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第一章 ロードライトの令嬢
幕間 私の姫君
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第17話~第20話のシギル目線。
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私はシギル・ロードライト。≪魔法使いだけの国≫『ラグナル』の中でも筆頭格のロードライト家、その本家当主である、メイナード・ロードライトの従者を務めております。
ロードライト第六分家の当主でもあるのですが、こちらの名については、本家当主の従者を勤める者が引き継ぐものですので、大したことはございません。
私が、我が主人メイナード様に仕え始めたのは、トリテミウス魔法学院を卒業してからですので、もう十年になるでしょうか。ですので、オブシディアン様を赤子の時から見てきたことになりますね。
私の兄は、アリア様の在学中からアリア様の従者を務めておりました。そんな兄の口利きで、私はメイナード様の従者に任命されたというわけです。
その頃はまだ、アリア様はロードライト本家当主でございました。
我が主人は子煩悩なお方でしたので、私はメイナード様の身辺警護以上に、オブシディアン様の周辺に危ないものがないかどうかについて、神経を尖らせていたものです。赤子とはどうして何でもかんでも口に入れようとするのでしょう?
もっとも、当のオブシディアン様は、当時の恩をすっかり忘れやがっていらっしゃるようですが。
歳下の面倒は人より多く見てきた自負がありますが、しかしロードライト次期当主の頭を小突いて言い聞かせることも出来ず、おろおろと狼狽える様を、兄にもアリア様にも笑われ、歯痒い思いをした記憶があります。
私は従者ではなく、乳母として雇われたのではないかと思い詰めておりました。いやはや、当時は私も若かったものです。
……今思い返してみれば、あの頃はそれでも幸せでしたね。アリア様も、兄もまだ、生きていたのですから。
それから十年。様々なものが変わりました。生意気な赤子がクソ生意気な少年に成長するのですから、月日というのは偉大です。
それを言えば、まだアリア様の腕に抱かれてほにゃほにゃと泣いていたあの赤子が、いつの間にか儚くも美しい幼女に変貌を遂げていたことも、時の神秘というものかもしれません。やはり、幼女は偉大です。
アリア様は、生まれたばかりのリッカ様を、できる限り他の者には触れさせずに、自分の手元でお育てになっておりました。オブシディアン様の時は普通に乳母に預けておいでだったので、少し不思議に思っていたものです。男女差でしょうかと、当時はあまり気にも止めませんでしたけれど。
リッカ様の『お披露目の儀』から、ロードライト本家は様変わりしました。
アリア様と、そしてアリア様の従者であった兄もまた、ロードライトに疵をつけた咎で粛清されました。――手を下したのは、私です。
メイナード様はアリア様の跡目を継ぎ、ロードライト本家当主を拝命しました。そして、自分の子でないと知ったリッカ様を城の離れに隔離して、自分の子であるオブシディアン様までも遠ざけるようになり、必然的に、私も、オブシディアン様とリッカ様とは関わることもなくなりました。
……彼らの顔を見なくて、少しばかりホッとしたのは事実です。
リッカ様は『お披露目の儀』の際受けた呪いのため、お身体が弱く、部屋から出ることはまずありません。ですので、例え同じ城に住んでいたとしても、リッカ様と顔を合わせることはありませんでした。
それでも、次期当主という肩書きを持つオブシディアン様とは、どうしても関わらざるを得ませんでした。段々と幼さが抜けていく中、私の嘘や秘密に勘づく度に、オブシディアン様は私に対して険しい態度を取るようになりました。
アリア様と同様に、オブシディアン様は嘘を見抜く力を持っておられるので、当然の結果です。まぁ、無条件に信頼されるよりは、そちらの方がずっとずっとマシなのですが。
そんな様子で歳月は過ぎてゆき、改めて今のリッカ様とお会いしたのはつい先日、リッカ様を背負いメイナード様の元へ行こうとするオブシディアン様を、引き止めた時のことでございました。
数年見ていない間に、大変綺麗になられたと、ただそれだけをひしと感じておりました。
