お兄様、闇堕ちしないって本当ですか!?

由原靜

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第二章 ローウェルの常連さん

01 第一分家

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 わたし、リッカ・ロードライトの身体をずっと蝕んでいた『呪い』は、現代医学の力で解決した。
 定められた運命だと思っていたわたしの死は、運命なんかじゃなかった。
 ただの、確率の産物。
 医療が発達する前は、呪い、もしくは不治の病。今の、医療が発達した世界においては、子供のうちに完治する病気。

 ……なんて、ごちゃごちゃと御託を並べ立ててみたけれど。

 治った!!

 わたし、元気になった!!

 いぇーーーーい!! やったー!! わーーーーいっ!!

「うっふっふっふ。ふっふっふ」

 三ヶ月ほどの入院生活ももう終わり。退院して、今はもう完全に自由の身だ。今なら、何だって出来そうだぜ!

「リッカ、はしゃぎ過ぎると疲れるぞ?」

 と、兄が心配そうな顔でわたしに声を掛けてきた。だがしかし、今のわたしには何の問題もない。
 だって呪いは解けたのだから!! 現代医学の前に、呪いは全て解明されたのだから!!

「大丈夫ですもん。それより、ほらっ。こんなに綺麗な庭園なんですよ、歩きましょ!」

 兄の腕にしがみついて甘えてみせると、兄は仕方ないなと言わんばかりに微笑んだ。
 くうぅっ、わたしのお兄様、世界で一番カッコいい。

 今日のわたしたちは、挨拶のためにロードライト第一分家オーアを訪れていた。
 第一分家は本家との繋がりも非常に深く、またわたしを呪った人物を捕まえるため、多大な貢献をしてくれたのだという。今回は本当に、重ね重ねいろんな人たちに助けられた。そのことに対するお礼もしたいし、ついでにわたしも第一分家に行ってみたい。そんなわたしの意向が汲まれ、今日の会合――もとい、お茶会がセッティングされたのだ。

 庭園を一望できる東屋では、侍女の方々がせっせとお茶会の準備を行っている。
 彼女たちが準備する間、わたしと兄は「庭園でもご覧になっていてください」と、丁重に追いやられてしまった。準備の様を客人に見せるのは無作法ではあるのだろう。わたしたちが、少し早めに到着してしまったせいでもある。

「でも確かに、自慢するのも分かるほど、見事な庭園ですねぇ……」

 兄と手を繋ぎ、わたしはゆっくり小道を歩く。
 わたしたちの数歩後ろからは、わたしの侍女であるアリスと、兄の侍従であるローランドが付き従うようについて来ていた。わたしと兄の足取りが遅いものだから、二人は時折立ち止まっては、和やかに歓談している。二人は歳周りも近いものだから、傍目からも気兼ねがない。

 春の只中ということもあり、雪が重たく降り積もっていた冬と違って、草花は生き生きと咲き誇っている。ロードライト本家アージェントが国の北側に位置しているのと違い、第一分家は国の西側にあるから、本家より少し暖かいのかもしれない。
 庭園はどこもかしこも綺麗に手入れされていて、歩きやすく舗装された小道は、迷路のようにずっと先まで続いていた。こんなに広い庭園、お屋敷の上から見ないと、全体像なんて把握し切れない気がする。

「お兄様、このお花は何ですか?」
「これ? これは……」

 膝丈ほどの黄色い花を指さした。兄はしばらくその花を見つめた後、口を開く。

「黄色い花だな」

 まぁ、そうですね。

「……じゃあ、こっちは?」
「下段に植えてあるのが赤い花、中段が青い花、上段が白い花だ。……あぁ、上段の白い花はフレンネルと言って、花弁が眼病の治療薬に使われるものだな」
「うん、お兄様がお花に一切興味がないことはよく分かりました」

 見た目よりも薬効ですか。そうですか。
 わたしの「ちょっとがっかり感」が分かったのか、兄は慌てて弁明する。

「違う、違うぞ、リッカ。この辺りは物珍しいやつが多く植えてあったから、ちょっと見慣れなかっただけだ。僕だって、ミモザやバラやチューリップくらい知られたものなら分かるんだからな」
「いえ、別にいいんですよ。ただお兄様は女性からの期待も大きいでしょうから、勝手に期待された挙句、勝手に失望されていそうで、何だか可哀想だなぁと思っただけです」

 花言葉まで凝った花束を期待されたり、何の気もなかったのに深読みされたり、もしくは斜め上の解釈をされたりしそうだ。今というより、将来的に。
 ……あ、でも、今くらいの方が、女性から余計な気を持たれる機会が減るからいいのかな? この兄は家柄も顔も最高レベルのものを持っているのだから、せめてどこかしらで落としどころを作っておきたい。
 ……そういう意味では、花に興味がないのはあまり大きな減点にならない気がする。

 多分、兄の一番の減点ポイントって「妹が大好きすぎる」って部分なんだよな。実の妹であるわたしにとってはご褒美だけど。
 あぁ神様、この兄の妹に転生させてくれてありがとう!

