RPGにおけるMPと似たような概念な気がする。
もっとも、実際のゲームのように、今どのくらいMPが残っているかなんて視覚化されないし、それぞれの魔法がどれくらいの魔力を消費するかを調べる手段だってない。
結局は、個人の感覚頼みということらしい。
兄は続ける。
「エーテルに意志を伝える手段として、現在一番スタンダードな方法は、魔法陣を描くことだ。呪文もかつては流行ったものの、魔法陣の簡略化が進んだ今となっては、大分廃れてきているな。魔法陣を描くか、もしくは既に描いてあるものを利用するかが、基本の使い方となる」
へぇ。つまりは、ちちんぷいぷい♪ って呪文を唱えるだけじゃダメってことね。
兄曰く、魔法陣を利用せずに魔法を使うことが出来るのは、もうとんでもなく魔法に長けた、ほんのごく少数しかいないのだと言う。
(雪の女王は確か、手を翳したり指を鳴らしたりするだけで、魔法を使っていたっけ……)
気軽にふぅんと受け止めていたが、実はとってもすごいことのようだ。
今度会えたら「すごいね」って言ってあげよう。
「分かったか? リッカ」
兄が確認するように尋ねるので、代わりにぱちぱちと拍手をしてやる。
ついでに、いっちょおねだりだ。
「お兄様、何か魔法を見せてくれませんか?」
「魔法を? ……仕方ないな」
少し考え込んだ兄は、やがてわたしの手をそっと掴んだ。
わたしの開いた手のひらに、丸やら四角やらで出来た図形をさらさらっと書いてみせる。
手のひらをくすぐられたこそばゆさに、わたしは思わず肩を竦めた。
――瞬間。
「わっ!?」
何もない空間から出現したのは、一本の切り花だった。
薄いピンクのコスモスだ。
まだ新しく、茎の根元は水で濡れていた。
「廊下に生けてあったものだ。簡単な、空間転移の魔法だが」
「すごいです、お兄様!」
……魔法を見せてくれると言うものだから、ついつい攻撃魔法のようなものをイメージしてしまったのは内緒だ。
ファイアーボールとか、ウォーターなんちゃらとか……。
ゼロナイでもあった気がする。
まぁ目の前で火の玉出されても困っちゃうし、水飛沫を出されたとしても以下同様だ。
手品の亜種程度で我慢だな、と、切り花を眺めながら思う。
……そもそも、今のわたしはいくら習ったところで魔法が使えないわけだし。
命を削ってまで、魔法を使ってみたいとは思わない。
いつかの日が来るまで、我慢だ、我慢。
……そんな日が、果たして本当に来るかなぁ? なんて、そんなところはいい感じに無視しておくとして。
――それにしても。
魔法陣を描くとはまた面倒だなぁと思っていたけれど、指先でちょちょいと描くくらいであれば、確かに呪文詠唱よりはこちらの方が楽そうだ。
杖だとか、そういうものを使っている素振りも見えないし。
「俺は、呪文を叫んでみたかったけどな。なんか憧れるじゃん」
と、これはシリウス様の言葉だ。
気持ちは分かる。
兄は呆れたようなため息を零した。
「叫びたかったら勝手に叫べ。三百五十年前くらいまでは、そっちの方が主流だったらしいしな。図書館で資料を漁れば、当時の呪文はいくらでも出てくる」
「あ、そうなん」
「お兄様、それじゃあ『呪い』とは、一体何なのですか?」
兄に尋ねた。
兄は軽く目を瞠るも、続ける。
「『呪い』は、魔法の一部分だ。魔法の中でも相手を害する種類のものを、呪いと呼んで区別をしている。だから、攻撃魔法なんかも広義の呪いに属する」
「……魔法の一部分……」
小さく呟く。あぁ、と兄は頷いた。
「一口に『呪い』と言っても、その実態は幅広い。
