お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第一章 ロードライトの令嬢

53 これからのこと

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 ロードライト本家当主であるメイナード・ロードライトは、『当主の間』の執務机にて、額に組んだ手を押し当てため息をついていた。紅茶のポットを手に持ったまま、シギルは僅かに逡巡する。

 最近のメイナードは、よくこうしてため息をつくことが多くなった。元来優秀で真面目な主人のこと、これまでであればややこしい問題に少しばかり頭を悩ませているくらいで、数時間経てば本人が勝手に解決しているものだった。下手に話しかけると余計気が散ると追い払われたこともある。
 しかしここ数ヶ月、メイナードの悩みを占めているのは、もっぱら。

「リッカ様のことでお悩みですか?」

 メイナードのカップに紅茶を注ぎながらそう尋ねれば、メイナードはぎくりとした表情でシギルを見た。相変わらず、嘘がつけない人だ。

「……リッカが、ヨハンを国外の家族の元に帰してあげたいと言っていただろう? どうしようかと思ってな……」

 やがてため息と共に、メイナードは口を開いた。頭が痛そうに眉間を指で擦っている。

「元来、国外との干渉はご法度だ。魔法使いが本当にいるなど知れたら、国外に無用の混乱を招くことになる。ロードライトが禁を犯すわけにはいかない……」

「それでも、リッカ様の願いは出来る限り叶えてあげたいから法の抜け穴を探している、と。なるほど、父親というのは娘に対してすこぶる甘い生き物ですね」

「おい!」

「失礼しました」

 内心で舌を出しながら、軽く肩を竦める。
 はぁぁと息をついたメイナードは、心底嫌そうな顔で「まぁ、概ね、そんな感じだ」と雑にまとめた。流石は親子、そんな顔がオブシディアンにそっくりだった。

「……それに加えて、リッカの『呪い』。あの子はもういいと言ったが、そうですかと諦められるわけがない。そもそも『アルカディアの聖杯』と『薔薇水晶』で解呪だと? 宝具を求められるほどの強い呪いなら、リッカに呪いが掛けられる前段階で、町が一つ滅んでいてもおかしくはない」

 紅茶のカップを手に取りながら、険しい顔でメイナードは呟く。

「我が主人の見立てとしては?」

「……自白剤の効果を疑っている訳ではないのだが、ヨハンの言葉には嘘があるようにも思う」

 ふむ、と思わず口元を覆った。
 自白剤の効きは充分あった。それでも、自白剤が投与されることを想定した上で、事前に自身に魔法を掛けていたとすれば?

(嘘……というより、自白剤の裏をかくことは可能でしょうね)

「……何にせよ、オブシディアン様が直接話すと仰っています。ヨハンの言葉に嘘が混じっているのだとしても、対面したオブシディアン様がそれを見逃すことはないでしょう。話はそれからでも良いのでは?」

 ロードライトの直系にのみ伝わると言われる『他人の嘘を見破れる能力』。その継承者であるオブシディアンのことを指せば、メイナードも「……そうだな」と言って小さく息を吐いた。

「恐らくではありますが、リッカ様は人一倍、家族というものに思い入れがあるのでしょうね」

 そう呟く。
 物心も付かぬうちに母は儚くなり、父とは疎遠で、ただ兄だけが、虚弱な彼女の側にいた。病床に臥せる彼女の手を握り続けたのは、あの兄たった一人きり。
 それはそれは、共依存的な兄妹にもなるだろう。傍目からは兄たるオブシディアンの方が愛情過多のようでもあるが、実際のところはリッカも大差ない。

 なお、当然ではあるが、オブシディアンがリッカの前世の『推し』であることを、シギルは知らない。
 ただ、仲の良過ぎる兄妹だと思っている。

「オブシディアン様も、未だリッカ様の命を諦める気配はありません。あの方は恐らく挫けないでしょう。流石、あの兄妹の絆は瞠目するほどですが……ところで、我が主人」

 メイナードの机に置かれた書類の束を、シギルは上からそっと押さえた。

「オブシディアン様もシリウス様も学校へと戻られました。今頃リッカ様は、侍女と共に寂しく日々を送っておられることでしょうね。……本日即決しなければならない業務はもうありません。ヨハンの処遇は、またゆっくり考えることにしても良いかと存じますよ」

