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110 マッチョさん、安静にする
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私はニャンコ族とタカロス隊に搬送され、砦を経由して王都へと移送された。
現場の軍医だけでは私の肘の状態を診断できず、王宮で診断するとのことだった。
「指先を曲げられますか?」
「はい。痛っ!」
どうも指先を動かすと、肘も一緒に動いてしまう。身体とはそういう具合にできているらしい。
王宮医師は少し安心したようだった。
「命に別状はありません。固めて固定すれば、日常生活に戻れるかもしれません。ですが、可能性としては五分五分くらいですね。」
まずは日常生活からか。
私がいた世界では多くのアスリートが怪我に苦しんでいた。現役に戻れた人間もいれば、そうではない人間もいた。スポーツ科学が劇的に進んでいた前の世界であるならば、私の肘もあるいは手術で治せたかもしれない。この世界では運に任せるしかないか。
しかし両手が使えないというのは、すごく不便である。
ふとしたことでいつも通り手を使いそうになるたびに、痛みが走る。
かゆい所があっても、かくことすらできない。鼻もかめない。
それに食事だけではなく、その、トイレすら他の人に処理してもらわなくてはならない。自分のモノを出して用を足すにしても、ブツが出たところを紙で拭くにしても、あれは手でやるものなのだ。
幸いにしてニャンコ族の女性二人がやってくれることになった。勇者を助けて国に入ってきた魔物を追い払ってくれた大恩人の両腕が使えなくなったのだから、その程度の人員は出すということなのだろう。正直なところこれは助かった。私の世話をしてくれたニャンコ族の女性がやたら体つきも顔つきも妖艶に見えるのは、ニャンコ族なりのサービスなのだろう。
さらに両手が使えないというのは、ものすごくヒマである。
やる事もやれる事も無いのだ。座ったり、眠ったりはするが、あとは弱めの鎮痛剤を飲んで待つだけである。
ニャンコ族はミャオさんと私の世話をしてくれる二人を除いて、自分たちの国に帰ることになった。
よほどあの土地が気に入っていたようだ。
なぜ精霊の祠がニャンコ族の領地では無く限界領域の先にあったのか、私には分かったような気がした。ニャンコ族の手が届く場所に置いておけば、精霊の祠もニャンコ族の遊び道具になっていただろう。かと言ってニャンコ族がまったく手の届かない場所に祠があったとすれば、次に魔王が出た時にニャンコ族からは勇者が出なくなる。
おそらく初代人間王は、ニャンコ族があれだけの幅の崖を超えてまで遊んでくると読み切っていたのだろう。だからこそ精霊の祠は数百年もそこに在り、時を超えてニャンコ族に発見され今に至ったのだ。
苔むして忘れられた存在になるかどうかはすべて賭けではあった。だが祠は発見されたし、勇者は生まれた。初代人間王はギリギリの賭けに勝ったのだ。
古い砦の調査も行われた。
精霊が落ち着かないということなので、勇者の二人とドワーフ国から帰ってきたロゴスが調査に向かった。初代王が書き残したものは見つからなかったが、ジェイさんがやたら気になるという場所をよくよく調べてみたら古い鉤爪のようなものが見つかったそうだ。
どうやらそれがニャンコ族の勇者がかつて使っていた武器だったようである。ニャンコ族に伝承させたら無くしてしまうという懸念があって人間国の中で保管することにしたのだろう。
そういえばジェイさんの三叉鎗も龍族の勇者が使っていたとされる武器だ。そういう特別なもの同士はお互いに引き合うのだろう。
砦にはタカロス隊が増強されて配備されることになった。具体的な脅威というものを私たちは身をもって知ったのだ。守りに長けた砦ではないが、部隊が駐留する上では便利なのだそうだ。タカロスさんが部隊を使って改修し、周辺地域での戦闘にいち早く駆けつけられるようになったそうだ。
いろんな人がお見舞いに来てくれたが、あまりたいした話はしなかった。
事実上、私は冒険者として引退となってしまったのだ。重い話も面倒だし、重くなりそうになったらふつうの会話をしてもらうように私からお願いした。そしてトレーニーとしての私もおそらくもう、以前のように理想とする肉体を目指すということも無くなるだろう。今後なにをしたらいいのか、今は考えられないな。なにも思いつかない。