アリア様譲りの綺麗な銀髪に、華奢な身体と細い腕。こちらを警戒するように揺れる赤い瞳は、ロードライトの忌色であるというのに、とても美しく思えたものです。
……そんな少女が、まさか私などに頭を下げるなど。
頭を下げるのは従属の証。
空の手を示すのは忠誠の証。
まだ魔法を学んでいない少女とは言え、両手を膝に添えて頭を下げるとは――いえ、いえ。リッカ様に深い意図は無かったのでしょう。その点は承知しております。
……それでも、胸打たれたのは事実でした。
ついでに頬もぶってもらえました。幼女のおてては素晴らしいです。一瞬気を遣るかと思いました、一瞬ですが。
やはり幼女は至高です。成人して、よりはっきりと理解るようになりました。そのお姿を見るだけで、心の奥に固まった澱みのようなものが洗い流されていくような清らかな思いになるのです。この穢らわしい身とは真逆の、聖なる存在でございます。
触れるだなんてとんでもない。ノー・タッチ・幼女。無力な幼女相手に邪念を起こすような輩は、我々の同志などではございません。唾棄すべき人類の敵でございます。
リッカ様は、私のことを、理解できないものでも見るような恐怖の目つきで見ておりました。シリウス様からは極寒の眼差しを賜り、オブシディアン様とはとうとう修復不可能な溝が出来てしまったと感じました。
ですが良いのです、リッカ様の柔らかで薄い手のひらでぶたれたあの感覚だけで、私はこの先どんなことがあっても生きていけそうなのですから。
リッカ様は見た目通り、そして噂通り虚弱な方でした。私をぶった手には全く力が入っておらず、ただ撫でられただけのようにも感じておりました。それでも、メイナード様に対峙された時の強い意志と気迫、切った啖呵は、虚弱な娘というイメージからはあまりにも違っていて、私は思わずリッカ様への評価を改めることとなったのです。
……その後、お倒れになることもお約束でしたけど。
しかし、リッカ様とオブシディアン様から直接言葉をぶつけられたことで、メイナード様も己を省みられたようでした。元々、子煩悩で面倒見の良い優しい方です。たとえ実子でないとしても、子供を見捨てることには向いていない方でした。
メイナード様が思い悩むのを尻目に、私はそっと夜の見回りへと向かい、『当主の間』前にいたリッカ様とお会いしました。……どうして会いに行けたのかって? 第六分家は特殊な魔道具を持っているのですよ。
あの日は、銀の月が輝く、とても美しい夜でした。
艶のある銀の髪に、月の光がまるで祝福のように降り注いでキラキラと輝く様は、思わず見惚れるほど素晴らしいものでございました。赤の瞳は、昼に見た時よりどこか冷たく、怜悧な聡明さを宿しております。
先日、リッカ様達が『当主の間』へといらっしゃった際にも感じましたが、ずっと閉じ込められるようにして育ってきたはずなのに、リッカ様の口調はその年齢の幼女というより、少し大人びた年頃の少女のようでした。見た目とのギャップに、甘く脳髄が痺れる感覚がしたものです。
アリア様について口にしたのは、リッカ様を試す意図がありました。
リッカ様を生かしていたのは、ただ我が主人の優柔不断さと、放っておいても直に死ぬからという、非常に消極的な理由からでした。ですが、リッカ様を救うことは、ロードライトの疵ごと抱え込むことと同義です。
リッカ様の覚悟というより、メイナード様の覚悟ですね。メイナード様が、果たしてリッカ様を受け止め守る覚悟がお有りなのかどうか。
……リッカ様が、普通の生まれであったなら、こんなことなど考える必要すらないことだったのでしょうが。
子供は両親を選べません。何の罪もない幼女が、親の咎を背負わなければならないなんて。
リッカ様は、私の語る言葉にただ目を瞠っておりました。元々日に焼けていない肌は、血の気を失い青白く、その瞳には私への怯えが浮かんでおりました。
……理解しておりましたが、そのような眼差しを向けられると、捨てたはずの心が痛む心地がします。
私はそっと、リッカ様に手を伸ばしました。
どうか、逃げるなら逃げてくださいませ。私に怯え、私を嫌って、どうか私から距離を取ってくださいませ。
――身内が死ぬのは、もう御免です。
……ですのに。
リッカ様は逃げるどころか、そのままぎゅっと目を瞑られました。自然、私もリッカ様の頬に触れる寸前で手を止めます。
いや。
いやいや。
……は?
ちょっと待ってくださいよ。
なんでそこで、目を瞑るんですか?
