さよならルーレット

夏目とろ

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 耳元に、頬に村田の熱い吐息が掛かる。囁くように何かを言われたけれど、その声は小さ過ぎて僕の耳には届かない。

「むら、た?」

 どうして僕は村田に抱かれているんだろう。ぎゅうぎゅうと力まかせに抱きすくめられ、息ができない。

「くる……、し」

 なんとかそう言うと、ようやく腕の力がゆるんだ。それでも僕は、まだ真正面から抱かれたまま。村田の頭は僕の顔の真横にあって、村田がどんな表情かおをしているのかはうかがえない。

「木田は駄目だ。どこにもやらない」

 今度は僕にも聞こえるようにそう言うと、おもむろに腕の力が抜けた。自分の置かれた状況を上手く理解できない。

「……すまん。忘れてくれ」
「何を……「今の」

 じゃあなと今度こそ手を振って帰って行く後ろ姿を、僕はその場に立ち尽くして見送った。


(なんだったんだろ……、今の)

 自分の身に何が起こったのか、すぐには理解できない。あんなふうに僕を抱きしめた男は、ジョンに続いて二人目だ。

 特に村田は特別、仲が良かったわけでもないが、小学校から一緒の唯一の友達らしい友達だ。言ってみれば村田は幼なじみのようなもので、なんであそこであんなふうに抱きしめられたのか、今の僕には分からなかった。
 もともとが文系で、小難しいことは苦手な僕だ。キツく抱かれていたせいか火照ほてる頬に手を宛て、冷たい手も少し暖まったところで階段を上った。


 階段を上がったすぐ、二階の一番手前が僕と華が住まう201号室だ。ここには花苗が逝き、高校の英語教師もやめてショットバーをやらせてもらうようになってから移り住んだ。
 2LDKのごく普通の間取りが気に入った。実家にも何かあればすぐに駆け付けられる距離と、何よりベランダから海が見えるところが気に入っている。

 いつものように癖になっている『ただいま』を言い電気をつける。出掛ける時と全く変わらない部屋に少し安心して、リビングへ向かってソファに身を沈めた。
 ソファに身を沈め、目を閉じればすぐ睡魔が襲って来る。華はもう眠ってしまったかな。考えているのはそんなたりなことだ。襲って来た睡魔はなかなかすさまじく、油断すれば連れて行かれそうだ。

 まだ眠っちゃいけない。考えなきゃいけないことが多すぎて上手く収集がつかない。眠りたくない、のに。
 心地いまどろみがどこからともなく現れて、僕を深い眠りに誘う。


 眠りにつく瞬間、

『ジュン』

 僕を呼ぶ、甘く優しい声が聞こえたような気がした。
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