同じ王城の中にいるというのに人間王がお見舞いに来ないことが引っかかったが、なにかそういう風習でもあるのだろうと軽く考えていた。
だが、そういう風習など無かった。人間王は私の怪我に責任を感じていたようなのである。私の部屋に入ってきた人間王の顔からは、自分の肉体の一部を失ったかのような疲労感がにじみ出ていた。
「すみません。この通りもう人間王の役に立つことはできません。」
「・・・そうではない。そうではないぞマッチョよ。俺の方が謝らなくてはいけないのだ。」
怪我をした人間を国賓にしておけないか。人間王にも立場というものもある。タベルナ村あたりで養生できればいいのだが。
「・・・この部屋に来るまでに勇気が必要だった。俺を臆病だと笑わないでくれ。」
どうやら王城から出ていけとかそういう部類の話では無いようだ。少しほっとした。
「なぜそこまで思いつめるのですか。私が仕事を依頼され、仕事をして、怪我をした。それだけです。」
「そういう問題ではない!」
人間王らしからぬ感極まった声だ。うっすらと涙を浮かべている。
「マッチョは二度と鍛錬ができないかもしれぬのだ。マッチョの肉体は以前のような大きさも存在感も・・・いや、もう言うまい・・・」
人間王の目から涙がこぼれ落ちた。
この人は私が大怪我をしたことについて泣いているのではない。私が今後手に入れたであろう肉体を思い、私がこれから失う筋肉を思って泣いているのだ。私の肉体がどれほどの時間と労力と情熱を注いで作られたのか、その真価を知る人間が目の前にいる。そして失われるものの大きさを知って愕然としているのだ。
人間王がこれほどショックを受けるとは思わなかった。だが私も異世界から元の世界に帰った時に、ランドクルーザー岡田が怪我で引退したなどと聞かされたらショックを受けるだろう。ようやく人間王の心中を察した。
「ああいう鍛え方をする以上、怪我はつきものです。ちょっと大きい怪我をしてしまいましたが。」
「・・・そうか。そう言ってくれるならこれ以上は言うまい。だがこれだけは言わせてもらう。この大陸を代表して、勇者の危機を救ってくれたことに感謝する。人間国とニャンコ国はお前が死ぬまでお前を英雄として扱うだろう。」
大げさかと思ったが、対峙したゴーレムの強さを思い出すとそこまで大げさでもないな。
この大陸最大の戦力のひとつを私は守ったのだ。
代償がトレーニング不可とはずいぶんと高くついた気もするが、まぁ異世界に飛ばされて死ななかったこと自体を喜ぶべきだと思う。
現場の軍医だけでは私の肘の状態を診断できず、王宮で診断するとのことだった。
「指先を曲げられますか?」
「はい。痛っ!」
どうも指先を動かすと、肘も一緒に動いてしまう。身体とはそういう具合にできているらしい。
王宮医師は少し安心したようだった。
「命に別状はありません。固めて固定すれば、日常生活に戻れるかもしれません。ですが、可能性としては五分五分くらいですね。」
まずは日常生活からか。
私がいた世界では多くのアスリートが怪我に苦しんでいた。現役に戻れた人間もいれば、そうではない人間もいた。スポーツ科学が劇的に進んでいた前の世界であるならば、私の肘もあるいは手術で治せたかもしれない。この世界では運に任せるしかないか。
しかし両手が使えないというのは、すごく不便である。
ふとしたことでいつも通り手を使いそうになるたびに、痛みが走る。
かゆい所があっても、かくことすらできない。鼻もかめない。
それに食事だけではなく、その、トイレすら他の人に処理してもらわなくてはならない。自分のモノを出して用を足すにしても、ブツが出たところを紙で拭くにしても、あれは手でやるものなのだ。
幸いにしてニャンコ族の女性二人がやってくれることになった。勇者を助けて国に入ってきた魔物を追い払ってくれた大恩人の両腕が使えなくなったのだから、その程度の人員は出すということなのだろう。正直なところこれは助かった。私の世話をしてくれたニャンコ族の女性がやたら体つきも顔つきも妖艶に見えるのは、ニャンコ族なりのサービスなのだろう。
さらに両手が使えないというのは、ものすごくヒマである。
やる事もやれる事も無いのだ。座ったり、眠ったりはするが、あとは弱めの鎮痛剤を飲んで待つだけである。
ニャンコ族はミャオさんと私の世話をしてくれる二人を除いて、自分たちの国に帰ることになった。
よほどあの土地が気に入っていたようだ。