銀の長いまつ毛が、慄くようにふるふると震えております。ほっそりとした、それでも柔らかそうな頬が、指一本分の隙間を挟んだところにありました。きゅっと噛み締めた唇が、微かに赤みを帯びております。湯浴みの後だからでしょう、しっとりと艶のある髪からも、そのお身体からも、ほんのりと良い香りがしました。
頭が真っ白になるかと思いました。少なくとも数瞬、意識は遠く彼方へありました。
あの瞬間に敵襲が起きていたら、咄嗟の対応が出来なかったかもしれません。ロードライト本家城は幾重もの結界で守られているので、この国で一番安全と言って過言ではない場所なのですが。
それはそうとして。
む、無防備すぎます、リッカ様。隔離され、兄と侍女としか関わらない生活を送ってきた弊害でしょうか?
全く、私が紳士であったから良かったものを。あのように簡単に目を瞑ってしまわれるなんて、何をされても文句は言えませんよ。リッカ様には早急に、淑女教育の必要があるようです。
そもそも、いくら城内が安全だと言っても、夜間にふらふらと出歩かないでいただきたいものですね。外に連れ去られる危険はなくとも、部屋の中に連れ込まれる危険はあるのです。リッカ様に何かあったら、私はメイナード様にもアリア様にも顔向けができません。その前に私は、オブシディアン様に殺されることになるでしょう。あぁ、どうか黄泉の国でも、アリア様とは出会いたくないものです。
リッカ様はがっくりと力が抜けた顔で肩を落としました。がっくりしたいのは私の方です。こんなにも、リッカ様が無防備だとは思いもしませんでした。
とぼとぼと歩いて行くリッカ様の後ろ姿を、私は慌てて追いかけます。リッカ様は一瞬警戒するような目で私を見上げましたが、私ではなくご自身の周囲を警戒して頂きたいものです。私ではなく。
リッカ様の背中を見ながら、私はそっと息を吐きました。そして、くすりと笑みを浮かべます。
……あぁ、全く。
どうやら、先に絆されたのは私のようです。この先どのように心を持って行ったとしても、リッカ様を蔑ろには出来ません。
――どうか、どうか、精霊様よ。
リッカ様の呪いが解け、大事な人と健やかに暮らせる未来が訪れますように。
きっといつか、貴女の瞳が絶望に曇ることになったとしても。
麗しく儚い、私の姫君。
第17話~第20話のシギル目線。
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私はシギル・ロードライト。≪魔法使いだけの国≫『ラグナル』の中でも筆頭格のロードライト家、その本家当主である、メイナード・ロードライトの従者を務めております。
ロードライト第六分家の当主でもあるのですが、こちらの名については、本家当主の従者を勤める者が引き継ぐものですので、大したことはございません。
私が、我が主人メイナード様に仕え始めたのは、トリテミウス魔法学院を卒業してからですので、もう十年になるでしょうか。ですので、オブシディアン様を赤子の時から見てきたことになりますね。
私の兄は、アリア様の在学中からアリア様の従者を務めておりました。そんな兄の口利きで、私はメイナード様の従者に任命されたというわけです。
その頃はまだ、アリア様はロードライト本家当主でございました。
我が主人は子煩悩なお方でしたので、私はメイナード様の身辺警護以上に、オブシディアン様の周辺に危ないものがないかどうかについて、神経を尖らせていたものです。赤子とはどうして何でもかんでも口に入れようとするのでしょう?