 兄は大きくため息を吐いては「余計なお世話だ」と半眼でわたしを見た。
 兄は顔が尋常でない程整っているものだから、こうして睨まれると、慣れていてもちょっと怖い。はぅっとわたしは口をつぐむ。

「……でも、お兄様はきっとそのうち、女性にお花を贈る機会も増えると思いますよ? 興味はなくとも、花束によく使われるお花くらいは、知っておいてもいいんじゃないでしょうか」

 知識があり過ぎて女性を惚れさせてしまうのも困るが、知らな過ぎて兄がバカにされるのもイヤなのだ。複雑な乙女心、妹心というやつである。

 その時、兄がむすっとした顔でわたしを見下ろした。

「……なんだ。お前、僕が他の女性に花を贈ってもいいって言うのかよ」
「……えぇっと……お兄様、わたしにお花を贈ってくれるんですか?」
「リッカが望むなら」

 ふぅん? まぁいいや、わたしはもらえるものなら何でももらっておく主義だ。くれるというならありがたくもらっておこう。

「ところでお兄様、これは何ですか? 花というより、草のように見えるんですけど」

 端の方に植えてあった、葉先が十字のような形をしている草を指さし、わたしは尋ねる。背が低いため目立たないが、これ一本だけ他と種類が違うし、それにこの草は花を付けていない。

「あぁ、≪騎士の十字印≫、『クロスライン』だな。……手を近付けるなよリッカ。それは簡易結界の役割を果たしてる。内側の花に触れようものなら、勢いよく襲いかかってくるぞ」
「ひぃっ!?」

 兄の解説に、わたしは慌てて手を引っ込めた。そんなわたしの反応を見ながら、兄は「まぁリッカに手を出そうもんなら、お守りの力でクロスラインは粉々になるだろうが」と薄く笑う。
 わたしは思わず手首を――正確には、誕生日プレゼントとして兄からもらったお守りのブレスレットを――握りしめた。

 兄からもらったお守りは、細い虹色の糸で編まれたブレスレットだった。鱗のような形の飾りが七つ紐に通してあって、揺するとシャラシャラと澄んだ音が鳴る。
「これからは外に出る機会が多くなるだろうから、お守りだよ」と言われてもらったものなのだが……まさかわたしに攻撃してきた敵を、武力的に排除する系のものだったとは。シスコン、恐るべし。

 その時わたしたちの元に、一人の男性がスタスタと近付いて来た。わたしたちが視線を向けた瞬間、彼は優雅に跪いては礼を執る。右耳に黒のピアスを付けているから、シギルと同じく第六分家セイブルの人だろうか。シギルと同じくらいの歳に見える。

「オブシディアン様、リッカ様。お茶会の準備が整いましたので、ご案内いたします」
「あぁ」

 兄の頷きに、男の人はすっと立ち上がっては、わたしたちを先導するように歩き始めた。しかし、元々足の長さが段違いなのと、彼が少々早歩きめなこともあって、見る間に距離が開いていく。
 ……う、早い。置いていかれちゃうと、わたしは小走りで彼を追いかけた。

「待てリッカ、無理をするな」
「何言ってんですか、無理なんかじゃ――」

 ないですよと、わたしの言葉はそこで途切れる。
 身体の電源がいきなり切られたように、ふつんと全てが消える感覚。

 意識が暗転していく中、あぁ、とわたしは思うのだった。
 心の底から、しみじみと。

 ――病気が治ったからと言って、体力がついた訳じゃないんだった!


 ◇ ◆ ◇


 気が付いたら、天蓋付きのベッドに寝かされていた。毛布やシーツからは、他所のおうちの匂いがする。

「……あうぅ……」

 最悪だ。やっちまった。よりにもよって、お呼ばれした先でぶっ倒れるなんて、ご迷惑にも程がある。

 手の甲を額に押し当てた。熱は高くは無さそうだけど、身体はちょっとまだ怠い。はしゃぎすぎたと反省する。
 これまで一日中ベッドの上で過ごしていた人間が、外に出てはしゃいだら、そりゃあ体力の限界なんて簡単に超えるよね。バカかわたし。

「……リッカ様、お目覚めになりましたか?」

 その時、アリスが歩み寄ってきた。わたしの顔を申し訳なさそうな顔で覗き込んでは「リッカお嬢様の調子に気付けなくって申し訳ないです……」としょんぼりしている。
 学校を卒業したてのアリスは、セラのように上手くわたしの世話が出来ないことを気に病みがちだ。わたしは慌てて両手を振った。

「ううん、わたしがちょっとはしゃぎすぎただけなんだもの。……ちょっと走っただけでぶっ倒れるなんて、思ってもなかった。それより、お茶会は?」
「オブシディアン様が取りなしてくださいました。初めての場所だったから、少し疲れただけだろうって。第一分家の御当主様とそのご息女を、一人でお相手してくださっています」
「うぅっ、お兄様、流石すぎる」