なぜ精霊の祠がニャンコ族の領地では無く限界領域の先にあったのか、私には分かったような気がした。ニャンコ族の手が届く場所に置いておけば、精霊の祠もニャンコ族の遊び道具になっていただろう。かと言ってニャンコ族がまったく手の届かない場所に祠があったとすれば、次に魔王が出た時にニャンコ族からは勇者が出なくなる。
おそらく初代人間王は、ニャンコ族があれだけの幅の崖を超えてまで遊んでくると読み切っていたのだろう。だからこそ精霊の祠は数百年もそこに在り、時を超えてニャンコ族に発見され今に至ったのだ。
苔むして忘れられた存在になるかどうかはすべて賭けではあった。だが祠は発見されたし、勇者は生まれた。初代人間王はギリギリの賭けに勝ったのだ。
古い砦の調査も行われた。
精霊が落ち着かないということなので、勇者の二人とドワーフ国から帰ってきたロゴスが調査に向かった。初代王が書き残したものは見つからなかったが、ジェイさんがやたら気になるという場所をよくよく調べてみたら古い鉤爪のようなものが見つかったそうだ。
どうやらそれがニャンコ族の勇者がかつて使っていた武器だったようである。ニャンコ族に伝承させたら無くしてしまうという懸念があって人間国の中で保管することにしたのだろう。
そういえばジェイさんの三叉鎗も龍族の勇者が使っていたとされる武器だ。そういう特別なもの同士はお互いに引き合うのだろう。
砦にはタカロス隊が増強されて配備されることになった。具体的な脅威というものを私たちは身をもって知ったのだ。守りに長けた砦ではないが、部隊が駐留する上では便利なのだそうだ。タカロスさんが部隊を使って改修し、周辺地域での戦闘にいち早く駆けつけられるようになったそうだ。
いろんな人がお見舞いに来てくれたが、あまりたいした話はしなかった。
事実上、私は冒険者として引退となってしまったのだ。重い話も面倒だし、重くなりそうになったらふつうの会話をしてもらうように私からお願いした。そしてトレーニーとしての私もおそらくもう、以前のように理想とする肉体を目指すということも無くなるだろう。今後なにをしたらいいのか、今は考えられないな。なにも思いつかない。
同じ王城の中にいるというのに人間王がお見舞いに来ないことが引っかかったが、なにかそういう風習でもあるのだろうと軽く考えていた。
だが、そういう風習など無かった。人間王は私の怪我に責任を感じていたようなのである。私の部屋に入ってきた人間王の顔からは、自分の肉体の一部を失ったかのような疲労感がにじみ出ていた。
「すみません。この通りもう人間王の役に立つことはできません。」
「・・・そうではない。そうではないぞマッチョよ。俺の方が謝らなくてはいけないのだ。」
怪我をした人間を国賓にしておけないか。人間王にも立場というものもある。タベルナ村あたりで養生できればいいのだが。
「・・・この部屋に来るまでに勇気が必要だった。俺を臆病だと笑わないでくれ。」
どうやら王城から出ていけとかそういう部類の話では無いようだ。少しほっとした。
「なぜそこまで思いつめるのですか。私が仕事を依頼され、仕事をして、怪我をした。それだけです。」
「そういう問題ではない!」
人間王らしからぬ感極まった声だ。うっすらと涙を浮かべている。
「マッチョは二度と鍛錬ができないかもしれぬのだ。マッチョの肉体は以前のような大きさも存在感も・・・いや、もう言うまい・・・」
人間王の目から涙がこぼれ落ちた。
この人は私が大怪我をしたことについて泣いているのではない。私が今後手に入れたであろう肉体を思い、私がこれから失う筋肉を思って泣いているのだ。私の肉体がどれほどの時間と労力と情熱を注いで作られたのか、その真価を知る人間が目の前にいる。そして失われるものの大きさを知って愕然としているのだ。
人間王がこれほどショックを受けるとは思わなかった。だが私も異世界から元の世界に帰った時に、ランドクルーザー岡田が怪我で引退したなどと聞かされたらショックを受けるだろう。ようやく人間王の心中を察した。
「ああいう鍛え方をする以上、怪我はつきものです。ちょっと大きい怪我をしてしまいましたが。」
「・・・そうか。そう言ってくれるならこれ以上は言うまい。だがこれだけは言わせてもらう。この大陸を代表して、勇者の危機を救ってくれたことに感謝する。人間国とニャンコ国はお前が死ぬまでお前を英雄として扱うだろう。」
大げさかと思ったが、対峙したゴーレムの強さを思い出すとそこまで大げさでもないな。
この大陸最大の戦力のひとつを私は守ったのだ。
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