対人戦でよく用いられる攻撃魔法は、威力は強いが継続時間はその場限りだ。血筋に対する呪いだと、その影響が子孫までずっと続くこともある。もちろん、呪いの規模が大きくなればなるほど、必要な『対価』も多くなる。
かつては日照りや干ばつも、僕ら魔法使いのせいにされたことがあったが……あの規模に呪いを掛けるとなると、まずもって並の魔法使いでは難しい」
「じゃあ……わたしは?」
兄は難しい顔をした。
それでも、わたしは問いかける。
「わたしに掛けられた呪いは、一体何なのですか?」
「……リッカ……」
「わたしは、自分に掛けられた呪いを知りたい。知って、そして、どうにかしてこの呪いを解きたいんです」
――兄が闇堕ちして、ラスボスとしてシリウス様と敵対する未来なんて、そんなの御免だ。
わたしは兄を救いたい。
そして――
「お兄様と……一緒に生きたい……一緒に、未来を歩みたい!」
兄の顔が、堪え切れなくなったようにくしゃりと歪む。
気付けば、兄に抱き締められていた。
力を込めすぎないようにしながらも、それでもぎゅうっと強く、兄はわたしの身体を抱き締める。
「リッカ……僕も、お前と一緒に生きたいよ……!」
――暖かい。
冷え切った身体に、兄は温もりを与えてくれる。
兄の背中に手を伸ばした。
わたしにとっては大きいけれど、まだまだ子供の背中を優しく撫でる。
「死なないで、リッカ、いつまでも僕の隣にいて……」
兄の声が鼓膜をくすぐる。
大きくて、頼りがいがあって、それでもまだまだ幼い、声変わり前の少年の声。
兄の髪をそっと撫でた。
首に手を回し、肩に自分の頭を擦り付ける。
「……はい、ずっとお兄様の隣にいます。わたしは絶対に、呪いなんかに負けません」
――どうか、この人が闇なんかに魅入られませんように。
兄の温もりを感じながら、ただそれだけを一心に願っていた。
取り寄せてもらった本をパラパラと捲りながら、わたしは一人唸っていた。
本のチョイスは、毎度のことながらセラだ。
「お勉強したいから、まずは簡単なもので良いので欲しい」と言ったら、すぐさま揃えてくれた。ありがたいことだ。
いつも思うが、わたしってセラがいないとすぐに死んでしまうんじゃないだろうか。そのくらい手助けしてもらっている。いつかお礼がしたいなぁ。
しかし、それにしても。
「わからん……呪いについては、何も、わからん……」
まぁ、子供向けの入門書に書いてあれば、わたしはもっと早くに呪いを解いてもらっているだろう。
高度な専門書にすら対処法が載っていないから、未だに困っているわけであって。
その時、部屋の扉がノックされた。入ってきたのは兄と、そしてシリウス様だ。
そう言えば、今日は週末だったっけ。
全く、ずっとベッドの上にいるせいで、曜日感覚が無くなってしまう。
「お兄様! シリウス様!」
「よーっすリッカ! 遊びに来たぞー!」
シリウス様が、にかっと笑って手を振った。
胸が温かくなるような笑みに、思わずこちらも笑顔で手を振り返す。
兄は、相変わらずの心配性を発揮していた。
「リッカ、今日は大丈夫か?」
「大丈夫です!」
わたしの元気な返事に、兄はほっとしたように頬を緩めた。
……実を言うと、雪の女王に会ってからというもの、なんだかいつもより調子が良いのだ。
わたしだけが気がつくほどの、ほんの些細な変化ではあるのだが。
相変わらず寝込んでしまうことも多いけれど、五日に二日寝込んでいたのが、最近は四日に一日となった。
……いや、それでも大きな変化だよ!