 メイナードを見つめ、シギルは微笑む。
 一度目を瞠ったメイナードは、やがて勢いよく立ち上がった。

「……ちょっと、リッカに会いに行ってくる」

 それだけを言い残し、メイナードは『当主の間』からいそいそと出て行く。
 その背中を微笑ましく見守りかけ――

「……あれ? これは合法的に、リッカ様のお部屋を訪れるチャンス到来なのでは!?」

 重大なことに気が付いてしまったシギルは、慌ててメイナードの後を追いかけた。

「……お待ちください、我が主人! 私も、私もお供いたします!」


 ◇ ◆ ◇


 雪は降り止む気配を見せない。
 窓の外から見える景色は、日に日に白銀の存在感を増していった。

 前世のわたしも、豪雪地帯に住んでいた訳じゃない。数センチの雪で大はしゃぎするような地方で暮らしていたものだから、雪を見ると思わずテンション上がっちゃうんだけど……でも、こう雪ばっかりだと、なんだかだんだん飽きてきた。
 いくら外が大雪でも、雪遊びも出来ないこんな身体じゃつまらない。ふらっと外に出かけたら最後、そのまま身体も凍りついてしまう気がする。

 寒さを敏感に拾うこの身体は、天候が荒れれば荒れるほどぐったりとしてしまう。
 うつらうつらしながら夢と現実の境を行き来する中、ただ耳にはずっと、嵐にも似た吹雪の音が聴こえていた。

 ――何度、昼と夜を繰り返したのか。
 今日は何日か、今はいつなのか、兄達がやってくる週末まであとどのくらいなのか、そんなことも段々と分からなくなった頃。
 気付けば、『彼女』がわたしを覗き込んでいた。

「……おはよう、リッカ」

 長く美しい銀の髪が、彼女の緩やかな頬のカーブを伝い、わたしが被っている毛布に落ちている。まるで、夜空に映える一筋の流星のようだ。澄んだ青の瞳が、わたしを見つめてはゆっくりと細まった。
 青の豪奢なドレスは、真冬の今はどこか寒そうにも見えた。もっとも、部屋の中は暖炉の火がずっと灯っているから、部屋の中で過ごす分には良いのだろう。

「――雪の、女王……」

 ケホンと咳をし、上半身に力を込めた。起き上がろうとするわたしに、雪の女王は手を貸してくれる。
 彼女の身体は、確かに普通の人より冷たいものの、でもわたしの手足の方が、ずっとずっと冷たいような気がしてならない。

「何だか、すごく久しぶり……そうだ、わたしこの前、雪の女王を見掛けたんですよ。ほらそこ、窓から見える中庭の小道で……呼んだんだけど、届かなくて……。雪の女王はどこに行こうとしていたの? 小道を抜けたあの先には、一体何があるんだろう……わたし、このお城にずっと住んでるのに、全然何も、知らなくて……」

「リッカ。あんまりはしゃぐと身体に障るわ」

 雪の女王は優しい声で、興奮気味だったわたしをそっと諌める。
 少しだけ冷静さを取り戻したわたしは、強いてゆっくりと深呼吸した。すぅ、はぁ、と息をするたび、跳ねた心臓が収まっていく。

「……お部屋に入って来られるのなら、もっと頻繁に会いに来てくれても良かったのに」

 そう言いながら、思わずむくれた。雪の女王はくすくす笑うと「ごめんね」とわたしの頭を撫でてくれる。

「雪の女王、幽霊なんですよね? でも触れるんだ、なんだか不思議」

 わたしが知っている幽霊は、半透明で足がない、ふわふわ漂っていて、近付くと「うらめしや~」と呪ってくるやつだ。雪の女王はこうして触れるし、低いものの温度もあるし、足だってちゃんとある。

 ま、と雪の女王は、わたしの言葉に綺麗な眉をきゅっと寄せた。腕を組んではそっぽを向く。

「幽霊だなんて、失礼しちゃうわ! そんな面白みのない言葉で、私を表現しないで頂戴?」

「じゃあ、一体何て呼べばいいって言うの?」

 そんな質問を投げかけると、雪の女王はぎくりと肩を跳ねさせた。あわあわと視線を彷徨わせた後「な、なんだっていいじゃない!」と逆ギレめいたセリフを返す。つまりは、幽霊って呼ばれたくないだけみたいだ。