もっとも、当のオブシディアン様は、当時の恩をすっかり忘れやがっていらっしゃるようですが。
歳下の面倒は人より多く見てきた自負がありますが、しかしロードライト次期当主の頭を小突いて言い聞かせることも出来ず、おろおろと狼狽える様を、兄にもアリア様にも笑われ、歯痒い思いをした記憶があります。
私は従者ではなく、乳母として雇われたのではないかと思い詰めておりました。いやはや、当時は私も若かったものです。
……今思い返してみれば、あの頃はそれでも幸せでしたね。アリア様も、兄もまだ、生きていたのですから。
それから十年。様々なものが変わりました。生意気な赤子がクソ生意気な少年に成長するのですから、月日というのは偉大です。
それを言えば、まだアリア様の腕に抱かれてほにゃほにゃと泣いていたあの赤子が、いつの間にか儚くも美しい幼女に変貌を遂げていたことも、時の神秘というものかもしれません。やはり、幼女は偉大です。
アリア様は、生まれたばかりのリッカ様を、できる限り他の者には触れさせずに、自分の手元でお育てになっておりました。オブシディアン様の時は普通に乳母に預けておいでだったので、少し不思議に思っていたものです。男女差でしょうかと、当時はあまり気にも止めませんでしたけれど。
リッカ様の『お披露目の儀』から、ロードライト本家は様変わりしました。
アリア様と、そしてアリア様の従者であった兄もまた、ロードライトに疵をつけた咎で粛清されました。――手を下したのは、私です。
メイナード様はアリア様の跡目を継ぎ、ロードライト本家当主を拝命しました。そして、自分の子でないと知ったリッカ様を城の離れに隔離して、自分の子であるオブシディアン様までも遠ざけるようになり、必然的に、私も、オブシディアン様とリッカ様とは関わることもなくなりました。
……彼らの顔を見なくて、少しばかりホッとしたのは事実です。
リッカ様は『お披露目の儀』の際受けた呪いのため、お身体が弱く、部屋から出ることはまずありません。ですので、例え同じ城に住んでいたとしても、リッカ様と顔を合わせることはありませんでした。
それでも、次期当主という肩書きを持つオブシディアン様とは、どうしても関わらざるを得ませんでした。段々と幼さが抜けていく中、私の嘘や秘密に勘づく度に、オブシディアン様は私に対して険しい態度を取るようになりました。
アリア様と同様に、オブシディアン様は嘘を見抜く力を持っておられるので、当然の結果です。まぁ、無条件に信頼されるよりは、そちらの方がずっとずっとマシなのですが。
そんな様子で歳月は過ぎてゆき、改めて今のリッカ様とお会いしたのはつい先日、リッカ様を背負いメイナード様の元へ行こうとするオブシディアン様を、引き止めた時のことでございました。
数年見ていない間に、大変綺麗になられたと、ただそれだけをひしと感じておりました。
アリア様譲りの綺麗な銀髪に、華奢な身体と細い腕。こちらを警戒するように揺れる赤い瞳は、ロードライトの忌色であるというのに、とても美しく思えたものです。
……そんな少女が、まさか私などに頭を下げるなど。
頭を下げるのは従属の証。
空の手を示すのは忠誠の証。
まだ魔法を学んでいない少女とは言え、両手を膝に添えて頭を下げるとは――いえ、いえ。リッカ様に深い意図は無かったのでしょう。その点は承知しております。
……それでも、胸打たれたのは事実でした。
ついでに頬もぶってもらえました。幼女のおてては素晴らしいです。一瞬気を遣るかと思いました、一瞬ですが。
やはり幼女は至高です。成人して、よりはっきりと理解るようになりました。そのお姿を見るだけで、心の奥に固まった澱みのようなものが洗い流されていくような清らかな思いになるのです。この穢らわしい身とは真逆の、聖なる存在でございます。
触れるだなんてとんでもない。ノー・タッチ・幼女。無力な幼女相手に邪念を起こすような輩は、我々の同志などではございません。唾棄すべき人類の敵でございます。
リッカ様は、私のことを、理解できないものでも見るような恐怖の目つきで見ておりました。シリウス様からは極寒の眼差しを賜り、オブシディアン様とはとうとう修復不可能な溝が出来てしまったと感じました。
ですが良いのです、リッカ様の柔らかで薄い手のひらでぶたれたあの感覚だけで、私はこの先どんなことがあっても生きていけそうなのですから。
リッカ様は見た目通り、そして噂通り虚弱な方でした。私をぶった手には全く力が入っておらず、ただ撫でられただけのようにも感じておりました。それでも、メイナード様に対峙された時の強い意志と気迫、切った啖呵は、虚弱な娘というイメージからはあまりにも違っていて、私は思わずリッカ様への評価を改めることとなったのです。
……その後、お倒れになることもお約束でしたけど。