わたしの頬を挟み込んだ兄は、ふと視線をわたしの胸元に向ける。
……いや、えっちな意味じゃなくってだよ? 年齢(七歳)以上に華奢で貧相な体格だ、色気なんてどこを探しても見当たらない。
兄がじっと見ていたのは、わたしが先日雪の女王からもらった、雪の結晶の形をしたネックレスだった。
ネックレスの鎖に指を絡め、兄は尋ねる。
「どうしたんだ、これ?」
「あ、先日もらったんです」
「……誰から?」
……どうしてかな? 兄の笑顔は、いつも通り見慣れたとっても美しいものなのに、何故だかちょっと怖いような気がしてならない。
「えっと……雪の女王って人から……」
「……雪の女王?」
そんな人いたっけ? と兄は首を傾げた。さぁ? とわたしも、兄のように首を傾ける。
「でも、可愛いでしょう?」
そう言って薄い胸を張ると、兄は毒牙を抜かれた顔で苦笑して「可愛いよ」とわたしの頭を撫でる。
「リッカ、勉強してたのか? 偉いなぁ」
シリウス様は、ベッドの上に散らばった本やノートを見ながら感心した声を零した。
「よく寝込んじゃうから、元気なときはお勉強しようかなと思ってるんです。簡単なところから、ですけど」
兄とシリウス様にノートを見せると、二人は「偉い偉い」とわたしの頭を撫でてくれた。
ふふんと思わず胸を張る。
「……それに、なんとかしてこの『呪い』を解きたいので」
そう言うと、兄は苦しげな顔で目を伏せた。思い悩むように眉を寄せている。
地雷だったか、と思わず兄の表情を伺うも、わたしのノートを覗き込んでいたシリウス様が「しかもリッカ、魔法の勉強してんの! すげぇ!」と声を上げたことで、兄の意識は逸れたようだ。
「どれどれ……?」
シリウス様と同じように、兄もわたしのノートを覗き込む。
……なんだか恥ずかしいぞ。変な落書きはしてなかったはずだけど。
「偉いな、リッカ。独学なのか? 誰か、家庭教師を頼んだ方がいいかな?」
「その、セラもそう言ってくれたんですけど、わたしがいつ体調良いか分からないから、ひとまずは保留ってことになりました」
わたしの体調には波がある。
今日はこうして笑っているけれど、明日も元気だという保証はない。
兄は「そっか」と呟いて、わたしの頭を撫でてくれた。
兄の撫で方は優しくて、それでもって本人の人柄を表すようにとても丁寧だ。
髪の流れに沿ってふわりふわりと撫でてくれるから、なんだかすごく気持ちいい。
「でも、一人で本読んで勉強だと、ちょっととっつきにくくないか?」
「そうなんですよねー……」
シリウス様の言葉にわたしも頷く。
ある程度の知識がつけば、一人でもどんどん勉強していけるのだろうが。
入門書とは銘打ってあるものの、やっぱり学校の教科書のようにはいかない。
「This is a pen.」レベルから始めて欲しいのだ、こっちは。
と、シリウス様はそこで、何かを思いついたかのように「そうだ!」と手を打った。
びし、と兄を指差し、言う。
「黒曜に頼めばいい! なぁ、リッカもお兄様の授業、受けたいよな?」
「は!? 何を勝手に」
「受けたいです! ぜひとも!」
兄がシリウス様に文句を言うよりも早く、わたしはパッと手を上げた。
「俺も!」と、シリウス様も調子良く手を上げる。
「お前は前回も前々回も、魔法理論の小テストは満点だっただろうが!」
「だって俺、国外から来たからさー。初歩の初歩って教わったことないんだよ」
ぐぅ、と兄は文句を封じられた顔で黙り込んだ。
わたしは首を傾げてシリウス様を見上げる。
「国外?」
「あぁ、リッカには言ってなかったっけ。俺、«魔法使いだけの国»で生まれたわけじゃないんだ。国の外の出身なんだけど、魔力があるってんでこの国に連れて来られたの」
あぁ、そう言えば『ゼロナイ』でもそうだった。