「分かった分かった。雪の女王は、雪の女王様ですもんね?」

 くすくすと笑いながらそう言えば、雪の女王はまだふくれっつらではあったものの、少しは機嫌が直ったようだ。「そうよ、私、雪の女王だもん」と口を尖らせている。まるで幼女のような仕草だった。こんな可愛い幽霊だったら、ちっとも怖くなんてない。

 サイドテーブルの上に置いてある水を飲み、一息つく。身体のだるさは消えないものの、寝起きの頭はしゃんとした。

「……諦めちゃうの?」

 雪の女王の囁き声に、わたしは顔を彼女に向ける。
 女王が、なんだかやり切れないものを抱えるような目でわたしを見つめていたので、わたしは強いて笑みを作った。

「元々、あってないような命だったし……この身体が永くは生きられないって、一番知ってたのは、他でもないわたしですよ」

 虚弱で、年齢よりも小さな身体に、薄く頼りない手のひら。
 外に遊びに行くこともできないし、何もしなくとも月の三分の一は寝込んでしまう。薬と魔法で少しは楽になるものの、効果が切れるとすぐにベッドへ逆戻り。

 色々と、頑張ってはみたものの。
 ……まぁ、もう、どうしようもないことはある。

 もう挽回できない、詰みの局面。
 であれば、出来る限り綺麗な終局を望んでもいいはずだ。

「ま、前世に比べたら、だいぶマシな死に方が出来ると思いますよ。家族にバイバイも言えるしね」

 へにゃりと笑った。

 前世なんて、子供助けた挙句一人っきりで溺死という、なんとも悲惨な結末だったからなぁ……。家族には「さよなら」どころか、家を出るときの「行ってきます」すら言い忘れてしまった。それに比べたら、今世はどれだけマシなことか。
 きっと、みんなに見守られながら逝けるだろうし。年齢は十にも届かなそうだけど、でも気分的には大往生って感じだ。頑張ったよわたし、うん。

「それに、もし死んだら、わたしも雪の女王みたいに幽霊になれるかもしれないでしょう? そっちの方が、今のこの身体より断然自由度が高くて良さそうですね」

 そんなことを兄や父に言ったら、めちゃくちゃ怒られてしまいそうだ。兄なんて泣いちゃうんじゃないだろうか。
 でも、周囲の人には言えないことも、雪の女王が相手であれば、普通に聞いてもらえる気がした。
 雪の女王は、わたしの言葉に苦笑を零す。

「……ふふ。幽霊ゴーストになれるかどうかは個人差があるけれど、リッカほど魔力がある子なら大丈夫かしらね?」

「え? わたし、人より魔力が多いの?」

 なんだかんだで一度も魔法を使ったことがないものだから、そもそも自分が魔法使いだってことすら、半分くらいは忘れていた。そりゃあもう、と雪の女王は肩を竦める。

「思わずわたしが、目を瞠ってしまったくらいよ。あなたが成長すれば、きっとすごい魔法使いになれたでしょうに……」

 なんと。『建国の英雄』のお墨付きまで頂いてしまうとは。こうなると、一度くらいは生きてる間に魔法を使ってみたいものだ。
 そう言うと、雪の女王は「リッカの生命力じゃ、魔法の発現と共に死んじゃうから無理ね」と軽く笑った。どうやら、自殺したくなったら魔法を使えばお手軽そうだ。

 ……本来の魔法の使い方じゃない? そんなの百も承知だよ!

「……でも、たとえわたしが幽霊になったとしても、お兄様は間違いなくわたしを見つけます。死んだ後もお兄様の側にいられるのなら、わたしとしては満点なんです」

 胸に手を当て、そう呟いた。

「この命が長らえるかどうかは、わたしにとってそこまで重要じゃない。大事なのは、お兄様がわたしの死で道を踏み外してしまわないか。……だから、雪の女王。一つ、お願いがあるんです」

 にっこり笑って、わたしは言う。

「わたしが死んだら、迎えに来てくださいよ。わたし、城の外に出たことがないから、お兄様の通う学校が何処にあるのかも分からないんですよね」

 雪の女王は、少しの間潤んだ瞳でわたしを見つめていた。しかし、やがてゆっくり微笑むと、わたしの頬に手を当て、甘い声で囁く。

「……分かったわ、リッカ。リッカが幽霊ゴーストになったその時は、私が迎えに行ってあげる。あなたの大好きなお兄様の元まで、ちゃんと連れて行ってあげるからね」
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