しかし、リッカ様とオブシディアン様から直接言葉をぶつけられたことで、メイナード様も己を省みられたようでした。元々、子煩悩で面倒見の良い優しい方です。たとえ実子でないとしても、子供を見捨てることには向いていない方でした。
メイナード様が思い悩むのを尻目に、私はそっと夜の見回りへと向かい、『当主の間』前にいたリッカ様とお会いしました。……どうして会いに行けたのかって? 第六分家は特殊な魔道具を持っているのですよ。
あの日は、銀の月が輝く、とても美しい夜でした。
艶のある銀の髪に、月の光がまるで祝福のように降り注いでキラキラと輝く様は、思わず見惚れるほど素晴らしいものでございました。赤の瞳は、昼に見た時よりどこか冷たく、怜悧な聡明さを宿しております。
先日、リッカ様達が『当主の間』へといらっしゃった際にも感じましたが、ずっと閉じ込められるようにして育ってきたはずなのに、リッカ様の口調はその年齢の幼女というより、少し大人びた年頃の少女のようでした。見た目とのギャップに、甘く脳髄が痺れる感覚がしたものです。
アリア様について口にしたのは、リッカ様を試す意図がありました。
リッカ様を生かしていたのは、ただ我が主人の優柔不断さと、放っておいても直に死ぬからという、非常に消極的な理由からでした。ですが、リッカ様を救うことは、ロードライトの疵ごと抱え込むことと同義です。
リッカ様の覚悟というより、メイナード様の覚悟ですね。メイナード様が、果たしてリッカ様を受け止め守る覚悟がお有りなのかどうか。
……リッカ様が、普通の生まれであったなら、こんなことなど考える必要すらないことだったのでしょうが。
子供は両親を選べません。何の罪もない幼女が、親の咎を背負わなければならないなんて。
リッカ様は、私の語る言葉にただ目を瞠っておりました。元々日に焼けていない肌は、血の気を失い青白く、その瞳には私への怯えが浮かんでおりました。
……理解しておりましたが、そのような眼差しを向けられると、捨てたはずの心が痛む心地がします。
私はそっと、リッカ様に手を伸ばしました。
どうか、逃げるなら逃げてくださいませ。私に怯え、私を嫌って、どうか私から距離を取ってくださいませ。
――身内が死ぬのは、もう御免です。
……ですのに。
リッカ様は逃げるどころか、そのままぎゅっと目を瞑られました。自然、私もリッカ様の頬に触れる寸前で手を止めます。
いや。
いやいや。
……は?
ちょっと待ってくださいよ。
なんでそこで、目を瞑るんですか?
銀の長いまつ毛が、慄くようにふるふると震えております。ほっそりとした、それでも柔らかそうな頬が、指一本分の隙間を挟んだところにありました。きゅっと噛み締めた唇が、微かに赤みを帯びております。湯浴みの後だからでしょう、しっとりと艶のある髪からも、そのお身体からも、ほんのりと良い香りがしました。
頭が真っ白になるかと思いました。少なくとも数瞬、意識は遠く彼方へありました。
あの瞬間に敵襲が起きていたら、咄嗟の対応が出来なかったかもしれません。ロードライト本家城は幾重もの結界で守られているので、この国で一番安全と言って過言ではない場所なのですが。
それはそうとして。
む、無防備すぎます、リッカ様。隔離され、兄と侍女としか関わらない生活を送ってきた弊害でしょうか?
全く、私が紳士であったから良かったものを。あのように簡単に目を瞑ってしまわれるなんて、何をされても文句は言えませんよ。リッカ様には早急に、淑女教育の必要があるようです。
そもそも、いくら城内が安全だと言っても、夜間にふらふらと出歩かないでいただきたいものですね。外に連れ去られる危険はなくとも、部屋の中に連れ込まれる危険はあるのです。リッカ様に何かあったら、私はメイナード様にもアリア様にも顔向けができません。その前に私は、オブシディアン様に殺されることになるでしょう。あぁ、どうか黄泉の国でも、アリア様とは出会いたくないものです。
リッカ様はがっくりと力が抜けた顔で肩を落としました。がっくりしたいのは私の方です。こんなにも、リッカ様が無防備だとは思いもしませんでした。
とぼとぼと歩いて行くリッカ様の後ろ姿を、私は慌てて追いかけます。リッカ様は一瞬警戒するような目で私を見上げましたが、私ではなくご自身の周囲を警戒して頂きたいものです。私ではなく。
リッカ様の背中を見ながら、私はそっと息を吐きました。そして、くすりと笑みを浮かべます。
……あぁ、全く。
どうやら、先に絆されたのは私のようです。この先どのように心を持って行ったとしても、リッカ様を蔑ろには出来ません。
――どうか、どうか、精霊様よ。
リッカ様の呪いが解け、大事な人と健やかに暮らせる未来が訪れますように。
きっといつか、貴女の瞳が絶望に曇ることになったとしても。
麗しく儚い、私の姫君。
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