未知の世界、魔法がある世界に胸ときめかす主人公の(つまりは、シリウス様の)目線で話が進んでいくから、現代に住んでいた我々プレイヤーも、彼に感情移入しながらワクワクドキドキの冒険に足を踏み入れるのだ。
懐かしいなぁ、初期の頃のおつかいクエスト……。
そうそ、とシリウス様は頷いた。
「この国の子って、親もみんな魔法使いだから、何となく生活の中で触れて育ってきてんじゃん? 先生たちもその辺『知ってんだろ?』ってテイで飛ばすからさぁ、割と困ってるんだよね。俺だけのために授業止めてもらうのも気まずいしさぁ」
ぐぬぬ、と兄は眉を寄せる。
やがて大きくため息をつくと「……リッカのためだからな」と言って口を開いた。
「じゃあまずは、根本のところ……魔法とは何か? の基本のキからだ」
なんだかんだでちゃんと講義をしてくれるところ、生真面目で優しい兄らしい。
シリウス様もおんなじ気持ちなのか、顔にはしてやったりな笑みが滲んでいる。
「最初は、魔法を使う一連の流れについてからかな。と言っても、そう難しいことじゃない。
魔力を持つ者が、空気中に漂う第五元素『エーテル』に意志を伝えて『対価』を渡す。意志を伝えられた『エーテル』は、受け取った『対価』に応じて超常的な現象、すなわち『魔法』をこの世に発現させる。簡単だろ?」
簡単かな?
「お兄様。そういえばわたし、この前セラに『お嬢様は生命エネルギーが足りてないから魔法を使っちゃダメです』って言われたのですが……」
「あぁ。魔法を試みるときは生命力も必要だからな。必要と言っても寿命が減るとかそういうレベルの話じゃないから、普通の人には特に関係する話じゃないが……でもリッカ、お前はまた話が別だ。呪いで生命力がただでさえ削られてるんだ、本当に命に関わってくるぞ」
だからくれぐれも、くれぐれも、お前は軽率に魔法を使おうと思うなよ? と、兄は何度も釘を刺してくる。「はぁい」と肩を竦めた。
「はいはーい、せんせー」と、そこでシリウス様が手を上げた。
兄は面倒そうな顔をしながらも「はい、シリウス」と指名する。どうやら一応、教師と生徒のごっこ遊びに付き合ってくれる気はあるようだ。
「『対価』って、何なんですかー?」
「はーい、いい質問ですねー」
棒読みの兄。
しかし、説明はきっちりしてくれる。
「『対価』とは、魔法使いが持つ魔力のことを指す。この魔力保有量が多いほど『強い』魔法使いであるとされる。魔力は使えば使った分だけ減っていき、体力と同じように、休息や食事で回復する」
この辺りは、RPGにおけるMPと似たような概念な気がする。
もっとも、実際のゲームのように、今どのくらいMPが残っているかなんて視覚化されないし、それぞれの魔法がどれくらいの魔力を消費するかを調べる手段だってない。
結局は、個人の感覚頼みということらしい。
兄は続ける。
「エーテルに意志を伝える手段として、現在一番スタンダードな方法は、魔法陣を描くことだ。呪文もかつては流行ったものの、魔法陣の簡略化が進んだ今となっては、大分廃れてきているな。魔法陣を描くか、もしくは既に描いてあるものを利用するかが、基本の使い方となる」
へぇ。つまりは、ちちんぷいぷい♪ って呪文を唱えるだけじゃダメってことね。
兄曰く、魔法陣を利用せずに魔法を使うことが出来るのは、もうとんでもなく魔法に長けた、ほんのごく少数しかいないのだと言う。
(雪の女王は確か、手を翳したり指を鳴らしたりするだけで、魔法を使っていたっけ……)
気軽にふぅんと受け止めていたが、実はとってもすごいことのようだ。
今度会えたら「すごいね」って言ってあげよう。
「分かったか? リッカ」
兄が確認するように尋ねるので、代わりにぱちぱちと拍手をしてやる。
ついでに、いっちょおねだりだ。
「お兄様、何か魔法を見せてくれませんか?」
「魔法を? ……仕方ないな」