 わたしの具合をわたし以上に分かっていらっしゃる。

 わたしの首や額を触ったアリスは、小さく頷くと立ち上がった。扉付近にいた侍女の元へ歩み寄っては、わたしの目が覚めたことを伝言してもらうように頼んでいる。

「皆様、こちらへいらっしゃるそうです」
「わ、わたしから伺った方が……」
「無理はなさらないでくださいませ。また倒れたら元も子もありませんので」

 アリスの言葉が正論すぎる。
 そのままアリスは、わたしの髪や服の乱れを直し始めた。一通り終わった時、扉がノックされた音が聞こえてくる。
 アリスが扉を開くと、侍女を引き連れた二人の女性が入ってきた。その後ろには兄がいて、兄はわたしを見るなり、軽く眉を寄せては叱るような顔つきをする。……ハイ、反省してます。

 入ってきた二人の女性は、どうやら親子らしい。ゆるくウェーブがかった金色の髪と、少し気の強そうな華のある顔立ち、そして右耳で揺れる金色のピアスがお揃いだ。娘の方は、兄と同じくらいの歳だろうか。昔、何度か会ったことがある気がする。

 母親らしい女性が、華やかな微笑みを浮かべて進み出た。品よくまとめられた金髪に、オレンジの花がついた髪飾りを挿している。マダムって感じだ。

「リッカ、倒れたと聞いたのですけれど、今はもう大丈夫なのかしら?」
「あっ、はい、ご迷惑をお掛けし申し訳ありませんっ」

「迷惑なんかじゃないわ」と、彼女は艶やかに笑ってみせた。

「改めて、はじめまして、リッカ。貴女が小さい頃に会っているのですけれど、憶えてはいないでしょうね。わたくしはダリア・ロードライト。ロードライト第一分家オーアの現当主ですわ」

『第一分家当主』との言葉に、元々気を張っていた背筋がさらにぴしっと伸びた。あわあわと緊張しながらも言葉を紡ぐ。

「ダリア様、その、お会い出来て光栄です、わたしのために手を貸してくださり本当にありがとうございましゅぅっ」

 変な語尾は噛んだ訳じゃない。ダリアがわたしの唇を、人差し指できゅっと押さえたのだ。

「ダリア、でよろしくてよ、リッカ。本当に貴女は、お母様にそっくりですわね」

 ダリアは、心底楽しそうな顔で微笑んでいる。どうしていいか分からないまま、ただコクコクと頷いた。ダリアがわたしの唇から手を引いたので、わたしはそっと胸を撫で下ろす。

「リッカ、まだ本調子ではないんじゃない? やっぱり、外に出るのはもう少し体調を整えてからの方が良かったと思うわ」

 そこで、娘の方がわたしの手をそっと掬い上げた。藍色の瞳が、わたしを心配するように揺れている。なんだかこの目に見覚えがある気がして、わたしは内心首を傾げた。
 ともあれ、心配させっぱなしも良くない。わたしはにっこりと笑ってみせる。

「倒れちゃったのは、ちょっと体力を見誤ってしまっただけなんです。ご心配お掛けしてすみません」
「……オブシディアン様もそう言ってはいたけれど、でも、まだ本当に、治ったとは限らないし……国外での治療も、正直言って未だに信じ難いわ。身体を刃物で切るなんて、なんて野蛮な行為……リッカ、怖かったでしょう?」

 ……あー、まぁ、≪魔法使いだけの国≫だと、国外の技術はやっぱりそういう認識だよね。多分『麻酔』への知識もなさそう。
 これで更に「本当は心臓も止めたんですよね」なんて言ったら、それこそ大パニックになりそうだ。内緒、内緒で。

 そこで、兄が大きく息をついた。

「ミラ。国外では、ラグナルとは全く別の文明が――『科学』が発達している。リッカの病気は、国外でしか治せなかったんだ。体系だった理論に基づく技能であって、野蛮な行為では一切なかった。その点は、僕が保証する」
「……でも、オブシディアン様……」

 彼女が兄を恨みがましい目で睨む。

 ところで……ミラ。
 兄が彼女の名前を呼んだ瞬間、思い出した。

 ミラ・ロードライト。その名前は、知っている。
 金髪に藍の瞳の、この美少女は、確か。
 わたしがかつてプレイしたことのあるゲーム『ゼロイズム・ナイン』のだ――!

(そうだ、ここは、ゼロナイの世界だ)

 わたしが死なない未来を手に入れたところで、まだ、全ては終わっていない。

(兄が闇堕ちする未来を避け切るまで、決して安心はできない)

 緩みかけていた気を、わたしはぎゅぎゅっと引き締めた。

(――兄をラスボスとして、破滅させる訳にはいかない!)


 ◇ ◆ ◇


 第一分家から帰宅後、やっぱりわたしは熱を出して三日寝込んだ。
 どうやら多少健康になったところで、虚弱さはそう簡単には治らないらしい。
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