少し考え込んだ兄は、やがてわたしの手をそっと掴んだ。
わたしの開いた手のひらに、丸やら四角やらで出来た図形をさらさらっと書いてみせる。
手のひらをくすぐられたこそばゆさに、わたしは思わず肩を竦めた。
――瞬間。
「わっ!?」
何もない空間から出現したのは、一本の切り花だった。
薄いピンクのコスモスだ。
まだ新しく、茎の根元は水で濡れていた。
「廊下に生けてあったものだ。簡単な、空間転移の魔法だが」
「すごいです、お兄様!」
……魔法を見せてくれると言うものだから、ついつい攻撃魔法のようなものをイメージしてしまったのは内緒だ。
ファイアーボールとか、ウォーターなんちゃらとか……。
ゼロナイでもあった気がする。
まぁ目の前で火の玉出されても困っちゃうし、水飛沫を出されたとしても以下同様だ。
手品の亜種程度で我慢だな、と、切り花を眺めながら思う。
……そもそも、今のわたしはいくら習ったところで魔法が使えないわけだし。
命を削ってまで、魔法を使ってみたいとは思わない。
いつかの日が来るまで、我慢だ、我慢。
……そんな日が、果たして本当に来るかなぁ? なんて、そんなところはいい感じに無視しておくとして。
――それにしても。
魔法陣を描くとはまた面倒だなぁと思っていたけれど、指先でちょちょいと描くくらいであれば、確かに呪文詠唱よりはこちらの方が楽そうだ。
杖だとか、そういうものを使っている素振りも見えないし。
「俺は、呪文を叫んでみたかったけどな。なんか憧れるじゃん」
と、これはシリウス様の言葉だ。
気持ちは分かる。
兄は呆れたようなため息を零した。
「叫びたかったら勝手に叫べ。三百五十年前くらいまでは、そっちの方が主流だったらしいしな。図書館で資料を漁れば、当時の呪文はいくらでも出てくる」
「あ、そうなん」
「お兄様、それじゃあ『呪い』とは、一体何なのですか?」
兄に尋ねた。
兄は軽く目を瞠るも、続ける。
「『呪い』は、魔法の一部分だ。魔法の中でも相手を害する種類のものを、呪いと呼んで区別をしている。だから、攻撃魔法なんかも広義の呪いに属する」
「……魔法の一部分……」
小さく呟く。あぁ、と兄は頷いた。
「一口に『呪い』と言っても、その実態は幅広い。
対人戦でよく用いられる攻撃魔法は、威力は強いが継続時間はその場限りだ。血筋に対する呪いだと、その影響が子孫までずっと続くこともある。もちろん、呪いの規模が大きくなればなるほど、必要な『対価』も多くなる。
かつては日照りや干ばつも、僕ら魔法使いのせいにされたことがあったが……あの規模に呪いを掛けるとなると、まずもって並の魔法使いでは難しい」
「じゃあ……わたしは?」
兄は難しい顔をした。
それでも、わたしは問いかける。
「わたしに掛けられた呪いは、一体何なのですか?」
「……リッカ……」
「わたしは、自分に掛けられた呪いを知りたい。知って、そして、どうにかしてこの呪いを解きたいんです」
――兄が闇堕ちして、ラスボスとしてシリウス様と敵対する未来なんて、そんなの御免だ。
わたしは兄を救いたい。
そして――
「お兄様と……一緒に生きたい……一緒に、未来を歩みたい!」
兄の顔が、堪え切れなくなったようにくしゃりと歪む。
気付けば、兄に抱き締められていた。
力を込めすぎないようにしながらも、それでもぎゅうっと強く、兄はわたしの身体を抱き締める。
「リッカ……僕も、お前と一緒に生きたいよ……!」
――暖かい。
冷え切った身体に、兄は温もりを与えてくれる。
兄の背中に手を伸ばした。
わたしにとっては大きいけれど、まだまだ子供の背中を優しく撫でる。
「死なないで、リッカ、いつまでも僕の隣にいて……」
兄の声が鼓膜をくすぐる。
大きくて、頼りがいがあって、それでもまだまだ幼い、声変わり前の少年の声。
兄の髪をそっと撫でた。
首に手を回し、肩に自分の頭を擦り付ける。
「……はい、ずっとお兄様の隣にいます。わたしは絶対に、呪いなんかに負けません」
――どうか、この人が闇なんかに魅入られませんように。
兄の温もりを感じながら、ただそれだけを一心に願っていた。
0
あなたにおすすめの小説
「俺が勇者一行に?嫌です」
東稔 雨紗霧
ファンタジー
異世界に転生したけれども特にチートも無く前世の知識を生かせる訳でも無く凡庸な人間として過ごしていたある日、魔王が現れたらしい。
物見遊山がてら勇者のお披露目式に行ってみると勇者と目が合った。
は?無理
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
弟に前世を告白され、モブの私は悪役になると決めました
珂里
ファンタジー
第二王子である弟に、ある日突然告白されました。
「自分には前世の記憶がある」と。
弟が言うには、この世界は自分が大好きだったゲームの話にそっくりだとか。
腹違いの王太子の兄。側室の子である第二王子の弟と王女の私。
側室である母が王太子を失脚させようと企み、あの手この手で計画を実行しようとするらしい。ーーって、そんなの駄目に決まってるでしょ!!
……決めました。大好きな兄弟達を守る為、私は悪役になります!
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
僕だけレベル1~レベルが上がらず無能扱いされた僕はパーティーを追放された。実は神様の不手際だったらしく、お詫びに最強スキルをもらいました~
いとうヒンジ
ファンタジー
ある日、イチカ・シリルはパーティーを追放された。
理由は、彼のレベルがいつまでたっても「1」のままだったから。
パーティーメンバーで幼馴染でもあるキリスとエレナは、ここぞとばかりにイチカを罵倒し、邪魔者扱いする。
友人だと思っていた幼馴染たちに無能扱いされたイチカは、失意のまま家路についた。
その夜、彼は「カミサマ」を名乗る少女と出会い、自分のレベルが上がらないのはカミサマの所為だったと知る。
カミサマは、自身の不手際のお詫びとしてイチカに最強のスキルを与え、これからは好きに生きるようにと助言した。
キリスたちは力を得たイチカに仲間に戻ってほしいと懇願する。だが、自分の気持ちに従うと決めたイチカは彼らを見捨てて歩き出した。
最強のスキルを手に入れたイチカ・シリルの新しい冒険者人生が、今幕を開ける。
【長編版】悪役令嬢の妹様
紫
ファンタジー
星守 真珠深(ほしもり ますみ)は社畜お局様街道をひた走る日本人女性。
そんな彼女が現在嵌っているのが『マジカルナイト・ミラクルドリーム』というベタな乙女ゲームに悪役令嬢として登場するアイシア・フォン・ラステリノーア公爵令嬢。
ぶっちゃけて言うと、ヒロイン、攻略対象共にどちらかと言えば嫌悪感しかない。しかし、何とかアイシアの断罪回避ルートはないものかと、探しに探してとうとう全ルート開き終えたのだが、全ては無駄な努力に終わってしまった。
やり場のない気持ちを抱え、気分転換にコンビニに行こうとしたら、気づけば悪楽令嬢アイシアの妹として転生していた。
―――アイシアお姉様は私が守る!
最推し悪役令嬢、アイシアお姉様の断罪回避転生ライフを今ここに開始する!
※長編版をご希望下さり、本当にありがとうございます<(_ _)>
既に書き終えた物な為、激しく拙いですが特に手直し他はしていません。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※小説家になろう様にも掲載させていただいています。
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる